喫茶おおげさ、本日のメニュー、冷えた復讐のナポリタン
少し、約束の時間を過ぎてしまった。
それもやはり、幼なじみのせいだ。
私が出掛ける寸前に電話してきたと思えば、犬を拾ってきたけどどうすればいいとか言ってきたのだ。
それに対して動物病院を調べたり、連絡するべき保健所や自治体を調べることになった。
だが、調べて伝えているその電話口から、幼なじみ曰く犬がニャーニャーいっているのが聞こえてきたのだ。
猫だろ、明らかに。
しっかりと見ていないから断言はできないけど。
ニャーニャー言ってたら、猫だろ、それは。
とりあえず、動物病院に行くように勧めようと思ったらそもそも休診日だった。
しかも、それ以外の病院は車で一時間はかかる。
結局、出掛けるギリギリまで調べて調べて、犬猫をお世話をするのに必要なものの中で火急の物を纏めておくった。
私が拾ったわけでないのに、私の方が気を回している。
喫茶おおげさ。
その入り口は手動ドアだ。
ステンドグラスがハメられたその取っ手は重い。
年配のお客には大不評のもので、いつも店長や中にいる他の客が開閉を手伝うことになる。
少し体重をかけて押せば、カランコロンとドアベルが来客を店内に告げる。
ドアを開けた瞬間に鼻孔を擽る、珈琲の匂い。
そして、ソレを追うように香るトーストとバターが少し焦げた匂いに、ミートソースの匂い。
雑多な匂いのはずなのに不快感はない。
ただ、あぁ、またここに戻ってきたなと心が落ち着く。
「いらっしゃいませ! お一人様ですか?」
「いえ、連れが・・・・・・」
「あ・・・・・・彼方の窓際のお席になります!」
久々の来店を迎えてくれたのは店長ではなかった。
中学生か高校生くらいの少女だ。
一度も染めたことがなさそうな黒髪をお下げに纏めた、絵に描いたような純朴な田舎の少女。
以前、来た時には居なかった子だ。
私が忙しくして来れない間に入った店員なのだろうか。
きっと、そうなのだろう。
人手が足りなくなれば、常連を蹴り飛ばして接客させていたあの店長が人を雇うとは。
もしかしたら、明日はアトランティスが発見されるかもしれない。
ぺこり、と少女に頭を下げ、カウンターの向こうを軽く覗くが店長は見あたらない。
今日はシフトではないのだろうか。
もしかすると、いや、こんなになれていない新人アルバイトを残して一人で釣りには行かないだろう。
恐らく、少し外出しているだけだ。
多分、足りない食材でも買いに行っているのだろう。
・・・・・・いや、もしかしたら釣りに行っているかも知れない。
やりかねない、マイペースな男なのである。
なにせ、前に私を蹴り飛ばして珈琲を淹れさせられたときは、気が付いたらパチンコに行っていたのだ。
なので、新人を一人残して釣りに行く位ならば、本当にやりかねないかもしれない。
此方は紅茶党で焙煎や豆の挽き方どころか、フラットホワイトもカプチーノもカフェラテもカフェモカの区別も分からないというのに淹れさせられた。
あと、何だったっけ他のお客さんがいなくて暇な時、色々教えてもらった。
表にあるのがアラビカ種という珈琲豆で、奥に入れているのはカネフォラ種っていう苦みが強いアイスコーヒー用の豆だったか。
そうだ、缶コーヒーやインスタントにはカネフォラ種が使われているんだよと言っていた。
・・・・・・カネフォラ?
いや、ロブスタ・・・・・・ロブスターみたいな名前だったような。
そう、それで、レベリカ種っていう珍しいマレーシアの豆が欲しいから今度行きたいとか言っていたな。
で、アラビカ種にも種類が沢山あると教えてもらったはずだ。
珈琲の王様がブルーマウンテン。
キリマンジャロ、コナ、モカ、マンデリン、グァテマラ、ブラジル、コロンビア・・・・・・うん、覚えていたな。
珈琲豆の焙煎の仕方も・・・・・・浅かったり深かったりでローストがどうやら、挽き方が細かったり荒かったり、あと中?とか言っていた気がする。
そう、粗挽きがザラメ程度の荒さと聞いたかな、多分。
細かいことは全く思い出せないけど。
まぁ、来るのはド田舎の老人達だ。
洒落た物がメニューに載せられても、大半は無視である。
珈琲以外の飲み物を注文する人間など滅多にいなかった。
だからこそ、クレームが入ることもなかったはずだ、多分。
後から店長に入っていたなら分からないが。
結果、私には紅茶以外の横文字ドリンクは全てエスプレッソが入っているという知識が増えたわけだ。
いや、珈琲欄に名前が並んでいるのだから、中に珈琲が入っているのは当たり前か。
そう、少し。
少しだけ、紅茶党の私にも珈琲の知識が増えた。
そして、ちょっぴり珈琲が好きになれそうかもしれない。
だが、エスプレッソ。
エスプレッソは駄目だ。
苦すぎる。
苦すぎて頭がくらくらする。
コレをなぜわざわざ口に含み、なおかつ味わうのか分からない。
そう思ったのだが、エスプレッソというのはどうやら、甘い物を食べた後にサッパリさせるのが役割らしい。
なるほど、水で口をサッパリとリセットする、というのは水源が豊富な日本だからできたことだったのか。
国が変われば何もかもが変わるということなのだろう。
あんな苦いもので口の中をリセットしなければならない国に生まれなくてよかった。
ぼんやりと思考を巡らせながら、店内を進む。
入り口近くに置かれたマガジンラックの雑誌は相変わらずチョイスが古めかしい。
いくつかの新聞と漫画雑誌にゴルフやキャンプの雑誌を何となく流し見る。
一つくらい読んでみようかと思ったが、やはり興味を惹かれない。
通り過ぎて行けば、次に目に留まるのは、端に置かれたオルガンだ。
それは相も変わらず埃を被っている。
かつては誰かが弾いていたのだろうか。
今もこのオルガンは弾けるのだろうか。
それとも、もう役目は終えて飾りになってしまったのだろうか。
「九鬼ぃ、こっちだ、こっち」
ひらりと仕切られたテーブル席の一つに腰掛けていた男が此方に手を振る。
人工的に染められた明るい髪に派手なフレームの眼鏡。
両手首にジャラジャラとしたシルバーのアクセサリー。
あいもかわらず軽薄を擬人化したような男である。
このような片田舎においては目立ち、距離をとられるタイプだ。
そして、存外人嫌いのこの男の狙いはそれである。
距離をとりたいのだ、人間から。
そんな男の名前は延命陽太──愛すべき私の幼なじみの友人だ。
「お前、あの馬鹿は一緒じゃねぇの?」
あの馬鹿。
そう言われていの一番に頭に浮かぶのは、やはり幼なじみである。
こんな人間嫌いの延命陽太とすら友人になる事のできる希有な才能を持っている。
そして、私と延命陽太を唯一繋ぐ男である。
幼なじみがいなければ、私と延命陽太と関わりなどなかっただろう。
勿論、今日だって三人で食事をするという約束で此処に来た。
「えぇ、置いてきました。でも、後からきますよ」
男、延命陽太の目の前に腰掛けながら言葉を続ける。
そう、幼なじみが犬だか猫だかを拾ってきたのに、家まで行かなかったのはその為だ。
家に行ってしまえば、幼なじみと一緒に此処に来ることになる。
そして、延命陽太と二人になることはできなかった。
人嫌いで警戒心の強い延命陽太とこういう機会を作れる場面は中々ない。
「ぜひとも、二人で君に話しておきたいことがありまして」
そうして、愛想笑いを顔に張り付ける。
喫茶おおげさは今、人がいない。
コレは勿論、狙ったのだ。
この曜日、時間は人がいない。
それにしても、店長までいないとは予想していなかった。
いざとなったら店長に頼るつもりだったのに。
店員の女の子一人が見届け人とは、少し心許ない。
だが、まぁ、仕方ない。
「はぁ? あの九鬼がオレにぃ?」
延命陽太は大袈裟に眉を上げる。
「おいおい、告白か? ということはどんな返事をしてもオレの命日は今夜だな」
上半身を態とらしくのけぞらせた男は眼前で片手を勢いよく振る。
「勘弁してくれ、まだ志半ばで殺されたくねぇぜ、オレは」
おそらく、延命陽太は人に好意を向けられると、いつだってこうやってかわしてきたのだろう。
それがよく分かった。
「アハッ」
思わず笑いが漏れる。
手酷い拒絶だなぁと思う。
彼に誠心誠意の好意を向けた少女たちにはさぞかし辛かっただろう。
「いやぁ、そうじゃあなくてね」
頭を掻く。
まぁ、私の話の切り出し方がそうと受け取れる物だったせいもあるか。
「君が今計画している殺人を取りやめてくれとお願いしたいだけだよ」
そう、私は今日、この店に、この男の、延命陽太の殺人計画──いや、復讐計画というべきか──を中止してもらうために来た。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
延命陽太が黙り、私も黙る。
心なしか喫茶店内の温度すらも下がった気がした。
「九鬼、冗談でも言って良いことと悪いことがある」
延命陽太の声は嫌に静かだ。
「聞かなかったことにするから、今後は止せ」
上手く隠している。
だが、隠しすぎだ。
その瞳には動揺は見えないが、それ以外の感情すら隠されて見えなくなっている。
「冗談なんかで、一歩間違えたら幼なじみの友人に殺されかける真似はしないよ、私はね」
私が微笑むと延命陽太の目に一瞬暗いものがよぎった。
「・・・・・・九鬼、何を勘違いしてるかしらねぇが」
それでも、それは一瞬で消え、延命陽太はさらに言葉を重ねる。
「君の本名を知っている。勿論、君の出生についても」
「・・・・・・」
「こんな腐りきった隠蔽体質のド田舎に戻って来たのは間違いだ。君のソレは復讐の為の殺人じゃあない、無理心中だ」
「・・・・・・・・・・・・」
「やめておけ」
長い間、延命陽太はただただ沈黙した。
沈黙。
ならば、いいか。
私はメニュー表を開いた。
喫茶店にきたならば、何か頼まなければならない。
それは喫茶店の、いや、飲食店のルールという物だ。
守らなければならない。
飲み物は勿論、紅茶だ。
この喫茶店は珈琲に自信があるといって種類を揃えているが、紅茶はアールグレイとアッサムしかない。
それも、私が強請ったから追加されただけで、元はアールグレイ一択しかなかったくらいだ。
珈琲に比べて種類が余りにも少なすぎる。
そして、店長には珈琲愛があったが、紅茶愛はなかったらしい。
だから、店長が珈琲の話をする代わりに、私が紅茶の話をすることで情報交換をしている。
本当はもっとダージリンやキャンディにセイロン位は揃えて欲しかったが、これ以上は言うまい。
下手に揃えられても管理や淹れ方が杜撰であれば、茶葉の方が可哀想だ。
そして、そうこんな田舎の自宅外で紅茶が飲めるのであれば、それだけで精良と思わなければならない。
こんな過疎地で他人に多くを求める位なら、都会に飛び出していった方がまだ有意義で建設的だ。
それに、喫茶おおげさで流れる幾順かの流行に遅れたレコードを聞きながら呷る紅茶の味は嫌いではなかった。
うん、アッサムにしよう。
自分が強請った茶葉だ。
他の人間は味も分からないくせに珈琲ばかり注文するのだから、私くらいは紅茶を頼んでしっかりと味あわなくては。
それに、たまにはアッサムにたっぷりのミルクを入れてミルクティーにして貰うのもいい。
「私は、紅茶を頼むけど、君は他には注文しないのか」
もう完全に冷めているであろう延命陽太の珈琲に目をやる。
まるで手が着けられていない。
彼が頼んだのが紅茶であれば、何を惨いことをと怒りさえ感じていただろう。
「お前は・・・・・・」
延命陽太がようやく口を開いた。
「・・・・・・お前は・・・・・・全て・・・・・・全て知って・・・・・・オレに飲み込めといっているのか、この感情も殺意も・・・・・・」
その顔は今にも血反吐を吐きそうである。
目は怒りに燃え、その手は私の首を絞めようとせんばかりに蠢いている。
鬼だ。
鬼がいた。
なんとなく、民族学の教授に引っ付いて話を聞きに入ったとある住職を思いだした。
彼は言った。
「女にはケガレがある。だからこそ、女は鬼になるし、男は鬼にはならないのです」
確かにそう言った。
だが、ソレはやはり嘘だったなぁ、とぼんやりと思う。
人が鬼になるのに男だとか女だとかがあるものかよ。
「・・・・・・いえ、無理心中ではなく、正しく、正面から、復讐をしろといったつもりだったんですけど。無駄にシリアスな顔されてどうしたんですか? お腹でも痛いんですか? トイレならさっさと行ってくださいね」
「・・・・・・」
そこで男がようやく私の顔を見た。
ようやく、延命陽太と私の瞳があった。
顔が合う、瞳が合う──意志の疎通ができる。
「・・・・・・・・・・・・はぁ?」
その顔には『気が狂ってんのかこのアマ』と書いてあった。
失礼この上ない男である。
「珈琲、冷めちゃってますよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「すごい顔ですね、安息香酸デナトニウムでも混入していましたか?」
「・・・・・・あんそ・・・・・・なに?」
「安息香酸デナトニウム、ベナトニウムベンゾエイトの事ですよ。苦すぎて誤飲防止剤や忌避剤に使用されている物質です」
「・・・・・・ちげーわ」
それだけ言うと半目で此方を睨むながらも男が珈琲を口に含む。
そして、はぁと大きく声を出しながら息を吐いた。
「あのな・・・・・・オレの事情を知ったなら分かるだろう・・・・・・相手が悪いんだよ。方法がもう【これ】しかない、だから・・・・・・」
封筒をテーブルに置く。
笠羽って仕方がないので、鞄とは別に持ってきていたものだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・何」
胡乱げな男の眼差し。
「【方法】です」
それに私は率直に短く答える。
「何も貴方が馬鹿をやらかして、破滅する必要はないって話です」
その為に喫茶おおげさに来ることもせずにせっせと情報を集め、根回しをしていたのだ。
いきなり肩が凝ってきた気がして、肩をまわす。
なんだか、眠気までしてきた。
ふわぁ、と欠伸をこぼす。
口を手で押さえるのが少し遅れた。
間の抜けた顔を見せてしまったかもしれない。
慌てて延命陽太を見るが、彼は此方に胡乱な眼差しを向けている。
「・・・・・・」
胡乱な眼差しのまま延命陽太は封筒を手に取り、封を開ける。
内容を確認すれば分かるだろう。
延命陽太も馬鹿じゃあない。
そこで、ようやく一心地ついた気になる。
「すみません」
「は、はい!」
小さな店員さんがお冷やをもってタカタカとやってきた。
タイミングを見計らっていたのだろうか。
チラチラと延命陽太の方を見て、私の前にお冷やを置いた。
「紅茶、アッサム、ミルクティーでお願いします」
「わ、わかりました!」
小さな店員さんは腰をしっかり直角まで曲げると、さっと起きあがり、またタカタカと走ってキッチンへ引っ込んでいった。
子ネズミの様に走り回る子だ。
子ネズミちゃんと呼ぼう。
延命陽太は未だに封筒の中の書類に目を通している。
顔色が青くなったり赤くなったりと随分と忙しそうだ。
だが、その目はようやく、生気を取り戻したように見えた。
とりあえず、途中であの書類を放り出す気はなさそうだ。
と、いうことは、まだまだ、時間がかかるだろう。
再度、メニュー表を開く。
バタバタしていたせいで昼は抜いた。
ここで食べるのも良いかもしれない。
まぁ、この喫茶おおげさは珈琲ばかりで、食事の方は美味しいとも不味いとも言えない。
だから、この店の常連達は珈琲だけで何時間も過ごすのだ。
「ふむ」
大雑把な見出しはグラタン、ハンバーグ、カレー、サンドイッチ、おにぎり、スパゲッティーにサラダ。
壁に掛けられた古めかしい鳩時計を見る。
埃をたっぷりと被ったソレは止まっている。
まだ、直していないのか。
半年はそのままな気がする。
仕方がないので、スマホを取り出して時間を確認した。
午後四時過ぎ。
当然、モーニングは終わっている。
あぁ、まだ終わっていなかったら久々にモーニングでも良かったな。
駄目だ、決まらない。
絞れない。
「ねぇ、君、ハンバーグとか注文する気はない? グラタンでもいいんだけど」
たまらず目の前の男に話しかける。
できれば、シェアをしたい。
そうすればメニューから実質二つ選べる。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無視された。
マジかよ。
自分のために色々した人間をまさかの無視。
いや、私が勝手にやってことだけども。
あぁ、誰かが言っていたな、何かしてあげたと思うのは辞めなさいって。
でも、何かをしてもらったのに、感謝もしない人間はどうかと思うわ。
仕方がないので、もう一度メニュー表に視線を落とす。
何度かメニュー表をめくるうちに、スパゲッティーの欄が以前よりも増えていることに気が付いた。
というか、手書きでメニューが加えられている。
印刷されているのはミート、ナポリタン、カルボナーラだけ。
そこに手書きのかわいらしい文字で、たらこ、和風きのこ、ほうれん草とベーコンのクリーム、しらすとキャベツが追加されている。
うん、最近の店長のブームなのだろうか。
それとも、新しい店員の子ネズミちゃんの一押しか手作りか。
ここの喫茶おおげさのスパゲッティーはスパゲッティーである。
パスタなんて小洒落た呼び方はされないし、スパゲッティー欄はスパゲチーと書いてある。
うん、いいかもしれない、スパゲッティー、いや、スパゲチー。
最近、冷凍のスパゲチーばかり食べていたし、たまにはね。
だとすれば何がいいだろう。
追加された新しいメニュー?
いや、今はコテコテの定番のものが食べたいかも。
ミート、定番だ。
いい。
すごくいい。
定番っていうのはハズレがない。
カルボナーラもいい。
卵が載せられていたら更に最高だ。
その半熟の卵をフォークで潰してスパゲッティーに絡めて食べたい。
あぁ、でもナポリタンもいいな。
あのわざとらしいケチャップの味は時折、無性に食べたくなる。
ナポリタンなんて名前が付いているのにナポリなんて一切関係ないところもいい。
かつての日本人のただの憧憬の押し付けそのものなところがまた味がある。
それでいえば、海外の寿司の「カリフォルニアロール」なんて海外への憧憬などなく「ここの寿司」と銘打っている事のなんて潔いのだろう。
きっと、この田舎の人間たちはカリフォルニアロールなんて邪道だというだろうけれど、そんな物は無視して一度作ってみるのも楽しいかもしれない。
そうだ、ナポリタンにしよう。
「・・・・・・い! おい、九鬼! おい!」
思考が分散して、顔をメニュー表からあげる。
「どうしたの?」
そう問えば、延命陽太の顔は分かりやすくヒキツっていた。
「お前・・・・・・お前さぁ・・・・・・」
「うん」
「お前・・・・・・これ、これ・・・・・・」
延命陽太は続く言葉が見つからないようだ。
「これ、どうしたんだ・・・・・・」
「がんばった」
「がんばったって、お前・・・・・・」
延命陽太はひどく動揺しているようだった。
だが、シッカリとその両手に掴んだ封筒は意地でも離すものかというような気概を感じる。
「がんばったのは私じゃないよ、君と、当時の医者」
「・・・・・・」
「そうさ、あれは心筋梗塞なんかじゃなかった」
私は頷く。
「検出されたよ、当時の医師がなんとか残していた血液から毒が」
医師は「これは絶対に心筋梗塞ではない」と感じていたらしい。
それで何とか血液を保存していたのだと。
バレれば懲戒免職ものだ。
もしかすれば、医師免許が剥奪されるかもしれない。
それが免れたとしても、この小さな田舎町で権力者に逆らったとなればどうなるかは分からない。
村八分にはされるだろう。
善悪など関係ない、田舎という集合体の総意に逆らったかどうかだ。
彼は血液は提供したが、自身の情報開示だけは最後まで拒否をした。
「トリカブトとフグ毒──アコニチンとテトロドキシンは配合を調節することで互いの効力を不活性化させることができる。拮抗作用だ。
そして、テトロドキシンの半減期──毒物の血中濃度が半分になる時間はアコニチンよりも短い。つまり、拮抗作用が崩れたとき、二つの毒を接種した者は最終的にはアコニチンによって死に至る。
つまり、毒を接種した時間は誤魔化されていた。
アリバイは崩れたよ」
そう、これは事件当時から崩れていた。
だが、医師は田舎の総意と権力者をおそれて公表することはできなかった。
【事件】が随分とスムーズに【なかったこと】にされるのを見て、余計に表沙汰にすることはできなかったらしい。
だが、その恐怖は分かる。
こういう田舎の隠蔽体質は外の人間から見れば、異常以外の何物でもないだろう。
ソレこそ、沢山の身体に一つ意志を持つ化け物のようにすら見えるはずだ。
「勿論、ここで騒いでも無駄だ。もみ消されるさ、君事ね」
田舎というのは本当にダメだ。
こういう事があった時、相手を消すのが簡単すぎるから。
そして、皆が口をつぐむ。
「だから、言う相手を選びなよって話──その封筒にもちゃんとリストを入れているだろ?」
テーブルを指でノックする。
「・・・・・・そうそう、順番を間違えるなよ。間違えたら全部駄目になるからね」
そう、これだけは言わなくてはいけない。
「・・・・・・順番を間違えたら、きっと消えるのは君の方だね」
「・・・・・・こえぇんだけど」
心底、嫌そうに此方を見る男は、それでも、その顔に血色を取り戻していた。
「アハッ」
それになんだか嬉しくなって笑う。
「【お前のためなら死んでもいい】って男が死ぬほどいるって噂、あれマジなのかもって思い直してるぜ、九鬼。この、ファム・ファタール。男を破滅に導く悪女がよぉ」
相変わらずの減らずの口である。
「別に男だけじゃないさ。【私のために死にたい人間】は」
それに軽口を返すと、また呆れたような半目を返される。
はぁ、と目の前で態とらしい大きな溜息をつかれた。
信じたのか、それとも軽口に呆れたのかは分からない。
「マジな話。なんでオレの為にこんなにしてくれてんのか、全然わかんねぇんだけど。お前はただ【幼なじみの馬鹿】の面倒を見てるだけで、そのついでに馬鹿と連んでるオレとも時々連んでいるだけで、別にオレのことはダチだとか思ってねぇだろ」
そういうと延命陽太は一気に珈琲を煽る。
味わうという感じではない。
喉が渇いたのか、それともとりあえず落ち着きたかったのか。
はぁ、と延命陽太が再び大きく息を吐いた。
「・・・・・・なんでか、それだけ教えろ。そしたら、全部信じるから」
書類を腹に抱えるようにして離さないようにしながらも、それだけは聞かねば気が済まないという目でこちらを睥睨している。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「君さ、将来【警察官】になりたかったんだろ」
「・・・・・・あ?」
私がこぼした言葉が意外だったのか、ただの話題逸らしだと思ったのか延命陽太の声が低くなる。
チャラチャラとした軽薄さはもはや影を潜め、ただひたすらに攻撃的だ。
まぁ、延命陽太にしてみればこの田舎の人間は全て敵みたいなものか。
「なってよ、【警察官】」
「・・・・・・は?」
「悪いことなんかせずにいられるならその方がいいし、ましてや【警察官】になりたい君にさ、して欲しくないなって」
呆気にとられた延命陽太に微笑む。
「私はね、【警察官】が好きなんだ。あぁ・・・・・・【私の名探偵】の次に、だよ、勿論。だからさ、なってよ、【警察官】」
「・・・・・・それが理由かな」
私はそれだけ言うと、肩をすくめた。
延命陽太の瞳が事の虚実を伺うようにジッと私を見る。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「お前」
延命陽太の瞳が揺れる。
「お前、俺が警察に」
彼の手が強く握られる。
「・・・・・・俺が警察になっても良いと思ってんのか。こんなこと計画してる俺が」
「私はなって欲しいと思ってる」
私は延命陽太の手が握りしめすぎて白くなっているのをみた。
「君にはとっても似合うと思うから」
レコードの音だけが響く。
名前は知らないけれど、何度も喫茶おおげさで聞いた綺麗な女性の声。
レコードをCDよりも音質が良いという人がいる。
それはCDよりも高い周波数の音を記録しているためなのだとか。
私には違いがよくわからない。
CDに収録されている物でも良い音色に感じる。
そもそもCDの方は人の可聴域に合わせて音をカットするらしい。
ならば、レコードを音質が良いと感じる人は人の可聴域とは違う物をもっているのかもしれない。
「お待たせいたしました!」
ひょこひょこと一生懸命に駆けてきた子ネズミちゃんが私の前に紅茶を置いた。
「ありがとう。注文良いかな」
私は追加の注文をお願いしようとしたが、延命陽太に止められた。
「流してこい」
それだけ言うと、子ネズミちゃんに私の紅茶を顎で指した。
子ネズミちゃんは少し目を見開き、またワタワタと紅茶を回収しようとした。
「ちょっと・・・・・・」
私の紅茶が取り上げられようとしている。
反射で私は自分の紅茶を庇った。
「毒が入ってる」
延命陽太が短く告げた。
「・・・・・・え、毒入り紅茶!? 初めて飲む」
小説や映画では見たことあるけど、実際に目で見るのは初めてだ。
そうか、この紅茶が飲んだら死ぬ紅茶なのか。
どうだろう、ミルクがたっぷり入っているからか、違いがよくわからない。
クンと鼻を鳴らす。
確かに、いつもと違う気もする。
いや、どうだろう。
私の小鳥のようなハートは口から飛び出していきそうな程、震えている。
「飲むな」
「紅茶党としてはさ、いつか、毒入り紅茶で死ぬのが夢だったんだよね」
きっと、紅茶を嗜むものなら皆一度は憧れた死因だろう。
最期に好きな物を飲んで、ソレが原因で死ぬなんて。
「死ぬな」
「えっと・・・・・・の、農薬入れちゃったんで、滅茶苦茶死んじゃうかと・・・・・・」
子ネズミちゃんが恐る恐る私に言いながらも、なんとか紅茶を回収しようとしている。
「え、死ぬほどの量の農薬を入れたの? このカップに?」
そこまで入ってたら、流石に分かるはずなんだけどな。
致死量ってけっこうあるよね。
いや、農薬の種類によるのか。
「え、量ってそんなに必要なんですか?」
「あ、量までは考えなかったってやつね」
子ネズミちゃんの驚愕の表情に納得した。
毒を入れたら少しの量でも死に至ると思っている人間は結構いる。
しかし、何事にも致死量という物が存在するのだ。
例えば普段食べている物でも食べ過ぎれば死ぬ、とか。
珈琲だって短時間に十杯飲めば中毒を起こす可能性がある、と聞いたことがある。
「じゃあ、死ぬまではなくて滅茶苦茶苦しむやつかも・・・・・・ワンチャンあるな」
「ねぇよ。オレの妹を無駄な傷害事件の犯人にするな」
「あ、妹さんでしたか」
成る程、妹さんだったらしい。
「えぇっと、九鬼さんがあの事件を調べてらっしゃると聞いて・・・・・・念のために、よくいらっしゃるっていうここにバイトに・・・・・・」
「へぇー・・・・・・」
紅茶を巡って攻防を繰り返しながら、ふと最初に感じた違和感を思い出す。
「・・・・・・え、じゃあ、店長は?」
「あ、酔っぱらって寝ちゃったので縛って裏に・・・・・・」
「また、あの人酔っぱらってたのか・・・・・・」
どうやら、釣りではなく飲酒した上に寝ていたらしい。
新人がいるのに釣りに行かないのは良いが、前後不覚でこんなちっちゃな女の子に縛り上げられるくらいに飲むとは。
思わず呆れて力が抜ける。
その隙に子ネズミちゃんに紅茶が奪われた。
「あぁ・・・・・・」
「残念そうな声を出すなよ」
延命陽太が呆れ果てた声を出す。
「・・・・・・あ、そうだ、私ナポリタンとアッサムのミルクティーもう一杯追加で」
そう言えば、頼もうとしていたのを忘れていた。
あと、あの紅茶が飲めないならもう一杯頼まなくては。
「お前、よく自分に毒を盛った人間に追加で注文できたな」
「えぇっと・・・・・・はい。でも、私、まだナポリタン作ったことなくて・・・・・・」
「じゃあ、店長の縄解いてきなよ。酔っぱらって暴れそうだったから、縛っときましたって言えば、どうせ気にしないから」
延命陽太と子ネズミちゃんの言葉を流す。
どうせ、まだ何も起こっていないのだ。
別にいいだろう。
「あ、そのカップ洗って・・・・・・念のために割って片付けときなよ。店長が割ったってことにしてさ」
一応、それだけ言っておく。
農薬が残っていて、年配の人間が体調不良になったなんて笑えない。
主に、喫茶おおげさが営業停止になるかもしれないという意味で。
子ネズミちゃんがペコリと私に頭を下げて、またしゃかしゃかと裏へ走っていく。
回し車を与えたくなるな。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
奥でデカいクシャミが聞こえた。
店長だろうか。
店長だろうな。
「オレの・・・・・・」
延命陽太がぼんやりと外を見ながら呟く。
「オレの親父はある日宝くじに当たった」
私に言っているのだろうか、それとも独り言だろうか。
「誰にも言わなかったが、銀行の連中が全部周りに喋った」
「それで「宝くじに当たったんだから」って寄付を強要され始めた。施設の建て直しに祭りへの出資に・・・・・・もう色々だ。で、もうとっくに宝くじの金額なんざ全部消えてた。それなのに寄付を強要され続けた。家まで押し掛けてきて脅されて、最後はもうこんな田舎から逃げようとしたのを毒殺されたんだ」
延命陽太を見るが彼の瞳はやはり私なんか見ていなかった。
ありそうだなと思う。
いや、それが真実なのだろう。
本人が言っていないのに「○○さんが宝くじの○等の○○○万当てた」と広まるのはよくある。
それが真実か嘘かは知らないが、そういうものが真実として広まるのが田舎なのだ。
寄付だって、皆の為にしろと半ば強要されたり、勿論するよなという空気を出される。
キッチンから食器の音が響き、コンロに火が入る音がする。
店長が戻ってきたのだろう。
延命陽太は口を閉じ、ただ遠くを見た。
私も何となく、遠くを見る。
人は疎らで、何時だって変わりない緑豊かな山だけが長閑だ。
突き抜けるような青い空を雲が自由に泳いでいく。
カランコロンとドアベルが来客を告げる。
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ」
少女の軽やかな声に微かに怠そうな中年男性の声。
幼なじみが来たのかと思い、其方に目を向けたが別人だった。
年配の夫婦である。
病院の先生の悪口に近所の変わり者の話、そしてパチンコの話と年頃の少女よりもなお早く話題を変えながら私たちの近くを通り過ぎ、奥へと進んでいった。
静かな店内に二人の声がよく響いている。
ついに、延命陽太は彫刻のように動かなくなった。
物思いに耽っているのか、それとも過去に溺れているのか。
私も仕舞い込んだ文庫本でも読もうかと鞄を漁っている間に、子ネズミちゃんがタカタカと此方にやってきた。
「ナポリタンです。紅茶はいつも通り店長が食後にお持ちするそうです」
「どうも」
それだけ言って頭を下げると、お冷やをトレイの上にのせ、奥の夫婦のいるだろう席に走っていった。
ナポリタン。
本当に久々だ。
まずは両手を合わせる。
そして、
「いただきます」
そう言ってフォークを持つ。
喫茶おおげさ。
ここのナポリタンは見た目だけ見れば定番そのものだ。
白いお皿に玉ねぎ、ピーマン、そしてソーセージに粉チーズにパセリとパスタが乗っている。
実に定番そのもの。
きっと十人が十人が思い浮かべるナポリタンという見た目をしている
店長がいうにはケチャップの他にトマトペーストとウスターソースに牛乳、オリーブオイルを使っているらしい。
私は、フォークで軽くナポリタンの具材をかき混ぜる。
ナポリタン。
確か生まれは横浜だと聞いたことがある。
いや、これも諸説あるのだったっけ。
混ぜたナポリタンをフォークに巻き付け、おまけにフォークの先に小さく切られたウインナーを引っかかる。
口元が汚れないように、大きく開けて一口。
瞬間、ケチャップのわざとらしい甘ったるさが口に広がる。
ふっと、笑みが漏れた。
美味しいとかいう味の感想の前に、懐かしいなと思う。
なんだか、ナポリタンを食べると幼少期に戻った心持ちになる。
たっぷりと口元を赤く染めて食べた記憶が蘇る。
それが本当の記憶なのだか、そうであるはずだという記憶なのかは分からない。
けれど、そう、懐かしい。
いつかは毛嫌いしていたピーマンも、今は何の忌避感もなく口に運ぶことができる。
私は、ナポリタンというのはまるで過去が濃縮された一皿のように感じることがある。
過去を咀嚼し、飲み込み、また過去を咀嚼する。
時折、口内でウインナーが弾け、ピーマンが歯に抵抗し、玉ねぎがすりつぶされた。
つるりと飲んだスパゲッティー、いやスパゲチーは消えても後味のトマトケチャップの方は何時までも口に残って消えていかない。
口にまとわりつくような甘ったるさだ。
何口か食べた私は、テーブルに置かれたタバスコに手を伸ばす。
コレで味変するのも私の楽しみの一つである。
一振り、二降り。
またナポリタンをフォークで混ぜていく。
そして、辛みが混じったナポリタンをまたフォークで掬って、口に運ぶ。
ただただ穏やかだった懐かしさにピリリとした辛さが混じる。
美味しい。
何口かそのまま口に運んで、甘ったるさと後から迫る辛さに舌鼓を打つ。
だが、辛さのためか微かに汗ばんできた。
羽織っていたカーディガンを脱ぐ。
個人的にはもっと辛くてもいいのだが、もっとタバスコを入れると汗が大変なことになりそうだ。
これ以上は家でやろう。
ふぅと吐いた息にヒリヒリとした痛みを覚える。
それを水で流し込み、私は口を開いた。
「・・・・・・がんばった人間がさ」
独り言だった。
口にでたのは何となくだ。
聞く人間が居ようが居まいが関係なく零れただろう、そんな言葉だ。
「報われないのは嘘じゃん」
苦しんだら報われてほしい。
がんばったら報われてほしい。
それってきっと普通に、誰だってそう思う事だ。
「誰だって不幸になるより幸せになる方がいいでしょ」
目の前に座っていた延命陽太が身動ぎするのを感じた。
けれども、私はやはり、過去を咀嚼するのに夢中になって其方は見なかった。
食べれば食べるほどにお腹が空く。
否、お腹が空いていたのを思い出す。
なにせ、昼を食べるのを忘れていたので。
お皿の三分の二が空になったところで、私はようやく息をついた。
ほぅ、と吐いた息はトマトケチャップの匂いがした。
お絞りで軽く口元を押さえる。
やはり、赤くなった。
気を付けていてもやはり口元は赤く汚れる。
だけれど、ナポリタンを食べるときは、口元を赤く染めて一心不乱に食べる事こそが礼儀みたいに思えるから不思議だ。
お冷やを口に含み、まだ口に残っているケチャップの味を喉へ押し流す。
冷たい水が口内を潤し、喉奥へと落ちていく。
ふと目線をあげれば延命陽太が此方を見ていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙。
ジッと見るならば何か言えばいいのに、口を開こうとしない。
「えっと、さ・・・・・・」
私の方がその沈黙に耐えきれなくなった。
「ひ、一口食べる?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無視である。
キツい。
ツラい。
シンドい。
もはや、手癖のように私の手はフォークにナポリタンを巻き付けた。
そして、持ち上げたそれは、身を乗り出した延命陽太の口に吸い込まれて消える。
「・・・・・・え」
驚きの声を上げる私を無視して、延命陽太がナポリタンを咀嚼していく。
そのまま、私の手を取った延命陽太がナポリタンを緩く掬い、再び自身の口に入れる。
その動作が繰り返され、ついに残っていたナポリタンは全て延命陽太の腹の中に消えていった。
「ごちそうさま」
それだけ言うと、ようやく延命陽太が私の手を離した。
思わず目を見開いて延命陽太を見るが、彼は何でもなさそうな顔で此方を見ているだけだ。
スマホの音。
私はその瞬間に全く姿を現さない幼なじみの事を思い出した。
嫌な予感がする。
男を見ると何か言いたそうな、言いたくない様な目をしている。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
スマホをとる。
やはり、相手は私の幼なじみである。
何だか、嫌な予感がした。
いや、何時だって嫌な予感がするのだ、幼なじみからの連絡には。
「うん、私・・・・・・おおげさだよ。いや、ちがう、おおげさは喫茶店・・・・・・は? なんで空港の話になったの? 羽田行きか成田行きかじゃなくて、行かなくていいの。だって、おおげさは徒歩で行けるから。だから、乗るな。どの飛行機にも乗るな・・・・・・ねぇ、今のアナウンス何かな? 君まさか今空港にいるの? いや、ジャマイカは今全く関係ない」
「・・・・・・・・・・・・」
「関係ない、ブラジルも関係ない、日本、日本の話をしているんだよ。国外に出ようとするな。いや、そもそも、君パスポート作ってないから、出れるはずは・・・・・・なんで作っちゃったの? なんで今持ってるの? 本気で言ってる? クレジットカード!? 君が持っていいものじゃない!! は? 何処のか分からないけど一応航空券買った? なんで? いや、一番高いのを買ったら、どれに乗ってもいいし、何処にでも行けるみたいなシステムじゃない・・・・・・そもそも何で近場の喫茶店に行こうとして、飛行機に乗ることになるんだよ。嘘だろ」
「あー・・・・・・九鬼・・・・・・オレ帰るわ」
「は!!??? ちょっと、まっ・・・・・・いや、君はソコを動くな!! 一歩たりとも!! 迎えにいく! 迎えに行くから!! すみません、紅茶キャンセルで! 支払い・・・・・・」
「・・・・・・奢る」
「え、ごめん!」
「いや、コレの礼」
延命陽太が封筒を左右に振る。
「あと、今日、三人で食事できそうにないかも!」
「できねぇだろ。オレもコレやんなきゃだし」
延命陽太がレシートを取るとそのままレジへと進んでいった。
「ほんと、ごめん! また大学で!」
「ん」
その背中に挨拶だけ送ると私はドアへ駆けだした。
「あれ、九鬼ちゃん、紅茶いらないの?」
椅子に座って新聞紙を広げていた店長が私に問いかける。
「非常事態! ごめんね、また来る!」
「あ、幼なじみちゃんね」
それだけでそう判断したらしい店長が再び新聞に視線を落とした。
カランコロンとドアベルが鳴る。
「ありがとうございました!」
少女の声が追ってくるのに片手をあげて返し、私は走り出す。
あぁ、そうだ。
大切なことを忘れていた。
「・・・・・・空港って車で片道二時間かかるんじゃないの!??」
アイツ、空港に行く途中で猫拾ったのかよ。
復讐は冷めるほど美味いそうです
ミステリーものの復讐者をみると、つい最後まで逃げ切ってほしくなってしまいます
報われて救われてくれ
他サイトでも公開しているものです




