第十三話 妖精王
がたがた、と地面が揺れる感覚が体全体に響いていた。体を動かそうとするが上手くいかない。寝起きのボヤけた視界を数度瞬きで起こし、よく体を見れば縄で縛られており身動きが取れなくなっていた。わたあめが私の顔面に尻のもふもふをなすりつけており、視界も悪く何が起こっているのか、寝ぼけた頭で飲み込むのに時間がかかった。
どうやら誰かしらに攫われている最中らしい。……急に眠くなったのは、何か魔法でも使われたか。とりあえずわたあめの尻のドアップをどうにかしなければ、と思ったが、わたあめの尻のふわふわの香りを嗅いでみると甘いメープルシロップのような香りがした。くんくんと嗅いでいると何だかまた眠くなって……。と思っているとがたん、と音を立てて揺れが止まった。
「起きていらっしゃったか」
「……あ、この前の下っ端騎士」
「ぐ……、申し訳ないが、王都にもう少しで着くが、それまではそのままでご勘弁いただきたい」
「なんだおめー、何で敬語になってんだよ。生意気野郎だった癖に」
「……あなたが、黒だからだ」
「は? 黒って忌色じゃねーの」
妖精騎士の様子がおかしいことになっていたが、理由は私が黒であるかららしい。疑問符を浮かべたが答えは返ってこず、馬車は再び動き出す。
まあ、やることと言ったらわたあめを嗅ぐことくらいなものだし寝よう。とわたあめに顔を埋めながら寝に入った。
がたがたと体全体が揺れる馬車の中、眠りの浅い場所を漂っていた。喧騒が聞こえ始めたと思えば、次第にそれも収まってゆく。
起きてくださいとの声に目を開けると、先程の妖精騎士がこちらを見ていた。
「その前に縄解けや」
「今はまだ、申し訳ないが」
妖精騎士は私を俵背負いして何処ぞに進んでいく。足元にはちょこちょこと必死にわたあめが着いてきていたが、手も出せないので拾い上げられず、わたあめも痺れを切らしたのか羽ばたき飛び上がって私の腰あたりに着地した。
辺りを観察するが、黒を基調としたデザインの城、とでも言うのが正しそうな広さであった。黒は忌色だと聞き及んでいたが、妖精国では違うのかもしれない。
一室に通されると風呂場のようだった。複数人の女性、の妖精だろう。耳が尖っている。が私に群がり縄を解き服が剥がれてゆく。妖精騎士は姿を消しており、私は風呂に入れられ体を丸洗いされ、風呂から上げられれば髪を魔法の風で乾かされ黒い服を着せられる。シンプルだが総刺繍の手の込んだドレスのようだった。
部屋を出ると妖精騎士が扉の横に立っていた。着いてきてくれと言われ、妖精騎士が抱えていたわたあめを返される。胸にわたあめを抱きながら、ここは何処なのかと聞いた。
「ここは妖精国の王都、妖精王、アルベド様が治める国です」
「ふうん。知らない名前だ」
「……この国は人間に対し、国を開いていない。知らなくとも無理もないでしょう」
「何故私を攫ったの」
「……」
「私の他にももうひとり黒が居たのに、そっちはどうなった」
「何!? それは本当か!?」
「あ、気づいてなかったんだ」
妖精騎士はしまったとでも言うように頭を抱えている。
「まあ碌な奴じゃないからいいんじゃない」
「そ、それは共に旅してきた仲間に言うべきことですか……?」
「あいつのゲス顔、只者ではないね。多分闇商売していたよ」
いい加減な嘘をこきながらへらへらとしていると、ジトッとした目で見られる。それを受けてもへらへらと笑っているとため息を吐かれた。
「仲間のことをそう言うべきではないと思いますが」
「別に恨まれようと失う物もないからねえ」
この世界に来て、勝手に話を進められてこの国、妖精国へと行けと言われ渋々来てやっているだけなのだ。元の世界で積み上げた信頼も、溜め込んだ金もこの世界では意味を成さない。失うものなぞ初めから無いのだ。だから良いのだと言えば、妖精騎士はそうですか。とぼそりと呟いた。
歩みを進めてゆくと通りすがる人々が妖精騎士なのか私なのかどちらかは分からないが、端によって過ぎ去るまで礼をする。こいつがそんなに階級が上の妖精にも思えなかったが、妖精なのだし私よりも年嵩が上の可能性もあり得る。どちらなのだろうかと思っていると大きな扉の前で足を止めた。
「こちらにて、王に謁見なさっていただきたい」
「その前にいい?」
「はい」
「名前は?」
「……アガタと」
「私は早池。アガタ……ところでさあ」
「はい」
「こんな簡単に王様に会わせていいの? なんか危ない魔法でも持っているかもよ」
「王はそこらの魔法士なぞ歯に立たぬほどの方です。誰にも彼を傷付けることは叶いません」
「自信激高っすなあ」
まあそれなら会いますけど。と呟く。私とて下手に王を刺激して反逆者になりたいわけではない。私は他人の地雷をわざと踏み抜く癖があると言う自覚がある。自覚があってやっているので救いようがないと言うのも自覚している。
扉が開けば黒い大広間が目に入ってくる。胸の中のわたあめが私を見上げ、ぴちょ、と鳴いた。羽根を逆立てて警戒しているような仕草をした。
王の謁見の間へと進み、空の王座の少し前まで来るとちらちらと光が舞った。一瞬で王座にはひとりの妖精が座っていた。白の長髪に、尖った耳、黒い服を着込んだ少年のような見目をしていた。水戸場とは違う方向性の美であった。
「遠路はるばるようこそ、黒の方」
「どうも〜誘拐犯の方」
わざと煽るような物言いをすると王は片方の眉尻を上げ、笑みを浮かべた。
「ふはは、随分と無礼な物言いをするのだな」
「元はと言えばそちらが先に無礼を働いたのでは?」
「それはそうだな。……大変失礼した」
「いいえ〜」
フランクな物言いを咎めない辺り懐が広いように見受けられる。瞳は黒く、黒曜石のようなそれが私を見据えた。
「何かご用があってお呼び立てを?」
「ああ、黒の方。その通りだ」
「……要件を聞く前に確認したいのですが」
「なんだ」
「この国には色階はないのですか? 黒を忌む者は」
私の疑問に王はそんなことか。と答えてくれた。
「その通り、妖精に色階はほぼ存在しない。ただ、妖精にとっては白と共に黒は古くから尊ばれる色だった」
「へえ、人間たちの国にもその考えが広まったのですか?」
「いや? 人間は黒の魔法の力が白よりも強い場合があるからと黒への考えを改めただけだ。全く、愚かしいものだ」
義憤を含んだ表情を湛えた王に疑問を投げかける。
「あなたは黒ではないのですね」
「……そうだな。黒であれば、どれほど良かったか」
何か訳あり、のようだったが今はまだ踏み込むべき段階ではないと思われた。言葉を飲み込み、何故私を攫ったのかと問うた。
「神鳥がお前を選んだ」
「神鳥?」
「お前が胸に抱えているその鳥だ」
腕の中のわたあめを見れば、警戒は解いたのか普段の状態に戻っていた。
「この子神鳥なんですか?」
「そうだ。この国の国鳥であり、尊き白を纏う鳥だ」
「オウ……マイラブリーゴッドバードわたあめ……」
思わずわたあめを宙に掲げたくなったがそこは抑える。
「で、選ばれるとどうなるんですか?」
「王の、僕の伴侶となる」
「やめちまえよそんな風習」
こいつ適当こいてんじゃねえだろうな。と思ったが至極真面目に言っていそうな雰囲気があったために突っ込むのは控えた。
「僕の伴侶となるのは嫌か?」
「嫌というか、あなたのこと何も知らないですからそれ以前の問題と言うか」
少々呆れつつそう言うと、ふむ、と顎に手を添えて考え出した。
「なら、親交を深めれば僕を選んでくれるのか?」
「親交を深めても合う合わないはあるでしょう」
「なら、明日から僕と話す時間を設けよう。僕も流石に無理強いしたいわけではない」
……なんだろうか。イルガル国の人間よりもこの妖精王の方が無理を強いない分まともに思えてきた。あちらは殺されかけた上強制的に旅立てよと言われたのもあり、この王への心象は悪くはなかった。
「あー、では、その、明日から……」
「ああ、今日はゆっくり休むといい。……そうだ、名を聞いていなかったな」
「早池です」
「ハヤチ、では明日、再び会おう」
王はそれだけ言うと光と共に姿を消した。私も謁見の間を出てアガタと合流し、今後はここで過ごすようにと広い一室に通された。
黒と白のモノトーンで統一されており、まあ落ち着くと言えば落ち着くなとソファに腰掛けた。
「今後外出する際には私が警護を勤めます」
「アガタちゃんがあ?」
「……ちゃん付けなさらないでください」
「はいはい。にしても、なんか広すぎて落ち着かないな」
イルガル国での部屋よりも大きい上に側仕えも常に居るしふたりだし、それ相応の待遇なのだろうか。伴侶候補と言う。
「アガタさん」
「呼び捨てでよろしい」
「アガタ、王はどんな方なの」
「王はメルクト国の王子として御生れになられた方。人間の父王と妖精の母君をお持ちになられております」
「ふうん。人間と妖精の合いの子か……ところで」
「はい」
「この国は百年ほど前から鎖国状態と聞くけれど、その時の王は」
「アルベド王でございます」
見た目ショタではあったが、どうやら妖精の血が混じっていることによって長命らしい。見かけで判断するのはこの国では危ういなと考える。
「この国に漂う瘴気は?」
「王のご即位の際に」
人間を恨んでいるとしか思えない所業だとは思っていたが、この分だと父王との間に何かあったのやもしれない。本人と親交を深め聞き出すのが一番いい形だろう。
「ところでもうひとつ」
「何でしょう」
「私のパーティたちってどうなった?」
「……じきに王都へと辿り着くかと」
私を攫った際に危害は加えていないらしい。それならばいいのだ。共に過ごした時間は少ないが、情が無いわけではないのだ。彼らが無事この王都へと辿り着き、王への謁見を果たせたのならば再び巡り会えるだろう。恐らく。
しかし、人間嫌いと思われる王が神鳥が選んだからと、黒だからと言って人間と番うだなんて本気なのだろうか? 黒に何か思い入れがある?
……少しずつ聞き出す他ないだろう。人間への差別心の正体や、何故国を閉ざしているのかも。
胸元からわたあめを放ってやるとモノトーンの部屋では少々目立ちにくいなと考える。まあじきに慣れるか。
「黒の方、誰よりも尊い色の方」
「……それ私に言ってる?」
「はい。どうか、王の御心を溶かしお救いください」
「確約は出来ないな。ただ色が色ってだけの一般人なんで、弊方」
アガタは苦悩でもしていそうな表情であった。やはり何かしら訳ありか。と今後何を聞いて王の関心を引き、解きほぐして行くかと考えに耽った。