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25話


「お前は…そのハヤトって奴の事、どう思ってたんだ?」


殿下との生活も既に一ヶ月半になろうとしていた。


狭いアパートの部屋。寝台を譲ってくれたのは、二人で暮らし始めて一週間程が経った時だっただろうか?


「床で寝るのは…苦痛だろう?私が下で寝よう」


意識が無かった時は寝台に寝かされていたが、その後、私は押入れに仕舞われていた寝袋という物を使って床で就寝していた。

流石に殿下を床で寝かす訳にはいかないと判断したからだ。

違う世界に来てまでも染み付いた王族を敬う気持ちに、自分でも苦笑した。


そんな私に最初は遠慮していなかった殿下自ら、床で寝ると言い出した時は驚いたっけ。


「ハヤトの事…ですか?」

私は殿下の顔をじっと見た。


殿下の魂が入っているが、容姿はハヤトだ。

黒くサラサラとした髪は、朝起きると必ず寝癖がついている。

私達の世界より彫り浅い顔立ちだが、決して不細工という訳ではない。

少しハスキーな声に、笑うと見える目尻の皺はとても優しそうな雰囲気を醸し出していた。


私は自分の世界で出会ったハヤトを思い出す。

彼はとてもフラットな人間だった。ハヤトは身分で人を判断しなかった。

階級制度のないこの国では、当たり前の事なのかもしれないが、私の目には新鮮に映ったものだ。


「ハヤトは、私にとっての救いでした」

私は静かに話し始めた。


「救い?」


「はい。父を助けてくれた事もそうですし、私が処刑される未来を変えようとしてくれた事もそうですが、それより…」

と私が言えば、


「それは…!お前の父を助けたのも、お前の未来を変えようとしたのも、全て自分の為じゃないか!自分がエレーヌに殺されない為の!…結局はそのハヤトという奴は自分が死ぬのが怖かっただけだろう?」

私の話を遮った殿下は、そう言った。


「確かに、そうだと思います。それは否定いたしません。でも…救われたのはその事ではないのです」

私は話を続けた。


言いたかったのは、父の事でも、私の処刑の事でも無かったからだ。


「では…何だと言うんだ?!」


「ハヤトに出会うまでの私の毎日は…まるで牢獄のようでした。

夫に邪険に扱われる妻。公務はこなしていましたが、夜会でもエスコートを受けるのは側妃であるエレーヌ様。

世継ぎを産める訳でもなく、ただ仕事に没頭する毎日。

でも、それも国民の為だと思い、踏ん張って来ました。

王宮でどれだけ酷い悪口を言われようと、後ろ指を指されようと、使用人にまで馬鹿にされる生活を続けようと国民の為だと…そう言い聞かせてきました。

でも、心は…多分悲鳴を上げていたんです」

私がそう言うと殿下はとても不思議そうな顔をしていた。


「…そんな生活をしていたのか?お前は王太子妃だぞ?正妃だ。それを馬鹿にするような使用人など、全部クビにすれば良かったんだ!

陰口を言う者には罰を与えれば良かったんだ。何故そうしなかった?」


「そんな事をして、何になるのでしょう?

ますます恨まれるだけです。

そんな日を続けていたある日…ハヤトが私の元へやって来たんです。

ハヤトは私をちゃんと…一人の人間として扱ってくれました。

虐げられた王太子妃としてではなく、マイラとして扱ってくれたのです。

息が詰まるような王宮の生活で、ハヤトの側では、楽に呼吸が出来た様な気がします。彼は私を色んな意味で救ってくれたのです」

私はハヤトを思い出し、少し微笑みながらそう殿下に答えた。



「お前…ハヤトって奴に好意を持っていたのか?」

少し暗い表情で殿下にそう問われて、私は、


「そうですね…。彼にそれを伝えた事はありませんでしたが、あの時…ハロルド様の手先に襲われた時に、自分の命よりハヤトを助けたいという気持ちが優っていた事は事実です。

それを好意と呼ぶのか…愛と呼ぶのか…私にもその気持ちに名前を付ける事は難しい様に思います」

そう答えていた。


「…私は、ずっと間違っていた。それは分かっているが、好きな女に他の男性が好きだったと言われて、どんな顔をすれば良いのか、今は分からない」

殿下はそう言うと、立ち上がって玄関の方へと向かう。


「殿下…、もう夜も遅いのですよ?」

私はそう声を掛けたが、


「きちんと戸締まりしとけよ」

と言って、殿下は扉を開けて外へ出た。


バタンと扉が閉まる音が、やけに大きく響く。

私は閉じてしまった扉をじっと見詰めていた。


こちらに来て、殿下とはそれなりの信頼関係が出来たように思う。

だけど…、だからと言って今までの出来事が無くなる訳ではないのだ。


「私、意外と殿下を恨んでいたのね」

私はボソリと呟いた。


殿下の振る舞いに傷ついていないふりをしていたけれど、結構傷ついていたんだな…と思う。


私はハヤトとの生活を思い出していた。


急に訪れた別れに、ハヤトはどう思っただろう。約束を破った私を恨んだかしら?


「…自分の気持ちを…ちゃんと伝えれば良かったわ…」

私はまた独り呟く。膝の上に置いた手の甲に涙がポトリ、ポトリと落ちた。


ハヤトに会いたい。


あの時、二度と会えない覚悟をした筈なのに。


…そしてふと、私は思う。あの漫画の結末はどうだったんだろう…と。





昨晩、殿下は帰って来なかった。


何度かスマホにメッセージを入れたが、未読無視だ。



「どうしたの?溜め息ついちゃって」

店長に言われて、私はスマホから顔を上げた。


「あ、すみません!直ぐ準備に取り掛かります!」

と私がロッカーにスマホを仕舞えば、


「あ、いいの!いいの!まだ開店まで時間あるし、そんな急がなくて。マイラちゃんは真面目だからなぁ~」

と店長は笑う。


「真面目ぐらいしか取り柄がないので」


いつも妃陛下に言われていた言葉だ。

『貴女は真面目に公務をやる事ぐらいしか、フェルナンドの役に立っていないのよ?他に取り柄がないのだから、しっかりやって頂戴』


私に世継ぎが期待出来ないと分かるや否や、妃陛下にそう諭された。

私もそう思っていたから、自分に出来る事に真面目に取り組むしかないと思っていたのだ。


「うーん…。マイラちゃんって自己肯定感低めだよね。そんな美人なのに…」

と店長は可哀想な子を見るような目で私を見ていた。


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