15話
その日の夜。私は昼間の妃陛下との会話を思い出していた。
それと同時に、今までフェルナンド殿下にやられた数々の不快な出来事も。
殿下が婚約者となってから、私とのお茶会にまともに顔を出したのは、初めの数回だけ。
私は王太子妃教育で疲れきった体に鞭打って、月に1度お茶会の開かれるテラスで彼を待つこと数時間。
一刻も早く家に帰って休みたい本心を隠し、背筋を伸ばしたままフェルナンド殿下を待つ時間は、何かの修行かと思うほどに苦痛だった事を覚えている。
会えば会ったで『お前と居ると退屈』だの、『お前の顔を見ていると気が滅入る』だの言われ放題。
学園では常に女を侍らしていたとの噂が蔓延り、エレーヌ様と出会ってからはエレーヌ様とイチャイチャする毎日。
私が学園に入学した際は、二人で私の顔を見に来て『学園では僕に話しかけるなよ?目障りだから視界にも入らないようにしろ』って言われたっけ。あの時のエレーヌ様の勝ち誇った顔…今でも忘れていないわ。
フェルナンド殿下の振る舞いを思い出すだけで、今でも胸がムカムカしてくる程に不快なのだが…その殿下が私を好きだった?まさか、そんなの嘘でしょう?アレで?
例えエレーヌ様と出会う前であっても私は褒められた事も、笑顔を見せて貰った事もないんだけど?
妃陛下の言う事を信じる事は到底出来ない…。
私がそんな風に考え事に耽っていると、
「マイラ!!!危ない!離れろ!」
という大きな声が聞こえ、私はハッと我に返る。
声のする方へ振り向くと、ハヤトが凄い勢いで走って来たかと思うと、私の腕を痛いぐらいに引っ張って、座っていた椅子から引き剥がす。
「痛っ!」
と私が言うのも構わず、ハヤトは私をそこから離すように引っ張りながら、
「蛇だ!」
と叫んだ。
私は今まで自分が座っていた椅子の足元に目をやると、そこには今、まさに噛みつかんと口を大きく開けた蛇がいた。
ハヤトは、
「誰か!!蛇だ!」
と言いながら私を連れて廊下へ続く扉を開く。
扉の両脇に居た護衛はその声に慌てて部屋の中へと飛び込んだ。
ハヤトは私を廊下の護衛に預けると、自分は部屋へ戻る。
「殿下!危ないです!」
と私が言うと、
「大丈夫、蛇がどうなるのか…最後まで見届けないと…こいつらを信用できない」
と私の耳元で囁いた。
少し時間が経つと、先程部屋へ入った護衛が出てきた。
「殿下は?」
私は気になり、すぐに訊ねる。
「殿下は蛇の亡骸をご自分で調べたいからと仰って…こちらには渡して下さいませんでした。
死んでいるとはいえ、毒でもあれば危険です。妃殿下からも私達に始末させるよう頼んで下さい」
と護衛は困ったように答えた。
「そう…一応言ってみるわ。でも期待しないで」
と私は言うと、部屋へ戻る。
「殿下?」
と私が声を掛けると、
「あぁ。マイラ。大丈夫だった?噛まれてない?」
と私に訊ねるハヤト。
「ええ。貴方のお陰で無事よ?蛇…どうなった?」
「大丈夫。もう死んでるよ。見たくないだろ?ちゃんと袋に入れてる」
と麻袋の様な物をハヤトは持ち上げた。
「危なくないの?」
と私が恐々訊けば、
「これ…多分クサリヘビじゃないかな?毒はあるよ。だけど即死する程じゃない。
バルコニーの窓が開いてた。そこから入ったんだろうって護衛は言うんだが…。
まぁ、誰かが入れたんだろうな。脅しかなぁ…意図が読めない」
とハヤトは首を傾げた。
「ハヤト…蛇に詳しいの?」
と私が訊ねれば、
「いや。友達に爬虫類好きな奴がいてさ。
なんかやたらと熱く語られた事があるんだよ。何となく覚えてただけ。
あいつらは信用出来ないから、俺が亡骸を預かったんだ。何処かに埋めて来るよ」
とハヤトは護衛を批難する様に言うと、麻袋を持って部屋を出て行った。
少し経って、ハヤトが戻ってきた。
「ねぇ、私考えたんだけど…もしかしたら私も狙われているのかしら?」
と私が自分の考えを言えば、
「何てったって此処は漫画の世界。あの蛇だって俺の知ってる蛇じゃなくて、猛毒を持っていたのかもしれないって考えると、マイラ自身を狙ってるとも考えられるな」
とハヤトは考え込んだ。
そして、ハヤトは何かを決心したような顔をすると、
「マイラ…俺達、離れた方が良い」
と私の目を見て言った。
「どうして?!私達…唯一の味方でしょう?」
ハヤトと離れなければならないのかもと考えただけで私の心はギュッとなった。
「そうだけど…。俺のせいでマイラが死ぬの…嫌だから」
とハヤトは少し俯いた。
私はその顔を下から覗き込むようにして、
「でも…ハヤトが殺されても…私は処刑されるのよ?ならば今、二人で協力して生き抜いた方が良いわ」
と私は言った。
嫌だ…ハヤトの側に居られなくなるのは。
私は必死でハヤトに訴えかける。
「ね?二人でなら、なんとかなるわ。
今日だって、ハヤトが助けてくれたし、次は私がハヤトを助けられるかもしれない。だから…側に居ましょう」
私の願いが通じたのか、ハヤトは重い口を開いた。
「マイラ…なら約束して。危ないと思ったら…自分の命を優先して」
とハヤトは私の肩を掴む。
「約束する。その時はハヤトを置いて逃げちゃうんだから」
と私はぎこちなく笑った。
数日後、この約束を破る事になるとは…この時の私はまだ知らなかった。




