3.無自覚な逃亡
ゼオラロ・カイチが突然倒れたらしい。
ジャビカ・タショレーイは研究室の者からそう聞いてあわてて医務室へと向かった。ただでさえ秘密裏にライカ・チュージの捜索を進めていて忙しいと言うのに。ジャビカは焦りを感じていた。
「どうやら過労のようですな」
「過労?」
「ひどい睡眠不足に栄養失調だ。まったくどんな働かせ方をしていたのやら……」
「うっ」
棘のある物言いにジャビカはたじろいだ。研究室のメンバーの体調まで気が回らなかった。
ゼオラロは誰よりも早く来ては誰よりも遅く帰る。ここ最近研究の提出量も減っていた。あの時はただアイデアが尽きただけだと思っていたが、シンプルに働きすぎでパフォーマンスが低下していただけだったのだ。
「いつもはライカが無理矢理休ませてくれるから気付かなかったな……」
診察台に寝ながらそう呟いたゼオラロに、ジャビカは更に縮こまる。
「室長。ライカはいつ休暇から戻るんだ?」
「えっ? 休暇?」
「? あいつは毎週葉書を送ってきてるぞ。旅行先で楽しそうにしているみたいだったが……」
「葉書!?」
「気になるなら俺の机の引き出しの中に入っているから見てもいい」
ジャビカはあわてて研究室へと戻った。
ゼオラロの机を調べれば彼の言った通り葉書が積み重なっていた。
表には旅行先で楽しそうにしているライカの姿が映されている。一番新しい日付のものを見ると……。
「ええっ!? クイニトー国!?」
クイニトー国へ行くにはこの国から飛行艇で行っても3日はかかる距離だ。
ジャビカは歯を食いしばり、捜索を頼んでいた実家の兵にすぐさまクイニトー国へ行くよう指示をした。
カランカラン、と鐘を鳴らす。
ライカは手を合わせて静かに祈りを捧げた。
「いやあ。長い道のりだった」
振り返れば眼下には広々とした森と、奥のほうに帝都が見える。
ここはフジファンターウ帝国。孤島ゆえに文化も自然環境も独自の発展をしている国だ。
ここに来たならば誰もが名物のイヤカマタ山の頂上に登る。ライカも例に漏れず、先ほど頂上にある社で祈りを済ませた。まだ息はすこし弾んでいる。
「ちょいと、旅のおかた。よろしければ名物のたれモチを食べてお行き」
「おお。じゃあいただきます」
ちいさな休憩所に腰を下ろして至福のひと時を過ごす。
「あっ、お姉さん。写真撮ってもらえますか?」
「いいですよお」
ライカは手に持ったたれモチを顔の横に掲げ、壮大な景色をバックに微笑んだ。ブォンと魔道具の起動音がして、店の女性が確認のために見せてくる。ライカは「ありがとうございます」と頷いた。
「さて。じゃあこれもゼオラロに送るかな」
白紙の葉書をカメラに差し込むと、自動で印刷がされて先程撮った写真がプリントされる。あとは宛先を記入して配達鳥に渡せばおしまいだ。
旅を始めてから否が応でも動くようになったおかげか、以前よりも身体が引き締まったような気がする。指先でつまめた腹の肉は今や見る影もない。服を着た印象はさして変わらないが、ライカはだらしない身体をひそかに気にしていたので気持ちのほうはだいぶ変わった。
動いたあとの料理も絶品だ。ライカは次はどこへいこうかと考えながらたれモチを頬張った。
「くそっ! 遅かった!」
ジャビカは貴族令嬢にあるまじき罵倒を吐いてゼオラロ宛の葉書を睨みつける。
写真の中のライカは絶景を背後に微笑を浮かべている。消印はフジファンターウ帝国。前回のクイニトー国から海路で6時間ほど進んだ先にある。
「ただ追いかけるだけじゃ間に合わないわ。先読みして待ち伏せしないと」
これまでの経路を辿ると、ライカは蛇行しながらもほぼまっすぐ北に進んでいる。フジファンターウ帝国からさらに北にあるのは世界一面積の広いケイダ共和国だ。
フジファンターウ帝国は独自の生態系を築いているため出入国は異様なまでに厳しくなっている。それにならってフジファンターウ帝国側に面するケイダ共和国の関門もかなり厳重なので、ケイダ共和国に入ろうとするならば一つしかない関門を通る必要がある。待ち伏せするならばそこしかない。
ジャビカは兵にフジファンターウ帝国とケイダ共和国の関門を見張るよう通達した。
「今度こそ逃さないわよ……」
そんなジャビカの目論見を裏切るかのように、ライカはフジファンターウ帝国を真東に渡ったダンオゲン公国にやって来ていた。
ダンオゲン公国は世界一ダンジョンの多い国として有名だ。冒険者ならばみな一度は訪れたいと思うだろう。ライカも学生時代に魔法の練習としてダンジョンに潜った経験があるので、この地には憧れがあった。
「ライカ、助かったぜ! お前の魔法は万能だな!」
「回復も攻撃もこなせる魔法使いはなかなか居ないんですよ」
「すぐ出て行ってしまうとは惜しいのう」
「だが、ライカならばどこへ行っても引っ張りだこなのだろうな」
ダンジョン探索のために一時加入させてもらったパーティにべた褒めされ、ライカは苦笑した。
「ありがとう。嬉しいけど、そんなに褒められるとプレッシャーだよ」
「お前のおかげでレッドドラゴンが倒せたんだ! 誇っていいことだぜ?」
「そーそー。今日は宴よ!」
仲間たちに肩を組まれ強制連行され、この日は朝までどんちゃん騒ぎであった。
こうして人と深く交流するのは久しぶりだ。じんわり胸があたたかい気持ちになる。
ライカはすこし休んだあと、一時の仲間たちと連絡先を交換して次の地へと旅立って行った。
バン! と机を叩く音。
「ウギギギギギギ……!!」
ジャビカは歯を食いしばってもう一度机を叩いた。
葉書の消印はダンオゲン公国。彼女の見当は外れ、またしてもライカを捕らえることはできなかった。
ライカはボロボロの服装ながら5人の男女と並んでめいっぱいの笑顔でポーズをとっていて、奥には見たこともない赤いドラゴンが横たわっていた。
完全に煽られている。
憎たらしい笑顔に苛立ちを感じながらも、ジャビカは冷静さを取り戻そうと深呼吸した。
「ちょっと考えれば分かることだったわ。ライカは冒険者としての活動経験もあるんだもの。ダンオゲン公国が近いなら行くわよね」
周辺の国の特徴も考慮しておかなければならなかった。ジャビカはそう反省し、次の作戦へと意識を切り替える。
「近隣の国はルミザ王国、イザルカ国、シンラ国の3つ。その中でもイザルカ国は観光地として名高いわ。他の2国はパッとしないし、行くならばここよね」
学習と対策がきちんとできている。今度は失敗しないとジャビカは自信を取り戻し、再び兵を向かわせた。
ライカがその3カ国をまるっと無視して北東に進んだゴムスサイク連合王国に行くとは知らずに……。
「こんの……クソ野郎がああぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!」