第6話 大学生A
本日午後七時、指定された地元のカフェで、情報サイトの投稿者と待ち合わせ。
が、もうすぐ時刻は八時になろうとしていた。
小じんまりとした狭い店内は、カウンター席と二人掛けテーブルが数席だけ。
何度見回しても、男子大学生らしい人物の姿はない。
店に着いたらメールするよ、と書かれていたが、いまだ着信ナシ。
アイスコーヒー一杯で一時間が経過。
二人掛けテーブルの席に座る壱が小声で言う。
「遅い!」
単なる遅刻か、すっぽかされたか、相手は初めから来る気などなかったのかもしれない。
所詮はネット上の素性も分からん見知らぬ他人。
メールで教えられた『一駅隣の大学生』というのも嘘かもしれない。
それでも……少しでも情報があれば今は縋りつきたい。
小さくひとつため息をついた後。
タイヘン不機嫌顔でズボンのポケットからスマホを取り出し、壱はメールを打つ。
『待ち合わせのカフェに一時間います。今どちらにいますか?』
送信して三秒後、突然、ド派手な演歌がフルボリュームで聞こえた。
顔を上げて見ると、カフェの入り口付近に、たった今来たばかりと思われる客がスマホの画面を見ている。着信音が演歌らしい。
頭にキャップを被り、柄Tシャツにジーンズの服装。
見るからに、大学生、という感じ。
と、スマホを片手に握る壱と目が合い、その人物が近付いて来て言った。
「たった今メール寄越した、俺を呼び出した高校生?」
「そです」
「悪い、遅刻してごめんな~。バイト先でヘルプ頼まれてさぁ、ヘルプだと時給高くてウマウマで断る気なくてー」
罪悪感ゼロの軽い口調でそう話して、壱の真向かいの席に座る。
女性店員が、お冷やの入るコップを持って来て、笑顔で男に言う。
「いらっしゃいませ~」
「ああ、ごめん。俺すぐ出るから注文ナシ」
「かしこまりましたー」
テーブルの上にコップを置くと、女性店員はすぐにその場を去る。
髪は黒色、目は赤色のカラコンを付けた、マジメなのかチャラいのか謎大学生は。
コップの水を一口飲んでから言う。
「このあと別バイト入ってるから、話は手短に済ませるよ。大学生はバイトが命だからねぇ、働かんとおまんまが喰えない」
おまんま……っていつ時代だよ。
そう思いながら、壱は目の前の相手に挨拶した。
「忙しい中、来てくれてありがとうございます。俺は、鳴海 壱といいます」
「はいはい、俺は大学生Aです」
「メールで書いた通り、俺の彼女が今……」
「ストップ。概要はメールで教えられたからリピートしないでいい。忘れるほどボケてないから」
言葉を途中で遮り。
男は、自分のスマホを操作して、壱の目の前に置く。
そしてそのまま、数枚の写真をスワイプさせながら見せる。
「これ……」
「同じ?」
「はい……丸ごと全部」
画面を凝視しながら壱はそう答えた。
部屋の片隅に積もった雪、七色の塊、掌の中で溶けた水状態。
角度や距離を変えて写されたそれら写真は、壱が見たあの雪現象と同一。
顔を上げると男が言葉を寄越す。
「ある日突然始まったんだろ? 砂のような七色に光る雪は、場所を問わず屋根のある部屋の中でも降る。一人の人物の周りにだけ降り、そしてその人物は、日増しに衰弱していく」
「その通りです」
「ソレ、雪姫の仕業だって」
「雪姫って?」
「ああ、異界に住む存在らしいよ。詳細は知らないけど、幽霊や妖怪とも違う不思議生物、みたいな?」
そのセリフに壱は無反応。
向かいの席から男が顔を寄せ、真顔で訊く。
「驚かないの?」
「驚くようなこと十分見てますんで。夏に部屋の中で降る溶けない七色の雪とか」
「肝座ってるねぇ。俺は初めてソレ聞いた時は、異界ってラノベかよマジなに言ってやがんのコイツはドアホ? と鼻先で笑って小バカにした」
小さく笑いそう話し。
男は頬杖をついて、言葉を続ける。
「俺の妹が一ヶ月ちょっと前に、キミの彼女が今体験してるのと同じ現象に遭遇した。七色の雪が降る度に妹は衰弱していって、俺は毎日必死に解決方法を探しまくった。で、雪姫の存在を知った」
「情報元は『教えて情報サイト』ですか?」
「いや。俺のバイト先の飲食店に来ていた客が、雪姫の会話してたのをバイト中に偶然聞いて、これだ、と思ってそこから色々調べ始めた。ネットと並行して自分でも調べて、結局情報サイトで答えは見つからなかった。リアルで人を介して、答えを持つ人物に辿り着けた。続き聞きたい?」
そう訊かれたから、壱は頷く。
「ようやく待望の答えに辿り着いた時に、妹は死んだ。雪現象が始まって九日目の朝。風邪一つひいたことない健康体だったのに、あっという間の出来事だった。現実感なくて気持ちの整理つけなくて。そんな時にキミからメールが届いた、で今に至るだ」
無表情で素っ気なくそう語る。
寄越された予想外のバッドエンドを、どこか他人事のように聴く。
萌花は違う、絶対違う、そうならない、なるはずがない。
だったらなんで俺は怯えてる?
テーブルの上に置いてたスマホを、男がズボンのポケットにしまう。
壱は両拳を握り締め、直球で訊いた。
「俺の彼女は助かりますか?」
質問に相手は即答。
「要は、原因の『雪姫』を退治すれば問題全部解決。簡単だろ?」
「できるんでるか?」
「俺はできないけど、その答えを持ってる人物を知ってる」
それはつまり、できる、と解釈していいの?
じっと凝視している壱に男が言う。
「ひとつ訊いていい?」
「なんですか」
「今まで知識として学習してきた常識全部取っ払って、ブッ飛んだ未知と向き合う心構えある?」
「あります」
「なら問題ない。救ってくれる人物のところに連れてってやるよ」
そう話して、ニッと笑顔を見せる。
男は自分の腕時計をチラリ見て、徐に立ち上がる。
「ココから電車で約一時間の場所にその人は住んでる。早い方がいい、明日平日だけど学校休める? 俺も大学休んで付き合ってあげる。明日の朝八時半、ここのすぐ近くにある双葉駅で待ち合わせ。必ず本人も連れて来て、当人いないと意味ないから。んじゃ」
「ち、ちょっと待ってください!」
早々に帰ろうとしている相手を慌てて引き止めた。
最重要事項をまだ話していない。
いざ、意を決して。
「あのっ! 明日、お祓いなのか祈祷なのか何するか知りませんが、その料金っていくらぐらいですか? 彼女を救えるならいくらかかっても構いません! ただ……実は俺、全財産が7000円しかなくて、細かいこと言うと7256円です。料金はバイトして俺が必ず全額支払います、約束します、今この場で誓約書を書いてもいいです、ハンコ持ってきてないので拇印で良ければ押します。だからその、分割か後払いでも可能でしょうか?」
目の前の相手を見上げ、真剣な表情で訴える。
が、返ってきたのは意外な言葉だった。
「金なんてキョーミないよ、あの人は」
「へ?」
「子供が喜びそうなお菓子ひとつ持って来て。それで十分」
「お菓、子?」
「そう。お菓子」
お菓子???
キョトンとした顔の壱をキレイに無視して、
「明日の朝、遅刻すんなよ~」
本日一時間遅刻した人物はそう言い。
席を立つと、そのまま振り返らずに店を出た。
その直後。
壱のスマホの着信メロディが突然鳴る。
ポケットから取り出して画面を見ると、未登録番号。
誰だよ……。
見知らぬ番号の着信は出ない、が通常鉄則。
けれど鳴り続ける電話に、少し躊躇した後、出てみると相手は萌花の母親だった。
* * *
電話で伝えられた総合病院に、壱はカフェから真っ直ぐに駆けつけた。
四階の奥、閉ざされた扉の上部には『集中治療室』の文字。
その手前にある廊下の長椅子に、萌花の母親は一人、青ざめた表情で座っていた。
家のスリッパを履き、エプロン姿。
料理の最中でここに来たのか、片手にはスプーンを握っている。
かなり動揺していたのが想像できる。
壱が傍に近付くと、気付いて、呆然とした声で話し出す。
「夕方、娘が部屋の中で倒れてたの。意識が混濁していて、呼吸も浅くて。慌てて救急車を呼んで、この総合病院に運ばれたの。主人にも連絡して、福岡から今病院に向かってるわ」
椅子に座ったまま壱を見上げ、そのまま話を続ける。
「さっき主治医の先生と面談したら、萌花は全身衰弱していて余命……長くて五日と宣告されたの」
「え?」
余命……ってなにそれ?
壱の目が大きく見開かれていく、鼓動がどんどん速まる。
震える声で母親が言う。
「きっと先生の誤診だと思うの。だってあの子まだ十七歳よ。今まで大きなケガや病気もしたことない、ずっと健康な体だったのに。なのに急にどうして……絶対に間違いよ」
今朝、部屋の中で少しだけ会話をした。
ほんの一週間前まで、隣で笑って、『大好き』という言葉を何度も伝えてくれた。
そんな壱の大切なお姫様は、今、閉ざされた壁の向こう側にある集中治療室にいる。
そこで生死を彷徨っている……。
「たった一人の娘なの……いなくなったら困るの……萌花は私達の、かけがえのない一生の宝なの!」
自分達以外は誰もいない廊下に、母親の悲痛な叫びが響く。
かける言葉が見つからず、壱はその場に無言で立ち尽くしていた。
張り裂けそうな心のまま。
ひとつの命が目の前で消えてなくなろうとしている。