第76話 くっころ男騎士と襲撃
その後、会議は微妙な空気のまま終わった。流石に疲労を覚えた僕は、代官屋敷の裏庭でぼんやりしていた。堀と塀に囲まれた裏庭はまったく人気がなく、ゆったりするにはもってこいの環境だった。まあ、元代官のエルネスティーヌ氏がもともといた役人たちを連れて行ってしまったせいで、屋敷自体人が少なくてガランとしてるんだけどな、普段なら。
「……」
エルネスティーヌ氏といえば、どうやら捕まったらしい。裁判にかけられ、その日のうちに斬首刑が執行されたとか。我が国がいくら人治国家といっても、即日処刑なんて普通じゃない。どう見てもオレアン公による口封じだ。
まったく、こういうことに限っては手が早いから困る。エルネスティーヌ氏の直属の上司から結構な額の詫び金が届いちゃったのが憎いね。雀の涙みたいな額だったら、そこから追及できたはずなんだが。
「はあ……」
戦争は終わったというのに、懸念事項はまったく減らない。近日中に今回の件を報告するためいったん王都に戻らなくてはならないが、とても気が重い。実家でゆっくりできそうなのは、嬉しいんだが。
「見つけたぞ」
そんなことを考えていると、突然後ろからのしかかられた。背中にむやみやたらとデカい胸が押し当てられる感触があった。のしかかってきたヤツはとても大柄で、そのまま押しつぶされそうになる。
「げえ、アレクシア!」
横を見ると、絵画みたいに整ったあのクソ女の顔があった。しかしその頬は紅潮し、息は荒い。明らかに興奮している。即座に逃げようとしたが、身体をガッチリ抑え込まれているので動くことすらままならない。
「げえ、とはひどいじゃないか。誘っておいて」
「誘って?」
何の誘いなのだろうか。少なくとも、食事やランニングのお誘いではないのは明らかだ。というか、どう考えても夜のお誘いだろ。いくら僕が童貞と言っても、顔や雰囲気でそれくらいはわかる。
「そうだ。あんな公衆の面前で……流石に面食らったぞ。だが、悪くない。むしろ好みだ。受けて立ってやる」
「公衆の……面前? あの腰叩きか!」
ああ、やっぱりアレ、そういう反応だったのか! あの時感じたヤバそうな雰囲気は、勘違いじゃなかったようだ。僕は虎の尾を踏んでしまったというわけだ。まあこの人は虎じゃなくて獅子獣人だが。
「なんだ、知らなかったのか? 虎や獅子の獣人は尻尾の付け根を叩かれると発情するからな。つまり、交尾をしたいので襲ってください。そういう意思表明として使われている」
艶っぽい声で交尾とか言わないでほしい。こいつは性格はカスだが顔と体は極上なんだ。ただでさえ戦闘明けでムラムラしてるのに、このままではシャレにならないことになってしまう。
「そうです、知らなかったんですよ! なので勘弁してください!」
こちとら竜人国家のガレア王国出身である。もちろんガレアにも獣人は多く住んでいるが、ほとんど平民だからな。僕も一応貴族階級の末席に居るので、その手の情報を耳にする機会はない。
「貴様が知ろうが知るまいが、そんなことはもうどうでもいい。我はもう止まる気はない、そう言ったはずだ……」
「ひっ……」
アレクシアは突然僕の首筋に鼻を当てて深く息を吸った。しばらくクンカクンカし続けた彼女だが、やがて鼻を離すと陶然として息を吐いた。
「ふっ、だがおかしいな? 発情の匂いがする。貴様も興奮しているんだろうが、このドスケベ騎士め」
「ひぇっ」
そういう彼女からも、むっとするような濃いフェロモンの香りが感じられた。いや、興奮するなってほうがむりでしょ。デカくてアツアツの豊満な肉体が背中にぴったり押し付けられて、艶めかしい声で耳元にささやき続けられてるんだぞ。無理。ヤバイ。不味い。
「流石に今から始めると邪魔が入りそうなので抑えるが……夜を楽しみにしておけよ? 朝までよがり狂わせてやる……」
「まずいですって。陛下、既婚者でしょ? 人妻はマズイ!」
世継ぎを作るのも貴族の大事な役目の一つだからな。大国の元皇帝である彼女に配偶者がいないというのは、ちょっと考えづらい。
「陛下ではない、アレクシアと呼べ」
拗ねたような声でそう否定してから、彼女は首を振る。
「貴様を夫にすると言ったはずだ。我にはまだ夫はいない。……軟弱な男の子なぞ孕む気はないと縁談を断り続けていたら、妹に国を追い出されてしまったのだ。そんなにえり好みをするのなら、自分で婿を見つけてこいとな。帝冠はしばらく預かっておくから、世継を作るまで帰ってくるなと言われてしまった……」
「ええ……」
「まあ、正直婿探しなどついでの仕事だと思っていたが……運命というやつはあるものだな。これほど極上のオスが見つかるとは」
そんなことを言いながら、アレクシアは僕の襟元から手を突っ込んでくる。
「ニコラウスくんはいささか筋肉が足りず、どうにも抱く気になれなかったが。ハハハ、その点貴様はいい。我の情欲を煽るために生まれてきたような体つきだ……」
「チェストォ!!」
「ぬわーっ!!」
ムラムラ来ていた僕だったが、ベタベタくっ付いてきてるのがあの糞女であることを思い出し、猛烈に腹が立ってきた。油断しきっていた彼女の袖口を引っ掴み、ブン投げる。土煙を上げながら地面にたたきつけられた彼女へ間髪入れずに飛び掛かり、関節を極める。
「捕食者気取で一方的に好き勝手抜かしやがって! そんなんだから足元掬われるんだぞこのボケナスが!」
「ぐぬっ……!」
なんとか拘束から抜け出そうとするアレクシアだが、膂力に優れる獣人とはいえ関節を極められてしまえばどうしようもない。暴れれば暴れるだけ苦しくなるだけだ。
「オラァ往生せェ!」
暴れる彼女を抑え込み、僕は叫ぶ。
「ハハハ……! まったくどれほど我を興奮させれば気が済むんだ、貴様は! ますます欲しくなった!」
が、アレクシアは抵抗を止めるどころか全力で暴れ始めやがった。なんとか抑え込もうと格闘する僕だったが、やがて耳障りな音とともに彼女の右肩の関節が抜ける。
「貴様を犯すためなら腕の一本や二本程度……!」
「グヌーッ!」
さすがにそこまでやるとは予想外だ。脱臼した拍子に拘束から半分逃れられ、思わず力が緩む。こうなるともう駄目だ。体重も筋力も違いすぎる。あっという間に逆転され、今度は僕が地面に押し付けられる側になった。
「夜まで待つと言ったが、もう無理だ! なあに、初体験が野外というのも趣があっていいだろう!」
性的にマウントを取られるのは嫌いじゃないが、相手が不味い。キチンと禊を済ませたのならば宿敵とでもトモダチになってやるが、彼女はそうではないのだ。なにしろ、無為に人死を出した責任を取ると言ったその日にこの有様なわけだからな。断じて許せるものではない。この状況から逆転するには……喉笛を噛み切るくらいしか思いつかないな。流石にそこまでやったら強靭な獅子獣人でも致命傷だろう。
……サラエボ事件みたいになったらどうしよう? しかし、このまま唯々諾々とヤられるのも嫌だ。そう悩んでいると、脳裏に二人の人間の顔が浮かび上がって来た。前世の剣の師匠と現世の母上である。師匠は言っていた。『迷った時はまずチェストじゃ!』母上は言っていた『相手が誰であれ、舐められたら殺せ!』……方針は決まった!
「ウオーッ!」
とはいえ只人と獅子獣人の身体能力の差は絶対的で、チャンスがあるとすれば身体強化魔法の一瞬のバフのみ。しかも、そこまでやっても正面からぶつかれば力負けしてしまうのが只人の悲しい所だ。暴れることで何とか隙を作ろうとする僕だが、片腕だけで抑え込まれてしまう。アレクシアの端正な顔が近づき、僕の唇をふさいだ。
「んっ……ふふ、ハハハ! 甘美な味だ。すばら……」
「何をやっているのですか、アレ……クロウン様!」
唇を離すなり哄笑を上げ始めるアレクシアだったが、そんな彼女を咎める声が上がった。あわてて声の出所を見ると、そこには木製の車いすに座った男がいる。その人形のように整った顔には、はっきりとした怒りの色があった。
「こういう手段に出ないのが、貴方の最大の美点だと思っていましたが……どうやらぼくの買い被りだったようですね……!」