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第一話 義妹嫁騎士とくっころ男皇帝

「最近エルフたちの間で、モダン肝練りなる遊戯が流行っているらしい」


「モダン肝練り!?」


 突然訳の分からない単語をぶつけられ、私、カリーナ・ブロンダンは困惑を隠せなかった。


 それまで、私は幸福の絶頂にいた。先日の約束通り、お兄様と遠乗りを楽しむことができたからだ。

 なんとも悔しい話だけれど、私はお兄様の妻の中では最下層といって良い地位にある。当然ながら一緒に過ごせる機会は実に貴重で、寝所を共にするのも月に数度という有様だった。

 にも関わらず、今日はまる一日一緒に過ごすことができた。こんなに嬉しいことはない。その上、今回のデートはお兄様のほうから誘ってくれたのだ! 歓びもひとしおだった。

 だがデートといっても色気のあるようなものではない。一頭の馬に相乗りし、朝から晩までカルレラ市の郊外を駆け回る。それだけだ。

 けれど、私にとってはそれで十分だった。お互い騎士だ、もともと乗馬は大好きだし、なにより各国の王侯から求婚されるような()い男を(いっときとはいえ)独り占めしているという事実は、私の女としての自尊心を実に満たしてくれた。


 それはいい。それはいいんだけど……遠乗りから引き上げ、カルレラ城最奥にあるお兄様の脂質で夕食を取り始めたあたりから、どうにも雲行きが怪しくなってきた。


「なんなの、それ……」


 昼間とは打って変わって深刻そうな表情をしたお兄様に聞き返す。モダン肝練り……聞いたこともない単語だった。どういう意味なのか語感から想像してみても、いまいちよくわからない。動物の肝を使った何かの薬だろうか? いやでも、遊戯とか言ってたし……。


「いかにもエルフらしい遊びだよ。使うのは、これだ」


 そう言って、お兄様は腰のホルスターから拳銃を引き抜いた。至尊の冠を頂いた現在でも、彼はほとんどいつもピストルとサーベルを携行している。例外は子供たちと触れあう時だけだった。


「まず、リボルバーに一発だけ弾を装填する。で、お次はこうやって弾倉を回すわけだ」


 親指で拳銃の撃鉄を軽く引き起こしつつ、お兄様が説明する。完全に起こしきる前に動きを止め、そのままレンコン型の弾倉を手のひらで擦ってクルクルと回転させた。


「準備はこれで完了。あとは銃口を自分に向け、引き金を引くだけ。な、簡単だろう? ようするに、鉄砲をルーレットに見立てた度胸試しというわけだ」


「ごめん、失礼なこと言って良い?」


「いいよ」


「馬鹿?」


「うん、馬鹿だと思う」


 お兄様は神妙な顔をして頷いた。リボルバーの一般的な装弾数は六発。そのうちの一発だけを装填しているとなると、いわば当選率六分の一のくじ引きのようなものだ。ハズレであれば良いが、アタリを引けばそのままズドンである。


「エルフはこれをモダン肝練りなんて呼んでいるが、僕から言わせればもっと相応しい名称がある。つまりはロシアンルーレットだ」


「ろしあんるーれっと?」


「モダン肝練りよりは格好良い名前だろう? ……ま、今は名前なんてどうでもいい。問題は、この危険極まりない馬鹿行為がエルフどもの間で大流行しているという点だ」


 ため息を吐きつつ、お兄様は酒杯を口に運ぶ。その真似をするように、私もワインで唇を湿らせた。

 テーブルに置かれたボトルには私のお給金では絶対に手が出ない高級銘柄のラベルが貼られているけれど、その芳醇な味と香りを楽しむ余裕などまったくなかった。なんだか、ひどく嫌な予感がする。背中に滲む脂汗の感触に眉根を寄せつつ、私はお兄様の次の言葉をまった。


「……すでに、この阿呆な遊びでかなりの数の死傷者が出ている。僕たち(政府)が把握しているだけでも、死傷者十数名の大惨事だ」


「もう一度言うね。馬鹿なの?」


「うん、馬鹿だと思う」


 虚無めいた顔で頷くお兄様に、私は思わず頭を抱えた。私の部隊にもエルフの部下はいる。だから彼女らの文化はある程度理解しているつもりだけれど、それにしたってこのロシアンルーレット(モダン肝練り)とやらは酷すぎる。

 何が楽しくて、一時の余興に命を賭けるのだろうか? たしかにエルフの戦士には死を厭わない風潮がある。でも、流石に遊びで死ぬような愚かな真似を好んでいた記憶はないんだけど……。


「それで……いま、どうして私にその話をしたの?」


 半目になりつつ、お兄様を睨み付ける。せっかくのデートのシメなのだ。会話するならもっと甘い話題がいい。……というこちらの意思は、もちろんお兄様も理解しているだろう。腐っても結婚十年目だ。それくらいの以心伝心はできる。

 と、いうことは、つまりお兄様は意識的にこの物騒な話題を持ち出してきたことになる。非常にイヤな感じだ。こういう妙な空気のときは、だいたい面倒な仕事を押しつけられると相場が決まっている。


「実は、カリーナにこのロシアンルーレット(モダン肝練り)についての調査をしてもらいたいんだ」


「わあ」


 あまりに予想通りの提案に、思わず笑みが漏れる。いや、笑うしかないというべきか。


「お言葉ですけどお兄様ぁ……私、意外と仕事が多くてぇ……いや、お兄様ほどじゃないんですけどね? ただ、浅学非才のこの身では処理できる仕事量にも限りがあるって言うかぁ……」


 わざと言葉遣いを敬語にして文句を垂れ流す(ちなみに、当然ながら私がお兄様に対してため口を利くのは私的な時間だけだ)。なにしろこの頃の多忙さといったらほとんど非人道的な水準なのだ。

 その上、本業以外にもソニアお姉様から投げつけられた非常に面倒な任務まで抱えている。たとえお兄様からの命令であっても、これ以上重荷を背負うのは物理的にムリだった。


「うん、忙しいのは知っている。ただ、他に頼める相手がいないんだ」


 などと言いつつ、お兄様は私の手をぎゅっと握ってくる。しかもそのまま真っ直ぐこちらの目を見てくるものだからたまらない。たちまち、私の心臓は早鐘を打ち始めた。

 まるで男を知らない小娘みたいな反応だけど、こればかりは仕方がない。なんといっても私はしょせん下っ端で、お兄様と直接肌のふれ合いをするような機会はそれほど多くはないのだ。

 その上、近ごろのお兄様は二十代の時にはなかった妙な色気を纏っている。子供たちに向ける父性が、かえってこちらの女の部分を刺激しているのかもしれない。

 とにかく、この優しげな男をめちゃめちゃにしてやりたい、などという不埒な欲望をもたらすような独特の雰囲気があるのだ。お兄様と自分の右手、どちらが伴侶かわからなくなっているほどの男日照りな私などが抗しきれるものではなかった。


「もちろん、将校としての任務についてはある程度融通する。さすがに仕事そのものを減らすことは難しいが、気の利いた参謀あたりを何人か派遣しておくよ。だから、ね? 頼むよ」


「うぐぐぐ……」


 思わず頷きそうになったけど、気力で堪える。私だって処女じゃあないんだ。ちょっと色仕掛けをされた程度でなんでも受け入れると思ったら大間違いよ。


「いや、でも……エルフ案件でしょう? これ。正直なところ私じゃ力不足だと思うんですよね……」


 相手はあのエルフだ、当然ながら一筋縄ではいかない。戦争が終わり平和がやってきた今でも、彼女らは相変わらずの蛮族ぶりを示し続けている。いちおうお兄様の命令には従ってくれるものの、それがなければリースベンの秩序はたちまち失われるだろう。

 そういうわけで、エルフ案件はほとんどお兄様の独壇場となっている。法律は守らないし役人の指示も聞かないのだから仕方がない。連中が頭を垂れる相手は、アルベール・ブロンダンただ一人なのだ。


「他に適任がいるんじゃないかって、ねっ? そんな気もするんですけど」


 申し訳ないけど自分でなんとかしてくれ。そういう気持ちを込めて、お兄様に何度もウィンクをする。できればお兄様の助けにはなりたいけれど、エルフ案件だけは勘弁してほしい。いくらなんでも力不足が過ぎるからだ。


「まぁ、僕が直接出張るのがいちばん手っ取り早いのは事実だ」


 握っていた手を離しつつ、お兄様が言う。なんだか不本意そうな表情だ。


「でもさ、僕は短命種で彼女らは長命種なんだよ。いつまでも今のままじゃあダメだ」


「……確かに」


 お兄様の言わんとしていることは、私にも理解できた。現在のエルフ統治体制は皇帝個人のカリスマに頼り切ったものであり、次代に継承できるものではない。いまから属人性の低い統治システムを構築すべき、というのは至極もっともな考えだった。


「事情はわかったけど、それならどうして私に白羽の矢が立ったの? 他の人でも構わないんじゃないかなって思うんだけど。……例えば、ソニアお姉様とか」


 口調をラフなものに戻しつつ、そう指摘する。


「いいや、今回の任務はお前がいちばんの適任だ」


「嘘でしょ……」


「本当だよ。考えてもみろ、カリーナ。そもそも、お前には既に何人ものエルフの部下がいるじゃないか。既に連中との付き合い方はしっかり心得ているはずだ」


「……それを言われると辛いけど」


 私の大隊には、八十名ほどのエルフ兵が所属している。総兵力約六百人中の八十人だから、結構な割合だ。我が軍の部隊編成では同じ種族の者を一つの部隊に固める傾向が強いから、このエルフ兵比率は他の部隊よりも断然に高い水準にあった。

 なぜこんなことになっているかと言えば……よくわからない。ある種の実験である、という話は聞かされたけど、詳細は説明されていないのだ。

 しかしそれはともかく、この特殊編成は部隊長たる私の頭をひどく悩ませていた。理由は簡単で、種族感の軋轢が尋常ではないからだ。なにしろ出自も文化も違う者たちが同じ釜の飯を食べているわけだから、たびたびトラブルが起きるのである。


「いや、でも、別に得意というわけではないわよ? どうにかこうにか苦心しつつ、なんとか仕事を回しているのが実情というか」


「それはもちろん楽な仕事ではないだろうさ。だがな、僕から見ればお前はずいぶんと良くやっている。見事、といってもいい。大したものだ」


「えっ、そう? えへへ……まあ、これでもブロンダン姓を名乗る女ですから? これくらいはね」


 などと調子に乗ったのが運の尽きだった。その隙にお兄様はさっと身を乗り出し、にっこりと笑いながら再び私の手を取る。


「そんなカリーナだからこそお願いしたい仕事なんだ。頼む」


「ウッ……はい」


 真っ直ぐに目を見つめられながらそう言われると、もう頷く以外の選択肢は残されていない。惚れた弱味というやつだった。つまり、この勝負の行方は最初から決まっていたというわけである。

 でも、一方的にやられっぱなしというのも面白くない。私はお兄様をキッとにらみ返し、間髪入れずにその唇を奪った。のみならず、そのまま舌をねじ込み、口内を蹂躙する。

 お兄様は最初面食らっていたようだけど、すぐに落ち着きを取り戻してなされるがままになった。……ちょっとムカツク。昔なら、顔を赤くして大慌てしてたでしょうに。他の女どもの手ですっかり調教されてしまって……はぁ。


「……とりあえず、手付金は貰ったわ。で、具体的に何をすれば良いのかしら? 私の主サマ?」


「お前もやるようになったなぁ……まあ、ひとまずは例の遊戯の流行状況について調査してほしい。部下を使っても良いが、相手はエルフだ。迂遠なやり方をするとかえってへそを曲げかねない。直球でぶつかりに行った方がいいだろうな」


「うーん、面倒くさ……」


 思わず本音が漏れた。何度も言うけど、私だって忙しいのよ。畑違いの仕事なんていくつも抱えてられないんだけど……まあ、もう前金は貰っちゃったもんなぁ。後の祭りってこういうことを言うのかしら。


「で、そういう不埒な遊びに興じているヤカラを見つけて、〝説得〟すると。そういう流れでいいのかしら」


 相手はあのエルフだ。民間人といえど、油断はならない。下手な警吏や衛兵くらいなら簡単に返り討ちにしちゃうでしょうし、いっそ軍隊を投入したほうが手っ取り早い。私にお鉢が回ってきたのも、たぶんそういう理由だと思ったんだけど……


「いや、ムリに止める必要はない。……いや、必要というより意味がないというべきか」


 ところが、お兄様は難しい顔をして首を左右にふった。そして皿に乗ったチーズの欠片を口に放り込み、ワインで流し込む。


「……なあ、カリーナ。このロシアンルーレット(モダン肝練り)なる遊び、どうにも違和感を覚えないか?」


「違和感?」


 などと言われても、困ってしまう。命を無駄に危険にさらすそのやり口は、いかにもエルフらしい行動ではないだろうか。違和感なんてどこにも……


「……いや、よく考えるとヘンだ。いくらエルフどもが命知らずの阿呆でも、流石に遊び半分で死ぬのはおかしい。彼女らはあくまで命を惜しむことを恥じているだけで、積極的に死にたがっているわけではないはず。それが遊び半分で自ら命を捨てるなんて」


「そうだ。その通りだ」


 我が意を得たりとばかりにお兄様は大きく首肯した。そしていつの間にか空になっていた私のグラスにワインを注ぐ。


「エルフは誇り高い種族だ。永く生きるからこそ、その命の終わりに関してはむしろ誰よりもえり好みする。彼女らが是とする死に様は、名誉ある戦死、あるいは恥を(そそ)ぐための切腹……そうしたものだ。度胸試しの末に雑に死ぬなんて、誇り高き戦士の死に様ではないだろう?」


「なるほど、確かに」


 短く応え、グラスを口に運ぶ。西ガレア産の赤は香り高くまろやかだけど、それを楽しむ余裕など今の私にはない。


「なんだろう、嫌なにおいを感じる。どうにも腰が落ち着かないっていうか……」


「だろう? 僕だってそうだ。しかし、この感覚を共有できる人間はそう多くない。お前に頼んだのはそういう事情もある」


 事実として、エルフどもは酷く野蛮で頭のおかしい種族だ。しかし倫理観という概念をもっていないわけではなく、むしろその独自の価値観に対しては命を賭して殉じる傾向が強い。

 ……ということを、私はよく理解していた。なぜかといえば、私だって彼女らと共に戦場に立った経験があるから。時に、エルフは同胞でもない人間を守るために死力を尽くすことすらある。短命種より先に死ぬのは長命種としてのプライドが許さないから、だそうだ。

 ところが、エルフと縁の薄い人間はそのあたりの塩梅があまり理解できない。野蛮なイメージが先行しすぎて、つい色眼鏡で見てしまうせいだった。なるほど、確かにこれは私向きの仕事かもしれないわね……。


「実際のところ、政府内部でもこの問題はあまり大きく取り上げられていない。死傷者のほとんどが定職にも就かずふらふらしているような連中だったからだ」


 そう語るお兄様の声音には隠しきれない嫌悪感が滲んでいる。たぶんだけど、そういうエルフたちが死んで喜んでいる人間も少なからずいるんでしょうね。エルフと他種族の軋轢は、結構な社会問題になっているみたいだし。


「でもな……エルフたちは、僕の戦友なんだ。あの戦争を共に戦った仲間なんだ。そういう奴らが、自らの尊厳すら大切にできないような状況に追い込まれているとすれば、座視はできない」


「そういうことなら、私にお任せあれ!」


 胸を叩いて請け負い、ニコリと笑う。思い返してみれば、私だって戦場ではずいぶんとエルフの世話になっている。彼女らが苦境にあるとすれば、たしかに見過ごすことはできないわ。


「ただし……どうにも難儀そうな仕事だから、前金をもう少し貰えるかしら? こう見えて、私も安い女じゃないからね」


 ちらりと部屋の隅に置かれたベッドに流し目をくれつつ、ウィンクをする。正直に言えばこの話を持ちかけられる前から今夜はこの部屋で過ごすつもりだったけど、それはそれ。借りというカタチにすれば、いろいろとプレイの幅も広がるからね。


「本当にたくましくなったなぁ、お前」


 ため息を吐きつつも、お兄様はそれを拒否しなかった。……んっふふ、今日はアツい夜になりそうね。


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