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書籍版一巻発売告知SS②

 夏と言えば焼き肉の季節である。……いや、この世界にそうした風習は(おそらく)ないのだが、前世の記憶を持つ僕の脳には未だにそうしたイメージがこびり付いているのだった。

 そういう訳で、僕はカルレラ市郊外にある小さな丘まで出張ってジャパニーズ・バーベキューとしゃれ込んでいた。グリルは鉄製の馬鹿でかい代物で、焼き面は十人前の肉でも余裕で調理できるほどの面積がある。


「はむ、はむはむはむ。最高です。はむはむ」


「はむはむはむ。うまい、もう一本」


 しかし、そんな大きなグリルを用意しているにもかかわらず、同席者は僅か二名だけだった。ひとりは僕の妻にして専属護衛、カマキリ虫人のネェル。そしてもうひとりが、ネェルと僕の娘シィナである。

 この母娘(おやこ)は、尋常ならざる大飯ぐらいであった。握りこぶしほどもある塊肉がいくつも刺さった串焼きを一瞬にしてペロリと平らげ、次々にお代わりを要求してくる。

 お陰で僕は肉焼き業務に専念せざるを得なくなって、先ほどから肉の切れ端ひとつ口に運べない有様だ。


「はい、どうぞ」


 そこで、ネェルがその物騒な形状のカマを僕の方にズイと突き出してきた。その先端には、ちょうど良い大きさに切り裂かれた牛肉が刺さっている。


「それじゃ有り難く」


 愛しき嫁の顔をちらりと見てから、僕はそれを口で受け取った。どうやらネェルは自分ばかりが腹を満たしていたことにいささかの気恥ずかしさと申し訳なさを感じていたらしく、その頬は微かに朱に染まっている。

 やはり、ウチの嫁は可愛い。焼き肉奉行(ピットマスター)はゲストを楽しませる役回りなんだから、別に自分たちだけで食べていていいのにな。こちとら、嫁さんと娘が楽しげにしているだけでもうお腹いっぱいである。


「ネェルは、もう、だいぶ、お腹が、いっぱいです。アルくんは、どうぞ、自分のぶんを」


 両手の鎌をちらりちらりと見つつ、ネェルは続けてそんなことを言い始める。どうやら、僕の手伝いが出来ないことが申し訳なくてたまらないご様子だ。

 でも、それは仕方のないことだろう。なにしろ彼女の腕は殺傷に特化した形状で、鉄串を掴むことすら難儀するような有様なのだ。当然ながら、調理作業などできるはずもない。

 しかし、だからといってそれを恥じる必要はない。ネェルの戦闘力や膂力には建国以前からずいぶんと世話になっているし、皇帝に即位したあとも彼女という最強の護衛がいるからこそ僕はあちこち気軽に出歩けるのである。感謝こそすれ、文句をいう気などさらさらない。


「そう? でも、まだ肉はいっぱいあるんだよね。僕一人じゃ食べきれないから、申し訳ないけどもうちょっと頑張って欲しいかも」


 苦笑しつつ、グリルの横に視線を送る。そこには鉄串に刺さった牛肉の塊がうずたかく積み上げられている。当たり前だが、僕ひとりでこの量を平らげるのは不可能だ。


「そ、そうですか? じゃあ……えへへ」


 続けざまに焼きたての牛串を押しつけてやると、ネェルは嬉しそうな笑顔で引き下がった。実際のところ、彼女はまだ満腹からはほど遠い状態なのである。たんに夫を置いて自分ばかりがバクバク食べ続けていたことに恥じ入っているだけだ。

 まあ気持ちは分かるけど、ネェルはカマキリ虫人だからな。食欲にあらがうのは厳しいんだよ。種族的な特性だから、これもまた仕方のないことだ。


「えっ、母さん、もうお腹いっぱいなの? じゃ、あとは、シィナが、全部、貰うね……」


 ……ということを、僕は(シィナ)から教えられた。なにしろ、この子と来たら普段はたいへんにお行儀の良い静かな少女なのだが、食べ物が関わると一瞬で目の色が変わるのである。たぶんこれは種族的なアレだろう。……たぶん。


「こらこらこら」


 とにもかくにも、シィナの暴挙を阻止せねばならない。即座に割って入り、その口に焼きたての牛串を突っ込んだ。彼女はモムモムとそれを咀嚼し、器用に鉄串だけ抜き出して「おいしー!」と叫ぶ。まったくこの子は……。

 密かにため息を吐いてから、僕はシィナの全身を見回した。まだ十歳になったばかりの彼女は、母親によく似た美しい少女だった。僕譲りの黒髪を長く伸ばしており、顔だけ見ればまるで深窓のお嬢様のような気品がある。

 ただし、ネェルの娘だけあって身体はとにかくデカい。まだギリギリ上背は僕のほうが高いのだが、下半身がカマキリボディなおかげで体重はすでに百キロを軽く超えているだろう。

 ……考えてみれば、ひどく栄養状態の悪い環境で育ったネェルですら軍馬を掴んで持ち上げるほどの巨体と膂力を持っているのである。

 翻って見れば、シィナは幼い頃からひもじい思いなど一度もせぬままここまで育ってきた。おそらくだが、将来は母をも超える偉丈婦になるのではないだろうか? 今からなんだか楽しみになってきたな。


「たくさん食べるのはいいけど、人のご飯はとっちゃダメだ。いいね」


「はぁい」


 目を真っ直ぐに見つめながら言い聞かせると、シィナはシュンとした様子で頷いた。本当に素直で良い子なんだよな、食べ物さえ目の前になければ……。

 まっ、娘に悲しい顔をさせたままというのも面白くない。さっさと肉を焼いて、嫁さんと娘の笑顔を取り戻しますかね。僕は腕まくりをし、巨大グリルに向き直った。


 ……それから一時間後。シィナはくぅくぅと可愛い寝息をあげながら木陰でひっくり返っていた。どうやらお腹がいっぱいになった結果、今度は眠くなってしまったらしい。カワイイね。

 寝る子は育つものである。彼女を起こさぬよう気を付けつつグリルや食器類を片付けてから、僕は大きく息を吐きつつぐっと身体を伸ばした。

 心地よい疲労感が全身にまとわりついている。悪い気分ではないが、この程度でダレるとは情けない。三十を超えたせいか、近ごろなんだか体力の衰えを感じつつあるんだよな……。


「お疲れ様、アルくん」


 などと微妙な気分になっていると、ネェルが僕を抱き上げた。傍目から見ればまるで巨大カマキリに捕食されかかっているようにしか思えないような格好だが、僕は慌てない。ネェルの手付きはまるで宝玉か何かを扱っているかのように優しく丁寧だった。


「片付け、くらい、使用人に、任せたら、いいのに」


「匙の上げ下げまで人に任せるようなやり方は僕の趣味じゃないのさ」


 ネェルの胸元に抱かれながら、たわいのない会話を交わす。幸いにもシィナはぐっすりと眠っているし、使用人たちは最初から連れてきていない。つまりはいくらでもイチャつき放題というわけだ。

 皇帝とその専属護衛という立場だけあって、僕たちは一緒にいる時間が長い。しかしそれはあくまでも仕事のうえでの話であって、二人きりになれる機会というのは多くない。普段の埋め合わせというわけでもないだろうが、おしゃべりは思いのほか弾んだ。

 最初に話題に出たのは、仕事のこと。ネェルは四六時中僕のそばに居てくれるわけだから、とうぜん仕事の苦労についても理解してくれる。こんなに愚痴りやすい相手もいないだろう。


「アルくんは、いま、幸せですか?」


 しばし話し込んだのち、ネェルは会話が途切れた拍子にポツリとそう効いてきた。いけない、せっかくの機会に辛気くさい話をしてしまった。いささか以上に後悔しつつ、頬を掻く。


「いや、もちろんそういうわけじゃあないよ。ただ、少しばかり忙しいってだけさ」


「そうですか」


 短くそう言うと、ネェルは僕を抱く腕に微かに力をこめた。


「ネェルは、幸せです。自分も、お婿さんも、娘も、みんな。美味しいものを、お腹いっぱい、食べられる。これ以上、幸福な、ことなど、ないと、思います」


「……それは、そうだ。間違いなくそうだ」


 ネェルは、強烈な飢餓経験の持ち主だ。父親の肉を食べてやっと生き延びるという壮絶な経験をしている。それを思えば、今という時のなんと幸福なことであろうか。使い終わったグリルに視線を送り、僕は小さく息を吐いた。


「僕だって幸せさ。君がいて、シィナがいて、みんながいる。それ以上を望むなんてゼイタクというものだろう」


「ただ、その幸福を、素直に、受け入れがたい。そういう、気持ちが、あるのでしょう?」


 囁くような口調で、ネェルは言う。僕のことを心底心配しているような声音だった。


「…………参ったな、すべてお見通しか」


 僕の嫁さんはたいへん聡明だ。隠し事などとても出来ないようだった。


「そうだな。そういう気持ちがないといえば嘘になる。受け入れがたいというか、まだ納得できていないんだ。いままで自分自身が歩んできた道のりに」


「でしょうね。バレバレです。バレバレ」


 マジかよ。ちょっと絶句してから、首を左右に振る。やはりネェルには敵わない。ならばいっそ、洗いざらい白状してしまおうか。


「今の僕は、そうだな……アレのようなものだ」


 そう言って、僕はある一点を指さした。そこには、野原を縫うようにして敷設された線路とその上を疾走する蒸気機関車の姿がある。ズューデンベルグ・リースベン・レマの三市を結ぶ貨客鉄道だった。


「列車は速くて力強いが、線路の上しか走ることが出来ない。僕も同じだ。超大国の元首などといっても、フィオレンツァの引いた線路の上を走っているだけに過ぎないんだよ。それがどうにも気に入らない。……いまだにね」


 それは正直な心情の吐露だった。たしかに、今の生活は充実している。文句など口にした日にはバチが当たるだろう。

 しかし、僕の脳裏には時折あの天使のような悪魔のような幼馴染みの顔がよぎるのである。そうなるともう、胸の奥からどんどんと苦い気持ちが湧いてきて始末に負えなくなるのだった。

 いや、別にフィオレンツァを殺したことを後悔している訳ではない。僕は人の死を延々と引き摺るような繊細さとは無縁の精神構造をしているからな。だが、最後の最後まで彼女の思惑に気付かず、とうとうその計画を成就させてしまったことだけは心残りだった。


「ヤツの計画はクソだ。ゴミカスだ。聖人ヅラして、あんなセンス最悪の策略を練っていたなんて怖気が走る」


「……」


 ネェルは無言で僕に頬ずりをした。話の続きを促しているようだ。


「僕や、みんなに相談してくれていれば……もっとずっとマシな計画を立てられたハズなんだ。なのにアイツは全部ひとりでやり遂げて、ひとりで退場してしまった。やらかしたフィオはもちろん、それを止められなかった自分にも腹が立つ。……なのに、結局僕はフィオの描いた絵図の続きを歩んでいる。それが気に入らない。心底気に入らないんだ」


 酒も飲んでいないというのに(近ごろ娘たちからもう酒は飲むなと厳命されている)、僕の口からは言葉が止めどなく流れだしていた。気恥ずかしくなって、顔を逸らす。

 しかしむろんその程度の抵抗でリースベン最強の捕食者から逃れられるはずもない。彼女は僕をその豊かな胸へ押しつけ、身動きがとれないようにしてしまった。


「そうですか。……たぶん、その後悔は、一生、アルくんの、心から、消えることは、ないでしょう。気休めは、言いません」


 鎌の棘で僕を傷つけぬよう優しく抱きしめつつ、ネェルは言った。


「ネェルにも、そういう、後悔は、あります。ヒトの、人生とは、そういう、ものなのです。重荷を、捨て去ることは、できません」


「……うん」


「けれど、重荷を、支え合うことは、できます。あなたの、そばには、いつも、ネェルが、います。どうか、そのことは、忘れないように」


 その言葉に、僕は思わず歯を食いしばった。そうしなければ何かが零れてしまいそうな気がしたからだ。ネェルはその尖った鎌で僕の頭を撫でる。慈愛の籠もった手つきだった。


「あれを、見て、ください」 


 それから、彼女はとつぜん鎌の先端で何かを指し示した。視線を送ると、そこには先ほどの蒸気機関車がある。


「あの汽車は、たくさんの、食べ物を、乗せて、このリースベンに、やって来ます。鉄道が、出来てから、リースベンの、民は、誰ひとり、飢えることが、なくなりました。小麦だって、肉だって、もう珍しいものでは、ありません」


「うん……そのために、鉄道敷設を急いだわけだからね」


 鉄道の運送能力は荷馬車の比ではない。いまや、リースベンの市場には様々な産地の食料品がごく安価に並ぶようになっていた。エン麦やエルフ芋などで飢えを凌いでいたことなど、もはや完全に過去の話となってしまっている(まあエルフ芋はこの地の名産品としてむしろ増産傾向にあるが)。


「この半島は、百年もの、あいだ、飢餓に、苦しみ、続けて、きました。その歴史に、終止符を、打ったのは、アルくん、あなたです。たとえ、フィオレンツァの、計画が、不完全な、もので、あったと、しても……十二分に、胸を、張ってよい、成果だと、思います」


「……ふふ、そうか。うん、なるほどな」


 胸を張っていい成果、か。確かにその通りだ。エルフなんてみんなガリガリだったのに、今や……だもんな。フェザリアなんて、最近はダイエットに励んでるし。出会った当初のことを思えば信じがたい話である。


「ま、過去に囚われるばかりじゃ先に進めないからな。昔を懐かしむのは老後の楽しみにとっておこう。今はもっと大切な仕事があることだし」


 努めて笑顔を浮かべつつ、視線を熟睡中のシィナに向ける。なんとも幸せそうな寝顔だ。


「いちばん大切なことは、シィナや他の娘たちが安心して暮らせる国を作ることだ。そのためなら、穴だらけのクソ計画の後を継いでやるのも致し方なし……そういう気分になってきたよ」


 まあ、いいさ。後悔は死ぬときにすればいい。今はとにかく国家の安定化が最優先だ。せいぜい頑張って皇帝サマの役割を演じることにしよう。……でもそれはそれとして、良い仕事をするためには良い休養は必須だよな?


「ねぇ、ネェル」


「なんです」


 突然呼ばれてキョトンとするネェルの唇に、僕はついばむようにキスをした。


「ふふ、呼んでみただけ」


 とりあえず、今日は可愛い嫁さんと一緒に精一杯羽を伸ばすことにしようか。


告知SS第二弾です。

前回言い忘れておりましたが、書籍版一巻は九割書き下ろしとなっております。web版完走勢の方でも新鮮な気持ちでお楽しみいただけると思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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[良い点] 娘かわいいよ娘 >書籍版一巻は九割書き下ろし これは買わざるをえませんね!
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