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書籍版一巻発売告知SS①

 リースベンに住み始めて既に十数年が経つが、いまだにこの夏の暑さには辟易する。気温の高さもさることながら、湿度が尋常ではないのである。重く湿った大気が濡れた布のように全身にまとわりつき、不快なことこの上ない。

 南国特有のギラギラとした太陽が西の空に沈んでも、状況はあまりよくならない。昼間よりはマシとはいえ、過ごしやすいとはお世辞にも言えなかった。夕暮れ時に雨でも降った日にはもう最悪で、なんだか茹でられているような気分にすらなってくる。

 そんな、ひどい熱帯夜。僕とアデライドは、リースベン城の最奥にある寝室にて裸で抱き合っていた。当然ながら両者汗まみれで、まるで水でも浴びたかのような有様になっている。


「ちょっとこれは命の危機を感じるねぇ……」


 などと言いつつも、アデライドはぎゅっと僕を抱きしめてくる。既に〝本番〟が終わってしばしの時間が経っているが、彼女はいつまでたっても僕の身体を離そうとはしない。


「とはいえ、こうしてゆっくり触れあえる時間も少ない……独占の機会を逃すわけにはいかんのだ。悪いな、アル」


「はは……気にしなくても大丈夫。この程度でへばるような体力はしてないよ」


 アデライドの言いたいこともわかる。なにしろ、僕には嫁さんが両手の指をすべて動員しても足りないほど居るのである。必然的に、一人あたりに避ける時間はどうしても少なくなってしまう。

 正直なところ、かなり申し訳ない気分もあった。むろん、好き好んでこういう身の上になった訳ではないが――


 僕の脳裏に、これまでの記憶が去来する。大陸西方全土を巻き込んだ戦争が終わっても、僕たちに平穏は訪れなかった。

 フィオレンツァの思惑に乗る形で成立してしまったこの国、アルベール連合帝国は巨大ではあってもひどく不安定な存在であり、少しでも舵取りを誤ればあっという間に文字通りの砂上の楼閣と化してしまうだろう。

 背負ってしまった責任を全うするためにも、そして勝ち逃げしていったあの悪魔のような幼馴染みの死を無駄にしないためにも、僕はこの国を一夜の夢で終わらせる訳にはいかなかった。

 とはいえ、僕ひとりで出来ることなど多くはない。アデライドやソニア、ダライヤなどと協力しつつ、なんとかかんとかやってきたというのが実際のところだ。

 仲間たちの誰か一人でも欠けていたら、今日のような日を迎えることは出来なかっただろう。どれだけ感謝してもし足りないことだし、出来るだけ彼女らの求めには応じていきたいところだ。


「なぁ、アル……欲しくないか?」


 などと考えていたら、突然アデライドが耳元でそんなことを囁いてきた。その声は妙に艶めいており、僕の背筋にぞくりと電流が走る。


「なに、もしかして三人目? ううーん」


 僕にはすでに二十人近い数の子供たちがいる。そして、この世界において子供の世話というのは男の役割であった。その例に漏れず、僕も子供たちの面倒は出来るだけ自分で見るようにしている。

 いや、もちろん立場が立場なので一から十まで全部僕ひとりでやる必要はないんだけどね。ただ、いくらでも使用人を動員できる身の上だからといって、丸投げというのは如何なものか。

 血を分けた娘や息子から冷たい父親だと思われでもした日には立ち直れなくなること間違いなしなので、僕はできるだけ積極的に子供たちに関わるようにしている。むろん、身体がひとつしかない以上限度はあるがね。

 ……うん、限度、限度だ。ちょっと既にだいぶ限界なんだよ。もう完全にキャパオーバーって感じ。子供はもちろん可愛いが、いい加減僕も体力の衰えに直面する年齢であるわけだし……。


「いや、違う違う。……三人目は欲しいが、今はそうじゃない」


「あっ、そう……。じゃ、何が欲しいっていうのさ」


「海軍……欲しくないかなって」


「欲しい!!」


 思わず叫んでしまった。いやでも、海軍は欲しいだろ。僕はずっと陸戦畑を歩んできた人間だが、海戦に興味がないわけではない。前世で卒業した士官学校は海軍兵学校だったくらいだしな。


「……でもさ、いきなりどうしたの? よりにもよってアデライドが、軍備増強を主張するなんて」


 しかし、気になる部分もある。公人としてのアデライドは連合帝国の宰相兼財務大臣であり、いわば連合帝国そのものの金庫番といって差し支えない立場にある。

 とうぜんカネばかりかかって回収の目処の立たぬ軍事などという事業には常に厳しい目を向けており、軍拡など許さないという態度を堅持していた。

 何しろ我が国は地方分権型の新興国で、中央の財政はいつだって火の車なのである。近ごろのアデライドは、まるで口癖のように「軍隊の整備は財政基盤を整えてから」と繰り返しているほどだった。……それが、いきなりの変節である。驚くなと言うほうが無理だろう。


「いや、な……だって、弱いだろう? うちの海軍」


「クソ弱いね、正直言って」


 大陸西方を事実上制覇した形となるリースベン軍だが、その戦いの主役は常に陸軍であった。海軍がこなした仕事と言えば、せいぜい物資の輸送と港街への艦砲射撃程度である。

 連合帝国建国後もその傾向は続き、陸軍こそ近隣諸国の中では間違いなく最強と断言できる水準にあるものの、海軍に関しては完全に後回しにされているのが実情であった。

 そもそもの話、連合加盟国の中でまともな海軍を保有しているのはガレア王国とノール王国の二カ国のみしかいないのである。しかも、その二国の海軍にしても沿岸防衛が主目的の小規模なもので、お隣の島国アヴァロニアと比べると吹けば飛ぶ程度の代物でしかない。


「それじゃあ困るのさ、これからはね」


 そう言って、アデライドはニヤリと笑った。窓から差し込む月光に照らされたその顔には、四十代とは思えぬ精力的で妖艶な表情が浮かんでいる。西方随一の大国の宰相という大役を得た彼女は、二十代の頃よりもさらに輝きを増しているようなフシがあった。


「陸軍など戦争がなければただの無駄飯食らいだが、海軍は違う。航路の安全確保や他国の威圧など、平時においても様々な役割を果たしてくれる」


「まあ、一理あるね」


 ちょっと唇を尖らせつつも、僕は小さく頷いた。ずっと陸の戦いばかりやってきた人間としては少しばかり文句を言いたくなるような主張だったが、海軍がいろいろと役に立つ存在なのは確かである。


「産業革命が始まりつつある今、海運の重要性は増していくばかりだ。我が国の貧弱極まりない財政をどうにかするためにも、海軍の増勢は必須だと考えたのだよ」


「なるほどな。確かに、せめてアヴァロニアに対抗できる程度の艦隊は欲しい」


 隣国アヴァロニアは世界でも一二を争う海軍国だ。海上の戦いにおいては、現在の連合帝国でも太刀打ちできない。

 つまり、彼女らがその気になれば我が国を海上封鎖してしまうことだって可能だということになる。これは経済の面から見ても安全保障の観点から見ても憂慮すべき状況だろう。


「しかし、海軍は陸軍以上にカネがかかるぞ。将来の経済のために今財政破綻したら元も子もないように思えるけど……」


 普段であればアデライドのほうが口にするような意見を僕は主張した。僕が軍拡を求め、アデライドがそれを拒否する。これは連合帝国建国以降なんども繰り返されてきたやりとりだったから、ここへ来て立場が逆転するのはいささか不思議な気分だった。


「なぁに、我々には蒸気機関がある。あれを船に乗せれば、帆船や櫂船(かいせん)などでは太刀打ちできないほどの戦闘力を発揮するという話じゃないか。これはつまり、それほど多くの軍艦を建造せずとも十分な戦力を確保できることを意味している。なんとも素敵な話じゃないか」


 まるで割の良い投資先を見つけたかのような口調で熱弁するアデライドだったが、残念ながらそれは取らぬ狸の皮算用というヤツだ。


「そうはいかないよ。なにせ、石炭燃料の蒸気船は航続距離がひどく短いからね。今までのように沿岸防衛だけを考えるならばそれほど問題にはならない欠点だが、アデライドは外洋に出たい訳だろう? 足の短さを補おうと思えば、やっぱりある程度の数は必要だよ」


 まあ、蒸気機関と帆装と併用する方式を採用すれば、航続距離の問題もある程度は解決可能だがね。しかし、この手の船(機帆船という)はなかなかに中途半端な存在であり、軍艦としてはいささか使いづらいところがあった。

 結局のところ、現状の蒸気機関はまだまだ発展途上の技術でしかないのだ。アデライドの考えているような計画は、申し訳ないが机上の空論と評するほかない。やはり戦いは数なのである。


「なんだとぉ……ムゥゥ……。しかし、ウムゥ……」


 はっきりと反対されたアデライドは、目をキョロキョロさせながらしばし唸った。海上貿易が、とか。商会の経営が、とか。そんな単語もブツブツ呟いている。

 ふーむ、どうしたものかな。僕とて別に海軍の増強に反対したいわけではなく、無策に軍拡に走ることで生じるであろう諸問題を避けたいだけなのだ。なんとか、財政問題と海軍増強を両立させる案はないものか……。


「……ああ、そうだ。いっそ陸軍を削減して、それで浮いた分を海軍に回すというのはどうかな?」


 考えてみれば、今の我々の陸軍力はいささか過剰だ。建国当初こそオルト王国(当時は神聖帝国を名乗っていたが)の内戦やらアヴァロニアとの戦争準備やら(幸いにもこれは外交戦だけでカタがついた)で戦力はいくらあっても足りないほどだったが、現在においてはそうした危機も遠いものとなっている。

 で、あるのならば、少しばかり陸軍を削減したところで問題は起こるまい。まあ、陸戦屋としてはもちろんそんなことなどしたくはないが、僕は曲がりなりにも皇帝なのだ。こういう場面で私情を優先するわけにもいくまい。


「悪くない案だ。海軍にはカネが掛かると言うが、私に言わせれば陸軍も大概だからな……」


 僕の嫁さんはいささかゲンナリした様子でため息を吐く。もっと良い装備を寄越せと大騒ぎする威勢の良い陸軍将校たち(カリーナとかアンネリーエとか)とアデライドの論戦は、日をまたぐことすらたびたびあった。辟易するのも当然のことだろう。


「それに、陸軍の削減は門閥貴族の力を削ぐことにも繋がる。そして、海軍はできるだけ連中の力を借りない形で創設していくんだ」


 連合帝国陸軍の中核を成しているのは、連合加盟国やそれに臣従する諸侯たち(ディーゼル伯爵家とかジェルマン伯爵家とか)から供出された部隊である。当然その指揮官は出身門閥に息がかかった者たちであり、国家そのものに忠誠を誓っているとは言いがたい。

 これは僕にとってはかなり不本意な状況であった。軍隊は国家によって統制されるべき、というのが僕のモットーだからな。こういう封建的な体質を残したままでは、真に近代化したとは言いがたい。

 ま、今のところそれで大きな問題が発生している訳ではないのだが……これは、各門閥の盟主たちが僕に対してある程度の敬意を払ってくれているからこその事である。

 何しろ僕は彼女らと同じ釜の飯を食った仲であり、何なら寝所を共にする仲でもあるからな。そりゃあ、根回しなんて朝飯前だ。いや、晩飯後かな……。

 とはいえ、これは僕の代でしか通用しないやり方だろう。子や孫の代になれば、間違いなく致命的な問題を引き起こす。将来にツケを残さないためにも、僕が生きているうちにある程度は組織を改革しておかねばならない。


「なるほど、門閥どもの影響下にない我々だけの軍隊を創るわけか。むふふ、流石のキミも多少の政治的感覚は身についてきたようだね」


 などと考えていると、突然アデライドがそんなことを言って僕を抱き寄せた。汗に濡れた肌と肌が触れあい、なんともいえない感覚をもたらす。男同士ならば不快なだけの感触だろうが、むしろなんだか気持ちよく感じてしまうのが不思議なところだった。


「実際、門閥貴族……具体的に言えばアレクシアとかヴァルマとかツェツィーリアとかアレクシアとかの専横は目を覆わんばかりのひどさだからねぇ……あのクソボケ共の力を削ぐというのは私も賛成だよ」


「ハハハ……」


 頬ずりしながらそんなことを言うアデライドに、思わず苦笑が漏れる。僕にとっては彼女らはそれなりに愛すべき相手なのだが、アデライドにとっては単なる面倒な同僚という位置づけらしい。まったく参っちゃうね……。


「はぁ、しかしやるべき仕事が多いねぇ。戦争が終わったら暇になると思ったんだが、どうもそうは問屋が卸さないらしい」


「そりゃそうさ」


 僕の胸元に顔を埋めつつ、アデライドは頷いた。彼女は昔から尻が大好きなのだが、近ごろは胸にも興味が出てきたらしい。男の胸や尻のどこが良いのか、僕にはサッパリ理解ができない。


「皇帝などという地位に就いてしまった以上、それは仕方のないことだよ。せいぜい頑張ってお勤めを果たすことだね……」


 などと言いつつ、彼女はぐいと身体を起こして僕に馬乗りになった。……今夜はもう休むつもりだったんだけどなぁ……まあ、仕方がないか。貴重な機会だもの……。


「やれやれ。僕はせいぜい将軍職で良かったんだが」


 まったく、フィオも面倒な仕事を残してくれたものだ。自分だけ勝ち逃げして、人にこれほど厄介な仕事を押しつけるとは。なんとも許しがたい女である。……生き残って、仕事を手伝ってくれれば許せたのにな。本当に残念だ。


「別の女のことを考えているな? 今日は私だけの夫なんだぞ、そんな勝手は許さん」


「あっ……」


 現実逃避気味の思考は、アデライドの口づけによって強制停止させられる。どうやら、暑い夜はまだまだ続くようだった。


書籍版の発売が決定いたしました。タイトルは「貞操逆転世界で真面目な成り上がりを目指して男騎士になった僕がヤリモク女たちに身体を狙われまくる話」、出版社はマッグガーデン、イラスト担当は田中松太郎先生!

発売日は10月10日となっておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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[良い点] 海の覇権を争う物語も楽しそう [一言] 書籍化おめでとうございます。 この作品の魅力的なキャラ達にどんなイラストがつくのか、書下ろしがあるのかとか、色々気になりますね。
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