第696話 くっころ男騎士と救出部隊
僕たちが乗せられていた馬車が、唐突に停車した。外では、なにやら戦いの準備をしているような気配がある。どうやら救援が到着したらしい。
いよいよ来たかと腹をくくっていると、荷台の中へフィオレンツァが入ってきた。彼女にとっては敵襲だろうに、その表情は奇妙なまでに凪いでいる。
「お客様がいらっしゃいました。申し訳ありませんが、お出迎えを手伝ってもらえますか?」
もらえますか? などと言われてももちろん我々に拒否権はない。なにしろ彼女の手には例の小型リボルバーが握られているのだ。
一緒に入ってきた護衛兵が、僕たちと荷台を繋いでいる鎖の錠前を外した。フィオが視線だけを動かし、外へ出るように促す。有無を言わせない調子だった。
抵抗しても仕方がないので、大人しく従う。しかし、僕はともかく片足を失っているフランセット殿下は独力で立ち上がることすらままならない状況だ。こちらは二名の護衛兵が強引に立ち上がらせ、文字通りの力ずくで外へと連れ出してしまった。
「ふうん」
馬車の外に広がっていたのは、一面の田園風景だった。雪の積もった冬麦の畑が地平線の彼方まで続いている。そんな広大な田畑をまっすぐに貫通した街道のうえに、幌馬車はぽつんと停まっている。
どちらに目を向けても、身を隠せそうな茂みや建物などは一切ない。しかも、馬車の周りには軍馬に跨がった軽騎兵たちが十人以上も展開していた。
姿を隠そうという気が一切感じられない布陣である。こんな状態で白昼堂々行軍していたら、そりゃあ即座に見つかってしまうに決まっている。うちのウルとその部下たちの目の良さは折り紙付きなのだ。
「やはり彼女でしたか」
どこか他人事のような口調でフィオレンツァがそう呟くのと同時に、ドシンと音を立てて何かが僕たちの眼前に着地した。土煙と猛烈な風が周囲に吹き荒れる。
粉塵の中から現れたのは、たいへんに見覚えのある相手だった。牛や馬すらも霞む巨体、カマキリにしか見えない下肢、鎌状の両腕。そう、我らが最強カマキリ虫人、ネェルである。
その体躯と異形ぶりに驚いたのか、馬車に繋がれていた二頭の輓馬が悲壮な鳴き声を上げて暴れ出した。そして、御者を乗せたまま反対方向へと逃げ去ってしまう。
乗り物がなくなってしまったというのに、フィオレンツァはまったく動揺した様子を見せなかった。ガタガタと走り去る馬車を一瞥もせず、泰然自若として胸を張っている。
それを見て、僕の確信はますます深まった。窮地に陥っているはずなのに、彼女はむしろ計画通りとでも言わんばかりの態度だった。やはり、先ほど語っていた野望は嘘っぱちなのだろう。
「……」
落ち着いているのはフィオレンツァだけではない。護衛の兵たちもまた、無感動な態度で剣や槍などを構えていた。
しかし、その態度は肝が据わっているというよりは機械的に指示に従っているだけのようにしか見えない。表情からはあらゆる感情が抜け落ち、まるで人形のようだった。
明らかに正気ではない彼女らの様子を見ていると、フィオレンツァの言う"服従の魔眼"とやらの実在も信じずにはいられないような気分になってくる。とてもじゃないが、自分の意思でしたがっているようには見えんね。
「アル様、ご無事ですか!」
勇ましい声をあげながらネェルの背中から飛び降りたのは、我が副官ソニアだった。既に愛用の両手剣を抜刀し、臨戦態勢だ。……おい、ソニア。助けに来てくれたのは嬉しいが、僕が抜けている以上君はアルベール軍の総責任者では……?
「やれやれ、くたびれたのぉ」
それに続いてダライヤも降りてくる。腰をとんとんと叩き、戦う前からすっかりお疲れモードだ。しかしこちらに流し目をくれ、ウィンクをするのも忘れない。あざといババアめ。
僕たちの前に現れたのは、この三人だけ。しかしよく見れば、上空には翼竜や鳥人と思わしき影が舞っていた。なるほど、速度を優先して航空部隊のみで突出する作戦をとった訳か。
「大丈夫、僕も殿下も無事だ!」
ちょっと苦笑しつつそう答える。僕の右手は包帯でぐるぐる巻きになっているし、殿下にいたっては片足を切断済みだ。無事と言うにはいささか満身創痍に過ぎるかもしれない。
「どうもお久しぶりです、ソニアさん」
剣呑とした空気が流れる中、フィオレンツァはそれにまったく似つかわしくないのんきな声で挨拶した。しかし、相変わらず拳銃の銃口はこちらを向いている。
「フィオレンツァ! よくも好き勝手してくれたものだなッ! 貴様の陰謀もこれまでだッ!」
怒り心頭の様子でソニアが吠える。
「手品の種も既に割れているぞ! 貴様、妙な力で人の心を惑わせることができるらしいじゃないか。だが、そんなものは我々には通用せん!」
「精神に作用する魔法は、非常に繊細で扱いづらいものと聞く。対象の心に付けいる隙がなければ、うまく作用せぬのじゃ。戦いの場で有用な類いのチカラではなかろう。さっさと観念せい」
「今すぐ、アルベールくんを、返し、なさい。さもなくば、お二人の、幼馴染みとはいえ、容赦、しません」
なんだかダライヤが気になる発言をしていた。なるほど、流石はババア。服従の魔眼についても把握済みだし、その対策も承知しているということか。
「つまり、逆に言えば余の心には隙があったということか。ふ、ははは……」
隣で殿下が空虚な笑い声をあげている。こちらもなんだかヤバげな雰囲気だ。
「なかなか強気ですね。たかが三人でこのわたくしに勝てるとお思いですか?」
フィオレンツァは不遜な口調で言い返した。彼女も、そしてソニアらも、殿下のことなど眼中にないようだった。
なんだかひどく嫌な気分になって、僕はゆっくり息を吐く。フィオの魔眼と策略に踊らされた挙げ句の末路がこれか。なんとむごい話だろうか。
「そのカマキリ娘がいるから大丈夫などと思っているのかもしれませんが……以前の負傷がまだ完治していないのでしょう? あまり過信はしないほうが良いと思いますが」
実際、フィオが指摘するようにネェルの肩にはまだ包帯が巻かれたままだった。王城脱出戦で負った弾創が、まだ治りきっていないのだ。
日常生活を送る上ではそれほど不便はしていないようだが、戦闘に障りがないかといえばかなり怪しい。だからこそ、僕はロアール河畔の戦いではネェルを前線に投入しなかったのである。
一方、フィオレンツァ側の戦力は騎兵が十名、徒歩兵が十四名という布陣だ。三対二十四というのは、いかにソニアとダライヤが武芸の名手であってもなかなかにひっくり返しがたい戦力差のように思える。
「舐められた、ものですね。本調子では、なくとも、貴方たちなど、朝飯前。いえ、むしろ、朝ごはん、です
「さらには、わたしとダライヤもついている。数ばかり多い雑兵などでは相手にならんさ。それに、すでに援軍は要請しているからな。じき、大勢の騎兵がやってくるはずだ。貴様に勝ち目はないぞ」
なるほど、きちんとバックアップ体制は整えてあるらしい。流石はソニア、頭に血が昇っていても、こういう所はそつがない。
「……はぁ。まあ、そうなりますか。しかしこちらはアルベールさんの身柄をおさえているのですよ? ついでに、役に立つかはわかりませんがフランセット殿下の身柄もね」
陳腐な脅し文句と共に、こちらにリボルバーを向けるフィオレンツァ。これ見よがしに撃鉄を上げ、ニヤリと笑う。安い悪党のような台詞と所作だった。
「馬鹿を言うな。フランセットはともかく、アル様は撃てんさ。貴様にはな……」
普段のソニアであれば噴火待ったなしの状況だが、今回の彼女はむしろどこか悲しげな様子だった。殿下が歯を食いしばる音が微かに聞こえる。
「……」
表情も身体も凍り付かせたまま、フィオレンツァは何も言わなかった。引き金を引く様子もない。
「図星、かのぉ?」
「流石は、幼馴染み、ですね」
そうか。ここまで来てなお、フィオレンツァは僕を撃てないか。むしろ躊躇なく引き金を引いてくれるほうが、やりやすいのにな……。
「フィオレンツァ、これ以上の茶番はよせ」
我慢ができなくなり、僕は彼女に向けて一歩踏み出した。自分からぐいと銃口に身体を押し当て、フィオを睨み付ける。もう、僕の堪忍袋の緒は切れかけていた。
「死にたいなら勝手に一人で死ね。無関係な人たちを巻き込むんじゃあない」




