第694話 盗撮魔副官の反抗(2)
「はぁ、また尋問ですか」
簡易拘置所となった大天幕にて、王党派将軍ザビーナ・ドゥ・ガムランは精根の尽き果てたような表情でそうボヤいた。
本来なら、貴族というのは捕虜になってもそれなりの扱いをされる。身体を拘束されることはまずないし、剣を取り上げることすら固く禁じられているほどだ。
ところが、今の彼女にはそうしたルールは適用されていない。手錠はかけられているし、武器の類いもすべて没収されている。もちろん、服装は捕まったときの戦塵に汚れた軍装のままだった。
しかし、それも仕方のないことだ。なにしろガムラン将軍は、フランセットが敗北を受け入れててもなお継戦を主張して独断で攻撃を続行したのだから。
そうして生じた混乱の結果アル様が拉致される事態に発展したわけだから、丁重な扱いなど受けられるはずもなかった。むしろ、即座に打ち首にされなかっただけマシというものだろう。
「なに、それほど肩肘の張ったものではありませぬ。将軍がお暇を持て余していると耳にいたしましてな、雑談のお相手でもいたそうかと思った次第ですじゃ」
などと笑顔でのたまうのは、我らが外道エルフ・ダライヤであった。我々の尻馬に乗って聴取に参加した分際で、まるで代表者のような尊大な言い草である。
「わあ、出た」
ガムラン将軍はそんなエルフをなんだかひどく嫌そうな様子で眺め回した後、視線をわたしのとなりのクソデカ猫女の方へと移す。
「おや、今日は千客万来ですな。お会いできて光栄です、アレクシア閣下。このような汚らしい格好で申し訳ありません」
なかなかに投げやりな口調の挨拶だった。そもそも一般的な貴族の礼儀としては、初対面の貴族同士が顔を合わせた時はまず仲介者の紹介を待ってから挨拶をするのが正道だ。それすらすっぽかしている当たり、ガムラン将軍も自らの運命は察しているようだった。
「うむ、くるしゅうない」
それがわかっているから、アレクシアも将軍の非礼を咎めることはなかった。避けられぬ死の運命を前にして自暴自棄になっている人間に礼儀を説いても仕方がない。
そこで、従兵が人数分の椅子を持ってきた。アレクシアやダライヤは、当然のような顔をしてそれに腰を下ろす。だが、わたしは一瞬躊躇した。
ガムラン将軍への尋問はすでに実施しているのだ。二回目をやったところで、得られるものはないだろう。この忙しい時に、無益な仕事で時間を浪費するわけにはいかない。この場はダライヤにでも任せ、わたしは本部に戻るべきではないか……。
「はぁ」
……結局、わたしはそのまま椅子に座ってしまった。
先ほど、ダライヤは「掘り出し物がみつかるかも」などと意味深な発言をしていた。このクソエルフは性格が死ぬほど悪いが、アルベール陣営屈指の智者なのは確かだ。そんな彼女が自信を覗かせているのだから、付き合ってみる価値はあるかもしれない。
「早速だが、貴卿にいくつか質問がある」
まず口火を切ったのはアレクシアだった。彼女はまずフィオレンツァの居場所について問いかける。しかしもちろん、同様の質問は一度目の尋問でも実施している。返ってきた答えもまったく同じだった。
「申し訳ありませんが、皆目見当がつきませんな」
動機や狙いを聞いても、同じく「わからない」の一点張りである。しかし、すっとぼけている様子は無い。むしろ、首を左右に振る彼女の顔は苦渋と憎しみに満ちている。
「これだけはハッキリ申しておきますが、司教に総大将をかっ攫われたのは我々王軍も同じです。裏切り者なのですよ、フィオレンツァは。許されるのであれば、この手で奴の細首を締め潰してやりたいくらいだ」
しばしの問答のあと、将軍は最後にそう締めくくった。気分はわかるが、それはわたしの役割だ。無意識に拳を開け閉めし、暗澹たる気分になった。
フィオレンツァのことはもともと嫌っていたし、信用もしていなかった。もちろん、今回彼女がしでかした事についても絶対に許せるものではない。しかしそれでも、幼馴染みをこの手にかけるという想像はたいへんに気分が悪かった。
「なるほど、ありがとう」
アレクシアは感謝の言葉を口にしたが、その顔には苦い表情が浮かんでいる。先ほどの将軍の供述から得られたものは、彼女がフィオレンツァを恨んでいるという事実だけだった。そんなことを知ったところでアル様をお救いする助けにはならないだろう。
「ところで、将軍様。そのフィオレンツァは、いったいどうやって宮廷内で影響力を増していったのでしょうな? ワシとしましては、動機や目的よりもそちらのほうがよほど気になりますぞ」
ダライヤの目がギラリと光った。一方、問われた側のガムラン将軍はキョトンとしている。
「どうやって、ですか。ふむ……正直なところ、よくわからんのです。かの司教は、もともと世俗の権力争いとは距離を置いていたように思うのですが。それが、気付けば殿下の相談役のような立場になりおおせていたのです」
そこまで言って、将軍はいったん口を閉じた。視線がテーブルの上をさ迷う。香草茶でも探しているのかもしれない。しかしすぐに自分の立場を思い出したのか、茶の代わりに唾を飲み込んで言葉を続ける。
「あれは本当に唐突でした。まるで幽霊のようだ、などと仲間うちで話していたことを覚えております」
「フム……」
わたしとダライヤの視線が交差した。彼女の顔には胡散臭い微笑が浮かんでいる。
「フィオレンツァが殿下に接近したのは、王都内乱が終結してすぐの頃です。お膝元である王都が戦火に覆われ、殿下も平常心ではいられなかったはず。おそらく、司教はそこに付けいったのでしょう」
「なるほど、あり得る話だ」
ガムラン将軍の弁明は、フランセットの罪をフィオレンツァになすりつけるような言い草だった。しかし、わたしはその意見に理を感じていた。
フィオレンツァは決して明晰な女ではないが、人の弱味を嗅ぎつけるのだけは得意だったと記憶している。彼女が星導教内で成り上がったのも、その嗅覚あってのことだ。その技巧をさらに悪用すれば、黒幕めいた立ち回りをするのも不可能ではないかもしれない。
「実は、ワシにはひとつの仮説がありましての」
そこで、ダライヤが右人差し指をまっすぐに立てながら言った。周囲の視線が一気に彼女に集まる。仮説、か。おそらく、このクソババアはこれが言いたくてこの尋問に参加したのではなかろうか。
「言ってみろ」
「あのフィオレンツァとかいう司教は、人の心を惑わせる魔法を修めているのではないかと思うのですじゃ。あるいは、そういう効果を持つ魔道具を持っている、という可能性もありますがのぉ」
人の心を惑わせる魔法? 聞いたことのないタイプの魔法だな。わたしやガムラン将軍は、胡散臭いものを見る目でクソババアを見た。唯一、アレクシアだけが奇妙に感心したような表情をしている。
「そんな魔法が実在するのか、と言いたげな顔ですのぉ」
訳知り顔でのたまうダライヤ。見た目だけは愛らしい童女のようなのに、どうしてこれほど腹の立つ表情ができるのだろうか? 一発殴りたくなってきたな。
「いや、実は言い出しっぺのワシ自身、そのような魔法を目にしたことは無いのですがのぉ。ただ、百年……いや、二百年くらい前? に出会った者から、今回の事件と似た話を聞いたことがありましての」
こいつが二百年前と言うのなら、おそらくは五百年は前の話だろう。いきなりそんな大昔の話をされても困るのだが。
「やつは、東国から流れてきたキョンシーだったのですが……」
「まて、キョンシーとは何だ」
アレクシアが余計な茶々をいれた。ヴァルマが話の邪魔をするなとばかりに彼女の頭をブン殴る。
「キョンシーというのは一種のアンデットでしての。まあ、こちらで言うところのグールのようなものですじゃ」
ダライヤが余計な返答をした。わたしがさっさと話の本筋に戻れと彼女の頭をブン殴る。
「アイタタタ……こほん。えー、何の話でしたかのぉ? えーと、ガレア建国王が底なし沼に嵌まって泣いた話?」
わたしはもう一度彼女をシバいた。わりと本気の一撃だった。雰囲気を軽くするための冗談だというのはわかるが、それに付き合えるだけの精神的余裕がない。
「……こほんこほん。えー、その者いわく、故郷の国で大きな乱が起き、火の粉がかからぬように西方へと逃げ延びて来たと。そう申しておりましての」
「大きな乱、か。それが今回の事件と類似していると言いたいわけだな」
「そのとおりですじゃ。なんでもとある男が皇帝の寵愛を受け、好き勝手にまつりごとをもてあそびはじめたとか。名君は暗君に堕し、政治は乱れ、宮廷には粛正と謀反の嵐が吹き荒れたと聞いておりますじゃ。……なぜそのようなことが出来たか? それは、男が魅了の魔法を修めていたからだというのです」
魅了の魔法、ねぇ。おとぎ話や伝説などで時折耳にする名前だな。あとは、スケベな本などでも幾度か目にしたことがある。まさか、そのようなファンタジーな代物が実在するとでもいうのだろうか?
「よくある傾城伝説ですわねぇ。でも、その雄狐めが本当にかような魔法を使えたのかというと、少々怪しいのではなくて?」
ヴァルマの指摘ももっともだった。そもそも、そのような胡乱な魔法を用いずとも人を魅了することは出来る。それが魔法によるものなのか天然の魅惑によるものなのか、判別をつける方法はあるのだろうか……?
「それはそうなのですが。しかし、くだんのキョンシーはその男と直接会ったことがあるとか。なにやら怪しげな術をかけられ、危うく下僕にされてしまうところだったとボヤいておりましたぞ」
「……その類いの話ならば、我も耳にしたことがある。それも、かなり確度の高い逸話だ」
それまで黙っていたアレクシアが口を開いた。彼女の顔には深刻な表情が浮かんでいる。
「かつて大陸西方の大半を支配していた偉大なる国、大オルト帝国。我らが神聖帝国の前身たるかの国が崩壊したのは、一人の道化師の仕業であるという伝承が我が家に残っているのだ」
「大オルト帝国崩壊というと、アヴァロニア王国が東征を始めた時期だな」
西方の歴史を思い返しつつ、相づちを打つ。ガレア王国に住む竜人は、この東征によってアヴァロニア島からやってきた者たちの子孫なのである。
「ああ。本来、大オルト帝国の軍備をもってすれば、蛮族アヴァロニアていどに遅れを取るはずがなかったのだ」
だれが蛮族だこの猫女め。
「ところが、ちょうど帝国宮廷では政変が起きていた。"服従の魔眼"なる怪しげな能力を持った道化師が、皇帝や重臣を残らず傀儡にして酒池肉林の乱行に及んでいたのだ。そんな状況ではとうぜんまともな防戦などできるはずもなく、結局大オルト帝国は版図の西半分を失って崩壊した……」
ふーむ。記憶が確かならば、アレクシアのリヒトホーフェン家はこの大オルト帝国の貴族に源流があるらしい。そうした旧家に伝承されている話であれば、それなりの信頼性はあるやもしれんが……。
「……」
「あ、すまん。ワシ、大オルト帝国の崩壊期にはこの大陸におらなんだ。確か、西大陸でイモの育て方を習っておったような」
歴史の生き証人ダライヤに確認をもとめたところ、なんとも気が抜ける答えが返ってきた。くだらない醜聞はいくらでも知っているくせに、どうしてこう肝心な情報は持っていないのか……。
「そういえば、フィオレンツァめは右目に眼帯をつけておりましたな? もしや、それが服従の魔眼とやらなのでは……」
戦慄の表情でガムラン将軍がつぶやく。それにハッとなり、わたしは思わず椅子から立ち上がった。
「いかん……!」
万一、その魔眼が実在するならば非常に不味いことになる。アル様が傀儡にされ、あの生臭坊主の操り人形と化してしまうかもしれない!
頭の中に悪い想像が渦巻いた。催眠調教といえばエロ本の鉄板シチュエーションだ。フィクションとしては散々楽しんだものだが、それが現実となって愛する人に牙を剥いたりした日には悪夢以外の何ものでもない。
「ネェルを呼べ! わたし自らアル様捜索の陣頭指揮を取る!」
わたしは軍人である以前に女なのだ。代将としての責任よりも、愛する人の安全を優先する! フィオレンツァごときにアル様を奪われてたまるものか!!
「……たきつけましたわね? お婆ちゃん。フィオレンツァが本当にその魔眼とやらを持っているのかわからないのに、大丈夫ですの?」
「くくく、問題ありますまい。魔眼の有無など、実際はどうでもよろしい。将兵や民草の憎悪は、できるだけ一カ所に集めておいたほうが都合が良いですからのぉ。せっかく彼奴が悪役を買って出てくれたのですから、乗らねば損というものですじゃ」
「なるほど、勉強になりますわぁ……」




