第690話 くっころ男騎士と二度目の誘拐
気がついたときにはもう既に夜は明けていた。ゆっくりと目を開き、周囲を観察する。どうやら、僕は幌馬車か何かの荷台に放り込まれているらしい。丈夫な帆布製の幌の隙間から、冬の淡い日差しと冷たい風が入り込んでいた。
身体を動かそうとしても、イモムシのような無様な動作しかできない。手足を拘束されているようだ。
はて、どうして? そんな疑問が脳裏をよぎる。頭が妙にボンヤリしていた。しかも全身にひどい倦怠感がある。酒を浴びるほど飲んだ翌朝くらいのしんどさだ。つまりは最悪の気分ってことだが。
「アルベール! ああ、良かった。無事だったんだな!」
そんな僕に声をかけてくる者がいた。視線をそちらにむけると、そこにいたのはフランセット殿下だ。金属製の手枷足枷をかけられ、鎖で荷台に繋がれている。まるで輸送中の奴隷のような有様だ。
……彼女の心配げな表情を見て、やっと頭が回り始めた。そうだ、僕はまた敵の手に落ちたのだ。しかも、前回の誘拐事件の主犯であるフランセット殿下と一緒にである。
一騎討ちに勝利すれば穏当な形で事態を収拾できるのではないか、という僕の考えはメープルシロップよりも甘かった。継戦派のガムラン将軍が反発し、破れかぶれの攻撃を仕掛けてきたのだ。
あげくその混乱につけ込まれ、殿下ともどもフィオレンツァにさらわれてしまったのだから笑うしかない。お手本のような漁夫の利だ。
「本当にすまない。余が、君の腕を突いてしまったばかりに……」
殿下の視線は僕の左腕に向けられている。殿下のレイピアがブッ刺さっていた場所だ。もちろん今は剣は抜かれており、包帯でしっかりと止血処置されている。
……手当を受けた記憶は無いんだが、誰がやってくれたんだろうか? 殿下は身動きがとれないように拘束されているから、彼女ではあるまい。フィオか、あるいはその部下たちだろうか。
「まったく問題ありません。大丈夫です」
などと強がってはみたが、思った以上に僕は重傷であった。どうやら血を失い過ぎたらしく、頭も身体もうまく動いてくれない。おかげでフィオによる奇襲にはまったく抵抗できなかった。情けない限りだ。
もっとも、フランセット殿下に比べればこの程度の負傷などかすり傷に過ぎない。……なにしろ、彼女の右足の膝から下は完全に失われてしまっているのだ。
「僕のなどより、殿下のほうがよほど深刻でしょう。……聞きづらいことをおたずねしますが、そのおみ足は……」
「……ああ、あの薄汚い裏切り者の空飛ぶドブネズミのせいだ。弾が骨を直撃したようでね。手を尽くしたところでもう歩けるようにはならないだろうから、膿み始める前に斬ってしまえと。ハハ、手斧で薪割りのように、バン。それでお終いさ」
そう説明する殿下の顔色はもちろん優れなかったが、それでも引きつった苦笑を浮かべていた。まったく気丈なお方だな。
思い返してみれば、フィオレンツァの銃撃は殿下の脛を直撃していた。脛骨は粉砕骨折した状態だったものと思われる。これほどの損傷の再建は、現代の医療技術を持ってしてもなかなかに難儀をするだろう。
ましてやこの世界の医療水準はひどく未熟だ。とくに軍医連中ときたら手足の重傷と見るや即座に切断処置を行おうとする悪癖がある。殿下もその毒牙にかかってしまったのだろう。
「まあいいさ。一度は命を捨てようとした身だ、足の一本などどうということはない」
目に昏い光を宿しつつ拳を握るフランセット殿下。この言い草を見るに、どうやら一騎討ち敗北直後のくっころ状態からは脱しているらしい。生きる気力を取り戻している雰囲気だった。
むろん、その原動力はフィオレンツァへの復讐だろう。顔つきや声音ですぐわかる。死を求めるのも報復を求めるのも捨て鉢なことには変わりないが……どちらがマシかといえば、後者だろうな。
「……こほん。ところで、殿下。よろしければ現状について教えていただいてもよろしいでしょうか? 寝不足のせいか、どうにも昨夜の記憶が曖昧でして」
咳払いをして、話をそらす。こういう時は、下手に同情したりせず実務的なことを話したほうが良い。僕の経験上、安っぽい共感ほど人の神経を逆撫でるものはないからな。あえてそこに触れない、というのもケアのうちだ。
「昨夜のきみは明らかに意識が混濁していたからね……まったく、生身の腕を盾代わりに使うなんて。さてはきみ、バカだな?」
苦笑交じりに罵倒してから、殿下は深々とため息を吐いた。。その顔には深い自嘲の色が浮かんでいる。
「……まあいい。いや、良くはないが、ひとまず君の質問に答えよう。現状についてだったな。まあ、おおむね見ての通りだが」
「フィオレンツァ司教に何もかもかっ攫われましたか」
「ああ、見事な手際だったよ。少数の部隊を潜伏させ、戦場の混乱が頂点に達したタイミングで余と君の身柄を同時に押さえる……」
背中に当てられた拳銃の感触が脳裏によみがえり、喉奥から苦いものがこみ上げた。この僕が、あれほど用意に背後を取られるとは。
しかも、不覚を取った相手は兵士や暗殺者でもないフィオレンツァ司教と来た。疲れていたとか、重傷とか、そんなことは言い訳にならない。無様に過ぎる最悪の失態だ。
「王軍にしろアルベール軍にしろ、総大将を人質に取られれば身動きができなくなるからね。あとは夜陰に紛れて電光石火の遁走さ。ガムラン将軍も、ソニアも、手出しすることはできなかった」
「なるほど、初期段階での追撃と奪還は頓挫したと」
なるほど、我が軍による初期対応は失敗したか。いや、それが成功してたら僕たちがこうして幌馬車に詰め込まれているはずもないか。まだ頭がしっかり動いてないな。
「まったく、素晴らしい手並みですな。特殊作戦のお手本として未来永劫語り継ぎたいほどだ」
どうして助けてくれなかったんだ、とソニアを責めるのはお門違いだ。なにしろ、まだ戦争は終結していない。目の前の敵と戦いつつ、第三勢力によって浚われた総大将を奪還するなんてのは流石に無茶だろう。
夜戦によって、戦場は混乱のるつぼ状態となっていた。それを放置して僕の奪還を最優先に動けば、疲弊したアルベール軍はあっという間に瓦解してしまうかもしれない。
そのあたりを勘案すれば、ソニアは追撃命令を出したくとも出せない状況に陥っていたはずだ。彼女の判断は責められないな。
こちらに落ち度があるとすれば、それは僕の油断だろう。敵は王軍とフランセット殿下だけではないとわかっていたはずなのに、すっかりフィオレンツァの存在を見逃していた。
あげく二度までも囚われの身になってしまったのだから救えない。これじゃあ道化だ。馬鹿野郎め。
「……しかしまさか、フィオレンツァがこのようなことをしでかすとは。ああ、まったく。余はなんという女を重用していたのだ」
僕もたいがい最悪な気分だったが、殿下はそれ以上に辛そうな様子だった。泣き出しそうな表情で、何度も首を左右に振っている。
「余はヤツの甘言に耳を貸してしまった。その末路がこれだ! 歴史ある王国を叩き割り、ヴァロワ王家の権威を地の底に落とし、あげく好きな男に刃を突き立てた! 余は何をやっているのだ!」
子供のようにわめく彼女に、僕はかける言葉がなかった。しかし、それは本当に彼女だけの落ち度なのだろうか?
思い出すのは、昨夜見たフィオレンツァの部下たちだ。彼女らはみな、人形のように感情と意思が抜け落ちた表情と目をしていた。おそらく、薬物か何かで自由意志を奪われているのだ。
それと同様の手段で、フランセット殿下も判断能力を奪われていたのでは無いか? そんな疑問が、僕の心中にムクムクとわきだしていた。
実のところ、僕自身も彼女の術中に嵌まっていた可能性が高い。フィオレンツァと面会したはずなのに、その時の記憶がまったく思い出せないことがある。これはどう考えても不自然だ。
この違和感に気付いたのはごく最近のことだ。どう考えてもおかしいのに、これまでの僕はそれを不自然とも思っていなかった。それが却って僕の恐怖をあおり立てている。
「うふふ、無様ですねぇ殿下」
柔らかな声が僕の思考を遮った。荷台後部のカーテンが開き、冷たい陽光が差し込む。逆光を背負いながら荷台に入ってきたのは、そう、フィオレンツァだ。
「貴様……! よくもおめおめ余の前に姿を現せたものだなッ!!」
憤激するフランセット殿下。しかし、若き司教は艶然と微笑んでその怒りを受け流す。陰惨な陰謀を実行した策謀家にはとても見えない、ひどく穏やかな表情だった。
「負け犬の遠吠えを見るのは勝者の特権でございますから。ふふ、うふふ……本当に良いお顔ですね。ああ、情けない。ヴァロワ王家の末代がコレですか。うふふふふ、滑稽すぎて笑い死んでしまいそう」
「……! …………!」
天使のような笑みとともに吐き出された暴言に、フランセット殿下は言葉を失った。顔を真っ青にして拳を握りしめる。
「でもわたくし、殿下にはとっても感謝しておりますわ。貴方ほどよく踊ってくれる駒は他にありませんでしたので」
「やはり余を利用していたか、この外道め! 貴様だけは、貴様だけは許さん! この身が朽ち果てようと、貴様だけは必ず殺してやる!」
暴れるフランセット殿下だったが、いかに竜人とはいえ鉄枷をはめられた状態ではどうしようもない。罠にかかった小動物のように無駄な抵抗をするのがせいぜいだった。
「よく踊ってくれる駒、か。なるほどね。僕の評価はどうだい、フィオ。それなりに良い駒として働けたのかな?」
努めて不敵な笑みを浮かべつつ、そう言ってやる。聞きたいこと、言いたいことは山のようにあるが、それは心の奥底へ封じ込めておく。
今、僕がやるべき仕事は第一に友軍と合流してこの戦争の始末をつけること、そして第二にフィオレンツァをとっ捕まえてその真意を聞き出し、その上で司法にかけることだ。私情を優先している余裕などどこにもない。
「ええ、とっても」
頷くフィオレンツァの表情は、真冬のよく晴れた日の湖面のように穏やかであった。なんなんだろうか、これは。陰謀を成就させて得意満面、という雰囲気ではないし、さりとて自棄になっている様子もない。ただひたすら凪いでいる。奇妙な雰囲気だった。
「そいつは重畳。……で、そろそろネタバラシはしてくれるのかな? 正直なところ、君がなぜこんなことをしでかしたのかさっぱり分からないんだ。真意を聞かせてくれると嬉しい」
……まあ、いい。今はとにかく情報収集だ。幸い、幌馬車は今は停止しているようだからな。フィオレンツァを足止めして、時間稼ぎをしよう。上手くやれば逃げ出す隙が出来るかもしれないし、ソニアらの救出がやってくるかもしれない。
「そうですね。何も知らないままというのは可哀想ですし、そろそろ種明かしをしてあげましょうか」
そんなこちらの意図を知ってか知らずか、フィオレンツァは躊躇もせずに微笑み返してきた。なんだろう、やはりヘンだ。こちらが時間稼ぎを図っていることくらい、彼女らならすぐ予想できるはず。にもかかわらずなぜ僕の口車に乗ったんだ……?




