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第688話 くっころ男騎士と一騎討ち

  凍てつくような月の光が、白と赤で彩られた戦場を照らしている。いつの間にか雪は降り止んでいた。身を切るような寒風が吹きすさび、両軍の軍旗をはためかせている。

 僕のうしろには、戦意に燃えるアルベール軍将兵が。そしてフランセット殿下のうしろには、恥も外聞もなく逃げ散る王軍将兵の姿がある。あまりにも対照的な光景だった。


「これは余の始めたいくさだ。ゆえに、始末は余自身がつける」


 白い息とともに、殿下が宣言した。どう見てもこのいくさの勝敗はすでについているが、どうやら彼女はそれを唯々諾々と受け入れる気はないようだ。


「お見事な覚悟でございます、殿下。お付き合いいたしましょう」


「面倒をかける」


 軽く笑いつつ、殿下は剣を抜く。彼女の獲物は刺突に特化した細剣……レイピアだった。左手には盾代わりの短剣が握られている。

 小さく息を吐いてから、僕は自身のサーベルを抜剣した。寒さのせいで手がずいぶんとかじかんでいた。いつもと同じ気分で剣を振り回していたら、柄がすっぽ抜けてしまうかもしれない。注意が必要だ。

 既に名乗りは終えているから、僕たちはどちらからともなく前に出た。雪を踏みしめる音が、妙に耳に残る。三メートルほどの間合いを取って、僕たちはお互いに足を止めた。


「……その頬の傷、大丈夫なのか?」


 さて、仕合おうか。そう思ったところで、殿下がふと口を開いた。どうやら、僕の負傷が気になるらしい。


「薄皮一枚が裂けただけです。この戦いでは、既に何千もの兵が命を落としている。一命は取り留めても、一生ものの障害を受けてしまった者も少なくない。彼女らの悲哀、痛みに比べれば、こんなものは傷のうちに入りますまい」


「……そうか、君は骨の髄まで武人なのだな。男の顔を傷つけるなど、なんて思ってしまう余のほうが誤りなのか。ふふ、ふふふ。この期に及んでようやく君の本質を理解出来たかもしれない」


 自嘲めいた笑いを漏らしてから、殿下は大きなため息を吐いた。


「しかし、戦場に立つ君は他のどんな男より美しい。正直なことを言うと、敗軍の将となった今ですら、なんとか勝利をもぎ取って君を自分のものに出来ないかという馬鹿な考えが頭にこびり付いて離れない。自分がここまで浅ましい女だとは思わなかったよ」


「男冥利に尽きます」


 お互いに笑みを向け合ってから、僕たちはゆっくりと剣を構えた。しかし、お互いすぐには仕掛けない。

 すり足でゆっくりと動きつつ、間合いを測る。そこで突如突風が吹き、地面に積もった雪を巻き上げた。煙幕でも張ったかのように視界が白く染まる。


「キエエエエエエエエッ!!」


 一撃で決める。強化魔法を発動し、僕は猿叫と共に地面を蹴った。地吹雪をかき分け、殿下に肉薄。全身全霊をかけてサーベルを振り下ろす。


「そう来ると思ったよッ!」


 しかし、全力の打ち込みはむなしく空を切った。殿下が素早いサイドステップで僕の突撃を回避したのだ。どうやら、僕のやり口は彼女も承知しているらしい。


「ふっ!」


 迅雷の如き速度で細剣の切っ先がこちらに迫る。すぐさま剣を返し、刺突を弾いた。青い火花が散る。切っ先は唸りを上げて僕の耳の横を通り過ぎていった。紙一重だ。

 かなりギリギリのタイミングだった。一瞬でも遅れていたら、僕の頭は串刺しにされていたことだろう。

 

「っと!」


 そのまま身体を回転させ、横薙ぎの一撃を見舞う。が、殿下はこれを左手の短剣で防御。そして舞うような足使いで鋭い刺突につなげてくる。。

 急いでバックステップ回避。雪で足が滑る。やりづらい。アイゼンでも履いてくれば良かったかな。いや、流石にそれは。


「チェスト!」


 地面を蹴り、再突撃を仕掛ける。大上段からの振り下ろしを、しかし殿下は軽やかに躱してしまう。二度もし損じた。足下が不確かなせいで踏み込みが足りなかったのか?

 いや、これは単純に殿下の剣の技量が優れているせいだ。その証拠に、彼女は回避とほぼ同時に細剣による猛攻を開始する。僕の攻撃は基本的に大振りだから、こうしたカウンター戦術とは相性が悪い。慌てて逃げに転じる。


「軍略のみならず、剣技においてもこれほどとは。まったく、君という男は空前絶後の存在だろうね。いち軍人の視点から言わせて貰えば、嫉妬せずにはいられない」


 あげく、剣を振るいながらこのような長口上まで言えるのだから呆れてしまう。まだ息すら切れていないとは。こっちはすでにだいぶ消耗しているんだが。


「やるべき仕事を、はぁ、果たしているだけです」


 あー、しんどい。強化魔法が切れてしまった。全身筋肉痛で身体が重い。肺が痛い。しかしまだまだ敵は健在。やはり、只人(ヒューム)の身で亜人の優れた戦士に挑むのは厳しいな。長い虜囚生活のせいか、腕が鈍っているような感覚もあるし。

 対する殿下は余裕綽々で、息も乱れていない。これが種族と性別の差ってやつだ。おまけに、技量についても文句のつけようがない。特に回避のセンスが素晴らしい、僕の吶喊をこうもヒラヒラと避けられる剣士などそうはいないぞ。


「キエエエエッ!!」


 体力差を考えれば、長期戦は不利だ。彼女の細剣をはじき返し、そのまま三度突撃を仕掛けた。もちろん、苦し紛れの攻撃でやられる殿下ではない。あの舞うような身のこなしで、さらりと僕の剣を躱してしまう。

 だが、これはフェイントだ。反撃として震われた横薙ぎの一閃を身をかがめて避け、そのまま足払いを仕掛ける。正面攻撃が通じないならば搦め手を用いるまでだ。


「ハッ!」


 が、殿下はこれを空高く飛び上がって避けてしまった。そのまま僕の頭上でくるりと宙返りし、背後に着地する。おいおいおい、勘弁してくれ。どういう身体能力だよ。


「ちぃっ!」


 さっと振り返り、刺突をサーベルで弾く。攻め手はすべて防がれ、打つ手無し。防戦一方だ。そして、攻めるにしても防ぐにしても避けるにしても、足下の雪がとにかく邪魔だ。滑りまくって動きづらい。踏ん張りも利かない。

 視界の端に観衆が移る。ソニアが剣を握ってこちらに乱入しようとしていた。それをダライヤが全身を使って抑えている。あの体格差でよく引き留められるものだ。なんだか滑稽な気分になり、思わず笑みが漏れる。


「せぇいッ!」


 更なる強烈な刺突! くるりと回って回避するが、肩口に掠った。防寒コートが切り裂かれ、鮮血が舞う。


「ッ!?」


 斬られた僕よりも、斬った殿下のほうがよほど痛そうな顔をしていた。男の身体を傷つけたことに罪悪感を抱いているのだろう。やはり、優しい人だ。

 こんな人がなぜこのようなくだらない戦争を始めてしまったのだろうか。やはり、フィオレンツァが? いや、しかし、なぜフィオが……。


「くっ!」


 戦っている最中だというのに、余計な考えばかりが脳裏を巡る。戦況はもう防戦一方だ。殿下の舞踏のような剣技に、僕は逆転の一手を見つけられずにいる。閃く連続攻撃をサーベルで弾き、避け、後ろに下がり続ける。

 さて、どうしようか。強化魔法はあと一度だけ使える。カウンターを狙えるタイミングでこれを用い、強引に勝負を決めてしまおうか?

 ……いや、駄目だ。殿下は明らかに手練れの剣士、そんな見え見えの策には引っかからない。ここは相手の予想外の手で攻める必要がある。


「うっ……」


 背中が何かに当たった。馬を防ぐための柵だ。これ以上の後退は出来ない。まさに背水の陣、つまりはチャンスだ。


「セイヤッ!」


 むろん、この隙を逃す殿下ではない。トドメとばかりに強烈な刺突を繰り出した。迫り来る剣先。回避は不能、だが問題は無い。僕はこの瞬間を待っていた。


「ぐっ!」


 僕はそれを、左手の前腕で受け止めた。ちょうど、橈骨と尺骨と間に刀身を挟み込む形だ。死ぬほど痛いが、致命傷は避けられた。吹き出た鮮血が僕たちと足下の雪を塗らす。


「なっ……!?」


 流石の殿下もこれには顔色を失った。まさか、自らの身体を用いて防御するとは思わなかったのだろう。そしてこの驚愕が彼女の敗因となった。


「勝負あり、ですな」


 彼女の喉元にサーベルを突きつけ、僕はニヤリと笑う。殿下が剣を抜くよりも、僕のサーベルが彼女の首を落とす方が早い。文字通り、肉を斬らせて骨を断った形であった。


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