第686話 覇王系妹とシスコン系妹
冬の月が、凍てつくような光で戦野を照らし出す。相対する二陣営の騎兵隊、掲げる旗は奇しくも同じ紋様――そう、この戦いはスオラハティ家の内紛でもあったのです!
わたくし様の二番目の姉、マリッタ・スオラハティは愚かにも王太子陣営へと着きました。そのあげく、妹たるこのわたくし様の前へと立ち塞がったのです! ああ、なんたる悲劇!
慈悲深きボケナスであらせられるアレクシア先帝陛下は、姉妹同士で骨肉相食む事態を避けるべく、わたくし様に後退を命じられましたが、まさかそれに従う訳には参りません。
なにしろ一番槍の栄誉を他の者に譲るわけにはいきませんからねえ! このいくさで派手に手柄を稼がないことには、わたくし様の欲しいモノ……アルベールやら王冠やらはどんどんと遠のくばかりですもの。マリッタ如きに邪魔されちゃたまったものではありませんわ!
「スオラハティの旗を誇示しなさい! わたくし様と母と姉に同時に反抗した阿呆に、我々の正統性を見せつけるのです!」
わたくし様の騎兵隊は、皇帝軍先鋒からさらに先行して敵陣へと近づいていきます。もちろん、軍旗を掲げることも忘れません。凍り付いた戦場にバグパイプの音色が響き、ヴァルマ・スオラハティここにあり! と激しく主張しておりました。
敵の数は騎兵が千、軍旗から見てマリッタ配下の部隊でしょう。もちろん阿呆姉の手勢は千もおりませんから、王太子殿下の靴を舐めて貸してもらった配下でしょうね。
ちなみに、わたくし様の手勢はせいぜい百程度。むろん全員が一騎当千のつわものですが、一対十の戦力差で正面から殴り合うのはいささか厳しゅうございます。
それがわかっていてなお、わたくし様の騎兵隊は主力から離れてぐんぐんと突出していきました。アホクシア先帝陛下が後方でなにか喚いておりますが、もちろんガン無視でしてよ。
「敵の一部が主力から分離いたしました! こちらに接近する模様!」
副官の報告に、わたくし様はほくそ笑みました。本隊を差し置いてこちらに近づいてくる一隊が掲げている旗には、わたくし様の掲げるものと全く同じ紋様が描かれております。そう、出てきたのは我が姉マリッタだったのです!
「うふふ、餌に食いつきましたわね~? 相変わらず単純な女ですわっ!」
わたくし様がこうして前に出れば、マリッタは必ず応じてくれると信じておりました。姉妹の絆というヤツですわ。指揮官たる阿呆姉を誘い出してしまえば、あとは煮るなり焼くなり自由自在でしてよ~!
「やはり現れたな、ヴァルマ! 火事場泥棒は貴様の得意技だものな、必ずこのタイミングでやってくると思っていたぞ……!」
敵部隊の先頭に立つ騎士が、サーベルでこちらを指し示しつつそう叫びます。どうやら、やはりマリッタ本人が出てきたようですわね。
わたくし様は配下の者どもにいったん前進を停止するよう命じました。このまま問答無用でマリッタの首を取りに行く、という選択肢もありはしますけれど、そういうのはわたくし様の趣味ではありませんもの。
「皇帝軍の来襲を予想し、すぐに迎撃できる場所に陣を張っていたと。なるほど、流石はわたくし様の姉ですわ~! 素晴らしい戦術眼でしてよ~!」
自らも愛馬を止め、極力にこやかに応じます。
「けれども、戦略眼のほうはダメダメですわね~! 敗北必至の王太子軍につくなんて、まったくマリッタお姉様のおめめは節穴かしら~? ガバガバなのはアソコの穴だけにしていただきたいですわね~!」
「裏切り者がよく言う……! スオラハティはヴァロワ王家の臣下だぞッ! 王家の危機にはせ参じるのは当然のことだ!」
「裏切り者はマリッタお姉様のほうでしょう? ソニアお姉様も、わたくし様も、そしてお母様も! スオラハティ家のほとんどはアルベール軍陣営についております。例外はあなたの一党だけでしてよ~?」
びしりと指で指し示しながら指摘してあげますと、マリッタはぐっと押し黙ってしまいました。どうやら、阿呆姉にも自分が孤立している自覚はあるようですわね。
「そもそも……そもそも、ですわよ? お姉様は、どうしてこんなところにいらっしゃるのかしら? 申し訳ありませんけれど、お姉様は布陣場所を誤っていらっしゃいましてよ~?」
「ハァ? なにを言っている。実際、お前達はこうして我々の眼前に現れたではないか。どこに誤っているところがある」
馬鹿にしきった様子で反論してくるマリッタですけれど、問題はそんなことではありません。わたくし様は深々とため息を吐き、額に手を当てて左右に首を振りました。
「でも、この戦線にはお姉様の大好きな二人……アルベールもソニアお姉様もいらっしゃいませんことよ? あの二人のお相手を、アンポンタン王太子に丸投げして大丈夫ですの? よしんばこのいくさに勝ったとしても、二人を打ち倒したのが王太子ではマリッタお姉様が口を挟む余地は無くなってしまいますわよ?」
一息にそこまでしゃべり、わたくし様はいったん言葉を句切りました。マリッタは呆けたような目つきでこちらを見ております。よほど、わたくし様の指摘が予想外だったのでしょう。
「ああ、申し訳ありませんわ。マリッタお姉様としてはむしろそれは望むところかもしれませんわね? なにしろ、お姉様はアルベールやソニアお姉様から逃げ出してこんなところで一人ウジウジしていたのですもの」
ニヤッと笑ってそう指摘してやりますと、マリッタはひどくショックを受けた様子で顔を引きつらせました。図星……ですわね?
隣で副官が「部下千人を連れて一人でウジウジしていたのか……」なんて呟いておりますけど、それは完全に無視して言葉を続けます。
「○袋なしのお姉様に、あの二人と真正面から向き合って戦う勇気なんてありませんものねえ? 背後からの奇襲にそなえ、迎撃準備をしておく……なんとも都合の良い言い訳ですわっ! うふふ、お姉様はこういう自己正当化だけは昔から得意でいらっしゃるものねえ!」
「きさ、貴様、さっきから黙って聞いていれば、愚弄するにもほどがあるっ! このワタシがお姉様から逃げただとッ!? どう勘違いしたらそんな恥知らずな勘違いが出てくるのか、貴様の頭蓋を割って確かめて……」
「でもよろしくってぇ? アルベールの対処をあの好色王太子に任せていたら、あの男は王太子のモノにされてしまいますわよ? 心の底から好いたオトコが力尽くで主君のモノにされ、彼女の色に染め上げられてしまう……そんな状況が、マリッタお姉様に耐えられるのかしら?」
反論を完全に無視してそう言い放ってあげますと、マリッタはまた黙り込んでしまいました。もちろん、わたくし様の指摘したようなことについて、彼女がまったく考えていなかったという訳ではないでしょう。マリッタにだってそのくらいの頭はありますわ。
むしろ、耐えがたい未来予想だったからこそ、思考に蓋をして考えないようにしてしまっていたのでしょう。この女には、昔から嫌なことがあるとすぐにこうして思考停止してしまう悪癖があります。
「ソニアお姉様も、負けたからにはタダでは済みませんわ。良くて戦死、悪くて罪人としての処刑! あなたがいくら弁護しても無意味ですわ。これほどの大反乱ですもの、王太子としても甘い対応はできません」
「……」
一言も喋れないマリッタに、彼女の配下達が動揺しはじめます。うふふ、すっかりわたくし様の手の平の上で踊ってくれてますわね~! 気持ちいいですわ~!
「当のお姉様は……ま、それなりに重用されるでしょう。功臣ですものね? 王太子自らが選んだ、家柄が良くて貞淑でお美しい令息と結婚させてくれるやもしれませんわね? クスクス、あなたの好みとは正反対の、お可愛い軟弱な男の子とね……!」
いくらわたくし様でも、姉相手にここまで言ったことは初めてです。いやぁ、本当に最高の気分ですわ。
「みじめ! なんたるみじめな人生でしょう! 可哀想ですわ~! わたくし様なら、すぐ出奔して出家しちゃいますわ。愛するオトコを目の前に吊るされた状態でそんなオトコと結婚させられるなんて、最悪すぎますもの。一生自分の右手を恋人にしていた方がよほどマシですわ~!」
「何が言いたいんだよ、お前はぁ! そんなにワタシの事が嫌いなのか……!」
マリッタお姉様はすっかり半泣きです。うひひひ
「事実を指摘しているだけですわ~! 本当に欲しいモノに手を伸ばそうとせず、膝を抱いて現実に背を向けているアホな姉にはお似合いの結末でしょう。十割自業自得でしてよ~!」
いや、本当に自業自得ですわ。今のわたくし様に罪があるとすれば、それは事実陳列罪だけだと思います。
しかも、わたくし様が語ったのはあくまで王太子が勝利する未来の話。現実には、勝つのはアルベールのほうでしょう。マリッタに待つ未来はこれよりも遙かに過酷なものとなる可能性が高いでしょうね。
「だから言ったのです、布陣する場所を間違っていると。お姉様は、王太子を押しのけてでも主戦場に向かうべきでした。そこでアルベールとソニアを打ち負かし、自らの手で保護するべきだった。それをやらなかった時点で、マリッタお姉様は紛うこと無き負け犬! 敗北者でしてよ~!」
「お姉ちゃんに対してなんでそんなひどいこと言うの……」
マリッタ、完全敗北。もう完全に泣いてますわ。部下がドン引きしてましてよ?
「馬鹿姉! 今からでも遅くはありませんわっ! こっちへ付きなさい! 三姉妹揃って、一人の男を共有する! 悪くない未来でしょう? しかし、他にもアルベールを狙うオンナは多い……いくらわたくし様でも、すこしばかり分が悪いのです。力を貸しなさい、マリッタ!!」
迫真の表情でそう叫ぶと、マリッタの表情が少しだけ明るくなりました。どうやら、わたくし様の提案に希望を覚えている様子。
まったく、我が姉ながらなんて阿呆なんでしょう。自分でも後ろめたく感じるような事ばかりしているから、こんな猿芝居に乗ってしまいそうになるのです。ソニアの阿呆もこういう所はありますし、やはりアホ姉二人にはわたくし様の監視と指導が必要ですわね。
「しかし、そんな、ここまで来て裏切りなど……」
しかし、マリッタは未だに躊躇がある様子。でも、あと一押しで転びそうですわね。部下たちが血相を変えて「聞く耳を持つな」と進言しているにもかかわらず、それら一切が聞こえていないみたいですし。
「裏切り? 結構ではありませんか。恋と戦争においてはあらゆる手段が正当化されます。悪徳上等! 最後に笑うのは高潔な敗者ではない! 全てを手に入れた勝者でしてよ!」
「勝者……」
「馬鹿姉! これが最後の機会です。ともに勝利の美酒を味わいましょう! こっちへ来なさい! ともにアルベールのところへゆくのです!」
そこまで言って、やっとわたくし様は口を閉じました。ここまで来たら、もう言葉は不要。姉の決断を待つばかりです。マリッタはしばし考え込み、そして……
「…………うう、畜生。ワタシは馬鹿だ、特級の馬鹿で恥知らずだ。でも……妹と殺し合うくらいなら、姉と兄を失うくらいならッ! 恥知らずになったほうがまだましだッ! いくぞ、敵は本陣にありッ!!」
馬を百八十度回頭させ、剣を掲げてそう叫びました。ええ、わたくし様の無血勝利ですわ。うふふ……。
「スオラハティ三姉妹はみんな違ってみんな駄目だ……」
などとほくそ笑んでいたら、副官のそんなつぶやきが耳に入りました。彼女を蹴っ飛ばしてから、わたくしは愛用の斧槍の切っ先を敵陣へと向けました。
「我が姉に続きなさい! 攻撃開始!」
やれやれ、単純な姉で助かりましたわね。わたくし様としても、さすがにマリッタは斬りたくありませんでしたし。ま、たぶん向こうも同じ事を思ってたんでしょうけど。
なにしろ、決戦の最中にソニアとアルベールから逃げたような情けないオンナですものね。家族を手にかけるような度胸は最初からありませんわ。そういう意味では、わたくし様が前に出た時点でもうマリッタの心は折れていたのかも知れませんわね……。




