第684話 くっころ男騎士の苦戦(2)
一度は壊乱の危機に陥った王軍ではあったが、フランセット殿下の陣頭指揮を受け前線の指揮統制は徐々に回復しつつあった。王軍将兵の組む密集防御陣形は強固であり、猛攻撃を仕掛けてもなかなかに破れない。気付けば、戦闘は膠着状態に陥っていた。
「王軍も存外に手強い……!」
前線では、密集陣形を組んだ彼我の槍兵が壮絶な突き合い打ち合いを演じている。火器が普及しはじめた近ごろの戦場では久しく見られなかった光景だ。
これは少し想定外の状況だった。なにしろ、密集陣形を用いた白兵戦というのはどちらかの戦列が崩れるまでそうそう決着がつかない。とにかく時間のかかる戦いなのである。
敵軍が士気崩壊を起こせば、こうした組織的抵抗は起きないはずだった。実際、最初の攻撃では王国兵は戦列すら組まずに逃散している。ところがここに来て、王軍は完全に戦意を取り戻してしまったようだった。
「退くな! 押し返せ! 君たちがここで敗れれば、君たちの故郷はあの蛮族どもの手に落ちることになる! それが許せるか!」
そんな檄が敵陣の方から聞こえてくる。フランセット殿下の声であった。
「郷土愛に訴えかけるとは。なるほど、この土壇場でよく頭が回るものですね」
そう呟くソニアの声は悔しげだ。すぐそこにある総大将の首になかなか手が届かないこの状況が歯がゆいのだろう。
「エルフどもの脅威はすでに王軍将兵らにも知れ渡っている。それが逆に彼女らを奮起させているんだ」
現在、最前線で白兵戦を演じている我が軍の部隊は、竜人を中心とした槍兵隊だ。にもかかわらず、敵陣から聞こえてくる罵声は
「蛮族風情に屈するな!」
とか
「エルフの魔手から故郷を守れ!」
などというものが多かった。王国兵たちはあきらかに主敵にエルフを据えている。彼女らの暴れぶりがそれだけ象徴的だったのだろう。
それで怯えてくれるのならやりやすいのだが、王国兵は「こんな野蛮な連中を野放しにしていたら自分たちの故郷が危ない」と奮起している。フランセット殿下も、意識的にこの義憤を煽っているようなフシがあった。
この郷土愛が敵軍の奮戦のカラクリだろう。昼間の無謀な突撃戦で王国将兵の王室尊崇の念は薄れているだろうが、自らの故郷を守るためならば頑張れてしまうということだな。
「そんなにエルフが嫌いなら、お望み通りエルフをぶつけてやれば良いではありませんか」
ソニアは唇を尖らせつつ言いつのる。現在の我が軍の陣形は先ほどまでとまったく変わっておらず、竜人中心の諸侯軍を前衛に据え後衛のエルフ隊が弓矢魔法でそれを援護する形のままだった。
むろん当のエルフとしてはこの采配には不満があるようで、ことあるごとに前に出ようとする。しかし僕はそれを決して許しはしなかった。
「バカを言うでない。こんな身動きの取れない戦場では、エルフの持ち味はまったく発揮できんぞ。エルフ隊を前衛にしても、余計な損害が出るばかりじゃ」
いきり立つ副官をなだめるのはダライヤだ。彼女は呆れたような表情で戦場の左右に目を向ける。そこには、平行する形で掘られた二本の塹壕線がある。
「エルフ兵の本領は敵を翻弄する遊撃戦じゃ、今回のような腰を据えての殴り合いにはまったく向かん。体格と体力の差がモロに出てしまうからのぉ」
自らの身体を指し示しつつ、ダライヤは皮肉げに笑う。このロリババアはかなり極端な例だが、エルフは基本的には華奢な人種だ。大柄で骨格も丈夫な竜人と正面から戦うのは少しばかり厳しいのである。
ましてや、今の戦場はたいへんに狭い。迂回して敵の側面や背面を突こうとしても、塹壕が空堀のように機能して上手くはいかない。選択できる戦術は正面突破だけだった。
「むぅ、しかしこのままでは……」
口惜しげにほぞを噛むソニア。彼女の声には僅かな焦りの色があった。時間を浪費すればするほど我が方が不利になることを承知しているからだ。
なにしろブロンダン旅団は敵中奥深くに切り込みすぎている。今はまだ正面にしか敵はいないが、王軍が本格的な反撃に転じれば四方八方から袋だたきにされてしまうだろう。そうなれば一巻の終わりだ。
いやはや参ったね。少しばかり、敵軍の粘り強さを見誤ったかもしれない。昼間あれほどの消耗戦を演じておきながら、ここまでの士気を維持しているとは。
「じきに援軍がやってくる! そこまで耐えれば我らの勝ちだッ!」
朗々とした声でフランセット殿下が叫ぶ。遠くまでよく届く、指揮官向きの声質だ。乱戦中にこそ効果を発揮するたぐいの将才だな。正直なところ、かなり厄介だ。
「前線の兵士にこれ以上頑張れと言うのも酷だしな……さて」
どうしたものか、とは口に出せなかった。指揮官が迷っている姿を部下たちに見せるわけには行かないからだ。
兵士達はすでに十分な力戦をしている。ここからさらに押し込むというのは、兵士個人の努力だけでは絶対に不可能だ。なにか外科的な方法を用いないことには事態の打開は不可能だろう。
ああ、援軍が欲しい。ジェルマン師団がここで再攻勢を仕掛けることができれば、敵軍の士気も完全に折れただろうに。
しかしそのジェルマン師団は昼間の戦いで極めて大きな損害を受けており、もはや組織的な戦闘力を残していない。二線級の部隊で王軍本隊の攻撃を防ぎ続けたわけだから、当然のことである。
ならば、ジルベルト率いるプレヴォ旅団はどうか? ……残念ながら、こちらも厳しい。むろんズタボロのオレアン軍に遅れを取る彼女らではないが、流石にいきなり攻撃を切り上げてこちらの援軍に向かうのは難易度が高すぎる。
いかな精鋭とはいえ、反転中に攻撃を浴びればひとたまりも無い。その上、この暗夜では伝令や手旗信号を介した情報伝達にも困難が生じる。有機的な連携などとても取れないだろう。
さて、さて、さて。こりゃ参ったな。どうやら、チェックメイトにはまだあと一手が足りないようだ。しかし、僕の手元にはもう一枚の手札も残されてはいない。このままではじり貧だぞ、なんとか打開策を考えねば……
「ッ!?」
などという考えが脳裏をよぎった、その瞬間である。敵陣の遙か後方で凄まじい閃光が弾けた。それから数秒おいて、今度は鼓膜を突き破りそうなほどの轟音が僕たちを襲う。
騒然としていた戦場が、一瞬静まりかえった。敵も味方も混乱し、戦いの手を止めている。それほどの爆音であった。どうやら、何かが大爆発を起こしたようだ。
「なんだ、今のは。味方の砲撃ではないようだが……」
光と音の時間差から見て、爆発が起きたのはここから数キロ以上離れた地点のようだ。我々の八六ミリ山砲は射程が短く、それほど遠方まで砲弾を飛ばすことはできない。
いや、そもそも爆発自体が小口径榴弾などとは比べものにならないほどの大きさだった。五百キロ以上の航空爆弾とか二○三ミリ重榴弾とか、そういう規模の兵器を使ったときの爆発に近い。
「うかつな敵砲兵が装薬でも誘爆させたのでしょうか?」
「かもしれん」
それくらいしか考えられないよなぁ? と首をかしげていると、今度は遠くから不思議な音色が聞こえてくる。今度は爆発音ではない。何かの楽器を奏でいるようだ。
「……ん? これは」
そこで僕はピンと来た。間違いない、これはバグパイプの音色だ! ソニアの故郷、北方領でよく聞かされた竜人の民族楽器……!
「そうか、とうとう奴らが来たか!」
戦場でバグパイプを奏でる連中など、僕は一人しか知らない。そう、ソニアの妹ヴァルマ・スオラハティである。間違いない、あの爆発はヤツの差し金だ。
「ソニア、ここからは競争だ。ここまで追い詰めて、肝心な手柄を持って行かれたのでは面白くない! 行くぞッ!」
一も二もなく、僕は軍旗を担いで走り出した。目指すは最前線、敵陣のまっただ中だ。なにしろ、王国兵は後方で起きた大爆発であっけにとられている。仕掛けるならば今しかない!
「大将首は我らのものだ! 総員、吶喊せよッ!」




