第682話 くっころ男騎士と悪鬼の行進
王軍陣地の西側に対する強襲は成功したが、少しばかり上手くいきすぎた。逃げる兵士たちが一カ所に集中し、群衆雪崩を起こしてしまったのだ。
二本の塹壕線に挟まれた細長い戦場、その東側の一方が大量の人間によって物理的に閉塞されてしまったわけだ。僕たちは進撃を一時停止し、折り重なって倒れる王国兵らの救助を始めた。
「遺体と瀕死の者は脇にどけるだけでいい! 自力で動ける者は武装解除してそこらへんに放り出せ!」
もっとも、今は戦時で僕たちは敵味方である。人道的な扱いなどとてもできず、その作業は救助というより撤去という方が正しいほど荒っぽいものだった。
王国兵の中にはしっかり手当してやれば助かりそうな者も大勢いたが、もちろん僕たちにそんなことをしている余裕などどこにもない。取れる対応は放置だけだ。
捨て置かれ衰弱していくままの彼女らの姿はひどく憐れで罪悪感を誘うものだったが、それでも僕は作業に当たっている者たちに介錯以外の慈悲を禁じた。これ以上余計な時間をかけていたら、今度は我々のほうが戦野に無残な骸を晒す側になってしまうからだった。
「あ、足が折れてるんだ。歩けないんだ! やめてくれ!」
「知るかボケッ! 歩けないなら這って行け! じゃなきゃ死ねッ!」
「貴様、負傷者に対してなんてことを言ど! 人ん心は無かとな! そこんお前。安心せぇ、いま俺が楽にしてやっ!」
「あっ、おいバカやめろ! ……なにボーッとしてやがる! 早く逃げろッ! そう長くは抑えられんぞッ!」
そんなやりとりがあちこちから聞こえて来て、僕の心を陰鬱にさせた。
何が嫌って、実際のところそれほどの抵抗感も生理的嫌悪も湧いてこないのが一番嫌なんだよな。自分が人の心を失ったような気分になる。いや、そもそもそんなもの最初から持ち合わせていないのかも。
「アル様、救助作業はあと十分以内に完了するようです。各部隊にも進撃再開に備えて準備するように通達しておきました」
「ご苦労」
もっとも、人でなしは僕だけではないようだった。誰もかれもがこの異常極まりない状況に慣れ、普段通りの態度で仕事をしている。例外は戦場の狂気に飲まれて異様なテンションになっている一般兵たちくらいのものだ。
「これ以上敵に時間を与えたくない。そろそろ詐術もバレている頃だろうしな」
北岸にエムズハーフェン旅団を送って皇帝軍の増援に偽装する作戦も、既に敵には見破られているとみるのが自然だ。なにしろ相手はあのガムラン将軍だ。いつまでも手のひらの上では踊っていてくれない。
とはいえ、手品の種が割れたからといって即座に敵軍すべてが冷静さを取り戻すというわけではない。いくら指揮官が詐術を看破したところで、末端の兵士たちにそれを周知するのは容易なことではないからだ。
「そうなると、反撃はかえって苛烈になりそうですね。王軍もいよいよ追い込まれておりますし、ここで跳ね返せねば敗北は避けられません」
真面目に受け答えしつつも、ソニアは心配そうな様子で僕の顔をチラチラと見ている。そんなに顔の傷が気になるのだろうか? もう血は止まっているようなのだが。
「メンツもある、むこうも必死だろうな。フランセット殿下自身が前に出てきてもおかしくないぞ」
大丈夫だよ、という気持ちを込めて笑いかけると、ソニアはため息を吐いて「指揮官先頭は悪い文化だと思うのです」などと返してきた。隣のダライヤまでが僕にあきれの目を向けている。
「だからこそ、こんなところで足止めを食らっている現状は許しがたいのですが。まったく、あの阿呆どもめ。作戦が終わったらしっかり報いを受けさせてやる……!」
憤懣やるかたない様子で、ソニアが後方の味方戦列を一瞥した。そこには、下馬戦闘の準備をしている騎兵隊の姿があった。
これ以降の戦いでは騎兵の機動力は不要になる。彼女らは歩兵隊の補助として用いる予定なのだ。
そしてもちろん、その中にはくだんの命令違反先走り阿呆若年騎士どもも混ざっている。あのボケナスのせいで作戦の予定が狂ってしまったのだ。ソニアの怒りも当然だろう。
僕自身、彼女と同様の憤りは抱いている。余計な死傷者を出すのも、作戦中に任務に反する行動をするのも、将校としてはあるまじき行為だ。断じて許せるものではない。
「なに、この程度の”想定外”なんて日常茶飯事だ。全て予定通りに進むつもりで作戦を立てる方がよっぽど問題だよ」
とはいえ、今はそんなことに思考を割いている余裕などないのだ。僕はコホンと咳払いをして、視線を周囲に向ける。ちょうど、一人の伝令がこちらに駆け寄ってきたところだった。
「山砲隊の配置が終わりました。いつでも前進支援射撃を始められるとのことです」
なるほど、砲兵隊の展開が完了したか。進軍停止も悪いことばかりではない。足の遅い砲兵隊が前線にたどり着いたのだ。これにより、我々は砲兵の支援を受けながら前進することが可能になった。戦いはずいぶんやりやすくなるだろう。
「たいへん結構。砲兵たちには『背中は任せた』と伝えておいてくれ」
もっとも、砲兵支援はメリットばかりではない。その弾が敵に向かって飛んでいるぶんには良いのだが、まかり間違ってこちらの背中に当たったりすればたまったものではないからだ。
むろん我が軍の砲兵の練度には信頼を置いているが、今は夜だ。正直なところ誤射を受けそうでとても怖い。
「閣下、王国兵どもの撤去……もとい、救助が完了いたしました」
そして、それに続いて待望の報告もやってくる。ほっと安堵の息を吐き、前方に目をやった。
あいかわらずあちこちで人が倒れているが、まあ進めないことはない。状況的には一分一秒も無駄にしたいところだし、そろそろ進軍を再開すべきだろう。
……とはいえ、しかし。死者も重傷者も関係なくそこらの塹壕に投げ込んだだけのこの状況を"救助完了"と称するのは如何なものだろうか?
むろん、好きでこんな外道行為をしているわけではない。今の我々に自力で動けないほどの負傷をした敵兵を治療してやるほどの余裕はないし、そもそもこの世界の医療水準では手当てをしたところで大抵は助からないのである。
だから見捨てる。これは仕方のないことだから。……それだけでスパッと割り切れてしまうおのれ自身がどうにも嫌いだ。はぁ、ヤンナルネ。
「よろしい。旅団の全部隊に通達! これより敵本陣を目指し進撃を再開する!」
軍旗を高々と掲げながらそう宣言すると、兵士たちは即座に鬨の声を上げてそれに応えた。意図せぬ停滞で戦意に冷や水をかけられたのではと心配していたが、どうやら問題ないようだな。
むしろ、戦意が高すぎるのも考え物だ。調子に乗って暴走する者が出てくるからな。そういう意味では、頭を冷やす機会を得たのは幸いだったかもしれない。
どこへ駆け出すかわからない暴れ馬を駆ってガムラン将軍と戦うなんて絶対に御免だ。少しは大人しくなって貰わねば困る。
戦況は明らかに我が方優位だが、戦争は最後の決着がつくまでは絶対に油断するべきではない。対手が知将と呼ばれるほどの人物ならなおさらだ。
「今回の戦いは大勝したが、敵はこの隙に態勢を立て直しているはずだ。次の戦いはこれほど容易ではないぞ、気合いを入れろ!」
「オーッ!!」
兵士たちは槍や剣を掲げ、威勢の良い声を上げた。惨劇の現場にはふさわしくない陽気な声音だ。まさに戦争って感じだな。悪趣味なことに、僕はこういう雰囲気が嫌いではなかった。
「全隊、前進開始!」
憐れな戦死者たちの骸を踏みしめ、僕たちは前へと進む。まるで悪鬼の群れが行進しているようであった。




