第681話 王党派将軍の対処
「ブロンダン卿が軍旗を掲げながら直接殴り込みに来たぁ!?」
その報告を聞いた私、ザビーナ・ドゥ・ガムランは、あまりの驚きに腰を抜かしかけた。よりにもよって、総大将が先陣を切って襲いかかってくるとは。流石の私もまったくの予想外であった。
「どういうことだ、ガムラン! なぜアルベールが……!? 出てくるのはエムズハーフェンという話では……」
フランセット殿下が狼狽も露わに私の肩を掴んだ。見苦しい態度だが、傍から見れば私も同じくらい動揺しているかもしれない。
実際のところ、王軍本陣が強襲を受けること自体は想定の範囲内だった。しかし、それはあくまで予備部隊として温存されていたエムズハーフェン旅団が投入されるものだとばかり思っていた。
それがどうだ。現実にやってきたのはエムズハーフェン選帝侯ではなくブロンダン卿で、しかも敵兵は歩兵が主力という話だ。頭の中に描いていた絵図とはずいぶんとかけ離れた状況となっている。
「……そうか、読めましたぞ。どうやら、ブロンダン卿はとんでもない詐欺師のようですな」
殿下の腕をやんわりと押し返しつつ、私は視線を北へと向ける。そこでは、赤々とした炎が天を焦がす勢いで火柱を上げていた。北岸宿営地が奇襲を受けてからすでにかなりの時間が経過しているが、火災は収まるどころかむしろ勢いを増しているようだった。
「殿下、北岸で暴れているのは皇帝軍などではありませぬ。アレはエムズハーフェン旅団です」
「なにっ!?」
フランセット殿下は衝撃を受けた様子で身を引く。しかし、その顔にはすぐに納得の表情が浮かんだ。
「そうか、そういう詐術か。北岸に騎兵隊が現れれば、我々はそれを皇帝軍と誤認する。そうやって我々の動揺を誘い、その隙に勝負を決めてしまおうというハラだな」
「さよう。皇帝軍もエムズハーフェン旅団も、騎兵が主体の部隊であるという意味では同じ。その上、両者ともに神聖帝国系の武具や馬具を用いておりますから、遠距離では判別がつきませぬ」
昼間の戦いにおいて、エムズハーフェン旅団は徹底的に温存されていた。アルベール軍が後退に次ぐ後退を強いられている最中においてすら、彼女らの旗が戦場にはためくことは一度としてなかった。
私はそれを決戦に投入するためだとばかり思っていたが、どうやらそれは大いなる勘違いだったらしい。彼女らはあくまで見せ札、本当の決戦戦力はブロンダン旅団そのものだったのだ。
私の時代の将はどうしても騎兵を主軸にモノを考えがちだが、どうやら彼にはそうした固定観念はないようだ。まさに自由自在の用兵術、私のような古い人間にはついていけんな……。
「ならば話は簡単だ。皇帝軍がまだ到着していないことを全軍に知らしめよう。総兵力では相変わらず我が方が優越しているんだ。動揺さえ収まれば、迎撃はそれほど難しいことではない」
「いかにもその通りです。兵どもの士気さえ回復すれば、恐ろしいことなど何もありませぬ。敵は総大将を先頭にして突出しておりますから、冷静な対処さえ出来れば煮るのも焼くのも思うがままでしょう」
ニッコリと笑って殿下の言葉を肯定してやったが、現実はまったく楽観できない。確かに盤面上の数字だけ見れば逆転は容易いように見えるが、一度崩壊した士気統制を取り戻すのは容易ではない。
「しかし、兵士どもを落ち着かせるのは生半可なことではありませんぞ。特に、敵が来襲した右翼側(西方面)は全面的な壊乱状態に陥っております。もはや、戦列を立て直すのは不可能でしょう」
我が軍の右翼は完全に崩壊しており、兵士も将校も関係なく蜘蛛の子を散らすような勢いで壊走している。
さらにその敗残兵どもがこの戦線中央にもなだれ込み、無傷の兵士たちにも恐怖と混乱を伝染させていた。現場の話では、逃亡兵に触発されて勝手に持ち場を離れる者も続出しているようだ。
怯えた兵隊など、いくら数が居ても何の役にも立たない。恐慌はタチの悪い伝染病のように軍全体を蝕み、あっという間に烏合の衆に変えてしまうのだ。こうなればもう軍隊は戦えない。
「幸いにも、ブロンダン卿の部隊はいったん進撃を停止しているようです。おそらく、奇襲が上手くいきすぎてしまったのでしょう」
夜戦の最中に大軍の統制を保ち続けるのは極めて困難だ。攻勢側であればなおさらである。こちらの全面壊走に付き合って野放図な追撃をしかければ、アルベール軍の手綱はブロンダン卿の手から完全に離れてしまうに違いない。
そうなってくれれば逆に楽だったのだが、ブロンダン卿は強い自制心の持ち主であった。逃げる相手に夢中になり、大きな隙を晒すような醜態は見せてくれないらしい。
「この猶予を生かさぬ手はありません。右翼はいったん切り捨て、迎撃態勢を整えましょう。まずは兵どもに落ち着きを取り戻させるのです」
「ああ、わかった」
頷いてから、フランセット殿下は少しばかり悩むそぶりを見せた。兵士たちを落ち着かせるといっても、どうすればよいのだろうか? そんな疑問を抱いたのだろう。
「……ここは、アルベールと同じ手を使うほかなさそうだな。余、自らが陣頭指揮を執り、ヴァロワの旗の下に再結集することを促すのだ」
「まさにその通りであります、殿下。我々の勝ち筋はその策の他に存在しないでしょう」
ここで「いったん引いて態勢を立て直す」などと言い出すような将には、兵士たちは決して従わない。不利に陥り、混乱している時こそ将帥は前に立たねばならないのだ。即座にこのような結論に至るあたり、やはりフランセット殿下は賢明なお方である。
「……ふぅ、致し方あるまい。どうせなら、まったく同じやり口をぶつけ返してやろうじゃないか。誰か、軍旗を持て!」
朗々とした声でそうおっしゃる殿下に、思わず笑みがこぼれる。状況は悪いが、最悪ではない。少なくとも、上司が無能ではないという一点ではかなりマシだ。
私は従士たちが動くより早く、司令本部の一角に飾られていた軍旗を自ら手に取った。青地に金の火吹き竜を象った、ヴァロワ家の家紋である。恭しい所作でそれを殿下に献上すると、彼女はそれを鷹揚に受け取り肩に担いだ。
「重いな、軍旗というヤツは。しかし、美しきパレア城に連中のあの味気ない十字紋旗は似合わない。あの城には、永遠にこの旗がはためいているべきなのだ」
そういって、フランセット殿下は旗竿をぐっと握りしめた。どうやら、覚悟を固められた様子だった。
「私もまったくの同感であります。殿下はまさに君主の鑑ですな」
「冗談じゃない、余はとんでもない無能だよ。この期に及んで、いまだにアルベールのことを諦め切れていないんだから……」
私にしか聞こえないくらいの声で、殿下は小さく呟かれた。そうか、殿下はまだあの男への未練を捨てていないのか。いや、しかし構うまい。女は諦めが悪いくらいがちょうど良いのだ。
「諸君! ヴァロワ王家の興亡はこの一戦にかかっている! この国の正統なる支配者が誰であるのか、叛徒どもにしっかりと教育してやろうじゃないか!」
一瞬見せた弱気を自信ありげな笑みで覆い隠し、フランセット殿下は軍旗を掲げてそう宣言した。私を含めた腹心たちは一斉に剣を抜き、その切っ先を天に向けながら「おう!」と応える。いささかヤケクソではあったが、みな戦意は十分あるようだ。
「では征くぞ、諸君! 王太子フランセット・ドゥ・ヴァロワ、これより出陣だ!」
こうして、我々の最後の決戦が始まった。




