第678話 くっころ男騎士の出陣
「始まったな」
北の空を焦がす炎と煙を見て、僕は思わず頬を緩めた。どうやら、エムズハーフェン旅団とフェザリア隊の奇襲は成功したようだ。
夜間野戦架橋なんて無茶が成功するのかかなり不安だったのだが、上手くいって良かったよ。アリンコ工兵隊はよく頑張ってくれた、戦後はよほど手厚く顕彰する必要があるだろう。
「派手にやっておりますね」
同じものを見ながらそう語るソニアの声にも安堵が溢れている。この北岸奇襲が博打めいた作戦であることは明らかであり、ソニアは計画時点ではこれに反対していたのだった。
確かに、彼女の主張にも一理あった。この作戦は夜間架橋などという無茶が成功することが前提であり、浮き橋の設営に失敗すればその時点で僕の目論見はすべて頓挫してしまう。
それどころか、渡河中に浮き橋が流されでもすればもう最悪だ。僕は無謀な作戦に拘泥して大勢の兵士と有能な将を無駄に死なせた最低の愚将として戦史に刻まれることになるだろう。自らの命をもってしても償いきれない大罪だな。
「これならば、戦場のどこにいても北岸宿営地の惨状が丸わかりです。この光景を目にして動揺せぬ人間はいないでしょう」
「ああ、今ごろ殿下とガムラン将軍は大慌てだろう。オレアン公もな」
そこまでして北岸奇襲作戦を強行したのは、王軍の士気に致命傷を与えるためだ。そうでもしない限り、この戦いには勝てないと判断した。
現状、南岸に展開中の両軍の兵力は拮抗している。しかし明日になれば北岸に残留した部隊も主力に合流するだろうから、戦力差の天秤は再び王軍優位に傾く。こうなると、逆襲を仕掛けるのはかなり困難になってしまうだろう。
もちろん、皇帝軍一万が到着すればそこから状況をひっくり返すことも不可能ではない。しかし作戦の決定打を外国軍に任せるというのは政治的によろしくないし、だいいち皇帝軍自体がいつ到着するのかわからないという不安要素もあった。
ならば、今ある手札だけで勝負を獲りにいく。それが僕の判断だった。王軍将兵は、昼間の戦いで疲弊しきっている。このタイミングで皇帝軍が到着したと誤認すれば、彼女らは腰砕けになってしまうだろう。そこを叩きに行くわけだ。
「機は熟した! 予備部隊の用意は出来ているな?」
「はっ! 諸侯軍千八百、エルフ義勇兵団千二百、合計三千!出陣号令を今か今かと待ちわびております!」
威勢の良い声でソニアが答える。現在、僕は部隊を二つにわけて運用していた。一つ目は、リースベン軍を主力にした精鋭部隊、プレヴォ旅団。ジルベルトを臨時団長とする彼女らは、現在オレアン軍に陽動攻撃を仕掛けている。
そしてもう一つが、僕の直率するブロンダン旅団だ。これは寄せ集めの諸侯軍やその辺から湧いてきたエルフ義勇兵団などで編成された予備部隊で、統率に欠け連携にも不安がある。しかしともかく頭数だけはいるので、とりあえず平押しくらいはできるだろう。
ちなみにリースベン師団はもともと三旅団編成だったが、この夜戦の直前で二旅団に再編成されている。昼間の防戦で大勢の死傷者が出たためだ。他にも、疲労困憊でとても戦えないような兵士なども戦闘任務からは外されている。
「たいへん結構! 軍旗を持て!」
従卒がうやうやしい手付きでアルベール軍の軍旗を手渡してきた。旗竿代わりの槍に例の轡十字の旗を取り付けた実戦的なものだ。
「ア、アル様、ちょっと待ってください。なぜアル様自らが軍旗を担ぐ必要が?」
「そりゃお前、部隊を先導するためだよ」
ニヤリと笑って、ソニアに言い返す。なにしろ、これから僕が指揮するのは寄せ集めの急造部隊だ。子飼いのリースベン軍のように、現場に任せておけば万事上手くやってくれるような精鋭ではない。僕が先頭に立って直接指揮をする必要があるわけだ。
「いやいやいや、いやいやあの!?」
「よっしゃ行くぞ! 王軍本営にカチコミじゃ!」
慌てるソニアを無視して司令本部から出る。周囲の陣地はすでにもぬけの殻で、兵士たちはその後背にある広場に集められていた。
「照明弾を放てッ!」
ひゅるひゅると音がして、空中に光の華が咲いた。その白々しい光に照らされ、整然たる隊列を組んだアルベール軍将兵の姿が露わになる。
槍やクロスボウなどの古色蒼然とした装備をまとった諸侯軍の兵士たちと、それよりもさらに雑多な武器を帯びた義勇エルフ兵たち。リースベン軍の精鋭と比べれば、二戦級の感は否めない連中だった。
。確かに、彼女らはライフル兵などの新式兵科と比較すれば戦闘力に劣る。しかしそれはあくまで火力の問題だ。白兵戦能力ならば、むしろ彼女らのほうが上だろう。だからこそ、僕はあえて敵本営直撃にこちらの部隊を起用することにしたのだ。
三千対の瞳が、軍旗を掲げた僕に向けられる。みな、戦意で目をギラギラと光らせていた。まったく、どいつもこいつもいい顔つきをしてやがる。
隣のロリババアに目配せし、拡声魔法を使うよう促す。彼女は深い深いため息を吐き、「ワシも、本当にロクでもない男に引っかかってしまったもんじゃのぉ」などと呟いてから呪文を唱えた。
「見よ、戦友諸君!」
開口一番、僕はそう叫んで北の空を指さした。そこで上がる火柱は、衰えるどころかむしろ勢いを増しているように見えた。
「今や王軍は退路を断たれ、混乱のるつぼの中にいる!」
正直なところ、本当に王軍内部で混乱が生じているかどうかといえば確証が無い。もしかしたら、既にこの詐術を見破り、迎撃の準備を整えている可能性もある。しかしそんなことはおくびにも出さず、僕は自信満々の口調で断言した。
「この好機を逃すわけにはいかない! これより我々は敵本陣を強襲し、王太子殿下の身柄を奪取する! この下らぬ戦争に決着をつけるのだ!」
本陣強襲! なんとも素敵な響きだ。アルベール軍将兵の顔に、獰猛な笑みが浮かんだ。おそらく、僕の顔にも同様の表情が張り付いていることだろう。
「戦友諸君! 断言しよう、この戦いは必ずや歴史に残るものとなるであろう!」
おお、という声が聴衆から聞こえてきた。みな、顔を紅潮させて僕の話を聞いている。涙を流している者の姿さえあった。
「想像せよ! 誇りを胸に故郷に凱旋する様を! 想像せよ、吟遊詩人が諸君らを称える詩を唄う姿を! 想像せよ! 我らの伝説が千年後にも語り継がれ続ける世界を!」
そこで僕は言葉を止め、ゆっくりと将兵を見回した。十分に溜めをつくり、そして肩に担いだ軍旗を掲げた。白地に轡十字を染め抜いた旗が、寒風に吹かれてはためく。
「諸君、僕と共に英傑になろう! 共に歴史に名を残そう! 我は常に諸氏の先頭にあり! この旗を目印に進め! 立ち塞がるものはみな粉砕せよ! 我らのゆく道は勝利と栄光によって舗装されている!!」
誰が音頭を取ったわけでもないのに、将兵たちは一斉に「応!!」と叫んだ。エルフも竜人も、例外なく気炎を上げている。
一人の兵士が「ブロンダン卿万歳!」と叫ぶと、ほかの者たちも続いて唱和した。その輪はどんどんと広がり、やがては全員が声を揃えて僕の名を叫ぶ。音というよりは衝撃といった方が適切なほどの大音声が、僕の全身を叩く。薄く笑い、軍旗を振り上げた。
「ゆくぞ諸君! 我に続け!」
出陣の号令に、兵士たちは声を張り上げて「応!」と返す。種族や立場の違いを超え、彼女らは完全に団結していた。最高の状態だ。
もはや、ここまでくれば後戻りはできない。間違いなく、僕の死後の行き先は地獄で確定だ。二度目の転生はあり得ないだろう。
まあ、別にいいさ。今は、来世なんぞよりこの瞬間のほうがよほど大事だからな。くだらない戦争に終止符を打ち、大陸西方に平和をもたらすのだ!