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第677話 カワウソ選帝侯の奇襲

「殲滅だ! 誰一人逃さず殲滅せよッ!」


 私、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンは長大な馬上槍を片手にそう叫んだ。

 いま、私の眼前では地獄めいた光景が展開されている。天幕や荷馬車などが激しく燃え上がり、逃げ惑う王軍将兵が私の手勢によって一方的に殺されてゆく。人間の焼ける忌々しい臭いが鼻腔を刺激し、ひどい吐き気を催していた。


「良か暖まり具合じゃ! 薪を追加せい!」


 嬉々とした声で物騒な指示を出すものがいる。エルフの皇女、フェザリアだ。それに従い、配下のエルフ火炎放射器兵が猛烈な炎を敵兵の集団に浴びせかける。


「アババーッ!!」


 たちまち十名近い王国兵が燃え上がり、人間松明と化してもだえ苦しんだ。エルフ特性の焼夷剤は粘液性だ。地面を転げまわっても、水をかぶっても、その火が消える事は無い。目を覆わんばかりの惨状だ。


「突撃! 我に続けッ!」


 炎によって助長される混乱に乗じ、私は配下の騎士たちとともに騎馬突撃をかけた。逃げる王国兵の背中に槍を突き立て、次々と殺害してゆく。

 組織だった抵抗など一切なかった。誰も彼もが自分の身を守ることだけで精一杯になっており、まともに指揮が執れる将校など誰一人残っていない。

 ここは、北岸にある王軍の宿営地だ。一万の王国兵が残留しており、翌日の渡河に備えている。自分たちが攻め込む側であると慢心していた彼女らを、私たちエムズハーフェン旅団とエルフ遊撃隊が共同で奇襲したわけだ。

 なぜ、南岸で待機していたはずの私たちが北岸で暴れ回っているかといえば……もちろん、アルベールの策である。私は現実逃避ぎみに、この作戦が伝達された時のことを思い出した。


「北岸に渡れェ!?」


 そもそもの発端は、指示があるまで決して開封するなと厳命されていた秘密命令書であった。日が暮れた直後にやっとのことで開封許可が出て、私はおずおずとそれを読んだのだが……。

 そこに書かれていた命令は、予想以上に突飛な代物だった。なんと、ロアール川北岸へ渡って敵の後背を突けというのである。当然、私はこれを見た瞬間アルベールの正気を疑った。

 なにしろ、近隣にある渡河ポイントは既にすべて敵の手に落ちているのだ。いかに夜とはいえ、こっそり川を渡るなんてまったくもって現実的ではない。もちろん強行突破なんてさらに論外だ。


「指定された渡河場所は……H-四? ずいぶん西だな。戦場の外だぞ」


 怪訝に思ったが、とにかく命令は発布されてしまったのだ。今さらアルベールに作戦意図を聞きに行くような余裕はない。湧き上がる疑問を押さえ込みつつ、私は配下の騎兵五千に出陣を命じる。

「……我が夫殿のことだ、それなりの策は用意しているはず。とりあえず、指定された地点へ行ってみることにしよう」


 夜陰に紛れるようにして、私たちは一路西を目指した。

 土地勘のない場所で夜間行軍などした日には部隊ごと迷子になってしまいかねないが、もちろんこの点についてもアルベールは事前に手を打っている。ジルベルト殿の家来を案内役としてつけてくれていたのだ。

 ジルベルト殿の実家プレヴォ家はもともとこの地の領主オレアン公爵家の傍流で、このロアール河畔も庭先同然だ。闇夜の中でも迷う心配はない。案内役の先導を受け、私たちエムズハーフェン旅団は迷うことなく目的地に到着する。


「うわ、手回し良すぎでしょ……なるほど、そういうことか」


 そこで目にした光景は予想を超えたものであり、私は思わず地に戻ってそう呟いてしまった。なんと、ポイントHー四では野戦架橋の準備が進んでいたのだ。


「この小舟を連結して、浮き橋にしようってわけね?」


「いかにもその通りであります、選定侯閣下」


 そう答えたのは出迎えにやってきたハキリアリ虫人兵だ。彼女らはアルベール子飼いの戦闘工兵隊で、私も以前リースベン軍との戦いで彼女らに煮え湯を飲まされたことがある。

 そんなハキリアリ工兵の背後には、漁船や渡し船としてよく用いられる小舟がいくつも野積みされている。よく見れば、その他にも杭やロープ、板材などの資材も大量に用意されているようだった。

 ここまで材料が揃えば推理は容易だ。彼女らはこれらの資材をつかい、ロアール川に即席の浮き橋を設営するつもりなのだ。


「なんとまあ、無茶なことを」


 しかし、彼女らの作業はまだ始まったばかりのようだった。目を細めて見れば、川面には小舟が浮かび杭打ちの作業が進められている。つまり、橋本体はまだ影も形もできていない。

 これはつまり、工兵隊は昼間のうちは大人しくしており、夜になってから行動を開始したことを示している。野戦架橋じたいは古典的な戦術だけど、それが夜間に行われるというのは前代未聞だった。


「まあ、無茶と無謀はリースベンの常じゃけえ。慣れとりますとも」


 二対の腕を組んでニヤリと笑う工兵隊長だが、よく見れば表情がこわばっている。彼女自身、夜間架橋の困難さを前にして緊張しているのだろう。

 当たり前だけど、架橋作業は工兵の任務の中でももっとも難易度の高いものの一つだ。それを、月の光すら頼りにできない闇夜に行うというのはまったく無謀な行いと言うほかない。

 それをあえてやるからには、それなりの理由がある。つまり、アルベールは私たちが北岸に渡ったことを絶対に敵に悟られたくないのだ。

 戦場から離れた場所を渡河ポイントとして選んだこと、危険な夜間作業を強行したこと。それらすべての要素が、この作戦における奇襲要素の重要性を示している。


「たいへん結構、その意気だ。この架橋の成否に作戦の全てがかかっているといっても過言ではない。諸君らには是非とも頑張ってもらいたい」


 そこまでして、なぜ王軍の北岸部隊を奇襲したいのか? その答えは簡単で、南岸の王軍将兵に、私たちを皇帝軍だと誤認させるためだ。

 なにしろ皇帝軍もエムズハーフェン旅団も同じ騎兵部隊で、軍装も神聖帝国式の似たようなものを使っている。遠方から見れば、そう簡単には正体を見破ることはできない。

 予想より早く皇帝軍が来援したとなれば、王国軍将兵の動揺はかなりのものになるでしょう。腰砕けになった兵隊なんて何の脅威にもならないから、数の上の不利なんてすぐにひっくり返せる。

 考えてみれば冴えた策だ。私の手元にある戦力は騎兵五千だけ。決して少なくはない数だけど、敵本陣を直撃するような作戦に用いるのはちょっと厳しい。

 騎兵がいくら突撃力に優れた兵科とはいえ、敵兵が準備万端待ち受けている防御陣地に真正面からぶつかれば全滅は避けられない。そんな無謀な真似をするくらいなら、見せ札として活用したほうがよほどマシだろう。


「むろん、我らも手を貸そう。カワウソ獣人は泳ぎが達者な上、夜目も利く。このような仕事にはもってこいの種族なのだ」

 

「わ、我が侯! もしや、カワウソ獣人騎士をあのアリンコどもの下で働かせるつもりですか!」


 私の言葉に、配下の者たちが目を白黒させる。こいつらは自分の仕事は剣を振り回すだけだと思っている阿呆どもだから、大工仕事なんかを押しつけられるのは不本意なんでしょう。


「やかましい! 貴様らがやらぬのなら、私自らやる! 工兵隊長どの、道具はどこだ!」


 怒ったような口調でそう言って下馬すると、配下らは慌ててそれを止めた。そして、不承不承の様子でアリンコ工兵隊を手伝い始める。

 しかし、当然ながら架橋作業は難航した。なにしろ闇夜の中で橋を架けるなどみな初めての経験なのだ。溺れるもの、低体温症を起こすものなどが続出し、作業は遅々として進まない。


「お助けに、上がりました」


 そこへ救世主がやってきた。アルベールの側近、カマキリ虫人のネェルだ。どうやら、作業が難航しているとみて急遽派遣されたらしい。彼女の参戦以降、作業は劇的なスピードで進み始める。

 なにしろネェルはちょっとした小舟ならば一人で運べるほどの膂力を持ち、おまけに飛行能力まで持っている(つまり、自前で向こう岸まで飛べる)。浮き橋はみるみるうちに組み上がり、とうとう午後九時ごろに完成した。


「素晴らしい! 貴殿らの偉業は永久に戦史へと刻み込まれるであろう!」


 完成した浮き橋を渡り、軍馬に跨がった私たちは北岸へと進出した。そして先んじて現地に潜入していたフェザリア隊と合流し、彼女らが目星を付けていた王軍宿営地へと襲撃をかけたわけだ。

 この攻撃は完全に予想外だったらしく、王軍はロクな抵抗もできないまま壊乱した。まさか、北岸の自分たちが襲撃を受けるとは思ってもいなかったようだ。

 エルフ火炎放射器兵によって引き起こされた大火災から逃げ惑う彼女らを、私たちは槍をもって一方的に駆逐してゆく。実に簡単な任務だった。

 ちなみになぜわざわざ放火しているかと言えば、その炎で私たちの活躍を照らし出すためだ。闇夜の火災ほど目立つものはないからね。それで注目を集め、騎兵隊の存在を誇示するというわけ。

 しっかし、火事を照明代わりに使うなんてアルベールも悪趣味よね。ま、私は嫌いじゃ無いけど。


「王国兵に恐怖を刻みつけろッ! 我らこそこの戦場の勝者であるッ!」


 とはいえ、北岸部隊の襲撃はあくまで見せ札だ。実際のところ南岸に残留した王国兵は北岸の戦いになんら影響を与えておらず、実際のところ遊兵以外の何者でもない。彼女らをいくら殺戮したところで、数字の上ではアルベール軍の援護にはならないでしょうね。

 結局、戦いの鍵になるのは敵兵にどれだけの恐怖を与えられるかに尽きる。とにかく大暴れして、王軍の恐慌を誘ってあげましょ。


「あとは任せたわよ、アル……!」


 小さくつぶやき、馬上槍をぎゅっと握りしめる。やれるだけのことはやった。あとはアルベールの奮戦と無事を祈るまでだ。


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