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第676話 王党派将軍の不覚

 戦局は私の予想通りに推移した。リースベン師団の攻勢は熾烈を極め、とても嫌がらせが目的とは思えない規模にまで拡大している。奴らは今夜中に決着をつけるつもりなのだ。

 あいかわらずこちらの戦線は静かなものだが、西の方に目を向ければ夜空が奇妙な色に照らし出されているのが見える。無数に打ち上げられる照明弾のせいだった。

 それに加え、いつまでたっても砲声は鳴り止まない。その不気味な景色と音が、私の心を毛羽立たせる。隣家の火事を指をくわえて見ている阿呆な町人になったような気分だった。


「増援がたったの二個連隊というのは、すこしばかり少なすぎたのではないか」


 落ち着かない気分なのは私だけではないらしく、殿下も頻繁にそんな質問を投げかけてくる。同じように、参謀たちもみな不安を押し殺したような表情をしていた。

 暗闇のせいでどうにも戦況が分かりづらいことも不安に拍車をかけている。オレアン軍がどれだけの損害を受けていることも不明だし、我々の眼前にいるジェルマン師団が本当に大人しくしているかどうかすらわからない。まさに五里霧中だ。


「我らとて、兵力に余裕があるわけではございませんから。二個連隊というのは今出せる上限の戦力ですよ」


 そういって殿下の意見を切って捨てる。殿下とて本陣の防備を疎かにできぬ事情は理解しているだろうに、それでも言わずにはいられないのだろう。やはりまだ若いな。

 とはいえ、殿下の懸念ももっともだ。私自身、今にでもオレアン軍が壊乱し、敵の矛先がこちらに向くのではないかという恐怖を覚えている。合理的に考えれば夜戦の最中にそのような柔軟な部隊運用ができるはずはないのだが……。

 首脳部ですらこの調子なのだから、現場の兵士たちの動揺ぶりはいかほどのものか。それを考えると、私の心中には暗澹たる気分が広がった。

 彼女らは昼間の激戦とこの寒さですっかり疲弊している。こういうときに悪い噂などが流れると、凄まじい勢いで広まりがちだ。そうなればもう士気崩壊一直線だから、十分に注意しておく必要があるだろう。


「今夜が決戦だというのなら、もはや物資を節約する必要もない。兵らに盛大に焚き火をたけと命じるよ。しっかり身体を暖め、万全の状態で敵を迎え撃つのだ」


 とにかく、今はやるべきことをやるだけだ。細々とした指示を出し、気を紛らわせる。


「援軍を! なにとぞ援軍をお願いしたく!」


 しばしの時間が過ぎたころ、我々の本陣に伝令が飛び込んできた。昼間にもやってきた、あのオレアン公の副官殿である。その顔色は青と言うよりはもはや白に近く、まるで死人のようであった。


「増援ならば先ほど送ったばかりでしょう」


 出来るだけ尊大な口調でそう返しつつ、ちらりと時計を確認する。午後十時。戦闘がはじまってからまだ三時間しかたっていない。オレアン軍の戦況はそこまで悪いのだろうか。


「二個連隊程度では、とても足りませぬ!」


 そう叫んでから、副官殿はあわてて周囲を確認した。参謀や従兵などが、ぎょっとした様子で彼女を見ている。

 彼女らの前で動揺した様子を見せるのはやめてほしい。こちらも、士気を保つのにずいぶんと難儀しているんだ。私は渋い顔をしながら、身振り手振りで声を抑えるよう副官殿に伝えた。


「突出部の根元が刈り取られたのです! 夜戦ゆえ詳しい情報はこちらの本営にも入っておりませんが、おそらく一個連隊以上が敵中で孤立しております」


「ンンッ!」


 思わず妙な声が出そうになって、あわてて堪える。なんということだ、予想以上に戦況がまずい。一個連隊といえば、定数千二百名の大部隊だぞ。

 むろん定数が完全に満たされている部隊などそうはないが(激戦の最中ならなおさらだ)、四桁近い兵隊どもが敵に包囲されているのだ。流石に、この数の友軍を見捨てるのはまずい。士気に与える悪影響が大きすぎる。


「どうする、ガムラン」


 顔色を失った殿下が、助けを求めるような声音で聞いてくる。どうすると言われても、そんなことは私の方が聞きたい。既に我々は総兵力の一割以上をオレアン軍への救援に割いている。これ以上頭数を減らすのは宜しくない。

 しかし、オレアン軍が敗北しても、それはそれで困る。各個撃破を狙っているはずの我々が、逆に各個撃破を受けるなぞ冗談ではない。まるで出来の悪い喜劇だ。


「……いや、オレアン公爵を見捨てるわけにもいかん。援軍を出そう」


 私が迷っていることに気付いたらしく、王太子は咳払いをしてからそう主張した。どうやら、総責任者が自分であることを思い出したようだ。一瞬思案し、その案に賛意を表明する。


「わかりました。一個連隊を送りましょう」


「一個連隊!? 少なすぎます。これでは、反撃どころか現状維持さえ怪しいところですぞ」


「そうは言われましてもな……我々も、決して兵力に余裕があるわけではありませぬので」


 ぴしゃりと反論し、それから「おい、軍使殿がオレアン軍にお戻りだ」と従兵に命じて司令本部から強引に副官殿を追い出してしまう。これ以上余計なことを囀られては、ただでさえ低い士気がさらに低下してしまう。


「これは本当に陽動攻撃なのか? それにしては攻撃が苛烈すぎるように思えるが」


 従兵らに連行されていく副官殿の背中を見ながら、殿下が囁きかけてくる。もっともな疑問だった。誰がどう見ても、オレアン軍は危機的状況に陥っている。敵軍の攻撃は本腰を入れたものにしか見えないだろう。


「良いですか、殿下。陽動というのは、無視できる程度の軽い攻撃では効果を発揮しませぬ。こうして罠とわかっていても対処せねばならぬよう追い込むのが、巧みな陽動というものなのです」


「罠とわかっていても、か。まさにその通りだね。先に二個連隊を送り、今度は一個連隊を送ることになった。完全に戦力の逐次投入だよ……はは、笑えるな」


「まさしく。我が身の非才を嘆くばかりです」


 最初から三個連隊を送っておけば、こうはならなかったのだろうか? 後悔ばかりが募るが、今さらそんなことを考えても仕方がない。


「恐ろしきは敵の知略だ。この作戦を立てたのは、アルベールなのだろうか」


「でしょうな。この手管は、先日のソニア殿のやり方とはずいぶん異なります。絵図を引いたのは間違いなくブロンダン卿でしょう」


「……はぁ。彼がここまでの策士だったとは。逃がした魚は大きいというが、人食いサメを逃してしまった気分だ」


 冗談めいた口調だが、殿下の表情は悔恨に満ちている。私は懐から葉巻を一本取り出し、吸い口をカットしてから殿下に押しつけ薄く笑った。


「そんなことは戦いが終わってから考えればよろしい。今は戦いに勝つことだけに集中しましょう」


「ああ、そうだな」


 首肯してから、殿下は口に葉巻をくわえる。ランプの火を移した木片で着火してやると、殿下は煙をゆっくりと吸い込み激しく咳き込んだ。


「だ、大丈夫ですか」


「んっぐ、いや、済まない。普段は煙草など吸わないものでね。気付けには酒の方が良いかもしれない」


 恥ずかしそうに笑いながら、殿下は葉巻を返してきた。確かに、私の葉巻はなかなかに”重い”銘柄だ。初心者には厳しかろう。苦笑交じりに受け取り、自分で吸う。


「とにもかくにも、今は待つべき盤面です。なに、この山さえ越えてしまえば我らの勝利は確定しますから。焦る気持ちはわかりますが、どんと構えて朗報を待ちましょう」


「ああ、そうだな」


 私たちは頷き会い、どちらからともなく笑い合った。その時である。ひどく慌てた様子の兵士が司令本部へと駆け込んできた。


「たいへんです!」


「何事だ、騒々しい」


 兵士の顔は真っ青になっている。どいつもこいつも、どうして動揺を露わにしてやってくるのか。軍人ならば、内心がどれほど荒れていても泰然自若とした態度を崩すべきではないというのに……。


「対岸が……北岸の我が陣地が燃えております!」


「なにっ!」


 私の余裕ぶった態度は一瞬で消え去った。慌てて指揮本部から飛び出し、仮設の見張り台に登る。北の方に目をやると……確かに空を焦がすような火柱が上がっていた。


「なんだと……!」


 血の気がスッと下がるのを感じた。ここから見て北側にあるものといえば、川向こうにある我が軍の陣地だけだ。北岸には未だに一万の王軍将兵が居残っている。


「ガムラン! 火元を見ろ! あれはまさか……」


 私に続いて見張り台に上がってきたフランセット殿下が、望遠鏡を覗きながら言った。ひどく動揺している口調だった。私もあわてて自分の望遠鏡を取り出し、目に当てる。


「……騎兵だと!?」


 私の目に入ってきたのは、燃えさかる天幕。そして右往左往する王国兵と、それを追い回す敵騎兵!


「北岸に……敵の騎兵だと!? エムズハーフェン旅団に逆渡河を許したか? いや、そんな報告は……」


 アルベール軍の騎兵部隊といえばエムズハーフェン旅団だが、この連中は日没直後まではリースベン師団の後方に布陣していた。これがいきなり北岸に現れるというのは流石に考えづらい。

 なにしろ渡河ポイントはすべて我が軍が抑えているのだ。当然、敵が逆渡河を狙ってもすぐに阻止できるし、そもそもそのような兆候があったという情報も入っていない。つまり、エムズハーフェン旅団はまだ南岸にいる。


「まさか、皇帝軍だとでも言うのか?」


 フランセット殿下の言葉に、ハッとなる。皇帝軍は騎兵のみで編成され、機動力に優れているという話だ。彼女らであればオレアン領の外で渡河を行い、我が軍の後方を直撃することだって十分に出来るだろう。


「馬鹿な……皇帝軍が戦場に到着するのは、早くとも明日以降という話ではなかったのか……!?」


 先帝アレクシア率いる皇帝軍は、総兵力一万。それだけの大軍に後ろを取られたとなると、もはや我らは袋のネズミだ。各個撃破という作戦の前提条件が崩れたわけだから、もはや勝ち目が無い。

 

「まずい、これはまずいぞ……!」


 予想だにせぬ事態に、私は危うくへたり込みそうになった。


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