第675話 王党派将軍の悪戦
「やれやれ、夜襲ですか。若いモンは元気があってよろしいですな……」
私、ザビーナ・ドゥ・ガムランは葉巻に火を付けつつため息を吐いた。明日の作戦に備えて早めに寝ておこうか、などと考えていた矢先に、その報告は入ってきた。リースベン師団のやつばらが、全面的な反撃を開始したというのである。
むろん、リースベン師団の正面にいるのはオレアン軍であって、我ら王軍本隊ではない。我々の対戦相手であるジェルマン師団の陣地は今のところ沈黙しており、向こうの陣地に呼応して攻勢を始めるような兆候はない。
とはいえ、流石に「攻撃を受けているのはオレアン軍だろう。我らには無関係な話だ」とふて寝を決め込むわけにもいかない。王太子殿下の号令一下、我々王軍幹部陣は雁首を付き合わせ対策会議を開くこととなった。
「昼間にあれだけ叩いたというのに、反撃に移る余力を残していたとはね。流石というべきか無謀と言うべきか、いささか判断が難しい」
首を左右に振りながらそう語るフランセット殿下の顔色は青白かった。彼女のみならず、他の参謀陣や私自身も同様の顔色をしているだろう。気温が低すぎるせいだ。
日が暮れて以降、気温はさらに低下しつつある。竜人が野外で活動する限界の温度が近づいているようだ。とにかく身体の動きがわるく、関節も曲がらない。温石や火鉢で温めているが焼け石に水だった。
本当に今年の冬は寒い。まだ十二月だというのに、例年の真冬よりも辛い。北方領なみかもしれん。北の連中は冬が来ると家から一歩も出なくなるというが、なるほど賢明だな。そんな時期に戦争をしている我々はとんだ愚か者だ。
「向こうも余裕綽々というわけではないでしょうからな。連中、もしかしたら今夜中にケリを付ける腹づもりやもしれませんぞ」
「……どうだろう? ただの嫌がらせ攻撃ではないのかな。我々の安眠を妨げ、明日以降の攻撃を妨害しようしているだけでは」
「常識論では確かにその通りですが」
葉巻をくわえ、ゆっくりと煙を吸い込む。普段はこれで頭が冴えてくれるのだが、今夜ばかりはその効果は薄かった。寒さと疲労のせいだ。
「しかしこの砲声、たんなるハラスメント攻撃にしては喧しすぎますよ。私には、本格攻勢のようにしか思えぬのですが」
耳に手を当て、そう反論する。リースベン師団の陣地はここからかなり離れた地点にあるが、それでも砲声銃声くらいは聞こえてくる。どうやら向こうの戦線ではかなり激しい砲撃が行われているようだった。
「砲撃が派手すぎる、というのは余も同感だが……」
殿下は難しい表情で唸り、湯気のあがるカップを口にした。敵軍の意図を見誤るわけにはいかない。彼女はかなり迷っているようだった。
「向こうの勝ち筋は、皇帝軍の援軍を得てからの総反撃だろう。しかし、皇帝軍がこの地にたどり着くのは遅くとも明日朝以降と言う話じゃないか。今から決戦を始めるというのは、いささか気が早すぎるのではないかな」
「自分も、殿下のご意見に賛成です。敵軍が本命の攻撃を仕掛けてくる可能性が一番高い時間帯は払暁です。この派手な砲撃は、睡眠妨害と揺さぶりを兼ねた攪乱が目的なのでは」
参謀の一人が殿下に同調する。ほかの参謀たちも、表情を見る限りその意見に賛成であるようだった。
たしかに、戦術論の常識で考えればそうなる。どんな名将であっても、暗闇の中で配下の部隊を掌握しつづけるのは極めて困難だからだ。
闇夜の中で混戦が始まれば、もはや誰にも状況はコントロールできなくなる。こざかしい策を巡らせてもまったくの無意味だ。小規模部隊の小競り合いならともかく、万を超す大軍で夜戦をおっぱじめるなど前代未聞であろう。
「そうやって夜中の間じゅう大砲を撃ちまくったらどうなる? むこうだって、砲弾の備蓄に余裕があるわけではないんだぞ」
「……最悪の場合、決戦の前に砲弾をすべて撃ち尽くしてしまう可能性があると?」
「さよう」
殿下の言葉に、私は深々と頷いて見せる。そもそも、「アルベール軍は皇帝軍の到着を待ってから反撃に移るはずだ」という前提自体が怪しい。
あのアルベールという将帥は、これまで何倍もの戦力差をひっくり返して勝利してきたのだ。それにくらべれば今回の戦場はヌルい。なにしろ彼我の戦力比は二対一にも満たないからな。皇帝軍など無視して、自分たちだけでカタをつけようとしてもおかしくない。
「それに……敵軍は昼間、一度としてエムズハーフェン旅団を戦場に投入しませんでした。ジェルマン師団の最終防衛ラインが突破される寸前の危機的状況においてすら、連中は騎兵戦力を温存したのです! はっきりいって、これはかなり危険な兆候ですぞ」
「エムズハーフェン旅団は、防御ではなく攻撃に使う。そういう風に既に決まっていたと?」
鋭才で知られる殿下だから、このあたりの理解は早い。「いかにも」と深々と頷き、再び葉巻の煙を味わう。
「いま、ブロンダン卿の元にある手札だけでも勝利を狙える盤面は作れます。まずは手始めに、リースベン師団でオレアン軍に夜襲を仕掛ける」
机の上に置かれた戦況図を示し、そう説明する。オレアン軍の支配地域は敵陣地の中ほどまで食い込んでいるが、逆に言えばこれは突出と同じ事だ。敵側に十分な余力があれば、この突出部をまるごと刈り取ることも不可能ではあるまい。
「オレアン軍は昼間の攻撃で疲弊しておりますから、独力でこの攻撃を撃退するのは困難でしょう。当然、それを防ぐためには我々王軍本隊が増援を派遣する他ない訳ですが……」
そこまで言ってから、私は敵後方に置かれていたエムズハーフェン旅団を示す駒を手に取った。これをそのまま、王軍本隊の側面へと移動させる。
「そうして手薄になった本陣に、五千の騎兵が一斉に突撃してきたら……まあ、ずいぶんと愉快な事になるでしょうな」
「なんと、まあ」
フランセット殿下は顔に手を当て、大仰な動作で天を仰いだ。指の隙間から覗くその表情は年齢不相応に苦み走っている。
「大胆な策だ。乾坤一擲だな」
「しかし、ブロンダン卿の好みではあるでしょう。このくらいのことは平気でやってのけるでしょう、あの男は」
「……参ったな」
苦笑しつつ深々とため息を吐く殿下。ずいぶんと複雑な心境を抱えている様子だったが、すぐに首を左右に振って表情を改める。
「対抗策は?」
「カワウソ騎兵隊を万全の状態で迎え撃つことです。彼女らこそブロンダン卿の切り札ですからな。逆に言えば、この槍さえ折ってしまえばもう怖いものは何もありませぬ」
「なるほど。……陣地に籠もってさえいれば、騎兵突撃もそれほど怖いものではない。軽挙妄動は避けるべきということか」
打てば響くとはこのことか。望み通りの反応を返してくれる王太子殿下に、私はニッコリと笑って「その通りです」と応えた。
……はあ、まったく。殿下はこれほど英明なのに、どうして今の我らはこのような事態に陥っているのだろうか。いや、今さらそんなことを考えても無意味か。私の仕事は勝利することだ。他のことなど考えている余裕はない。
「とはいえ、むろんオレアン軍を見捨てるわけにもいきませぬ。公爵閣下の軍が壊滅すれば、我らは一転兵力不利になってしまいますからな。今回ばかりは増援を送りましょう」
「ただし、負けない程度の最低限の増援を……というわけか。援軍にかまけて本陣の防備が薄くなれば元も子もないからね」
「はい。オレアン軍は生かさず殺さず、これが一番ちょうど良い塩梅です。過剰な手助けをする必要はありませぬ」
「外道のようなことを言うね、君は……」
「お言葉ですが、殿下」
顔を引きつらせる殿下に、私はゆっくりと首を左右に振った。外道のような、という言葉は聞き捨てならない。
「”のような”ではなく外道そのものですよ、私も殿下も。これは外道にならねば勝てぬいくさなのです」
そして、そんないくさを始めたのはアナタなのですよ。そういう気持ちを込め、私は殿下を睨み付けた。




