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第673話 義妹嫁騎士の夜襲(1)

私、カリーナ・ブロンダンは夜の草原を歩いていた。周囲はあまりにも暗く、まるで漆黒の壁に囲まれているかのような錯覚を覚えるほどだ。すぐ前と後ろ、そして左隣には小隊の部下たちがいるけれど、その姿すら薄ぼんやりとしか見えない。

 夜の闇に紛れて敵に肉薄し、奇襲を仕掛ける……。頭の中で作戦を再確認し、大きく深呼吸した。落ち着け、怖がるな。とにかく今は、味方の背中にくっついて前に歩けばいいだけ。小隊長としては先陣を切りたいところだけど、牛獣人は夜目が利かないのだから仕方が無い。

 ああ、しかし、本当に暗い。私たちの行く先に、本当に敵陣地はあるのだろうか? 途中で道を誤って、明後日の方向に進んでいないだろうか? それどころか、もしかしたら同じところをグルグルと回っている可能性すらある。

 いや……よしんば私たちが正しい方向に進んでいるとしても、他の味方が迷っているかもしれない。いざ攻撃となったとき、攻撃位置についているのが私の小隊だけだったりしたら……。


「……」


 小銃をぎゅっと握りしめ、弱気を追い出す。普段ならばおしゃべりで気を紛らわせることもできるんだけど、奇襲狙いである以上そういうわけにもいかない。声どころか、足音すら立てないように気をつける必要があった。そのせいで、余計に周りの味方の位置がよくわからなくなってるんだけど。

 ああ、ダメだダメだ。せっかく追い出した不安が、また芽を出し始めている。下唇を噛みしめてから、もう一度頭の中を白紙に戻した。考えるならば、もっと愉快なことの方がいい。そうだ、作戦説明の時のヴァレリー中隊長の言葉を思い出せ。


「いいか、お前たちは間女だ。年老いた王様が後夫に迎えた若い王子様を狙う不届き者だ! くれぐれも、王様や近衛兵に気付かれるようなヘマはするな。抜き足差し足で王子様の寝室に忍び込み、狒々(ヒヒ)ババアが手に入れるハズだった貞操を奪い取れ!」


 ……下っ品な例えねぇ! いや、言いたいことは分かるけどね。それにしたってどうかと思う。けれども、緊張をほぐすにはこれくらいの下品な冗談がちょうどいいのかもしれない。実際、私の口元にはいつの間にか笑みが浮かんでいる。

 しかし王子様、か。脳裏にお兄様の顔がよぎる。あの人は王子様というには荒々しすぎるけれど、意外と可愛いところもあるんだ。戦争さえ終われば、あの人の一部が私のモノになる。全部じゃないのが残念だけど、我慢しよう。私一人で独占して良い人ではない訳だし。


「攻撃発起点に到着しもした」


 そんな声が、私を現実に戻した。どうやら、目的地についたみたい。よくわからないけど、どうやら私たちは小さな丘のふもとに居るみたい。事前の地図によれば、この丘の向こうに敵の陣地があるらしい(とは言っても、もともとは私たちが作ったものだけど)。

 どうなることかと思ったけど、なんとか無事に到着できたわね。いやはや、緊張したわ。……まあ、まだ攻撃すら始まっていないんだから気を抜いちゃダメなんだけど。でも、肩の荷が少しだけ降りた気分には違いない。


「よろしい。よくやったわね、リケ」


 我が小隊の案内役を務めたのは、隊で唯一のエルフ族であるリケ。エルフは特別夜間視力に優れているわけではないけれど、深い森の中でも迷わぬ方向感覚を備えている。それを夜間行軍に応用したというわけね。


「なんの、こんくれ朝飯前ど」


「確かに朝飯前ね」


 そう言いながら、懐から懐中時計を取り出す。蓋を開けると、微かな光が漏れ出した。この時計の時針と分針の先端には小さな夜光石が取り付けられており、暗闇でも時刻を確認できるようになっているのだ。


「……具体的に言うと十時間くらい前」


 現在時刻は午後八時四十五分。そして我が軍の朝食は基本的に午前七時だ。面白くもない冗談だけど、部下たちは微かに肩を震わせていた。ちょっと嬉しい。

 ちなみに、攻撃は午後九時ちょうどに始まる予定だったりする。もちろん時刻合わせは作戦前にしっかりとやっているから、ズレの心配は無い。つまり、あと十五分で戦端が開かれるということだ。先ほどまでとは別種の緊張が、私の身体をこわばらせる。


「命令あるまで待機。油断はしちゃ駄目よ、この丘の向こうに敵がいるんだから。いつでも戦闘に移れるよう準備しておきなさい」


 部下たちにそう命じてから、自信も装具を点検する。小銃よし、サーベルよし、弾薬ポーチよし。

 小銃のボルトを引っ張り、給弾口を開放。弾薬ポーチから弾薬五発をひとまとめにしたクリップを取り出し、給弾口にあてがう。弾薬を押し込み、クリップを捨ててボルトを元の位置に戻す。これで弾薬の装填は完了。元込め式のライフルだから、前に使っていた先込め式よりよほど楽だ。

 最後に癖で兜のバイザーを降ろそうとして、手が空を切る。そうだ、今回は兜をかぶってきていない。

 身体に馴染んだ兜の代わりに私の頭に乗っているのは、北方風の分厚い毛皮帽だった。今夜の気温は真冬なみで、耳当て付きの帽子をかぶっておかないと凍傷の恐れがある。ましてや、金属製の兜などもっての他だった。

 そう、この戦争では敵の銃弾よりも寒さの方が怖いのだ。そういうわけで、いまの私は甲冑すら着込んでいない。零下ウン度の状況で板金鎧なんか着たら、普通に全身凍傷待ったなしだからね。

 

「……うーん」


 でも、それはそれとして防護が薄くなっているのはやっぱり怖い。魔装甲冑(エンチャントアーマー)ならライフル弾なんて軽く弾いちゃうけど、毛皮のコートにキルトのジャケットを重ね着したくらいではなまくら刀を防ぐ程度がせいぜいだろう。

 やっぱり、少し無理してでも胴鎧くらいは着けてきたほうがよかったかなぁ? なんてことも思ってしまうわけだけど、後悔は後先には立たないからね。今さらあれこれ考えても仕方ない。

 しかし、本当に暗さ寒さというのは戦士の敵ね。じっとしてると際限なく不安が溢れてくる。多少は戦場慣れしたつもりだったけど、今夜はずいぶんと勝手が違うわ。

 


「小隊長殿、そろそろ始まりますよ」


 短くも長い十五分が過ぎ、いよいよ攻勢開始の予定時刻が来た。最先任下士官がそんな耳打ちをしてきたちょうど十秒後、後方から砲声が連続で聞こえてくる。ひゅるひゅると音を立てながら空に昇った砲弾が、パッと光の花を開かせた。照明弾が打ち上げられたのだ。

 それとまったく同時に、敵陣の方でも弾着音が鳴りはじめた。この攻撃にはリースベン軍のほぼ全ての砲兵隊が参加している。その弾幕は尋常なものではない。

 だが、砲撃はぴったり一分で突然止まった。敵陣は大騒ぎになっているようだ。準備砲撃期間がわずか一分というのは常識外れに短いが、そもそも夜間砲撃なんてそうそう当たるモノじゃないからね。相手のキモを潰しさえすれば十分という話だった。


「前進! 我に続け!」


 命令を出し、部下と共に丘を駆け上る。頂上につくと一気に視界が開け、戦場があらわになった。かつては我が軍の第二防衛ラインだった塹壕陣地が、照明弾の白々しい光によって照らし出されている。

 彼我の距離はだいたい三百から四百メートルといったところで、ライフルであれば思いっきり射程内だ。「射撃用意!」と命じ、自らも膝立ちになって小銃を構える。敵の応射はまだない。予備砲撃によって王軍は混乱しており、まだこちらを発見出来ていないようだった。


「切り込み隊、攻撃を開始しました!」


 暗闇から槍を構えた兵士の一団が現れ、塹壕陣地に向けて突進してゆく。黒光りする独特な武具を身につけた重装歩兵たち……そう、グンタイアリ虫人部隊だ。まずは彼女らが塹壕に飛び込み、敵を穴倉から追い出す。そこを私たちが狙い撃つってわけ。

 塹壕への突撃なんて、普段であれば自殺行為だ。けれども今は夜、彼女らは暗闇に紛れ、距離百メートルまで密かに接近していた。この百メートルさえ無事に渡り切れば、槍兵でもライフル兵と互角に戦うことができる。


「支援射撃開始! 一番槍の花道を邪魔させちゃダメよ!」


 グンタイアリ虫人の密集陣形は強固だけど、手榴弾などで一網打尽にされるデメリットもある諸刃の剣だ。彼女らを無事に敵陣地へと突入させるためには、周囲の散兵がしっかりと支援をしなくてはならない。おのれの責任を噛みしめながら、私はライフルの引き金を引いた。


 


 


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