第672話 くっころ男騎士と反撃開始
昼から夜への移り変わりは、なんとも急激なものであった。空に厚い雲がかかっているため、夕焼けすらなくすとんと落ちるようにあたりが真っ暗になる。それにより、ただでさえ低い気温もさらに下降していった。指や耳がちぎれそうなほどの寒さだ。
「ジェルマン師団より連絡! 『敵軍の攻勢が停止、我が陣地今だ健在なり』……以上です!」
通信兵の報告に、思わずほっと安堵のため息をつく。日が暮れるのと同時に、王軍の動きも潮が引くように低調になりつつあった。なにしろ、彼女らは昼過ぎからぶっ続けで六時間も無停止攻勢を続けていた。流石にそろそろ限界が来たのだろう。
「よくぞここまで粘ってくれた……! 諸君、喜べ! 伯爵の働きにより、我らの勝利は確実なものとなった!」
ぐっと拳を握りしめながらそう言うと、指揮壕の中で歓声が上がる。投げられた帽子が中を舞い、立ち上がって万歳する者まで現れた。
ジェルマン師団が突破されれば、我々リースベン師団は二方向からの挟撃を受ける羽目になる。典型的な各個撃破からの包囲殲滅パターンだな。そうなったらもう敗北を覆す方法はないだろう。
「ジェルマン伯爵には、『感謝の念に堪えず』と返信しておいてくれ」
いやホント、よくやってくれたよジェルマン伯爵は。最終防衛ラインまで攻め込まれたと聞いたときには青ざめたものだが、なんとか踏ん張ってくれたな。旧式兵科が中心の二線級部隊で王軍の主力を防ぎきったわけだから、本当に大殊勲だ。
「さて、ウル。たしか、北岸に残っている王軍の規模は一万強という話だったな?」
喜びに沸く参謀陣を一望してから、僕はウルにそう質問した。毛皮のコートを二枚も着込んでモコモコに着ぶくれしたカラス娘は、「もす」と妙な返事をしてハッキリと頷く。
王軍の本格攻勢開始と同時に始まった航空決戦は、結局痛み分けに終わった。とくに翼竜騎兵隊の損耗が激しく、三十騎もの未帰還者を出している。
しかし一方的にやられたわけではなく、我が方も四十騎近い撃墜数をたたき出している。どうやら、翼竜と鳥人兵の連携が功を奏したらしい。
この戦いによって、翼竜騎兵隊は彼我双方が全滅状態に陥った。つまりは相打ちだが、戦略的に見れば我が方の勝利といって差し支えない。なにしろこちらには鳥人兵がいる。
もちろん鳥人隊も無傷というわけではなかったが、リースベン生まれの彼女らはそこらの一般人とは根性が違う。ウルたちは傷ついた身体を押して薄暮の空へと舞い上がり、貴重な敵陣地後方の情報を持ち帰ることに成功した。
「兵隊ん数は少なかどん一万以上。それから、重砲ん類いもまだ北岸に据え付けられたままやった」
「よし、よし。どうにか思い通りの絵が描けたな」
王軍はまだ完全には渡河を終えていない。我が軍の抵抗が激しく、橋頭堡を拡大しきれなかったのだ。つまり、王軍はロアール川によって分断された状態で夜を迎えるわけだな。もちろん北岸に残った連中も翌朝には渡河を再開するだろうから、反転攻勢を仕掛けるべきタイミングは今しかない。
僕は深呼吸し、視線を前線へと向けた。王軍は既に活動を停止しており、戦場は静まりかえっている。おまけに曇天のせいで地上には星明かりすら届いておらず、目に見えるのは彼我の陣地から漏れ出す灯りだけだった。
絶好の押し込み強盗日和じゃあないか。天は我々に味方をしている。これがもし晴天で、おまけに満月だったりすれば……これからの作戦の成功率は、まちがいなく著しく下がっていたことだろう。
「よろしい、作戦を第二段階に移行しよう。リースベン師団の全前線部隊に伝達、これより敵陣地に夜襲を敢行する! 昼間はずいぶんと好き勝手をされたものだが、ここからは僕たちの手番だ。やられたぶんを百倍返しにしてやれ!」
「はっ!」
返答の声はなんとも威勢の良いものだった。各所に命令が伝達され、我が軍の陣地がにわかに騒がしくなる。
むろん、この夜襲は容易には成功するまい。なにしろ昼間の戦いは恐ろしく苛烈だった。敵の無謀な肉弾攻撃、撤退に次ぐ撤退、そして何よりこの痛いほどの寒さ……我が軍の将兵は、みな心身共に疲れ果てている。
当然、僕もこの状況を座視していたわけではない。戦いの中でも交代で休息を取らせ、夕飯には温かいシチューとショウガ入りのホットワインを全軍に配給した。しかしそんなものは焼け石に水だ。多くの兵士は、これ以上戦うなんてムリだと思っているに違いないだろう。
しかし疲弊しているのは敵も同じ事だ。むしろ、渡河や突撃などの無茶な作戦をこなさねばならなかったぶん、王軍はこちら以上に厳しい状態に置かれている。消耗戦とはすなわち我慢比べなのだから、これにつけ込まない手はない。
「通信兵、エムズハーフェン旅団に伝達だ。計画書A-三号の封印を解き、所定の作戦を実行せよ」
「計画書A-三号?」
電信機に打電し始める通信兵を尻目に、ソニアが片眉をあげた。この作戦は、ソニアにも伝えていなかったからな。怪訝に思うのも当然のことだろう。
「王太子殿下とガムラン将軍へのサプライズ・プレゼントだよ。彼女らには出来るだけ驚いて欲しいからね、極秘に準備を進めていたんだ」
「なるほど、一足早い星降祭の贈り物というわけですか」
得心がいった様子でニヤリと笑うソニア。敵を騙すにはまず味方からというからな。作戦の全容はソニアやダライヤにすら伝えていなかった。
「なにやらロクでもないことを考えている顔じゃのぉ。相変わらず性格の悪い……」
「お前にだけは言われたくないよ、性悪ババアめ」
ダライヤの軽口に思わず頬が緩む。性格が悪いだなんて、コイツにだけは言われたくないだろ。
「似たようなもんじゃろ? ……まあ、それはさておき夜戦か。なかなか愉快なことになりそうじゃの」
仕方のないヤツめと言わんばかりの顔でため息をついてから、ダライヤは前線のほうをちらりと一瞥した。暗闇のせいで何も見えないが、そろそろ前衛部隊が動き始めている頃合いだった。
言うまでもないことだが、夜戦の難易度は昼間の戦いの比ではない。現在位置を見失って立ち往生したり、敵味方を間違えて同士討ちが始まったり、碌でもないトラブルが頻発する。
しかもこの世界には無線などないから、指揮官は部下がどこでどう戦っているのかすら把握できないのだ。ひとたび夜戦が始まれば何もかもが混沌のるつぼに投げ込まれ、総司令官ですら状況がコントロールできなくなるわけだ。ロリババアが皮肉りたくなる気持ちも理解できた。
「夜這いをするときの最大の難関は、相手に気付かれぬよう寝所に忍び込むことじゃ。逆に言えば、そこまで行けばもう手籠めにしたも同然なのじゃが」
なんともイヤらしいたとえだが、事実であった。夜戦は奇襲性が命だ。昼戦のように、じっくり準備砲撃を仕掛けてからやっと攻撃に移るようなことはしない。夜陰に紛れて敵の元へ忍び寄り、一気に白兵戦へとなだれ込むのだ。
この奇襲が成功するか否かで、今後の戦いは大きく変わってくる。攻撃を開始する前に接近を勘付かれれば、かなり厄介なことになるだろう。
「僕たちは万全を尽くした。後はみんなを信じるだけだ」
決断的な口調で、僕はそう言い切った。やれることはやった。曇天の暗夜という天佑もついている。これで失敗したのなら、もうどうしようもない。そう思うと、自然と笑みが浮かんできた。割のいい博打は嫌いではない。
「さて、僕たちも腹ごしらえと行こう。今夜は長丁場になるぞ」
実のところ、夜戦の準備が忙しく僕たちはまだ夕食を取っていなかった。腹が減ってはいくさにならぬと言うからな。食えるうちに食っておこう。飯が終わる頃には、奇襲の準備も整っているだろうしな……。




