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第669話 くっころ男騎士の悪戦

 ガレア軍による死の行進めいた攻勢は留まることを知らなかった。我が軍が放棄した前哨陣地を占領した彼女らは、そこを拠点に橋頭堡を築き始める。自前で穴を掘って塹壕を拡張し、そこへイカダを使って運んできた軽砲などを据え付け始めたのだ。


「やはり効くな、肉薄砲撃は……!」


 王国砲兵の主力兵器、長八六ミリ野戦砲の有効射程はせいぜい一二〇〇メートルというところだ。そのため、対岸からの砲撃ではなかなか有効打が出なかった。

 だが、前哨陣地からならば標的はもう目と鼻の先だ。両軍の砲兵隊は七〇〇から五〇〇メートルほどの距離を挟んで相対し、猛烈な砲撃戦を展開している。

 砲兵陣地を守る土塁の表面ではひっきりなしに爆発が起き、土煙を上げ続けている。所詮は即席で作ったヤワい防壁だ、この調子ではいつ崩落するかわかったものではない。致命的な被害を受ける前に、砲兵を下がらせるべきでは無いか。そんな考えが脳裏に去来する。


「ウオオ、畜生! 死ね! ヴァロワ王家もブロンダンもクソ喰らえだッ!」


「父さん、父さん! ああ、嫌だ! 帰りたい、うちに帰りたい!」


 戦場では悲鳴や罵声があがりつづけている。せっかく奪取した前哨陣地から蹴り出された王国兵たちが、ふたたび突撃を強いられているのである。逃げようとすれば即座に後ろから銃弾や砲弾が飛んでくる。彼女らには前進以外の道は残されていないのだった。

 このあまりにもむごいやり口にはアルベール軍の幹部全員が苦虫を噛みつぶす思いを味わったが、残念なことに我々にも敵に情けをかけてやる余裕はないのである。僕は断腸の思いで迎撃を命じる羽目になった。


「黙示録に記されし終末というのは、こういう光景なのかもしれませんね」


 口元をへの字に歪めつつ、ソニアが吐き捨てる。雪の積もった河原は既に深紅に染まっている。即死できたものはまだ幸運で、足や手を射貫かれて動けなくなった者たちの憐れなことといったら無かった。

 彼女らはか細い声で戦友に助けを求めるが、前からも後ろからも鉛玉の雨を受け続けている王国兵たちに負傷者を救助できる余裕などあるはずもない。捨て置かれた彼女らに残された結末は、失血死か凍死以外に無いのだ。


「ああ、もったいない、もったいない。まったく、ひどいことを、しますね、ガムラン将軍、とやらは」


 鎌を振りながらプンスコ怒っているのはネェルだ。彼女の腕には、いまだ包帯が巻き付けられている。王都からの脱出の際に受けた傷がまだ完治していないのだ。


「食べ物を、粗末に、すると、バチが、当たり、ますよ?」


「……マンティスジョークだよな?」


「ええ、ええ。ジョークです、うふふ。……じゅるり」


「……」


 もっとも、肉体の方はともかく精神面ではすっかり全快しているようだった。久方ぶりのマンティスジョークに、思わず頬が緩む。平時に聞くにはブラックすぎる冗談でも、戦場ではむしろ面白おかしく感じてしまうから不思議なものだ。


「……確かに命がもったいないが、戦術的には有効な手ではある。休む様子も無く突撃を継続するとは……ガムラン将軍め、攻勢限界ギリギリまで突っ走る気だな」


 味方に対してこんな真似をして、戦後どうするつもりなのだろうか? そういう疑問は尽きないが、視点をこの戦場だけに限定するのならばこの戦術は確かに最適解だ。正直に言って、ここまで断固たる攻勢を仕掛けてくるとはまったくの予想外であった。

 現在、我が軍の前線は敵軍の圧迫を受けて後退中だ。ゆっくりと後退しつつ敵戦力をすり減らしていくというのが今回の作戦の骨子であり、撤退すること自体は予定通りなのだが……。

 問題は、敵の圧力が強すぎるという点にある。後退というのはあらゆる戦術行動の中でもっとも難易度の高いものの一つであり、計画的な撤退でも一歩間違えば本物の壊走へと転じてしまうリスクがあった。


「撤退中のラ・トゥール大隊が敵槍兵隊の突撃を受けて乱戦状態に陥っています! このままでは後退できません!」


 報告を受けて双眼鏡をそちらに向ければ、なるほど酷いことになっていた。塹壕のない平地で両軍の兵士が混ざり、槍や剣を交わし合っている。戦列という概念すら吹き飛んだ、野蛮極まりない戦いぶり。まるで原始時代の戦争だった。

 下唇を噛み、舌打ちを堪える。ああも敵味方が入り交じっていると、援護射撃すら不可能だ。しかし放置もできない。戦線は後退中なのだ。足の止まった部隊など、あっという間に包囲されて全滅してしまうだろう。


「見捨てますか」


 周囲に聞こえぬよう声をひそめ、ソニアが囁きかけてくる。……正直に言えば、魅力的な選択肢ではあった。博打と同じで、真の戦争巧者は損切りが上手いものだ。動けなくなった大隊一つを救うために、それ以上の損害を受けたのでは割に合わない。

 幸いにも、ラ・トゥール大隊は僕の子飼いではなく宰相派のとある伯爵が連れてきた私兵部隊だ。とうぜん編成も槍兵を中核に据えた古くさいものであり、戦力的な価値は低い。切っても痛くない程度の”尻尾”なのは確かだった。


「予備部隊を投入して救援する! 歩兵より、騎兵がいいだろう。そうだな……マールブランシュ子爵の騎兵隊を出せ。軍鼓と信号ラッパをかき鳴らして突撃し、敵を威圧するんだ!」


 僕は一切の躊躇もせず救援を命じた。味方を見捨てるだって? まったくもって馬鹿らしい。たとえ不合理であっても、僕は決して戦友を見捨てない。それが海兵隊(マリーン)の誇りだからだ。

 戦争には確かに数学的な側面がある。けれども、それだけではないのだ。最後の最後でものを言うのは誇りと意地、そして団結。古くさい精神論ではあるが、士気が戦闘に多大な影響を及ぼすのは事実だからな。捨て駒作戦を用いて兵士たちの忠誠や戦意を挫くのは得策ではない。


「了解しました」


 深々と一礼するソニア。見捨てるように具申したのは彼女であるはずなのだが、その顔には薄い笑みが浮かんでいた。そう来なくてはと言わんばかりの表情だった。


「救援は良いが、軍全体の足が止まれば作戦自体が頓挫する。引き時は心得ておくのじゃぞ」


 ちくりと釘を刺してくるのはダライヤだ。なんだかんだと言っても彼女もエルフには違いないから、この甘い采配には不満がある様子だった。軽く肩をすくめ、頷いてみせる。確かに彼女の言うことにも一理あった。


「わかってるさ。……ここでコケたら、先発中のエルフ部隊は全滅必至だ。もちろん、采配には細心の注意を払うとも」


 現在の戦況はエルフの手も借りたいくらいに厳しいものだが、残念ながらそういうわけにはいかなかった。フェザリア率いるエルフ隊は、とある極秘作戦に投入中なのだ。いまさら呼び戻すことは出来ない。


「いや、連中のことはどうでも良いがの。最初から気にもしておらんわ」


「さようで」


 そう返すと、ダライヤはなんとも嫌そうな顔で首を左右に振る。バカ言ってんじゃないよ、そう言いたげな様子だ。

 しかし、血も涙も無いクソ外道ロリババアでも、教え子のフェザリアのことくらいは気にかけていることを僕は知っている。ニヤリと笑って彼女の肩を叩いてやると、ヤツはぷくりと頬を膨らませてそっぽを向いた。


「ふふ」


 それを見たソニアが小さく笑い声を漏らした。こういう時のダライヤは、外面そのままの童女のようでなかなかに愛らしい。他の参謀陣も、釣られて表情が緩んでいた。


「ジェルマン師団より報告! 敵先鋒、最終防衛ラインに到達せり! 現在全力で防戦中とのことです!」


 しかし、そんな弛緩した空気も長くは続かない。通信兵のもたらしたその報告に、指揮壕に詰めるすべての将兵の顔が引きつった。


「……そうか。残念ながら、最終防衛ラインより後ろに下がることは認められない。ジェルマン伯爵にはその場で死守を続けるよう厳命する」


 参ったね。どうやら、ジェルマン師団は我々以上に押し込まれているようだ。しかし、伯爵を責めることはできない。なにしろ彼女の師団には小銃も大砲も足りていないのだ。

 しかも敵は事前に威力偵察を実行し、ジェルマン師団が弱体であることを突き止めている。こちらの戦場であまり王国ライフル兵が目撃されていないことを思えば、敵の精鋭はジェルマン師団にぶつけられたものと思われる。

 そんな状態でここまで戦い抜いたのだから、むしろ伯爵はよくやっているほうだと言えよう。しかし……。


「……まだ三時か。せめて日没までは持たせて欲しいが」


 最終防衛ラインが抜かれれば、敵はリースベン師団の側面や後方を攻撃し放題になる。そうなったらもうお終いだ。作戦は完全に崩壊し、敗北が避けられなくなる。

 ……だからこその死守命令。もはや、ジェルマン師団の将兵に後退は許されない。おそらく、我々の担当しているこの戦場以上の厳しく辛い戦いになるだろう。千単位の死傷者が出るのは間違いないだろうな。

 ああ、畜生。無体な命令は出すまいと思った矢先にこれだ。我ながら情けない、屈辱の極みだ。ガムラン将軍め、この借りはかならず返させてもらうぞ。


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