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第668話 くっころ男騎士と血河(2)

 ついにロアール川を渡りきった王軍前衛部隊は、そのまま休みもせずに我が軍の前哨陣地への攻撃に踏み切った。

 この陣地にはライフル兵が重点配置されており、渡河中の無防備な王軍将兵に猛射撃を加えている。これを排除しない限り、渡河部隊には一時の休息すらも許されないのだった。

 この戦線の王軍部隊は、外様諸侯の私兵たちが主力だ。その主な武装は槍やクロスボウなどであり、リースベン軍の精鋭を相手にするのはたいへんに荷が重い。

 しかし川を背にした彼女らには退路などなく、死中に活を求めて必死の攻撃を繰り出してくる。クロスボウによる支援射撃を受けつつ、槍の穂先を揃えて集団突撃。これが三度にわたり繰り返された。


「地獄だ……」


 その様子を指揮壕から見ていた参謀のひとりが、小さな声で呟いた。前哨陣地からの応射により、槍兵たちは次々と血煙を上げて倒れていく。悲鳴、絶叫が、前線から遠く離れた指揮壕にまで聞こえてきた。

 それでも、彼女らは前進をやめない。逃げる先がないのだから、当然のことである。倒れた戦友の骸を踏み越え、前へ。

 もちろん、アルベール軍兵も必死だから、反撃も苛烈だ。鉛玉の嵐を受けて、人命がダース単位で吹き飛んでいく。雪の積もった河原は、血と肉で真っ赤に舗装されつつあった。人命の最安値更新中、出血大サービスという風情である。


「こうなるか、こうなるだろうな」


 しかし、僕にはショッキングな光景に目を奪われている暇などなかった。小さく息を吐き、双眼鏡を川のほうへと戻す。

 突撃部隊に射撃が集中しているぶん、渡河中の部隊へ向けられる火力は減少している。彼女らは、悠々と川を渡り続けていた。南岸には続々と後詰めが上陸しつつある。


「前哨陣地は長くはもたん、適当なところで切り上げるよう伝えろ。撤退のタイミングは現場に任せるが、動き出す前にかならず本部に連絡するように」


 重機関銃が十挺もあれば、この程度の突撃など完膚なきまでに粉砕できるだろうに。そんな詮無いことを考えつつ、命令を出す。

 第一次世界大戦において塹壕は鉄壁の防御力を見せたが、それをこの場で再現するにはあらゆるものが足りていない。

 なにしろ我々には、機関銃どころかボルトアクション小銃すらもごくわずかにしか配備されていない有様なのだ。ライフル兵のほとんどはいまだに前装式の旧型を使っているし、さらにいえばそのライフル兵でさえも希少で数の上の主力は槍兵が務めている。

 その上、資材も時間も足りない中で構築した塹壕陣地に対する不信感もあった。肝心要の鉄条網にすら敷設が間に合わなかった場所もあるのだから、こんな陣地を恒久的に守り続けるなど不可能である。


「敵前衛部隊が第七前哨陣地と接触しました! 突入を試みている模様!」


 河原が遺体で覆い尽くされるような激戦のすえ、王軍はとうとう塹壕線の外縁へとたどりついた。しかしそこにはもちろん鉄条網や馬防柵などの障害物が設置されているため、塹壕内へ侵入するのは容易ではない。

 ところが、王国兵はここで予想外の行動を取った。戦友の遺体を有刺鉄線に投げつけ、道を作り始めたのだ。

 材料(、、)はそこらじゅうにいくらでも転がっている。鉄条網自体の出来がお粗末な事もあり、張り巡らされていた有刺鉄線はたちまち骸の山で埋められてしまった。王国兵は仲間の死体を踏みつけ、我先にと塹壕へ飛び込もうとする。


「悪鬼どもが……!」


 その所業を見てソニアが憤慨したが、相手も人間だからな。引くも地獄、進むも地獄の極限環境に置かれればこうもなろうというものだ。

 鉄条網が無力化されたのを見て、アルベール軍兵は慌てて塹壕から銃剣や槍などを用いて敵兵を突き始める。しかし、槍の打ち合いとなれば敵も本職だ。しばしの押し合いへし合いのあと、とうとう最初の一人が塹壕内へと飛び込んだ。


「敵、第七前哨陣地に突入!」


 ほかの敵兵も雪崩を打ったように塹壕へと押し入り始める。軍隊というよりもゾンビの群れのような動きだった。ああ、畜生め。重機関銃が欲しい。いや、いっそアサルトライフルでもいい。連射式の火器があれば、あの程度の集団など一度になぎ払ってしまえるものを。


「第四、第八前哨陣地でも敵兵の侵入を許したようです」


 そこへさらに、他の前哨陣地からも続々と敵の突入を許したとの報告が入り始める。王軍は損害を度外視した決死の突撃を続けている。対する我が軍の陣地と装備は甚だ不十分であり、長時間の持久はまず不可能なのだった。

 戦場が塹壕内に移れば、その様子は指揮壕からは視認できない。しかし、現場では悲惨極まりない血みどろの白兵戦が始まっているに違いないのだ。僕は無言で腰のサーベルの柄を握りしめた。

 いますぐ指揮壕から飛び出して、あそこへ助太刀に行きたい。鉄火場を前に見ていることしかできないなんて屈辱の極みだ。血と汗を流してこその兵隊だぞ、今の僕は本当に軍人と呼べるのか。


「ジルベルト中佐より連絡。これより第六、第七前哨陣地を放棄し、後退を開始するそうです」


「了解。砲兵に連絡し、撤退支援を始めるよう命じろ」


 指揮官は指揮を取るのが仕事だろうが、馬鹿野郎め。内心そう思いながら指示を出す。

 リースベン軍の最精鋭であるジルベルトの大隊は、敵の圧力がもっとも高くなるであろう場所へと配置してあった。現在、当初の予想通りその区域では血みどろの激戦が続いている。最初に敵兵の侵入を許した陣地も、ジルベルトの担当区域内のものであった。


「予定よりもいくぶん早いですね」


 ソニアの耳打ちに、微かに頷き返す。ジルベルト大隊が後退するのは、計画の上では夕方ごろの予定であった。しかし、現在の時刻は午後三時。日暮れにはいまだ猶予がある。


「ジルベルトはよくやってくれている。問題は敵軍の勢いだ」


 本格的な戦闘が始まってから、約半日。戦闘自体はまだ序盤戦といったところだが、既に王軍は千名以上の死傷者を出しているものと思われる。

 とくにこの渡河ポイントAの損耗率は凄まじく、王国兵を石臼めいてすりつぶし続けていた。普通の戦いならば、とうに士気崩壊を起こして壊走していたことだろう。そうならなかったのは、この戦場が壊走しようにも逃げる先の無い背水の陣状態だったからだ。

 しかし、それにしても王軍の突撃魂は尋常なものではない。逃げないにしても怯むくらいはしてほしいものだが、その気配すらないのだ。


「おそらく、督戦隊への恐怖からだろうな。友軍を背中から撃つとは……むごい真似をするものだ」


「しかし、この戦場に限って言えば有効な戦術ではあります。王軍としては、我々と皇帝軍の合流はなんとしてでも避けたいでしょうから。損害を度外視してでも我らの各個撃破を目指すというのは合理的な選択ですよ」


「同感だな。若いフランセット殿下では、ここまで割り切った用兵はできまい。音頭を取っているのはおそらくガムラン将軍だろう。おっそろしいお方だね」


 目的達成のため、不必要なモノはすべてそぎ落とし合理性のみを追求する……今の王軍の動きからは、そういう哲学が感じられる。誰にでもできるたぐいの用兵じゃあないな。


「ガムラン将軍の手腕は正直予想以上だが、今さらジタバタしても仕方ない。とにかく、今はみんなを信じて頑張ろう」


 そんな話をしているうちにも、前線は動き続けている。ジルベルトの率いる大隊が持ち場であった前哨陣地を放棄し、撤退を開始したのだ。兵士たちが塹壕から飛び出し、後方の主塹壕線を目指して走り始める。

 もちろん、敵軍はそれを黙って見逃してくれるほど甘くはない。すぐさま弩兵部隊が反応し、後退中のアルベール軍将兵に矢の雨を浴びせかけようとする。

 しかしそこへ、まだ塹壕に残っている友軍部隊が先んじて発砲を開始した。もちろん、周囲の歩兵陣地や砲兵陣地もそれに続いて支援攻撃を仕掛ける。集中攻撃を受けた弩兵部隊はひるみ、射撃機会を逸する。

 その隙に先発部隊は塹壕に飛び込み、今度は自らが弩兵部隊を撃ち始めた。たまらず王国兵どもが逃げ散りはじめると、今度は塹壕に残っていた連中が後退にかかる。

 射撃と機動を交互に行い、安全を確保しながら移動していくこのやり方は、教科書にも載っているごく基本的な戦術だ。しかし演習場ならともかく、この混沌とした戦場で教科書通りの動きをするのは決して容易なことではない。


「流石はジルベルト。彼女ならば、安心してカリーナを任せておけますね」


 ソニアの言葉に、僕は苦笑しながら何度も頷いた。いま後退している部隊の中には、我が義妹カリーナも混ざっているはずだ。

 正直なところかなり心配をしているのだが、家族だからといってエコヒイキするわけにもいかんからな。ジルベルトとカリーナ自身を信じ、私心を排して指揮に当たる。


「前哨陣地は放棄するが、タダでくれてやるのは面白くない。しっかり代金を徴収してやれ!」


 最前列の塹壕線が放棄されたことで、王国兵たちは我先にとその穴倉へ飛び込もうとしている。彼女らの安息の地はそこしかないからだ。

しかし、大勢の兵士たちが一斉に前哨陣地に殺到したことで、現場では大きな混乱が生じている。複数の部隊が衝突事故を起こし、隊列が混ざり合ってしまっているのだ。

 そして、その地点は我が軍の砲兵陣地がちょうど十字砲火を仕掛けられる位置取りになっていた。山砲、重砲が一斉に吠え、王国兵の命を根こそぎ刈り取っていく。彼女らは殺し間に誘導されていた。そう、前哨陣地からの撤退は罠だったのだ。


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