第667話 くっころ男騎士と血河(1)
いよいよ、王軍の本格攻勢が始まった。槍を携えた兵士たちが、レミング行進めいてロアール川に殺到する。その規模は第一次攻勢などとは比べものにならず、まるで人間で出来た波濤のようだった。
「お客様が到着されたぞ! 歓迎して差し上げろ!」
迎撃命令を下すと、我が軍の砲兵陣地が一斉に火を噴いた。鉄と鉛の雨がロアール川に降り注ぎ、冷たい水面をしたたかに打ち据える。
爆発、爆発、爆発。榴弾が炸裂して生じた鋭い金属片が、哀れな王軍将兵をなぎ払っていく。悲鳴、爆音、悲鳴。ロアール川はたちまち血に染まる。まさに地獄の様相だ。
「ひぇ」
前線を観察していたソニアが小さくそんな声を漏らした。大勢の人間が壮絶な鉄の暴風によってなぎ払われていくその景色は、戦場慣れした彼女ですら鼻白ませるほど悲惨であった。ソニア以外の者たちも、みな顔面が蒼白になっている。
「これでビビって退散してくれれば良いのだが」
撃っている側ですらこの調子なのだから、撃たれている方はたまったものではないだろう。そう思いながら、双眼鏡をのぞき込む。
すると案の定、行き足が止まっている敵の一団がいた。一方的な殺戮で戦意を失い、後ろを下がろうとしている。そういう動きだ。
一人が逃げ出せば、それを見た他の者たちも慌てて逃げ始める。士気崩壊というのはそうやって起きるものだ。さっさと逃げちまえ。そう思いながら彼女らを眺めていると……。
「げっ」
ところが、連中が撤退を始めた途端にそれは起きた。部隊のド真ん中で砲弾が炸裂し、彼女らをみな吹き飛ばしてしまったのだ。
砲声の具合からして、我が軍の砲撃ではない。彼女らは友軍の射撃で殺されてしまったのである。思わず頬が引きつる。あいつら、なんてことを……。
「敵前逃亡はその場で処刑する! 貴様らの活路は前にしかないと思え!」
拡声魔法によって増幅された敵指揮官の声が、こちらにまで聞こえてくる。確かに敵前逃亡は死刑と相場が決まっているが、どうやら王軍は軍法会議も経ずに現場でそれを実行してしまったらしい。つまりは督戦隊というわけだ。
残虐極まりないやり口だが、効果はてきめんだった。行き足の鈍っていた渡河部隊の将兵たちは、泡を食って前に進み始める。後ろから撃たれるくらいならば、前から撃たれたほうがまだマシだからだ。
「……なるほど。フランセットめ、この機会に日和見貴族どもを一掃する腹づもりのようですね」
眉間に深い谷間を作りつつ、ソニアがうめいた。
「おそらく、いま前線に投入されている者たちは、前回の戦い以降に王軍に参陣した貴族どもの私兵です。フランセットは彼女らをわざと危険な作戦に投入し、遅参の代償を払わせているのでしょう」
なるほど、言われてみれば敵前衛の掲げている旗印はどれもこれも見覚えが無かった。おまけに投入されている兵士も槍兵や弩兵などの旧式兵科ばかりと来ている。間違いなく、王家直属の部隊ではないようだな。諸侯の連れてきた私兵たちというわけか。
「そういえば、殿下は中央集権を目指していたな。この機に、外様領主の兵力を削っておく。そういう算段をしているわけか」
「ええ。戦術的にも、政略的にも有効なやり口です。もっとも、切り捨てられるほうの反発を思えば、想定通りに上手くいくとも思えませんが」
「……まあ、いいさ。こちらのやるべき事は同じだからな」
こうして話しているうちにも、敵軍は前進を続けている。すでにその先頭は南岸の岸辺へと迫りつつあった。
それを見て取った我が軍の前哨陣地が、小銃による射撃を開始する。大砲の砲撃音とは明らかに異なる軽やかな音色が、戦場に連続して響いた。猛射撃を喰らった敵先頭がバタバタと倒れていく。
しかし、それでも敵軍の前進は止まらない。倒れ伏した友軍兵士の遺体を踏みつけ、南岸を目指して歩き続ける。
彼女らの動きは出来の悪いロボットめいたぎこちない。雪の降る中で全身水浸しになっているわけだから、体がすっかりかじかんでしまっているのだ。もちろんみな顔色も最悪だから、もはや生者というよりゾンビのようにすら見えた。
「これはいかんな」
周囲に聞こえないような声で、小さく呟く。我が軍の砲兵も前哨陣地も、懸命な射撃を続けている。その甲斐あって、敵軍ではおびただしい損耗が生じている様子が見て取れた。
だが、敵には万単位の兵士がいる。倒しても倒しても、次から次へと新手が出てくるのだ。彼女らの前進を完全に破砕するためには、現有の火力では明らかに不足だ。ライフル兵も砲兵も、今の倍以上の数が欲しい。
リースベン師団ですらコレだ。ジェルマン師団は大丈夫だろうか? 通信兵に命令し、ジェルマン伯爵に状況報告を求める。両師団の間には既に野戦電信を敷設してあるから、リアルタイム通信も可能だった。
「ジェルマン師団より返答。敵前衛は既に南岸に上陸せり、我が軍は前衛陣地で防戦中。敵の圧力極めて大、我が軍は火力劣勢下にあり。とのことです」
「やはりか」
小さく唸り、しばし考え込む。ジェルマン師団では大砲も小銃も不足しているから、こちらの正面よりも先に渡河を許してしまうのは当然のことだ。もちろんそんなことは作戦に織り込み済みだから、気にする必要は無い。
問題は、火力劣勢という表現だ。リースベン師団の担当正面においては、両軍の砲兵火力は拮抗している。
王軍は兵力面では我が軍を遙かに優越しているが、それは大量の歩兵で水増しされた結果だ。錬成に長い期間を必要とする砲兵の数では、彼我の差はそれほど大きくない。そして、この戦線においては両軍の砲兵火力は拮抗している。つまり、王軍の砲兵隊主力はこの戦線にいるということになる。
……にもかかわらず、ジェルマン師団の担当正面で火力負けが起きている? 少ないとは言え、ジェルマン伯爵も自前の砲兵隊を持っているんだぞ。本来ならば互角くらいには持ち込めるハズ。
「敵はライフル兵部隊の主力をジェルマン師団にぶつけてきたようだな」
大砲が無ければ小銃を撃てば良いじゃないの、という訳だ。歩兵火力で圧倒的な優勢を取れば、多少砲兵が不足したところで大した問題にはならない。ライフル兵の暴威を向けられているジェルマン伯爵は、間違いなくかなり厳しい戦いを強いられていることだろう。
一方、こちらの戦線も楽では無い。敵歩兵はハッキリ言って雑魚だが、王軍砲兵の主力はリースベン師団に向けられているのだ。重厚な火力支援と人海戦術の組み合わせは、我々をもってしても容易にははね除けられない。もちろん、ジェルマン師団に増援を出す余裕はないだろう。
部隊の特性を生かした、なんとも見事な飽和攻撃だ。敵ながらアッパレ、そう評するしかない。ガムラン将軍の用兵術は噂以上だな。
「ライフル兵が相手とはいえ、塹壕に籠もればある程度は持ちこたえられるでしょうが」
僕と同じ結論に達したらしいソニアが、難しい顔で呟く。確かに、死守命令を出せばそれなりの時間稼ぎはできるだろう。塹壕内での近接白兵戦に持ち込めば、槍兵でもライフル兵と互角以上にやれるしな。
「捨て石めいた戦術は僕の趣味では無いな。まして、数の上では敵軍の方が遙かに優勢なんだ。稼げる時間なんてたかがしれている。緒戦でそこまでの無理はしたくない」
そう言いながら、前線に目を向ける。そこでは、とうとう敵兵が渡河を終え、南側の河原にたどり着き始めている姿があった。
もちろん、我が軍もそれを座視しているわけではない。前哨陣地から猛射撃が加えられ、上陸したばかりの兵士が血しぶきを上げながら倒れ伏す。
しかし、全滅に至るほどの損害は与えられない。しかも後詰めもどんどん上陸しつつあるから、敵兵の数は減るどころか増える一方だ。
「畜生!バカヤローッ!」
王国兵は誰に向けたものかも分からぬ悪態を叫びつつ、槍を構えて突撃を始める。その矛先にあるのは、もちろん銃撃を続けるアルベール軍前哨陣地だ。
寒くつらい渡河を終えたばかりだというのに、彼女らには休息する暇すら与えられない。前哨陣地を制圧しない限り、王軍は一方的に攻撃を受け続けることになるからだ。一息入れて撃ち殺されるくらいなら、疲れた体に鞭打って安全を確保するほうがまだマシなのだった。
「ジェルマン伯爵には、無理せず現場の判断で後退してもらって構わないと伝えろ」
渡河直後の王国兵は、まさに背水の陣の状態だ。もはや退くこともできない訳だから、死に物狂いで戦う。こんな連中につき合っていたら、こちらの損耗も馬鹿にならないことになる。泥沼に浸かる前に切り上げるべきだ。
「これは消耗戦だ。相手をより早く失血死させるためのいくさだ。しかし消耗戦だからこそ、人命や物資の浪費は厳禁だ。相手だけに一方的な失血を強い続けろ」
通信兵にそう厳命してから、僕は密かにため息をついた。消耗戦。そう、消耗戦だ。流した血の重さで決着をつけるのだ。いわば、チキンレース。生半可な覚悟では、この戦いに勝利することはできない。腹を決めろよ、アルベール・ブロンダン……。




