第659話 王党派将軍と聖人司教(2)
あのクソ坊主、フィオレンツァ・キルアージが帰ってきた。おりしも、反乱軍との決戦を控えた極めて重要な時期だ。フランセット殿下に良からぬ事を吹き込んだという噂もあるこの鳩女の存在は、模範的王党派貴族である私にとっても目障りであった。
とはいえ、今のガレアは内戦によってガタガタになりつつある。聖界からの援護は、必要不可欠であった。なにしろフィオレンツァの母親は、教皇の座に王手をかけつつある。今の王党派にとっては、もっとも頼りがいのあるコネクションであった。
フィオレンツァからの影響力行使を防ぎつつ、星導教からの便宜を受ける。そういう絶妙な立ち回りが、いまのフランセット殿下に出来るとは思えない。王党派の駒として、私……ザビーナ・ドゥ・ガムランは、ひとりフィオレンツァと相対することを決意した。
「司教殿に対するおもてなしとしては、まったく不足でしょうが……今は戦時ゆえ、お許しいただきたい」
このクソ寒い中、野外で立ち話というのは竜人の身には厳しい。本格的な話し合いに移る前に、私は河岸を村唯一の宿屋へと移した。
用意したのは一番良い個室だが、もちろんその内装は王都の最上級宿のロイヤルスイート・ルームなどとは比べものにならないほど貧相だ。しかし、小さな農村に大量の軍人が詰め込まれている現状では、内緒話に使えるような場所はここくらいしかない。致し方の内措置である。
「暖かな部屋を用意していただいただけでも、十分すぎるほどのもてなしですよ」
フィオレンツァは聖人めいた笑みを浮かべつつ、ぱちぱちと音を立てる暖炉を一瞥した。その鷹揚な態度だけ見れば、まさに理想の聖職者だな。まったく、擬態が上手すぎて笑えてくるじゃないか。
「お忙しい中このような機会を作っていただき、感謝の念に堪えません。実のところ、ガムラン将軍閣下とは一度直接お会いしておきたいと思っていたのです」
「なんと、それは奇遇でありましたな」
白々しく驚いて見せるが、もちろん演技だ。なにしろ、フィオレンツァはわざわざ差し入れまで持って私のもとを訪れているのである。彼女ほどの大物がわざわざそんな小芝居を挟む当たり、私個人に用があると考えるのは自然な流れであった。
「わたくしは近ごろ、”身内の騒動”に巻き込まれてあちこちを飛び回っておりましたから。恥ずかしながら、ガレア国内の情勢に耳を澄ませる余裕が持てなかったのです」
暖かな香草茶で口を湿らせてから、フィオレンツァはそう説明する。
「ガムラン将軍は王軍の実質的な指導者であらせられますから、そのあたりの事情にもお詳しかろうと思いまして」
「そういうことでしたら、喜んで。小官などでよろしければ、なんでもお答えいたしますとも」
ありがとうございますと返してから、彼女はいくつかの質問をぶつけてきた。すべて今回の内戦についてのものであったが、軍事機密に属するような重大情報に関する問いは一つも無い。どれも、簡単に答えられる程度の基本的な質問ばかりだった。
現状の把握がしたい、というのは本音だったのだろうか? 少しばかりの肩すかし感を覚えるが、相手はあのフィオレンツァだ。これも奴の手管かもしれん、油断はできんな。
「なるほど。それでは、戦況は王軍が優位なのですね」
「ええ。神聖帝国の参戦というイレギュラーはありましたが、奴らはまだ先の戦争の傷が癒えておりません。侵攻してきた軍勢はせいぜい一万ていどの数ですから、それほど心配する必要はないでしょう」
”心配する必要はない”という言葉を強調しつつ、私はそのように説明した。実際はそれほど安心できる状況でもないのだが、焦って損切りでもされると困るからな。司教には、これからも我々に肩入れし続けて貰わねばならない。
「万一皇帝軍と反乱軍が合流したところで、その兵力は三万五千に足りない程度。総兵力四万超の我々の敵ではありません。……ましてや、皇帝軍と反乱軍の現在位置はずいぶんと離れておりますから。各個撃破を狙うのも、そう難しいことではございませぬ」
「それはよかった。火事場泥棒めいた輩が現れたと聞いて、いささか心配しておりました」
演技とは思えぬ所作で胸をなで下ろすフィオレンツァ。ここだけ見れば、年相応の純真な少女のように思えてならない。なるほど、殿下はこの演技に惑わされたわけか。
ちなみに、我が軍が優勢というのは嘘でも何でも無い。盤面だけ見れば、まともな軍事専門家なら誰であっても私と同じ判断をするという自信はあった。
なにしろフィオレンツァは宗教界の大物だ。嘘やごまかしを口にしたところで、別のルートから正しい情報を仕入れてしまうに違いない。彼女をこちらの陣営にとどめておくには、客観的な事実としての優勢が必要なのだ。
……まあ、実際の見通しはそれほど甘くはないがね。何しろ、敵将はあのブロンダン卿だ。少しばかり兵力差があったところで、容易い勝負にはならんだろうね。あの男に関しては、どれほど警戒しても不足と言うことはないだろう。……なんで陛下はそんな輩を解放してしまったんだ。ふざけるなよ。
「とはいえ、いくさは終わるまで結果は分かりませぬゆえ。油断はするべきではありませぬ」
楽勝ムードになられてもそれはそれで困るので、しっかり釘を刺しておく。そもそも、この戦いに勝利したところでヴァロワ王家の前に立ちこめる暗雲がすべて晴れるわけではないのだ。むしろ、戦後のことを考えれば胃が痛くなってくるほど、我々の前途は多難なのである。
「つきましては、司教殿にも協力をお願いしたい」
「ええ、もちろんです。教会のほうから、まとまった数の星導師を派遣いたしましょう」
ニッコリと笑ってそう請け合うフィオレンツァ。星導師というのは、星導教お抱えの技術者だ。天測、測量、星占術……情報関連の様々な技能を習得した星導師たちは、確かに合戦においては無くてはならない存在である。
「ありがとうございます」
礼を述べつつも、私は心の中で首を左右に振った。星導師の派遣などというのは、教会による戦争協力としては基本中の基本に属する対応なのだ。ここまで我が国の内部をひっかき回したのだから、その程度の対応でお茶を濁されては困る。
「しかし、可能であれば政治的な援護もいただきたい。なにしろ、敵軍の士気は妙に高い……盤石の布陣を敷いた現状でも、それだけが唯一の不安要素なのです。実際に槍を交える前に、連中に冷や水を浴びせかけてやりたいというのが正直なところでして」
「冷や水、ですか」
さも意外なふうに片眉を上げたフィオレンツァだったが、私はその直前に彼女が小さくため息を吐いたことを見逃さなかった。やはりそう来るか、そう言いたげなため息だった。この提案は、彼女にとっても予想内のものだったのだろう。
「例えば、反乱軍の一部に異端が加担しているだとか……そういった宣言を、星導教の名において行うとか。そういった策謀を提案されているわけですね?」
「そこまで大それたことを要求しているわけではございませんよ」
建前として否定したが、もちろん彼女の言うとおりであった。私は香草茶を飲むフリをしつつ、周囲を伺う。ここは個室だから、この会話を盗み聞きされる心配は無い。
しかし、それでも周囲が気になってしまうほど、フィオレンツァの物言いは直接的だった。
普通なら、もっと迂遠で抽象的な言い方をすると思うのだが。
……もしかしたら、私にそんな迂遠な言い方をしても、伝わらないとナメているのかもしれん。まあ、それならそれで良いのだが。味方に舐められるのは少し困るが、この司教は潜在的には敵なのだし。
「とはいえ、星導教の一部が反乱軍に協力しているのは事実です。奴らの軍には少なくない数の星導師が参加しているという話も聞いておりますし……それに加え、どこぞの大物聖職者が奴らと密通しているという噂もありますゆえ」
大物聖職者というのは、もちろん言わずと知れたポワンスレ大司教だ。まあ、別に彼女が密通しているという証拠があるわけではないのだが。
しかし、今のポワンスレは王党派の主流から取り残されている。フランセット殿下に協力してもこれを挽回できる見込みがない以上、活路を反乱軍の方に求めるというのは自然な考えだろう。
「そのような話は、わたくしの耳にも届いております」
瀟洒な手つきで香草茶を口に運んでから、フィオレンツァは深々と頷いた。しかし、その顔に浮かんでいる表情は申し訳のなさそうな苦笑だった。
「しかし、我が母も教皇庁のすべてを掌握しているわけではございませんから。確かに不埒な者どもはまとめて掃除しておくべきですが、それに取りかかるまでには最低でも三ヶ月程度の時間は必要でしょう」
その言葉に私は思わず顔をしかめそうになり、精神力を総動員してなんとか堪える。最低でも、三ヶ月後? まったくもって遅すぎる。おそらく、一週間以内には敵軍と本格的な戦闘が始まりそうな盤面なのである。
「いえ、いえ。そのお言葉だけで十分でございます」
心にもない言葉を口にする。まあ、破門や異端認定をすぐに実行できないということ、それ自体は別に良いのだ。正直に言えば私は宗教なぞまったく頼りにしていない。彼女らの動向を作戦に組み込む気など微塵も無いのだ。
問題はそこではない。なにしろ彼女は敵の首魁ブロンダン卿の幼馴染みだからな。味方ヅラをして我々に接近しつつ、ウラではブロンダンと繋がっているという可能性も当然あるだろう。
今回の提案は、彼女の旗幟を見極めるための試金石という要素が強い。フィオレンツァ自らが音頭を取り、ブロンダン卿を破門にする。そういう流れになってくれれば、少なくとも内通という線は消しても良かったのだが……。
「代わりと言ってはなんですが、将兵の慰問はわたくしにお任せください。わたくし自らが兵士一人一人の元に赴き、言葉をかけましょう。少しくらいは、士気が上がるはずです」
こちらの不信感を嗅ぎとったか、フィオレンツァは予想外の提案を投げかけてきた。実際、彼女は平民からの評価がたいへんに高いのである。そんな彼女が直接兵士たちと顔を合わせれば、士気が上がるのは確実だった。
「おお、それは有り難い! お手数をおかけして申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします」
フィオレンツァが本格的に殿下へ肩入れしている姿を下々に見せるというのは、実際悪くない案だ。こうしておけば、彼女がよほどの恥知らずでない限り後から手のひらを返して反乱軍側につくのは困難になる。
もちろん、これだけで全ての不安を払拭するのは不可能だ。しかし、フィオレンツァがこちらの信用を得るために譲歩したというのはいい傾向だ。この機に乗じて彼女の外堀を埋め、裏切ることができぬようにがんじがらめにしてしまおう。
「わたくしとしても、フランセット殿下は応援しておりますので。協力できることがあれば、なんでもおっしゃってください」
真剣そのものな表情でそう言いつのるフィオレンツァ。その顔からは、彼女の思惑などまったく読み取ることができない。
……一応はこちらの思惑通りに事が進んだというのに、私の心には不思議と安堵の気持ちが湧いてこなかった。首輪をつけた程度で、本当にこの女が御せるのだろうか。そんな不安ばかりが募っていく……。




