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第658話 王党派将軍と聖人司教(1)

「はぁ……」


 私、ザビーナ・ドゥ・ガムランは深いため息を吐いた。ひどく陰鬱な気分だ。なにしろ、寒い。数日前に初雪が降って以降、毎日降雪が続いている。その間、太陽は一度として顔を見せていない。

 ガレア中部の冬は、どちらかといえばからりと晴れていることが多いのだが。しかし、どうやら今年はそのセオリーは通用しないらしい。初冬の時点でこれなのだから、先が思いやられる。


「冬にいくさなど、正気の沙汰ではない……」


 小さなボヤキが、白い呼気と共に虚空へと消えていく。

 現在、王軍はとある農村を宿営地に定め、攻勢発起の準備を進めていた。その宿営地の司令本部(接収した村長宅だ)の裏手で、私は一人佇んでいる。

 雪混じりの寒風が吹きすさぶ中、野外でじっとしているのは拷問のように辛い。けれども、屋内に引っ込むのはもっと嫌だった。

 なにしろ、司令本部の中ではフランセット殿下やオレアン公、その他王党派の重鎮たちが雁首を揃えて不景気な顔を突き合わせている。その雰囲気の悪さといったら尋常なものでなく、これに巻き込まれるくらいならば雪風を浴びていたほうがまだマシなくらいだった。


「いや、どうかな……」


 そうは思いつつも、やはり寒いものは寒い。一応毛皮のコートは着ているが、それでは明らかに不足だ。最低でも火鉢、できれば人間懐炉(びしょうねん)が欲しい。しかしどちらも手元にないので、仕方なくポケットから取り出した小さな水筒を呷る。中身はアヴァロニア舶来のウィスキーだ。

 はぁ、まったく。竜人(ドラゴニュート)貴族の正しい冬の過ごし方といえば、暖炉の前で美少年を抱きしめていることだというのに。何が悲しくて、むさい女どもと雪にまみれなければばらないのか。理不尽すぎて涙がでてきそうだ。


「ガムラン閣下」


 鬱々とそんなことを考えていると、突然名前を呼ばれた。視線を向けると、そこにいたのは白髪の眼帯女。


「おや……フィオレンツァ司教殿。なにかご用でしょうか」


 一瞬、私は彼女が誰だかわからなかった。モコモコの防寒着のせいで、彼女のトレードマークである純白の羽根も司教服も隠れていたからだ。


「用、というほどのこともございませんが。お寒そうでしたので」


 そう言って、彼女は湯気の上がるカップを手渡してくる。中身はどうやらホットワインのようだ。


「おお、これはかたじけない」


 正直、私はこの外人坊主が好きではない。コイツと付き合うようになってから、陛下はどんどんおかしくなっていったのだ。平和だった頃のガレアを懐かしむ者としては、好意を抱けるはずもない。

 しかし、酒に罪はないのだ。カップの中身を一息に飲み干すと、食道と胃の腑になんとも心地よい暖かさが広がっていく。やはり、ホットワインは寒さに対する特効薬だ。今の状況での差し入れとしては、確かに最高の品であろう。

 とはいえもちろん、差し入れ一つで心理的なガードを下げるような真似はしない。私とて、もう二十年以上ガレア宮廷で過ごしてきた人間だ。うさんくさい相手にもある程度耐性は出来ている。


「しかし、久しぶりでありますな、司教どの。近ごろお顔を拝見する機会に恵まれませなんだが……ご壮健のようで何よりです」


 カップを返しつつ、牽制を仕掛ける。アルベール軍の来寇(らいこう)までは殿下の影のように付き従っていた司教だが、戦争の影がガレア中部を覆った途端にどこかへ姿をくらませてしまったのだ。

 もちろん、フィオレンツァ司教は軍人ではなく聖職者だ。神聖帝国の領主司教のように、大規模な私兵部隊をもっているわけでもない。いわば文民のようなものだから、わざわざ従軍する必要など無いというのは確かなのだが……。

 しかし、宰相派との戦争を煽ったのは、この坊主であるというのがヴァロワ王家家臣団のもっぱらの噂であった。その行為の是非はさておき(事実として、王党派から見た宰相派の拡大ぶりは脅威であったからだ)、焚き付けた本人が一番に安全圏に逃げるというのはいただけない。やけどをする覚悟のないものに、火遊びをする資格は無かろう。


「忙しいさなかにお手伝い出来ず、もうしわけありません。実は、郷里のほうでちょっとしたボヤがおきまして」


 もちろん、この程度のイヤミは星導教最年少の司教には通用しない。彼女は鉄面皮と表現するほかないうさんくさい笑みを浮かべ、そう説明した。


「ボヤですか。まあ、風の噂でなにやら異変が起きているという話は耳にしておりますが」


 星導国の内部で嵐が起きているという話は、国中の聖職者の間で噂になっている。そして、その嵐の中心にいるのは……この女の母であるキルアージ枢機卿なのだ。

 しかし、母親が教皇を追い落として成り代わろうとしていることをボヤと呼ぶのはなかなかユーモラスな表現だな。焼け太りとしては史上最大のものかもしれん。まったく、火をつけておいて他人顔をするのが得意な女だこと。


「とはいえ、すべては極星のお導きでありますから。結局のところ、収まるべきところに収まるのでしょう」


「ええ、まさにその通りでございます」


 奥ゆかしく微笑むフィオレンツァ司教に、私は危うく肩をすくめかけた。危ない危ない、あまりの面の皮の厚さに思わず素が出るところだった。

 まあ、いいさ。善人か悪人かなんて、本質的にはどうでもいい話だ。肝心なのは利用価値だし、その点この女はヴァロワ王家から見ればかなり利用価値が高い。なにしろ、聖界中央に直通の高位聖職者だ。上手く付き合えば、我々に大きな利益をもたらしてくれるのは間違いない。

 もちろんフィオレンツァ司教とてそれなりの思惑はあるのだろうから、油断はできない。一方的に利用されるだけされて、用済みになればゴミのように投げ捨てられる……そういうリスクも十分にあるだろう。

 しかし、その程度のリスクで怯んでいては権謀術数の世界では生きていけない。お互いに利用し合うのが当然なのだから、こちらも気兼ねなくフィオレンツァから搾り取ってやれば良いのだ。


「ああ、そうだ。司教殿、少しばかりお時間はありますかな? これも何かの縁……気晴らしがてら、親睦を深める機会をいただきたいのですが」


 とはいえ、そういう面では今のフランセット殿下にはいささか不安がある。本来の殿下は思慮深く正しい判断ができるお方なのだが、どうにも近ごろは冷静さを失っているような思えてならない。詐欺師のような輩から見れば、これではカモ同然であろう。

 このような場合は、進んで主君を支えるのが家臣の仕事だ。司教がフランセット殿下に最接近する前に、私が間に入ってしまおう。今は王家の一大事なのだ、軍事素人の坊主に余計な耳打ちでもされたらたまらない。

 ……はぁ。考えれば考えるほど気が重いなぁ。何が悲しくて、頼まれても居ない欲深坊主の接待役なぞやらればならんのか。多少の役得は期待できるやもしれんが、甘い汁を舐めすぎると結局ミイラ取りがミイラになってしまう。それなりの自重が必要だろう。


「ええ、喜んで」


 ニッコリと微笑むフィオレンツァ司教の顔には、一片の邪気も含まれていなかった。しかし、その仮面の下にはどのような素顔が隠されているのか……考えるだけで恐ろしい。

 なにしろ、相手は十代で司教の座に就いた怪物だ。この出世の速さは親の七光りだけでは説明が付かない。フィオレンツァ本人も、化け物じみたセンスの持ち主である事には間違いなかろう。小娘が相手だからといって、油断はできん……。


「ありがとうございます、司教殿。ただいま茶会の席を用意させますので、しばしお待ちを」


 私は、それなりに美味い食事が出来て、あとは美少年さえ抱ければそれで満足なのだ。国盗りの野心など微塵も無い無欲な女が、なぜこんな事をしなければならんのか。理不尽すぎて涙が出てくる。

 できれば誰かに代わって欲しいのだが、今の王党派にはロクな人材がおらん。色恋で頭の茹で上がった殿下やら、ふぬけのオレアン公などにこの爆弾めいた坊主の相手は任せられない。まだ、私がやったほうがマシだろう。

 はぁ……まあ、仕方があるまい。今さら宰相派に鞍替えするわけにはいかぬ以上、どうしても王党派を勝たせる必要がある。王家からは安くない額の俸給をもらっているわけだから、せめて給料分の働きくらいはしてやることにしよう……。

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