第655話 くっころ男騎士の休息
フィオレンツァへの対策を話し合う内密の会議が終わったのは、夜もすっかり更けた頃合いであった。脳みその普段使っていない部分を酷使した僕は、ヘトヘトになってベッドに倒れ込む。
普段であれば、寝酒としゃれ込むところなんだが
けどな。流石に今日はしんどい。いや、飲みたいという気分は普段以上に強いくらいなんだが、こういう時に酒に逃げたらアル中一直線だからな……。
「……」
そういう訳で、僕はシラフのまま寝床に転がっていた。その胸の中にはアデライドを抱いており、そして背中側からはソニアが僕を抱きしめている。体格差の順番に抱き合って、まるでマトリョーシカのような格好だ。
なぜこんな事になっているのかといえば簡単で、ソニアが強く同衾を所望したからだった。長く離ればなれになっていたのだから、その埋め合わせにずっとくっついていたいと真正面から言われてしまった。
あげくアデライドまでそれに便乗してきたのだから、もう笑うしかない。まったく、僕は幸せ者だね。もちろん、僕はその要望を受け入れた。人をカイロにするのは竜人だけの専売特許ではない。アデライドがそうであるように、僕自身も人肌が恋しかった。
……ちなみに、秘密会議に参加していた最後の一名、ダライヤに関しては部屋から追い出されてしまっている。ソニアとアデライドが口を揃えて「お前はずっとアル様と一緒にいただろ」と指摘したせいだ。今日は順番を譲れということらしい。
「一緒にいたとは言っても、軟禁部屋は別じゃったんじゃぞ!? 同衾まではしておらんが!!」
仲間はずれにされたロリババアはもちろん抗議の声を上げたが、最終的にはソニアの実力行使で強制的に黙らされた。年齢四桁の妖怪ババアも、単純暴力ではこの竜人の偉丈婦に敵わない。
まあ、いくらこの部屋のベッドがデカいとはいっても、四人は流石にキャパオーバーだからな。こればっかりは、仕方ない。
そもそも、ソニアにしろアデライドにしろ、『本当ならば二人っきりになりたいのだ』という不満を隠しもしていない。三人での同衾を許容したのは、あくまで妥協の産物のようだった。
「ふぅ……本当に帰ってきたのですね、アル様……」
ソニアは僕を包み込むように抱きしめつつ、うなじに鼻を当てて深呼吸している。恥ずかしいから正直やめて欲しい。一応、就寝前に風呂は入っているが……臭くないか心配になってくるんだが。
「まるで変質者だねぇ……おお、怖い怖い」
一方、アデライドの方は僕の胸に顔を埋めながら器用に尻をなでている。変質者はどっちだよ。いや、どっちもだわ。
「……」
猛獣二名に好き放題されている僕だったが、悪い気分ではなかった。愛する人たちの体温を感じるのも、ぬくもりを求められるのも、存外に心地の良いものだ。
幸せというのは、こういうことか。悪くないね、こりゃ。結婚した奴が、いきなり死を恐れるようになるのもなんだか理解できる気がする。失いたくないよな、こういう幸福な時間は……。
「なぁ、アル」
ぼんやりと思考を巡らせていたら、アデライドに名前を呼ばれた。沈みかけていた意識が浮き上がり、僕は彼女を抱く手にぎゅっと力を込めた。
「なに?」
「どうやら、きみは頭領になる決意を固めたようだね。雰囲気で分かる……」
「……うん」
尻をさわさわしながら出す話題かなあ、それ。などと思いつつも僕は彼女に頷き返した。やはり、アデライドは僕の方針転換に勘付いていたようだな。
「もう、責任から逃げ回るのはやめにする。最低限、僕に求められる仕事くらいは果たそうと思ってね」
「素晴らしいお覚悟です、アル様」
ソニアが少し湿った声でそう囁いた。嬉しそうな、それでいて悲しくもあるような、そんな不思議で複雑な声音だった。
「しかし、その責任をアル様ひとりに押しつける気はございません。ふつつかながら、このわたしも同じものを背負う覚悟がございます。頼りない女で申し訳ありませんが、わたしにもアナタの重荷を共有させてほしいのです」
「……ありがとう、ソニア」
はぁ、まったく。僕って奴は、どこまで幸せ者なんだろうね。ここまで言ってくれる伴侶に恵まれるなんて、そうそうあることじゃないだろ。幸福で幸運すぎて逆に怖くなってくるんだが。
「むろん、私もソニアと同じ覚悟だ。きみが望むのなら、地獄の果てまで付き合ってやる。でもな……」
アデライドは、そこでやっと僕の尻をなでる手を止めた。そして少しだけ身を離し、真剣な面持ちで僕の目をじっと見つめる。
「頑張りすぎだけはやめたまえよ。きみは『最低限自分に求められる仕事は果たす』と言ったが……他人からの期待ほど無責任なものはないからねぇ」
そう語るアデライドの声には、なんともいえない悲しげな響きがあった。
「それに無心で応え続けても、要求は際限なく上がり続け最後には破綻する。そういうものだ。絶対に、おのれの行動基準は他人に任せてはならない。いいね?」
「……わかった」
うん……そりゃあそうだな。史実でも、物語でも、市民の総意の器になろうとした人間の結末なんてのはたいがい悲劇的なものだ。好き好んでそれと同じ轍を踏みに行くこともない……。
「まあ、最終的には自己満足さ。僕は、生まれたときから”それ”で動いている。今更自分を見失ったりしないよ」
そう、全ては自己満足だ。いま、時代は乱世へと転がり落ち始めている。それだけは、なんとしても阻止しなければ。
……いや、実のところドンパチ自体は嫌いじゃないんだ。血泥にまみれて殺したり殺されたりしていると、おのれの本懐を果たしているような満足感を覚える。そういう一面は、確かに僕の中にもあるんだ。
けれども、僕はそういう自分自身のことが好きではない。殺し合いを望む自分と、それを嫌う自分。その二つの整合性を取るために、”市民の安全と財産を守る軍人”という役割に固執する。そういう厄介で面倒くさい人間がアルベール・ブロンダンなんだよな……。
「……」
思考が堂々巡りになりつつあるのを感じ、僕は胸の中のアデライドをぎゅっと抱きしめた。アデライドも、そしてソニアも、優しく抱きしめ返してくれる。
……僕は碌でもない奴だ。人殺しだし、それを恥じてもいない。あげく、前世では家族を残し、自分から喜び勇んで十死零生の戦場へと飛び込んで案の定死んだ。ロクデナシの戦争フリーク、それが僕の本質なのだろう。
けれども、彼女らはそんな僕でも愛してくれる。こんなに嬉しいことはない。この幸せを破壊しようとする者は、何人であっても許せそうにない。だから、戦争の根を断ちに行く。うん、うん。それでいいじゃないか。何を迷う必要がある……。
「眠そうですね、アル様。大丈夫、そのまま安心してお休みください。あなたは、このソニアがお守りいたしますから……何も不安に思う必要はありません」
そう言って、ソニアが僕の頭をなでた。安心、安心か……うん、悪い響きじゃないな。彼女らのぬくもりに包まれていれば、確かに安らかに眠れそうな気がする……。
そんなことを思っているうちに、僕の意識は次第に闇へと飲まれていった。
「ふぅ……流石のアルも、だいぶ堪えているようだね」
「当然だろう。ここ数ヶ月は……いや、一年以上、事件続きだったんだ。あげく、フランセットの誘拐事件……心労が貯まらぬはずがない。わたしが未熟なばかりに、アル様に余計な負担をおかけして……ああ、口惜しい」
「同感だねぇ……はぁ、まったく。甲斐性には自信があったのだが、愛する男にこんな顔をさせてしまうとは。私もまだまだなようだねぇ」
「……まあ、無力を嘆くばかりでは状況は改善しない。今は、諸悪の根源を潰しに行く。コレが最優先だ」
「うん、その通りだ。ふふ……同じ男を愛する者同士、力を合わせて頑張ろうじゃないか」
「致し方あるまい。貴様の事はやはり好かんが……信頼はしている。後ろは任せたぞ、相棒」
「ああ、任せてくれたまえよ」




