第651話 くっころ男騎士の再会
古き宿場町、サン=ルーアン市。その市庁舎の門前で、僕たちは馬から降りた。その石造りの立派な門の向こうには、大勢の付き人をつれた二人の女性が立っている。
片方は、周囲のものたちより頭一つ以上背の高い、軍服姿のドラゴニュート。そしてもう片方は、いかにも動きづらそうな装飾過多の文官服を身にまとった背の低い只人。そう、ソニアとアデライドだった。
「アル様!」
「アル!」
彼女ら、僕の姿を認めると同時に大声でそう叫んだ。そして我先にと駆け出し、僕の方へとスッ飛んでくる。弾丸のような勢いだった。
同時に走り始めた彼女らだが、その速度には天と地ほども差がある。小柄で体力のないアデライドを置き去りにし、ソニアはグングンと加速していった。……いや、なんぼなんでも速すぎない? なんか、一〇〇メートルを十秒切れそうな勢いなんだけど――――
「アル様! アル様! アル様ァーッ!!!!」
「グワーッ!?」
何しろソニアは身長一九〇センチオーバー、体重一〇〇キロオーバーの偉丈婦である。そんなものが砲弾のごとく突っ込んできたらどうなるか?
起きた事象だけ見ればほとんど交通事故だった。衝突と同時に吹っ飛びかける僕だったが、それをソニアが強引にホールドする。とてつもない急制動を受けて僕の全身には凄まじい衝撃が走ったが、悲劇はまだ終わりでは無かった。ソニアはそのまま、僕の全身を万力のように締め上げたのだ。
「アル様ぁ……うううっ! ああ、うう……アル様!!」
「ぐぎぎぎぎ」
幼児退行でも起こしたかのように僕の名を呼ぶソニアの態度からみて、彼女には悪意など微塵もないのだろう。
しかし、竜人の全力抱擁なんてものは大蛇の締め上げに等しい威力があるのだ。ぼろ雑巾めいた扱いを受けた僕は、奇妙な悲鳴を漏らすことしか出来なくなった。
「おいっ! おいコラっ! 君ぃ、なにをやっているのかねっ! こらっ! アルを殺す気かねっ!?」
たっぷり五秒はおくれてやってきたアデライドが、慌てて僕とソニアを引き剥がしにかかる。……が、貧弱軟弱種族・只人の中でも特段に貧弱なアデライドと、|フィジカル強者種族・竜人の中でも上澄み中の上澄みであるソニアの間には、原付スクーターとスーパーカー並みのパワー差がある。アデライドが顔を真っ赤にしてウンウンうなっても、ソニアの力は微塵も緩みはしなかった。
「ああっ、もうっ! これだからソニアは!」
「やるとおもってたよこのバカチン!」
流石にマズイとみて、ジルベルトとジョゼット、そしてその他の近侍隊員たちが加勢に入る。複数人がかりで取り押さえられ、僕はやっとのことで解放された。
「た、助かった……」
息も絶え絶えになりながら、そう呟く。危ない危ない、普通に命の危機だった。せっかく逃げ延びられたのに、こんなとこで死ぬのは勘弁だろ。
「ア、アアッ!? アル様……申し訳ありません」
複数人に羽交い締めにされ、ようやくソニアも我に返ったらしい。顔をくしゃくしゃにしながら謝ってくる。なんだか、飼い主に捨てられそうになっている大型犬のような表情だった。それが面白くて、僕は思わず吹き出してしまう。
「ハハッ、盛大な歓迎は望むところさ。……ただいま、ソニア。やっと戻ってこられたよ」
「お、おかえりなさぃぃ……」
そう返すソニアの声はびっくりするほど情けなく、僕はまた大笑いする。なんだか締まらない感じになってしまったが、とにもかくにも僕はこうして自らの居場所に帰ってくることができたのだった。
「……先ほどは、お恥ずかしい姿をお見せしてしまい申し訳ございません」
それから十分後。僕たちは、市庁舎の裏手にある厩舎へと連れてこられていた。厩舎の前には既に天幕と応接セット、そして火鉢などが用意されている。どうやら、ソニアはここで僕たちの帰還を労ってくれるつもりらしい。
野外と言っても、当然ながら防諜には気が使われている。どうやら周囲には完全な人払いがかけてあるらしく、顔に見覚えのある騎士や使用人以外の人影はまったくない。天幕の中に入れば、内々の話が外に漏れる可能性はまったくないだろう。
屋内に入ればこのような手間はかからないのだが、わざわざ野外にこのような場を作ったのはソニアなりの気遣いだった。なにしろ、こちらには規格外の巨体を誇るネェルがいるのだ。
もし僕たちが屋内に引っ込んでしまっては、彼女は一人だけ外に取り残される羽目になる。僕としてもソニアとしても、ネェルだけを蚊帳の外にするような真似はしたくない。祝いの席ならなおさらだ。
「なぁに……あれほど喜んでくれたのなら、むしろ男冥利に尽きるというものだろう。なぇ? ジルベルト」
いたずらっぽい笑みを浮かべながらジルベルトに水を向けると、彼女は気まずそうに目をそらしながら「そうですね」と返した。
ソニアほど乱暴ではなかったが、ジルベルトもたいがい人にはお見せできないような態度で再会を喜んでくれたからな。この二人は、意外と似たもの同士なのだ。
ちなみに、現在僕はソニアの懐の中に収まっている。季節は既に冬であり、火鉢があるとはいえ外でじっとしていると冷気が骨身にしみこんでくる。種族的に冷気に弱い竜人は、寒くなると只人の男(だいたいの場合は夫や恋人、あるいは義理の兄弟などだ)をカイロ代わりに使う文化があるのだ。
僕も最初はこの妙な習慣に面食らったものだが、今となってはすっかりソニアの懐が冬場の定位置になってしまっている。寒くなるたびにソニアがべたべたとくっついてくるものだから、すっかりそれになじんでしまったのだ。
「はぁ……すっかり調子が崩されてしまったが、まあアルが無事に帰ってきてなによりだ。救出部隊のみな、よくやってくれた」
シュンと小さくなるソニアを渋い表情で一瞥してから、アデライドは僕の後ろに控えたジョゼットたちへと目を向けた。その顔には、彼女にはめずらしい穏やかな笑みが浮かんでいる。
「アル様はわたしたちの頭目ですんでね。自分たちの手で取り戻すのは当然のことですよ」
ジョゼットの言葉に、近侍隊員たちがウンウンと頷いた。それにネェルが「右に、同じく。ツガイ、ですので」と続き、最後に顔を真っ赤にしたカリーナが「右に同じく! 義妹で嫁ですので!」とヤケクソな調子で締めた。
いい仲間を持ったなぁ、などとジーンとする一方、『いや、嫁多過ぎだろ』とゲンナリする気分も湧いてくる。僕はネェルやカリーナはもとより、アデライドやソニア、それにジルベルトとも結婚の約束をしているのだ。
今は仕事に専念できる時期だからいいけど、実際に結婚したらどうなっちゃうんだろうな、僕。割と真面目に分身の術を習得したい気分だが、今は亡きエルフ忍者どもですらそんな術は使えなかったんだよな……。
「まったく、アルの周りには優秀な女ばかり集まるな。時々嫉妬でおかしくなってしまいそうになるよ」
皮肉めいた所作で肩をすくめ、アデライドは視線を僕へと戻した。表情を気遣わしげなものに変え、コホンと咳払いをする。
「ところで……アル。少々聞きにくいことではあるし、言いたくないのならば答えなくてもよいのだが……その、あの破廉恥な王太子に何か……いや、うん……その……」
アデライドの言葉は尻すぼみにおわったが、彼女の言いたかったことがなんなのかはもちろん察しが付く。つまりアデライドは、僕はフランセットに穢されたのではないかと心配しているのだった。
まあ、そりゃそうだよな。男虜囚の扱いなんて、たいていの場合は酷いものだ。男が敵の手に落ちたのなら、貞操なんてものはとうに失われていると考えるのが正しい。
「アデライド……!」
僕の肩をぎゅっと抱きながら、ソニアが非難がましい声を上げる。ああ、この反応は……完全に王太子のお手つきになってると思われてるな。どうやらアデライドも考えていることは同じようで、すぐに「いや、すまない……!」と目をそらした。
穢されたと思っているのに、前と変わらずに迎えてくれるのは本当にありがたいね。父上いわく、童貞と非童貞で別物のような扱いをする女性も決して少なくないとのことだし。
「いや、安心して欲しい。フランセット殿下や、その他の連中から非道な扱いを受けることは無かったよ」
「ほ、本当ですか!?」
僕の言葉にもっとも早く食いついたのはソニアだった。自分から話題を遠ざけたくせに、やはり気になっていたらしい。とはいえ、驚いているのは彼女だけではない。アデライドやジョゼットは目を丸くしているし、母上に至ってはとても僕の口からは言えないような卑猥な単語で殿下を馬鹿にしている。
「本当だよ。なんなら、ユニコーンを連れてきてもらってもいい」
「アルベールの貞操についてはワシも保証しよう。あのフランセットとかいう女、ずいぶんとヘタレじゃったぞ。たぶん、手を出して拒否されるのが怖かったんじゃろうなぁ」
ダライヤの援護射撃に、母上がブハハと下品に大笑いした。
「そいつはケッサクだ! 百人斬りなんて浮名を流してるくせに、ヘタレがすぎるんじゃないかい? ああ、そうか! あの殿下、素人処女か! ワッハッハ!」
「すみません、うちの旦那がすみません。あとでよく言い聞かせておきますので……」
腹を抱えて爆笑する母上と、青い顔でペコペコ頭を下げる父上。いや、僕もまったく父上と同感だよ。一国の王太子を素人処女呼ばわりするんじゃない。
「こ、こほん……ま、まあ、そういうことなら安心したよ。すまないね、アル。失礼極まりないことを口にした」
「大丈夫、大丈夫。僕がこのデジレ・ブロンダンの息子だってことを忘れないで欲しい」
未だにギャハギャハ笑っている母上を指さして、僕はそう言ってやった。まあ僕にデリカシーが欠けているのは前世からだけどな。都合が良いので、血縁と教育を隠れ蓑にしておく。
「ああ、もう、この母息子は……」
そんな僕をみてますます頭を抱える父上。そんな親子のやりとりを見て、ソニアやアデライドは朗らかに笑った。暗く重苦しかった空気は、いつしか完全に霧散してしまっている。
「ま、僕の話はひとまずこのくらいでいいだろう。囚われの間にいろいろあって、話したいこともたくさんあるがね。でも、今はそんなことは後回しだ。戦況のほうを詳しく聞かせてもらえないかな?」
笑い声の切れ間を狙って、僕は本命の話を切り出した。僕がさらわれてから、もう数ヶ月もの時間がたっている。戦況も、情勢も、ずいぶんと変化してしまったことだろう。他の何よりも先に、そのあたりのことを聞いておきたかった。
「はい、わかりました」
もちろん、長年の相棒であるソニアには、あえて説明するまでもなくそのあたりの考えは伝わっている。彼女は声を真剣なものに戻し、アルベール軍をとりまく現状を説明し始めた。




