第650話 くっころ男騎士の合流
その後の僕たちの旅路も、相変わらず波乱に満ちていた。どこぞの騎兵隊(掲げていた旗から見て、王軍ではなく王室派諸侯の私兵だと思われる)に追いかけ回されたり、渡し船の船頭にぼったくられたり、まったく散々な旅だった。
それでもなんとか旅を続け、王都から発って十一日目のこと。僕たちはようやくアルベール軍(この名前には相変わらず慣れない)と合流することに成功した。
最初に接触したのは、支配地域の哨戒を行っていた軽騎兵の一団だ。さっそく身分を明かして本陣への案内を頼んだのだが、そこでひと悶着が起きた。どうやら彼女らは最近になってアルベール軍に参陣したばかりの外様らしく、総大将を騙る詐欺師扱いされてしまったのである。
危うくしょっ引かれそうになったが、ここで活躍したのがネェルだ。彼女は得意のマンティスジョークで場を和ませ、騎兵たちを強引に交渉のテーブルに付かせた。
「とにもかくにも、上に確認を取ってくれ。話はそれからだ」
そう念押しすると、騎兵らは顔を真っ青にして首を何度も上下に振った。震えながら去って行く彼女らを指さし、ジョゼットらや母上は腹を抱えて大笑いする。久しぶりに聞いたマンティスジョークは、たしかになかなか痛快であった。
アルベール軍から正式な迎えが来たのは、それから三十分後のことだった。ピカピカに磨き抜かれた甲冑をまとった立派な騎士たちが大慌ての様子で現れ、僕たちの前で下馬する。彼女らはみな、丸に十字の轡十字紋を染め抜いたサーコートを羽織っていた。
「主様! よくご無事で!」
そう叫びながら兜を脱ぎ捨てた彼女の顔には、見覚えがある。ジルベルトだ。
「ああ、おかげさまで五体満足だ。……久しぶりだね、ジルベルト。会いたかった!」
感極まった様子で目尻に涙を浮かべる彼女に、僕は衆目も憚らず抱きついた。紳士にあるまじき行為に父上は渋い表情を浮かべていたが、構うものか。なんてったって、久しぶりの再開だもの、こればっかりは仕方ない。
久しぶりにジルベルトの顔を見たことで、僕もやっと”帰ってきた”という実感が湧いてきた。肩に入っていた余計な力が抜け、ほっとした心地になる。
「うっ、ううっ、もうしわけありません、主様! レーヌ市行きには、わたしも同行するべきでした。そうすれば、この命に代えてもお逃がしできたものを……!」
顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、ジルベルトはそんな事を言う。憔悴しきったその様子に、僕の胸は張り裂けそうになる。この数ヶ月は、彼女にとっても辛い日々だったのだろう。力強く抱擁し、ジルベルトの頭を乱暴になでた。
「レーヌ市でトチったのは僕の油断が原因だ。すまない、ジルベルト。心配をかけた……」
「そのような言葉をかけていただく資格は、わたしにはございません!」
なおも言い募るジルベルトをなんとか宥めようとするが、彼女はなかなか泣き止まない。ジルベルトはもともと情の深い女性だが、普段は鉄の理性をもって自らを律している。ひとたびそれが決壊すれば、こうなるのも当然のことだった。
「ジルベルト様……お気持ちは理解できますが、アルベール様との再会を待ち望んでいたのはジルベルト様ばかりではございません」
ジルベルトの従者が進み出てきて、彼女をたしなめた。従者の目は、僕の後ろに控えた父母やジョゼットらに向けられている。
この従者は、おそらくプレヴォ子爵家の家来だろう。自家の当主が僚友や義両親の前で大泣きするというのは、確かに騎士として少々外聞が悪いかもしれない。
まあ、もちろんジョゼットたちだってジルベルトの気持ちは理解しているから、あざ笑うような者は一人も居ないがね。むしろ、カリーナなどは釣られて自分まで涙ぐんでいる始末だった。
「う、うう……確かにそうだな。申し訳ありません、主様」
涙を拭き、ジルベルトは自らの頬を平手で力いっぱい叩いた。そして、僕たちをゆっくりと見回しコホンと咳払いする。
「ソニア様やアデライド様がお待ちです。馬車をご用意してありますので、先導はお任せを」
聞けば、アルベール軍の主力の宿営地はここから更に南にある街に設営されているらしい。ソニアらもそこにいるという話なので、ありがたく案内をお願いすることにした。
「馬車旅かぁ……」
ここからはジルベルトの持ってきた馬車に乗っての移動になったわけだが、これがなかなか大変だった。
僕は徒歩や騎馬での旅には慣れているが、馬車などはほとんど利用しないのである。一時間もたった頃には、すっかり尻が痛くなってしまった。
「軍用自動車のほうがナンボかマシだな、こりゃ……」
この世界の人間には理解できないボヤきを漏らしつつ、馬車に揺られること丸一日。やっとのことで、僕たちはアルベール軍の宿営地へと到着した。
もっとも、宿営地とはいっても平原に天幕が並んでいるようなたぐいのものではない。アルベール軍は王都攻略のための拠点として、オレアン領南端の小都市サン=ルーアン市を制圧している。軍主力も、この街に滞在しているしているとのことだった。
サン=ルーアン市は、巡礼者や行商人むけの宿場町として発展してきた小さくとも歴史ある街だ。正門を通り大通りを進むと、その両脇には大小の旅籠が並んでいる。
「ブロンダン閣下のご帰還だ!」
「おう、おう! 若様がやってお帰り申された! これでいくさにも張り合いが出るというもんじゃ!」
本来ならば旅人が滞在しているはずのその旅籠の中から、アルベール軍の兵士たちがわらわらと出てきて僕たちを出迎える。狭い大通りの沿道が、いつの間にか兵隊どもによって埋め尽くされつつあった。
その連中は、なかなか国際色豊かな顔ぶれだった。竜人、エルフ、アリ虫人、それに獣人。普通ならば、これほど様々な種族が一つの集団に属することはない。そんな者たちがみな一様に笑みを浮かべて僕たちを歓迎しているのだから、浮ついたような居心地の悪いような妙な心地になってしまった。まあ、悪い気分ではないがね。
「なんだかヘンな感じだ。ほんの一年半前まで、僕はせいぜい一個小隊の騎兵を率いる立場に過ぎなかったはずなのに」
馬上から兵隊どもに愛想を振りまきつつ、僕は隣を進むジルベルトにそう話しかけた。馬車はもうこりごりということで、彼女に無理をいって馬を用意してもらったのだ。
まあ、そうでなくても現役軍人が馬車に乗って入城というのは格好がつかんからね。ジョゼットらや母上なども、街に入る前に軍馬に乗り換えている。馬車に残っているのは父上などの非戦闘員だけだった。
「わたしが初めて出会ったときの主様は、すでに一個軍を率いるにふさわしい貫禄を備えていらっしゃいましたよ」
返ってきた言葉に少し面食らい、ジルベルトのほうをちらりと伺う。彼女は胸を張り、堂々とした態度で兵士たちの歓声を受け流していた。すくなくとも、冗談やヨイショを口にしているような雰囲気ではない。
……いやはや、冗談じゃないね。つまり、僕は偉ぶるのが得意な人間だったということだろうか? 前世だってせいぜい大尉程度の下っ端で軍歴を終えたような人間だというのに、態度ばかり偉そうでも仕方が無いじゃないか。肝心なのは実際の器量なのにな。
まあ、しかし……今更「こんな役割は僕には荷が重いです」などと情けの無いことを言い出すわけにもいかん。器量が足りないなら足りないなりの努力をしなくては。
「主様、あちらが現在のアルベール軍の指揮本部です。ソニア様もあちらでお待ちのはずですよ」
頭の中で思考をこねくり回していると、ジルベルトが前を指さしてそう言った。そこには、石造りの大きな館がある。どうやらこの街の市庁舎のようだが、その門前には轡十字の軍旗がはためいていた。
「ん、わかった」
軽い調子で頷きつつも、内心はすっかり緊張している。あそこへたどり着いたら、僕は一軍の司令官としての役割を求められることになるのだ。つまりこれは、数万の将兵の命運を背負うことに等しい。気楽にやれる仕事では無かった。
……いや、数万程度がなんだというのだ。これから僕は、もっと多くの人間の命を背負わねばならない。国を崩すというのはそういうことだ。このくらいで、怯んではいられない。僕は自らの頬を叩き、気合いを入れ直した。




