第649話 くっころ男騎士の決意
王都を発った僕たちは、ソニアらと合流すべく南へと向かった。アルベール軍はオレアン領からさらに南下した平原地帯に布陣しているという話だから、徒歩旅でも一週間もすれば彼女らのもとにたどり着ける計算になる。
もっとも、今の僕たちは追われる身だ。当然ながら計算通りには進めない。追っ手に捕まらないよう、身を隠しながら移動する必要があるからだった。
僕やジョゼットらだけならば変装して一般民衆に紛れるという手も使えるのだが、カマキリ虫人であるネェルに関してはそもそも容姿的に誤魔化しようがないからな(虫人自体、ガレアではかなり稀な存在だ)。結果、僕たちは人目を避けながらの慎重な移動を強いられることになった。
まあ、一応僕たちは国王陛下のお墨付きを得て解放されたわけだから、ここまで慎重に動く必要もないかもしれんがね。とはいえ、正直なところ今の陛下はほとんど隠居同然の状態だからな……
軍の実権を握っているフランセット殿下は、僕の脱走に対していい顔はしないだろう。国王陛下の命令を取り消し、捕縛を命じる可能性は十分にある。油断をするわけには行かなかった。
「ごめんなさい。ネェルが、いるばかりに、余計な、手間を……」
王都奪取から七日後の昼。僕たちは、とある少領にある森の中で体を休めていた。今回の旅は隠密を徹底する必要があるから、当然移動は夜間に限られる。そして、昼の間はこうして森などに潜み姿を隠しているのだった。
「なんでネェルが謝るのさ」
ひどく申し訳なさそうな様子のネェルに、ひっそりとした声でそう言い返す。現在、僕は彼女に抱っこされその大きな胸の中に収まっていた。これは、近ごろの僕が就寝するときの定位置だった。
ちなみに、周囲の木陰には近侍隊の騎士たちや母上、それに王都脱出の直後に合流した父上の姿もある。彼女らに私的な会話が漏れるのはいささか恥ずかしいから、僕もネェルもささやく程度にしか声を出していない。
「だって……」
「なにが、『だって』だ。言い訳するんじゃない」
ものすごく理不尽なことを言いながら、僕は彼女の鎖骨あたりに噛みついた。もちろん、甘噛みだ。ネェルは「アッ!?」などと言いながら身じろぎをする。痛みにはひどく強い彼女だが、なぜかくすぐったいのにはやたら弱いのである。
あえて説明されるまでもなく、ネェルの言いたいことは理解していた。つまり、彼女は自分のことを足手まといだと思っているのだ。
確かに彼女はたいへんに目立つ容姿をしているから、こうした隠密旅にはまったく向かない。いちいち人目を避ける必要があるから、一日のうちに進める距離も限られてしまう。彼女さえいなければ、今日明日くらいにはソニアたちと合流できていた可能性も十分にあるだろう。
「いいか、ネェル。僕にとって、君は仲間であり家族なんだ。そういう相手に合わせて予定を組むのは当然のことで、申し訳なく思う必要はまったくない」
ネェルの言い訳を切り捨てつつ、僕は包帯に包まれた彼女の二の腕を優しくなでた。王城脱出戦で銃撃を受け、負傷した箇所だ。
彼女は一般的な人間種族よりも遙かに大柄で、対人用のライフル弾ならばよほど当たり所が悪くないかぎり致命傷にはならない。だが、それでも銃創は銃創だ。軽傷とはいいがたい。
僕を助けるためにこんな怪我を負った彼女を、どうして疎ましく思うことがあるだろうか。ネェルの奥ゆかしさは美徳だが、行き過ぎるとむしろ腹立たしいね。
「この際だから言っておくが……ネェル、君はもっと自分を大切にしろ。もしかしたら、君はカマキリ虫人の最後の生き残りかもしれないんだぞ? 種族の命運を背負っているんだ。軽々に命を捨ててはいけないし、自らを卑下してもいけない。いいね?」
僕は全くの詭弁を口にした。正直なところ、種族云々などはどうでも良い話だ。大切なのは、ネェル個人だからな。でもまあ、彼女には自分の命を度外視しがちな傾向があるからな。こういう”言い訳”で無謀な行いを縛っておくのは悪いことではないだろう。
「むぅ」
小さくうなってから、ネェルは僕のうなじに顔をうずめた。ちょっと拗ねているような声だ。こういうとこ、凄く可愛いよな。
「……なるほど、わかりました。カマキリ虫人の、絶滅は、ネェルも、本意では、ありません」
「分かればよろしい」
その言葉に、僕は密かに胸をなで下ろす。王都脱出戦でも、彼女はひどく無謀な行動をしていた。ああいうのはとても心臓に悪いから、二度とやって欲しくない。
……けど、前世の僕はあんな感じで捨て身の戦いを挑み、結局死んじゃったんだよなぁ。今更になって、後悔の念が湧いてきた。前世の両親や弟たちには、本当に悪いことをしたよ。残される側になって、やっとあの人たちの気持ちが理解できるようになった気がする。
「……でも、それなら……アルベールくん」
しんみりしていると、ネェルは僕をぎゅっと抱きしめながらそんなことを囁いてきた。その声には、妙に艶めいた色が含まれている。僕の背中にゾワリとしたものが走った。
「絶滅を、防ぐ、ためには……どんどん、カマキリ虫人を、増やす、必要が、あります。もちろん、協力……してくれ、ますよね?」
耳元に吹きかけられるネェルの吐息は熱かった。
「もちろん」
僕みたいな唐変木にも、流石にネェルの言いたいことは理解できていた。後ろを振り返り、彼女の唇にキスをする。
……見られてないよな? 幼馴染みどもや、ましてや両親にこんなところを見られたら……恥ずかしすぎて死ぬかもしれん。というか、こういう会話をすぐ近くに両親もいる環境でやるのは流石に危なすぎるだろ……。
「なんじゃ、子孫繁栄の話をしておるのか」
「ッ!?」
そんなことを考えていた矢先に声をかけられたものだから、危うく心臓が口から飛び出しそうになった。あわてて声の出所にめをやると、そこにいたのはニヤニヤ笑いを口元に浮かべたダライヤだった。
「なるほど、興味深いのぉ」
ニヤつくロリババアは、するするとネェルの体を登って僕の隣までやってきた。二人だけの時間を邪魔されたネェルは、なんとも不快そうに鼻息を吐く。しかしそんなことで怯むダライヤではなく、彼女はへらへらとした態度で僕の肩を叩いた。
「その話、ワシにもぜひ一枚噛ませてほしいものじゃ。なにしろ、絶滅の危機に瀕しているのはエルフも同じ事じゃからのぉ。まずは頭目が範を取り、結婚隠居を決め込むんじゃ。さすれば、他のエルフどもも影響を受け我先にと家庭を作り始めるじゃろうて」
「……」
反論しづらい理論で迫ってきたな、コイツ! いや、確かにエルフどもにはさっさと婿を迎えて引退してほしいところなんだよな。
なにしろ、あいつらは子供を作るか死ぬか以外ではずーっと現役世代ままなんだ。平和な世の中を作るにあたっては、ああいう物騒で野蛮な連中が幅を利かせているのは大変にマズイ。できれば、早急に現役から退いてもらいたいところだ。
幸いにも、エルフは子供さえ作ればその不老性を失うからな。積極的に結婚・出産をサポートしてやれば、ごくごく平和的な流れで世代交代を進めることができる。ダライヤがその先陣を切るというのは、実際有効なやり方のように思えた。
「わかってる、責任はとるさ。でも、そのためにはまず目の前の仕事を片づけなきゃいけない」
「ま、流石のワシも戦争の真っ最中に引退するほど無責任ではないからの。降りかかる火の粉くらいは払わねばならんじゃろうて」
やれやれ、といった様子で肩をすくめるダライヤ。しかし、そんな彼女に僕は首を左右にふってみせた。
「降りかかる火の粉を払うだけじゃ、不足だ。戦争が終わっても、すぐに次の戦いが始まっちゃ困るからな。平和を維持するための枠組みを作らなきゃならない」
「おや」
すこし驚いた様子でそんな声を上げたのはネェルだった。彼女は少し目を見開き、僕の方をまじまじとみる。
「珍しい、ですね。アルベールくんから、そういう、言葉が、出るのは」
「ははは……」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。今までの僕は、とにかく問題回避を最優先に動いていたからな。自分から盤面を触りに行くような真似は、できるだけ避けてきた。だが……
「今回の件で、自分の無責任ぶりを痛感したんだ。積極的に状況に関わっていかないと、望む未来なんて永遠にえられそうにないからね」
二人の嫁の目を交互に見ながら、僕はかみしめるような心地で言った。ダライヤはその言葉に呆れたような表情になり、ネェル嬉しそうに笑う。
「これまで、僕は自らを剣だと規定していた。でも、これからは違う。剣を握るほうになるんだ。そうして、自分たちの子供や孫たちが、実りある人生を送ることが出来る時代を切り開きたい……」
「なるほどのぉ」
わざとらしいため息をついてから、ロリババアは僕の肩を何度も叩いた。
「子孫のことを持ち出されると、こちらも弱い。仕方がないから、手伝ってやることにしようかのぉ。引退前の最後の大仕事じゃ」
ツンデレめいた発言だが、その表情は心底面倒くさそうだ。仕方が無い、というのはまったくの本音なのだろう。こういうドライで面倒くさがりなところ、実は嫌いじゃないんだよな。
「嫌なら、ひとりで、隠居していて、ください。アルベールくんには、ネェルが、ついてるので、問題、ありません」
一方、ネェルのほうはなんとも冷たい言い草だ。しかしすぐに表情を緩め、慈愛に満ちた目を僕の方へと向ける。
「ネェルは、大好きな、アナタと、まだ見ぬ、子供たちの、ためなら、いくらでも、頑張れます。力を、あわせて、がんばりましょう、ね? アルベールくん」
「うん……ありがとう。君みたいな人と出会えて、僕は幸せ者だ」
照れ混じりにそう返しつつも、僕は密かに拳を握りしめていた。彼女らに囲まれているのは、とても幸せだ。けれど、この幸福を維持するためには並々ならぬ努力が必要だ。長きを生きたロリババアと違って、僕は隠居するにはまだ早いからな……。
まずは、ソニアたちと合流する。そしてその後は……戦争の根を断つ。それがアルベール・ブロンダンの背負った責任だ。果たすべき義務を果たそう。個人的な幸福を追求するのはその後からでも十分だ。




