第648話 覇王系妹の騎行
「出遅れましたわ出遅れましたわ~!」
わたくし様、ヴァルマ・スオラハティは愛馬に跨がり田園地帯を駆けておりました。その前後では、複列縦隊の移動隊形を組んだ騎兵たちが長蛇の列をなして行軍しております。
晩秋の田畑での騎行はたいへん楽しゅうございますけれど、今はそれに浸っている場合ではございません。なにしろ、大切な舞踏会に遅れかけているのですもの。
「アナタのところのお排泄物諸侯どもがウスノロだからこんなことになっちまったんですのよ~! 反省してくださいまし~!」
隣を走る甲冑騎士に向かって、わたくし様はお上品な批判を口にいたしました。体躯には自信のあるわたくし様よりもなお背の高い、獅子獣人の堂々たる偉丈婦でございます。
彼女の名は、アレクシア・フォン・リヒトホーフェン。わがガレア王国の永遠のライバル・神聖ノレド帝国の先代皇帝様でございます。背だけではなく地位でもわたくし様を見下ろすなんて許せませんわね。蹴っ飛ばして落馬させて差し上げようかしら?
「文句を言うな。これでも、帝国議会にしては十分に急いだ方なのだ」
渋い表情を浮かべて抗弁する先帝陛下(笑)ですけれど、その声にはわたくし様と同様の焦りがありますわ。まあ、当然のことでしょう。ガレア王国では、とっくの昔に戦端が開かれているのですもの。明らかに致命的な遅参ですわ。
「それに、極秘に話を進める必要もあった……この奇襲が王国軍に漏れたりすれば、作戦の効果は半減してしまうからな」
数ヶ月前の戦争で、屈辱的な敗北を喫した神聖帝国。講和条約によって不可侵を義務づけられていたハズの彼女らは、今や王国への征途についておりました。騎兵一万五千もの大軍勢が、王国との国境に向けて進撃しております。
なぜこんなことになっているか? 理由は簡単、わたくし様が王国とスオラハティの旗を掲げて帝国領に侵攻したからですわ。なにしろ、先に停戦を破ったのは王国軍ですから、帝国としては大手を振って反撃できるという寸法。
もちろん、この“停戦”破りがわたくし様とアレクシアの共謀のもとで行われた策略であることは言うまでもありません。要するに、ガレア内戦に介入できる大義名分が手に入ればなんでもよかったと言うわけです。
捕虜となったアレクシアを領地に帰すという名目で神聖帝国入りをしたわたくし様は、ほんの最近までこの謀略を成立させるための裏工作に奔走しておりました。
神聖帝国は国を名乗るのも烏滸がましいほどの烏合の衆ですから、必要な戦力を集めるだけでもたいへんな苦労がございました。クソボケ諸侯許すまじですわ。
「まあ、ギリギリ間に合ったからヨシといたしますわ。でも、駄姉がガムラン将軍に敗退したと聞いた時はビビりましたわね〜!」
「本当にな……」
もちろん、神聖帝国内で活動していた時分もガレアの情勢は逐一確認しておりました。アルベールがあのキュウリみたいな王太子に攫われたことも、駄姉の速攻作戦が失敗したことも、もちろん承知しておりましてよ。
おかげでここしばらくはひやひやしっぱなしで心胆ヒエヒエでしたけど、なんとかなりそうでほっとしましたわ。まったく、あの姉はなにをやってるのかしら? 再会したら指を指して大笑いして差し上げますわ。
まあ、策の発動に手間取ったわたくし様にも◯・一パーセントくらいの責任はある可能性が無きにしも非ずですけども。
「まあ、作戦に失敗したとはいえ大きな損害を被ったわけでもない。むしろ、ソニアが持久戦の姿勢をとったことで、敵の主力を引きつける効果も出ている。これならば、国境地帯の突破は簡単に進むだろう」
そういって、アホクレシア……もとい、アレクシアはウンウンと頷きました。これに関してはわたくし様も同感ですわ。なにしろガレア軍は、国境をガラ空きにしているのですもの。これで突破に失敗するのは余程の間抜けだけでしてよ。
おまけに、今回出陣した皇帝軍は全軍が騎兵のみで編成されております。その機動力は尋常なものではなく、アルベール軍と合流するのにも大した時間はかからないハズですわ。つまり、今からでも十分遅れを取り戻せるということでしてよ!
「国境の突破? ヌルいことを仰らないでくださいな。目指すはガレア王国の国土そのものの突破! 電光石火の進撃で王都を直撃しますわよ!」
この作戦の成就のため、わたくし様はたいへんな努力を払いましたわ。騎兵のみで軍を編成するという異様な構成もそのためですし、鷲獅子騎兵と綿密に連携して敵の先手を打ち、相手方に防御体制をとる余裕を与えぬ戦術も考案いたしました。もちろん、進軍先で将兵が飢えぬよう補給計画も立てております。
つまり、この作戦はわたくし様の用兵術の集大成ということになりますわね! あぁ、ゾクゾクしてきましたわ! さっさと王軍をブチのめして王都にわたくし様の旗を立て、その下でアルベールとゴールインしたいですわ〜!
「むろんだ。……だが、懸念材料もある。彼はあの破廉恥な王太子の手によって囚われているという話だろう? どうやって救出するのか、そもそも無事なのか……正直なところ、かなり心配なのだが」
顔を伏せながらそんなことを言うアレクシア。騎行中に下を向くのは危ないですわよ?
「そんなの気にするだけ無駄ですわ~! 相手はあのアルベールですわよ? フランセットの如き三流の手には余りますわ~! どうせ姉がなんとするでしょうし、なんなら自力で脱出してるんじゃないかしら」
どうやらアレクシアは、男癖の悪さで有名なフランセットの元に好いた男を置いておくのが不安でたまらないご様子。まあ、気分は分からなくもないですけれども……
でもわたくし様には、あんな日照不良のキュウリみたいな女に、アルベールがどうこうされるビジョンが想像できませんわ! なにしろ相手はこのわたくし様が愛する男ですもの、気を揉むだけムダムダ!
「そうか」
「そうですわ~」
「しかしだな」
「体は無駄にデカい癖に気は妙に小さいですわねアナタ~! そんなに心配なら大砲につめてぶっ飛ばしてあげましょうか~? 王都までひとっ飛びでしてよ~?」
「それは勘弁して……」
「それが嫌ならお黙りなさいクソボケが~」
いい加減にムカついてきたわたくし様は、クソボケに馬を寄せてそのふっとい太ももを蹴っ飛ばして差し上げましたわ。
もちろんアレクシアは全身甲冑を着込んでおりますから、少々蹴っても痛くも痒くもございません。とはいえ流石に面食らったらしく、「はわっ!?」などと声を漏らしてふらつきました。その間抜けな言動に、わたくし様の心も少しばかり晴れました。
「貴様! 陛下になんということを!」
まあ、そのせいで護衛の騎士たちがキレはじめましたけど。仕方がないので面頬を上げ、「ごめんあそばせ」と頭を下げます。わたくし様は謝罪もできる淑女なのですわ。
「こ、このトカゲ風情が……!」
ところが、騎士たちは矛を納めるどころかいきりたつばかり。なにがいけなかったのかしら? よくわかりませんけど、頭を下げるついでに卑猥なハンドサインを作って見せつけたのが気に入らなかったのかもしれませんね。
「やめよ、やめんかっ! 貴様ら」
アレクシアがしぶーい顔をして、わたくし様と騎士たちの間に割って入ります。せっかく面白くなってきたところなのに、つまらない女ですわねぇ。
「ヴァルマは我が友人である。少々の無礼はじゃれあいのうちだ、気にするな」
「は、はあ……」
そう言われると、騎士衆も黙るしかない様子。彼女らはこちらを睨みつけ、そのまますごすごと引き下がっていきました。
「闘争心を持て余す気分わかるが、その怒りは敵軍に向けよ。良いな」
そうわたくし様に耳打ちして、アレクシアは馬を離してゆきます。……腐っても、君主。こっちが気が立っている理由は察しているようですわね。
はあ、まあ、今回ばかりはアレクシアの言う通りかもしれませんわね。気分を落ち着かせるため、しばし閉じます。脳裏に浮かぶのは、愛しのアルベールと駄姉二号ことマリッタの顔。まったく、よりもよってあのキュウリ王太子に味方するなんて、なんて愚かな姉なんでしょう。
駄姉一号ことソニアは……たぶん、マリッタに矛を向けるのは嫌がるでしょう。ここは、わたくし様の出番ですわね。たまには、姉孝行してあげることにしましょうか。
「王都まで、二週間」
誰にも聞こえないような声で、わたくし様は小さく呟きます。まったく、決戦が待ち遠しいですわね?




