第646話 くっころ男騎士の決別
陛下による鶴の一声によって、僕たちは追われる立場から一転丁重に案内をうける身となった。マリッタの騎兵隊による先導を受けながら、城下町を通って市外へと向かう。
大都会・王都とはいえ深夜ともなると普段はひっそりとしている。例外は、飲み屋や娼館などが軒を連ねるあまり治安のよろしくない区画だけだ。しかし、今日ばかりはカタギの者たちも家から飛び出し近所の衆と身を寄せ合っていた。
まあ、それも仕方の無いことだろう。王城での戦いは、爆発物や鉄砲などを用いたたいへんに派手なものだったのだ。その戦場音楽はもちろん城下にも聞こえてきていただろうから、衆民たちが不安に思うのも当然のことだった。
「なんだいあの怪しげな連中は」
「王城の騒ぎの関係者かね」
「でも、先導しているのは王家の紋章を掲げた騎士様がたですよ。少なくとも、賊軍の仲間ではないんじゃないですか」
好奇の目にさらされた我々だったが、フル武装かつ王家の旗まで持ち出しているマリッタらに護衛されているわけだから、当然その進路を妨害されるようなことはなかった。スムーズに城下町を通過し、無事に街門の外まで到着する。
「……陛下に命じられたのは、あくまで市外までの先導だ。ここからは自分でなんとかすることだな」
王都の正門をくぐるなり、マリッタはぶっきらぼうにそう宣言した。まあ、いつまでも付いてこられても迷惑だからな。この辺で別れる方がこちらとしてもやりやすいだろう。
ちなみに、ジョゼットらは王都から脱出したあとの準備もしっかり整えていた。別働隊に馬を用意させ、郊外の森に潜伏させているらしい。その連中と合流すれば、アルベール軍の勢力圏まで逃げ延びるのはそう難しいものではないだろう。父上もこの別働隊によって保護されているという話だから、再開が楽しみだ。
「わかってる。……案内ありがとう、マリッタ」
「うるさい。見逃すのは、今回だけだからな。次こそ、決着をつけてやる。もう、陛下に止められようが、殿下に止められようが、もう知ったことか」
言い返すマリッタの声はひどくぶっきらぼうだった。月光に照らされた彼女の顔には、親に見捨てられた子のような意固地で不安げな表情が浮かんでいる。
「決着、ね」
そういって、僕は腰にぶら下げていた陶器ビン(母上から受け取った例の祝いの酒だ)を手に取り、中身のワインを喉奥へと流し込んだ。まだ気を抜いて飲酒にふけることができるような状況ではないのだが、シラフではやっていられないような精神状態だったのだ。
「マリッタ。次があるとすれば、かならずお前は自らの姉と対峙することになる。本当にいいのか?」
マリッタの目的は、あくまでソニアにスオラハティ家の当主を継がせることだったはずだ。しかし、この期に及んではその目標が達成される見込みは絶無と言ってもいい。
よしんば王太子派が内戦に勝利し、ソニアを生け捕りすることに成功しても……殿下は、ソニアがノール辺境領の領主となることは絶対に許すまい。普通に考えて、強敵として自らの前に立ち塞がった相手にそのような温情をかける理由など微塵も存在しないからだ。
「……本当にいいのか、だと? 良くなかったら、なんだというんだ。ワタシに寝返りでもそそのかしているのか」
マリッタの口調は甚だ非友好的だった。……僕としては、マリッタが寝返ってくれるというのなら今からでも大歓迎だけどな。
むろん、必要とあらば彼女を殺す覚悟だってとうに固めている。しかし、好き好んで幼馴染みと戦いたいはずもない。ましてや、ソニアに至っては実の妹を相手に戦わねばならないのだ。その拒否感は、僕の比ではあるまい。
……とはいえ、この様子ではマリッタの懐柔は無理そうだな。ちらりと隣のロリババアを伺うが、彼女も首を左右に振るばかり。口八丁ならば誰よりも上手いダライヤですら、いまの彼女の説得は難しいということだ。
「ワタシの選んだこの道の先に、望む未来が無かったとしても……今更、後ろを振り返る気はない。行けるところまで行くだけだ」
「そうか、分かった」
大の女が、ここまで言っているのだ。これ以上余計な言葉を連ねるのは失礼にあたるだろう。僕は、マリッタの説得をスッパリと諦めた。
「……はぁ」
そんな僕を見て、マリッタは深い深いため息を吐く。どうにも、疲れ果てたような表情だった。
「知っているか、アルベール。ワタシの初恋の相手は、お前だったんだ」
「……知らない」
おい、おい。ウェットな話はもうやめようと思った矢先に、いきなりそんな話をブッこんでくるんじゃないよ。思わず周囲に助けを求める視線を送ったが、ダライヤと母上はニヤニヤ笑いを浮かべ、ジョゼットらは痛ましい態度で首を左右にふるばかり。
「けれど、すぐにそれも諦めた。既にお前の隣にはお姉様がいたからだ」
「……」
「……ワタシの人生は、諦めの連続だった。生まれた時点で、すでに自分の上位互換としか思えぬ姉がいたのだ。あらゆることを諦めねば、やっていけなかった。お姉様の影として生きることだけが、ワタシに残された最後の選択肢である……はずだった。しかし、実際はそれすらも許されなかったわけだが」
マリッタの声は湿っていた。僕は、何も言えなくなって彼女の目を見返すことができない。妄信的なシスコンにしか見えない態度をとり続けていたマリッタだが、その後ろでは彼女なりの大きな葛藤があったのだろう。
「もし、ワタシが道を誤っているとすれば……最初に間違えたのは、フランセット殿下の手を取ったときではないだろう」
「そりゃそうだ。好いた男を手に入れるためなら、姉が相手でも躊躇無く強奪する。そういう胆力がない女は、何をやってもダメだね」
ひどく端的にマリッタの人生を否定する者がいた。僕の母親、デジレ・ブロンダンである。彼女は出来の悪い弟子を見るような目つきでマリッタをにらみ付けた。
「いいかい、バカ娘。いい女に必要なのは、自分を偽らぬ正直さと、決して折れぬ不屈の精神だ。お前にはそのどちらの要素も欠けている。だから、欲しいものが何一つ手に入らないんだ」
耳が痛いどころの話ではない、とてつもなく辛辣な指摘だった。マリッタは一瞬憤怒の表情で母上をにらみ返したが、即座に自分を恥じた様子で目をそらす。
「……なんとでも言え。どうせ、これが平和的な会話を交す最後の機会なのだから」
「ふん、面白くないガキだねぇ」
どうやら母上は殴り合いも辞さぬ構えで挑発していたらしく、引き下がったマリッタになんともつまらなさそうな声を返す。ロリババアがボソリと「この母あってのこの息子か……」などと呟いた。
「もはや言葉は不要だ。決着は戦場でつけるのみ……さらば、アルベール」
一方的に会話を切り上げ、マリッタは王都の方へと戻っていった。残された我々は、何を言うでもなく顔を見合わせる。みな、疲れ切った様子だった。そのわりに、目ばかりがギラギラと光っている。マリッタらや王軍に向けていた戦意が不完全燃焼を起こしているのだ。
「決着は戦場でつける、か。お望み通りにしてやろうじゃないか」
ぐっと拳を握りしめ、僕はそう宣言する。もはや後戻りできないのは、僕とて同じ事だ。この期に及んでジタバタはすまい。今はただ、自らに求められる役割を演じるのみだ
……求められる役割を演じる、か。責任って、そういうものだものな。僕もソニアも、それから逃げすぎていたのかもしれない。マリッタが混乱するのも仕方の無いことだ。せめて、この過ちは二度と繰り返さないようにしなくては。いま、僕の手の中にあるものだけは必ず守り抜いて見せよう。
「さあ、ソニアたちのところへ戻ろう。この茶番劇に終止符を打ちにいこうじゃないか」
こんなくだらない戦争は、今すぐ終わらせなくてはならない。そのためには……フランセット殿下であれ、マリッタであれ、そしてフィオレンツァであれ……誰が相手であっても、戦ってやる。それが軍人である僕の義務だ。




