第642話 くっころ男騎士とカマキリ娘の決断
立ち塞がる王国ライフル兵を蹴散らし、突破口が見えた矢先の出来事であった。増援として現れたのは、スオラハティ家の紋章を掲げた重装騎兵集団。そう、マリッタである。
「……」
ちょっと……いや、だいぶ困った。門前のスオラハティ騎兵隊、門後の近衛騎士団。現状を要約するとそういう感じである。
幸いにも、後方の近衛騎士団はまだ様子見を続けているようで、正門に槍衾のバリケードを作る以上の対応を取っていない。どうやら、僕たちの脱出阻止に積極的に参加しようという気概はないようだった。
しかし、マリッタはそのような手ぬるいやり方はしないだろう。むしろ、やる気満々であるはずだ。弾薬も消耗している現状で、万全な彼女らと正面衝突するのはかなりしんどい。
「……ジョゼットらと合流しよう。とにかく、戦列を組まないことにはまともに戦えない」
「同感だね」
僕と母上、そしてダライヤは残敵を牽制しつつ近侍隊やネェルの元へと急いだ。一度は士気崩壊寸前まで追い詰められていた王国兵たちだが、味方の馬蹄の音を聞いて戦意を取り戻しつつある。おかげで前に進むのも一苦労だった。
「まぁた城内でスオラハティ騎兵隊に追われる羽目になるとは! これで二回目ですよ!!」
走り寄ってきた僕たちをみて、ジョゼットがうんざりしたような表情で叫ぶ。似たようなシチュエーションが、レーヌ城からの脱出戦でもあったのだ。
あの時もたいがい難儀したモノだが、今回はなお酷いかもしれない。なにしろ前回はあくまで後方からの追撃だったが、今回は前から迫ってきているのだ。退路は近衛騎士団の槍衾で塞がれており、交戦の回避は不可能だった。
「良かったじゃ無いか。マリッタの騎兵隊と僕の近侍隊、どちらが強いか白黒つける良い機会だ。燃えるね」
などと軽口を叩きつつも、僕の頭脳は高速で空転していた。状況は明らかに悪化しつつある。早急に対処せねば手遅れになりそうだが、冴えたアイデアは湧いてこない。いや、手遅れになりそうというか、すでに手遅れなのでは……?
「……最悪、お前だけあのカマキリちゃんに乗せてもらって退避、というのも手だぞ。少なくとも、作戦目標であるお前の救出だけは成るわけだからな」
母上が嫌なことを囁いてきた。なるほど、ネェルの飛行能力を生かす案か。マリッタ自慢の騎兵とは言え、空に逃れれば対処のしようがないのは確かだろう。しかし……
「ダメだ、ネェルは長距離を飛べない。結局、いずれまた地上で敵に捕捉されることになるだろう。そのときに、使える戦力が僕とネェルだけではじり貧になるのは確実だ……」
それに、空の旅もまったくの安全というわけではない。昼になれば、王軍自慢の翼竜騎兵部隊が出てくるのは確実だ。いくらネェルでも、人を背中に乗せた状態で翼竜相手に空中で連戦を続けるのは厳しい。
「……ネェル! 敵前衛をなぎ払え!」
母上やジョゼットを見捨てるような真似はしたくないし、戦略的に見てもここで歩兵戦力を切り捨てるのは論外だ。手札を使い潰すような戦術は、後詰めに使える他の手札があってこそ初めて選択肢に入る。今の僕にはそのような贅沢な戦法は取れない。ならば、ムリでも何でも皆が無事に脱出できるやり方を模索するほかないだろう。
「お任せ、を!」
ネェルが両手の鎌を大きく広げ、旋風のようにキリキリ舞いした。戦列を組んでいた王国兵が次々に殺されていく。まるで雑草だらけの野原を草刈り機で刈っているような景色だった。
いま僕たちがやるべき事は、目の前の雑兵を素早く片付けマリッタ騎兵隊との戦いに専念できる環境を整えることだ。こんな狭い空間で騎兵と歩兵の混成部隊と戦うなんて冗談じゃないからな。手近な仕事からさっさと終わらせるほかない。
「ぐっ!?」
乾いた銃声が響き、ネェルが苦悶の声を漏らした。敵歩兵の放った銃弾が、彼女の二の腕をえぐったのだ。大ぶりな攻撃は隙も大きい。さしものネェルも、大回転攻撃を仕掛けながら鉄壁の防御を維持するのは困難だったのだ。
「こんなろ! よくもネェルを!」
「ぬわっ!?」
彼女の背中に跨がったカリーナが、怒りの声とともに拳銃を乱射する。ネェルを狙っていた王国兵の一団が、掃射を浴びて怯んだ。
「ふんぬ」
もちろん、その隙を逃すネェルではない。即座に追撃を仕掛け、敵の一隊をあっというまに刈り取ってしまう。被弾した割には、その動きに鈍りは無い。彼女は体が大きいため、対歩兵用の銃弾を受けても(それが急所で無い限りは)一撃で戦闘不能になったりはしないのだった。
「ネェル! ムリはするな!」
無茶を命じたのは自分の方だというのに、僕は反射的に矛盾した命令を出していた。彼女が傷つく姿は見たくない。いや、それは他の連中だって同じだ。出来ることなら、僕が殿になって皆を逃がしたいくらいだ(もちろん、今の状況でそんなことをしても実現性は皆無だが)。
……前世の僕が死んだのは、そういう選択肢を選んだ結果だった。僕は現世でもアレと同じ事を繰り返すのだろうか? たしかに、部下や同僚にすべての責任を押しつけて死ぬまで戦い続けるのは気分が良い。けれども……
「おい! 気合いを入れろ、クソッタレども! このままじゃあネェルに全ての手柄を持って行かれるぞ!」
ジョゼットの気合いの入った声が、僕の益体の無い思考を止めた。いかん、いかん。現実逃避している場合じゃ無いぞ!
「行けッ! 殲滅だッ!!」
サーベルを振り、ネェルの食い残しを指し示す。ジョゼットらは一斉に「センパーファーイ!!」と応え、這々の体でネェルから逃れる王国兵へと襲いかかった。もちろん、僕や母上、ダライヤもそれに続く。
「ば、化け物め……!」
「もういい! どうせトドメはスオラハティだ! これ以上わたしたちが命を張る理由は無い!」
この一斉攻撃は、盛り返しはじめていた王国兵の士気を完全にへし折った。一人がライフルを捨てて踵を返すと、他の者もそれに続き始める。僕たちは彼女らを打ち破ったのだ。
「アルベェェェェル!! この期に及んで逃げだそうとはいい度胸だッ!!!!」
だが、勝利に浸っている時間は無かった。いよいよ、スオラハティの旗印を掲げる騎兵集団が参戦したのだ。その先頭に立つ大柄な女は……やはり、マリッタだった。
「マリッタ! お前、王太子殿下の軍には参陣しなかったのか!?」
上がり始めた息をなんとか整えつつ、マリッタに問いただす。彼女の参戦はまったくもって予想外だった。奴がいなければ、脱出作戦はずっと簡単なものになっていただろう。
「ワタシまで王都を留守にしたら、誰が貴様の脱走を阻止するのだッ!?」
「それはそう」
まったくの正論だった。僕がこのタイミングで脱走を決意したのは、今ならマリッタとカチ合わずに済むだろうという計算もあったからだ。どうやらマリッタはそこまで読み、あえて僕の前から姿を消して自身を伏兵としたらしい。さすがはソニアの妹、頭が良く回る……。
「見ていろ、アルベール! 貴様の希望の火をここで潰し、今度こそ屈服させてやるッ! 突撃用意!」
マリッタの号令に従い、騎兵隊の前衛が隊形を整えた。前衛に立っているのは、全身甲冑に長大な馬上槍という装備の槍騎兵たちだ。
ライフルが普及した現在においても、槍騎兵隊の破壊力は微塵も色あせていない。対するこちらは隊列が千々に乱れ、防御陣形も取れていない状況だ。おまけに戦場は狭く、後方も塞がれている。逃れる先はどこにも無かった。
「アルベールくん」
静かな声で、ネェルが僕の名を呼んだ。そちらに目を向けると、彼女は座った目つきでこちらを見返す。
「ネェルが、突破口を、開きます。追撃は、許しません。その隙に、脱出を。……カリーナちゃん。そこの、男の子を、連れて、ネェルから、降りてください」
「エッ!?」
カリーナが素っ頓狂な声を上げた。嘘でしょ、と言わんばかりの様子で彼女の肩を揺さぶるが、ネェルは首を左右に振るばかりだった。……彼女は、自らを犠牲に僕たちを逃がすつもりなのだ。
「さようなら、アルベールくん。それに、みんなも。後は、すべて、お任せあれ」




