第640話 くっころ男騎士の再会
ジョゼットに率いられた救出部隊と合流することに成功した僕たちだったが、まだ安心するには早かった。どうやらジョゼットらは少人数の潜入部隊のようで、戦力に余力があるようには見えなかったからだ。
この城はガレア王国の中枢だ。主力部隊は出陣中とはいえ、その警備は尋常では無く手厚い。一個小隊程度の兵力しかない現状では、いかに近侍隊が精鋭であってもじきにすりつぶされてしまうだろう。
「敵を近付けさせるな! 撃って撃って撃ちまくれ!」
僕たちは強固な防御陣形を組み、近衛と衛兵の合同部隊に対して牽制攻撃を仕掛けながら正門の外へと出た。とはいえ、それはあくまで天守から出たというだけに過ぎない。城を防御施設としてみるのならば、むしろここからが本番だった。
王城はこの手の城郭としてはごく標準的な構造をしており、本丸の周囲にはいくつかの曲輪(二の丸、三の丸)が構築され敵軍の侵入を阻んでいる。城下町まで逃げ延びるためには、ここからさらにそれらの関門を突破せねばならないのだ。
レーヌ城の戦いの焼き直しだな。懐かしき硝煙の香りに包まれながら、僕は薄く笑った。あの時もたいがい無茶をしたものだが、同じようなことをまたやる羽目になるとは。正直なところ勘弁して欲しかった。
「おおい! こっちだ!」
近侍隊の一人が発煙筒を振り回しながら叫ぶ。耳を澄ますと、独特な羽音がどんどんと近づいてきていた。翼竜などとは明らかに違う、この昆虫めいた飛翔音。
次の瞬間、ドシンと凄まじい音がしてナニカが天上から落ちてきた。微かな月光に照らされたそれは、下半身がカマキリで上半身が人間という異形の姿。初めて出会ったときは恐怖を覚えたその外見も、今となっては頼もしさと愛しさしか感じない。
「ネェル!」
僕は思わずそう叫び、彼女のもとに駆け寄った。まだ抱っこしたままだった男中くんが、「ひい」と小さく声を上げる。
僕たちはすっかり慣れてしまっているが、確かにネェルの姿は初見の者にとっては少々刺激が強いかもしれない。少し苦笑して、「大丈夫、味方だ。そこらの兵隊よりもよっぽど淑女的な娘だから、安心していい」と耳打ちしておく。
「アルベールくん!?」
こちらの声を聞いたネェルは、目を細めながらそう叫んだ。その目つきからみて、どうやら僕たちの姿はよく見えていないようだった。彼女はまったくもって夜目が効かないのだ。……そんなんでよく夜間飛行ができたな。
「えっ、えっ、本当に、アルベールくん、ですか? えっ!? どうしてこっちに……」
ずいぶんと混乱している様子のネェルに、どうにも居心地の悪さを感じる。ジョゼットの本来の作戦では近侍隊はあくまで陽動であり、彼女らが敵の目を引きつけている間にネェルが裏手に回って僕を救出する手はずになっていたようだからな。助け出すはずだった相手が何故か陽動部隊と一緒に居たら、そりゃあ混乱だってするだろうさ。
「こいつのことだ、どうせ自前で脱出してきたんだろうさ」
ネェルの背中から何者かが飛び降りてきて、蓮っ葉な口調でそう言い捨てた。ごろつきめいたそのしゃべり方も、掠れたようなその声音も、僕にとってはなじみ深いものだった。
「母上!? どうしてここに!?」
まさかの人物の登場に、僕はさっきのネェルと同じ言葉を吐く羽目になった。そう、彼女こそ現世における僕の母親、デジレ・ブロンダンその人である。
「馬鹿野郎! 息子の貞操の危機だよ、手をこまねいて見ている母親がどこにいるってんだ! ……ま、ちと到着は遅くなっちまったがね」
「私が協力を要請したんです。流石に独力で王城に攻撃を仕掛けるのは厳しかったので……」
いつのまにか寄ってきていたジョゼットが、小さな声で耳打ちしてくる。僕の実家は王都にある。敵地内での信頼できる協力者として母上を選んだと言うことか。なるほど、冴えた作戦だ。しかし……
「僕の家族まわりには監視がついていたと思うんですが」
名目上は保護であっても、やはり僕が捕虜である事にはかわりなかった。普通に考えて、その縁者には監視をつけない方がおかしい。相手は諜報畑出身のフランセット殿下だから、このあたりの体制に手抜かりは無いだろう。そんな状態でよく救出部隊と合流できたな。
「監視か、確かにそんな連中もいたね」
ニヤリと笑ってから、母上は銀色の小さな水筒を口に運んだ。間違いなく、その中身はウィスキーかブランデー、あるいはジンだろう。
「ま、全員ぶちのめしてやったが」
「さすがは母上」
変わってないなぁ、この人も。乱暴すぎる解決法に、僕は笑みが隠せなかった。相手はガレアの強盗騎士と呼ばれた女だ。少々の監視部隊など抑止力にもならないだろう。男中くんがボソリと「この母あってこの息子あり」などと呟いているが、気にしない。
「ついでに言えば、ブロンダン家からの増援はあたしだけじゃあないよ。ホラ、馬鹿娘! あんたも挨拶しときなっ!」
「アッハイ」
母上がネェルの足をバシバシと叩くと(当然ながらネェルはクソ迷惑そうな顔をしていた)、その背中側から見慣れた顔がひょっこりと飛び出した。
「ど、どうも、お兄様」
「カリーナ! お前も来てたのか」
「このカマキリちゃんの騎手役だとよ。まっ、これでブロンダン家実戦部隊は全員集合ってわけだ」
そう言うなり、母上は僕が抱いていた男中くんの襟首をむんずと掴んで持ち上げた。そしてそれをそのままネェルの背中に無造作に投げ込む。男中くんの「ひゃあ!?」という叫びと、カリーナの「ぴゃあ!?」が重なって聞こえた。
「戦利品のほうはカマキリちゃんに任せるとして、アンタが持つべきモノはこっちだ。そうだろ?」
歯をむき出しにして笑いつつ、母上は僕に剣を手渡した。僕好みの、両手持ちができるよう柄が延長されたサーベルだった。そしてついでとばかりに陶器製の酒瓶も押しつけてくる。
「そっちは脱獄祝いだ。駆けつけ一杯やっときな」
「ウッス」
母親からの久しぶりのプレゼントだ、もちろん受け取り拒否などという選択肢はない。コルク栓を開け、中身を口に流し込む。
「娑婆の味だ」
王城で饗されていたワインには遙かに劣る風味だが、僕はリースベンに赴任する前にはこの大衆ワインを毎日のように飲んでいたのだ。正直に言えば、こちらのほうが何倍もウマく感じる。
「なんだろう、感動の再会が、ぜんぶ、義理の母に、もっていかれちゃったんですが」
「仕方ないよ、お義母様だもの」
唇をとがらせるネェルを、カリーナが慰めた。うん、本当に母上ならしゃーないよ。この人、場に存在するだけで湿っぽい空気をぜんぶ退散させてしまうようなパワーがあるんだよな。
「ははっ、みんなが来てくれて嬉しいよ。ありがとうね」
実際、懐かしい空気に触れた僕は鼻の奥がツーンとしていた。やっぱり、お城の奥でしおらしくしているよりも彼女らと一緒に馬鹿話をしているほうが何倍も楽しいな。
このままずっと緩い空気に浸っていた気分だったが、残念ながらそれは状況が許さない。ポンポンと軽い破裂音がして、周囲が明々と照らし出された。敵方が照明弾を発射したのだ。
「曲者はあそこだ! であえであえ!」
それと同時に、後方から敵集団が現れる。板金製の胴鎧と兜で身を固め、小銃で武装した集団だ。装備から見て近衛や衛兵ではない。王城に駐留している王軍の正規部隊だ。
「またぞろ厄介そうな連中が出てきたのぉ」
やれやれといった様子でダライヤが肩をすくめる。周囲に遮蔽物のない状態でライフル兵とやり合うのは、ボルトアクション銃の優位込みでもなかなかに難儀だ。敵が体勢を整える前に対処した方が良いだろう。
「ひとまず城下町まで撤退しましょう。アル様、指揮をお願いします」
ジョゼットの提案に、僕はサーベルを鞘から抜き放ちつつ頷いた。その切っ先を敵歩兵隊に向け、気合いを入れて叫ぶ。
「よろしい、では行くぞ! 突撃ッ! 我に続けェッ!」




