第638話 くっころ男騎士の予定変更
王城内でのスニーキング・ミッションを続けていた僕たちだったが、脱走の発覚により衛兵隊は急速に厳戒態勢を敷き始めた。隠れ場所の無い曲がり角に追い込まれた我々は、一か八かの強行突破でこの場から逃れようとしたのだが……。
「うわっ!?」
突如、夜の王城を激震と轟音が襲った。いやな軋み音とともに、天井からはらりとホコリが落ちてくる。男中が足を取られてふらついたのを見て、僕は慌てて彼を支えてやった。
「……砲弾か爆弾が爆発した音だぞ、これは。まさか、このタイミングで救援が来たとでも言うのか?」
一瞬、弾薬庫で事故でもあったのかという想像がよぎったが、それにしては震動が小さすぎる。この雰囲気ならば、軽砲の榴弾一発という感じだろうか。
「救援!? まさか、城門に大砲でもブチこんだのか!? む、むちゃくちゃするのぉ」
「うちのバカどもならそれくらいはするだろうさ」
国王陛下の御座すこのパレア城に砲撃を仕掛ける理由と能力を有する組織は、我らがリースベン軍をおいて他にあるまい。僕の顔には、先ほどまでとはまったく種類の異なる笑みが浮かび始めていた。孤立無援かと思いきや、これほどベストタイミングでの援護が入るとは。地獄に仏とはこのことだ。
「アッ!? 貴様ら、何者だ!」
困惑の滲んだ誰何が僕の耳朶を叩く。とうとう、衛兵隊に見つかってしまったのだった。前方に現れた敵兵は五名ほどの小集団で、鎖帷子と短めの剣で武装している。屋内の警備兵の基本装備セットだ。
こちらはほぼ丸腰で、相手はフル武装。目の前の敵五名ですら対処困難な戦力差だというのに、敵は後方からも迫っている。まさに絶体絶命の状況だった。しかし、彼女らの顔には明らかな動揺が浮かんでいる。間違いなく先ほどの爆発音のせいだ。
「動くなッ!」
衛兵隊が一斉に剣を抜こうとするのを見て、僕は大きな声で制止した。意識して、部下を叱る下士官のような声音を作る。兵隊に言うことを聞かせるには、鬼軍曹めいた言い方が一番だ。
「我々は人質を取っている! 血を見たくなければ余計な事はするんじゃないッ!」
僕は男中を引き寄せ、その首元にナイフを突きつけた。手はず通り、彼は迫真の演技で恐怖の籠もった悲鳴を上げてくれた。絹を引き裂くようなその叫びに、衛兵らの体がビクリと跳ねる。
「ひ、卑劣な……!」
男中とはいっても、ここは王城だからな。そこで雇用されている使用人は、ほとんどが身元の確かな貴族出身者で占められている。つまり、人質としては十分に機能するということだ。案の定、衛兵たちは浮き足だった様子でこちらを罵倒してきた。
この様子ならば、こちらが誰かという部分にすら思考が巡っていないようだな。当然、その動揺につけ込まない理由はないだろ。このまま強行突破だ!
「行くぞッ!」
僕は拘束していた男中をひっつかみ、いわゆるお姫様抱っこの姿勢へと移った。この世界の男性(もちろんその全員が只人だ)は総じて小柄で、一七○センチ台中程の僕でもかなりの長身の部類になる。この世界基準でも華奢な体型の男中を抱え上げる程度ならば、強化魔法を使う必要も無く極めて容易であった。
「きゃあ」
心なしか楽しげな男中の声を合図にしたように、僕とロリババアは衛兵隊へと突撃した。予想外の行動に、彼女らは武器を抜くことすらできず固まっている。
僕はスライディングの要領でその足下をすり抜け、ついでに棒立ちになっていた一人の兵の腰から剣を勝手に引っこ抜いた。人質に、泥棒。どんどんやることが小悪党めいていくな。そう思うと、笑いが堪えられなかった。
「予定変更! 救出部隊との合流を目指すぞ!」
爆発音は正門の方向から聞こえてきた。リースベン軍の教本どおりに行動するならば、砲撃を加えた後は着弾地点に向けて歩兵部隊の突撃が行われるはずだ。つまり、そこへ向かえば味方と合流できるってわけだな。
幸いにも、僕は城内の地図は完全に頭の中に入っている。迷って時間を浪費するようなことはあり得なかった。後ろから聞こえてくる「待て!」という声を無視しつつ、僕は大急ぎで走り始めた。
「行き当たりばったりじゃのぉ! 万一あれがたんなる事故じゃったらどうするんじゃ!」
「泣いてごまかすさ! 男の涙はどんな状況でも通用する必殺技だって父上が言ってたぜ」
「はぁ、もう、このアホ男は!」
嘆くロリババアに、僕は笑いながら盗んだ剣を投げ渡した。流石に人質を抱えたままチャンバラをするような真似は出来ないからな。武器はババアが持っていた方がいいだろ。このババア、魔法だけではなく白兵もなかなかのものがあるしな。
「曲者だ! 出会え出会え!」
「アッ! ありゃブロンダン伯だぞ!」
「伯爵様が人質とって逃げ回ってるってのかよ!」
当然、衛兵隊もやられるばかりではない。騒ぎを聞きつけた増援が現れ、僕たちの前に立ち塞がる。
「おのれ、どいつもこいつも! ワシの穏やか老後生活はいつになったら始まるのかのぉ!」
大声でわめきつつも、ロリババアの行動は恐ろしいほどに迅速だった。彼女は床を蹴り、弾丸のような勢いで前方の衛兵たちへと襲いかかる。
「グワーッ!?」
白刃が煌めき、鮮血が迸った。年齢四桁の古老が練り上げた剣技は、竜人とエルフの体格差など問題にならないほど隔絶している。蝶のように舞い蜂のように刺す、という言葉そのままの戦いぶりで、ダライヤはあっという間に衛兵たちを蹴散らしていった。
「わあ」
腕の中の男中から素の声が漏れた。童女のようなダライヤが、大柄な兵隊どもを木っ端のように蹴散らしていく様はなかなかに非現実的だ。やはり、このロリババアの戦闘力はどうかしている。……いや、エルフ全体がそんな感じか。
「ブロンダン伯を抑えてしまえばこちらの勝利だ! 行け! 行け!」
もっとも、僕にはその戦いをのんびりと見守っている贅沢などは許されない。剣を刺股に持ち替えた衛兵たちが、こちらに向けて突撃してきたからだった。
「こっちはこっちで手一杯じゃ! そちらはそちらでなんとかせぃ!」
「ムチャを言ってくれる!」
「その言葉、そのまま返すぞ!」
軽口を交しつつ、僕は男中を真上に投げ飛ばした。「ひゃあ」という声が聞こえるが、無視するほかない。流石に両手が塞がった状態で敵に対処するのは不可能だからな。
「キエエエエエッ!!」
刺股だなんだといっても、その対処法は槍と変わらない。自分に向けて突き出されたそれを僕は裏拳を使って弾きとばし、再びスライディングを仕掛けて衛兵へと肉薄する。長柄武器の一番の対処法は、使い手の懐に潜り込むことなのだ。
「グワッ!?」
衛兵の胸ぐらを掴み、大外刈りで地面へと引き倒す。追撃はしない。別の衛兵がこちらに向けて刺股を突き出そうとしているのが見えたからだ。地面を蹴り、彼女の顔面へと正拳突きを見舞う。鼻血を出しながらたたらを踏む衛兵の顎を、渾身のアッパーで打ち抜いた。
「ほげっ……」
彼女が白目を剥いて昏倒するのと同時に、天井から男中が落ちてきた。僕はそれをキャッチし、動揺する衛兵隊の間をすり抜ける。彼女らは謎の爆発音や捕虜脱走でひどく動揺している。隙をつくのは実にたやすいことだった。
「失礼! 紳士的対応が出来る状況では無くてね、許してくれ!」
「ブロンダン様が紳士的だったことなんか今まで一度もございませんよ!」
「わはは、そりゃそーだだ」
この世界における紳士とは、腕の中で震える彼のような男のことを言うのである。心底愉快な気分になりつつ、僕は走った。正門前のホールはすぐそこだ。敵がこれ以上集まる前に味方と合流せねばならない……。




