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第636話 くっころ男騎士の脱走

 これほどまでに情勢が激変している状況で、これ以上王城に引きこもり続けるわけにはいかない。それが僕の出した結論であった。つまり、自力脱出を決意したわけである。

 とはいえ、それは極めて困難な作戦だった。王太子殿下は出陣中とはいえやはりここはガレア王国の政治の中枢であり、当然ながら最高クラスの警備が敷かれている。これをバックアップなしで突破するのは無茶を通り越して無謀ですらある。

 懸念材料は他にもあった。装備の不足だ。なにしろ僕たちは一応捕虜であり、武器の類いは取り上げられている。僕の方はまだなんとでもなるが、魔法が本分であるロリババアの方はたいへんに厳しい。

 戦闘に用いるような魔法は、発動体と呼ばれる補助具(たいていは杖。エルフの場合は木剣)を必要とするのだ。最高クラスの魔術師であるダライヤすら、発動体がなければ大した魔法は使えない。例外は、僕の使うような自分自身の肉体に干渉する魔法だけだ。

 これだけの懸念点があるのだから、ダライヤが短慮を戒めるのも当然のことであろう。しかし待てど暮らせど救援が来ない以上、やはり何かしらの対応は取らねばならない。僕も、いつまでも情報収集情報収集で時間を潰していて良い身の上ではないのである。


「申し訳ない……」


「きゅっ」


 ある夜。晩酌という名目でダライヤを自室に呼んだ僕は、一瞬の隙を突き見張り役の若い近衛騎士に襲いかかった。彼女とはすっかり打ち解けており、こちらに対する警戒もほぼ皆無になっている。背後を取り、その首を締め上げて意識を刈り取るのは実に簡単なことであった。

 強靱な竜人(ドラゴニュート)とはいえ、頸動脈を絞められれば一瞬で昏倒してしまう。白目を剥いて床に倒れ込む彼女を、僕は急いで支えてやる。彼女は武人としてはあまりにも隙だらけだったが、それが却って僕の罪悪感を刺激していた。この騎士は、僕を敵だとは思っていなかったのだ。


「あーあ、本当に始めおったか」


 ダライヤが僕に呆れの目を向けている。相変わらず彼女は自力脱出には反対のようだ。まあ、自分でも短慮をやっている自覚はあるよ。でも、これ以上無為に時間を浪費し続けることに我慢ができなくなったんだよな。


「なに、成算がないわけじゃあないさ。なにしろここは僕の元職場だからね」


 近衛騎士をベッドの上に転がしてから、僕はロリババアに笑いかけた。そして、事前に用意してあった謝罪の手紙を近衛騎士殿の懐へとねじ込んでおく。彼女にはたいへんに申し訳ないことをしているからな。直接は無理でも、書状で謝っておきたかった。無垢な若者をだまし討ちすることほど心が痛むものはない。


「ほー? そうか。まっ、オヌシがそう言うんならそうなんじゃろうな」


 ロリババアの疑いの目を苦笑で跳ね返しつつ、僕は己の脳内から余計な感傷を追い出した。今はこの近衛殿だのフィオレンツァだののことなどを考えている場合ではない。とにかく任務に集中するべきだ。


「外の見張りが異変に気付くまでに、それなりに遠くまで逃げておかなきゃならない。急ぐぞ」


 そう言って、僕は近衛殿の懐から小さな日用ナイフを奪った。もちろん彼女は帯剣しているが、そちらには手を出さない。今の状況では剣がひと振りあったところで大した助けにはならないし、そもそも剣は騎士の魂だ。よほどの理由がない限り、それに手をつけるのは気が咎めた。まあ、もちろん必要ならやるがね。

 僕はまず手始めに、窓にかけられていたカーテンを剥ぎ取った。分厚い毛織物の、いかにも丈夫そうな生地だ。これをナイフで細長く切り裂き、よじりあわせて即席のロープにする。この手の工作は割と得意だ。


「さあて、いくぞ」


 完成したロープを窓際のキャビネットへとくくりつけ、僕は窓(貴重な板ガラス製だ)を開放した。僕の居室があるのは、王城の上層階だ。当然ながら、このまま飛び降りれば命はないだろう。


「ひえ……ここから降りるのかのぉ? 正直嫌なんじゃが」


 ヘドロのような闇が滞留する地上を見下ろしつつ、ダライヤが体を震わせた。冗談めかした口調だが、これはなかば本音だろう。

 一応手元には即席のロープがあるが、材料が材料だけに地上まで安全に降りるためにはまったく長さがたりない。ロープを命綱にして降りられるのは、せいぜい行程の四割といったところであろう。あとはフリークライミングでなんとかするしかない。


「しゃあないだろ、他に選択肢はないんだから……」


 この部屋の外には複数の騎士が待機している。これを強行突破するのは現実的ではないし、仮にそれに成功したところで増援を呼ばれればその時点でジ・エンドだ。今回の作戦は、とにかく敵に見つからないことが第一なのである。


「いまさら四の五の言っても仕方ないだろ。行くぞババア」


 ニヤッと笑ってそう宣言すると、僕は率先して窓の外へと飛び出した。ロープをしっかりと握りしめ、石造りの壁を蹴って降下していく。虜囚生活で多少鈍っているとはいえ、ラペリング降下の訓練は幾度となくやっているからな。この程度ならお手の物だ。

 ……と、思ったのだがやはりそう簡単ではない。なにしろ今使っているローブはカーテン製で、生地の問題でめちゃくちゃに滑りやすかった。しっかりとしたロープと懸垂降下器を使って行うラペリングとは、やはりずいぶんと勝手が違う。


「まあ、そうはいってもロープがあるだけマシなんだが……」


 とうとうロープの末端へとたどり着いてしまった僕は、そう小さく呟く。地上への行程はまだ半分も消化していない。ここからは、じぶんの身一つでフリークライミング(降りるわけだからクライミングではないが)していくしかないのだ。両手両足にぐっと力を入れ、石壁に張り付く。


「なるほど、窓に鉄格子をつけなかったのはこういうワケか」


 思わずそんな言葉が漏れた。予想以上に石壁が滑らかで、張り付くだけでも一苦労だったからだ。壁に用いられている石は例外なくツルツルに研磨されており、掴みにくいことこの上ない。間違いなく人力登攀(とうはん)対策だな。さすがは国王のおわす城だけあって、くせ者が壁から上ってくるような想定もされているらしい。


「マリーン舐めんなファンタジー……!」


 が、僕も伊達に精兵は名乗っていないのである。根性の限りを尽くして丸石をぐっと掴み、慎重に下降を再開する。ちらりと上を伺うと、ダライヤもロープ降下を終えて壁にくっついていた。その格好は、なんだかデカい虫のようにも見える。


「んふ」


 自分もまったく同じような格好をしていることを棚に上げ、僕は小さく笑い声を漏らした。笑っちゃいけないタイミングほど笑いの沸点が低くなる。不思議な現象だよな。


「んもー、ワシの夫殿はどうしてこうも無茶ばかり好むのかのぉ! ワシの穏やかな老後はどこじゃ!」


 ダライヤはダライヤで、小声でブツブツと文句を呟いている。しかし、その足取り(?)は僕よりもよほど軽やかだ。やはり、こういう状況では体重が軽いほうが有利だな。


「おっとと……」


 まあ、焦っても仕方がない。滑落しないように気をつけながら、慎重に降下を続けていく。途中で二度、三度くらい足や手を滑らせて落下しかけたが、なんとか堪えて無事地上に降り立つことに成功した。

 靴底が地面に着くと、僕の顔に自然と笑みが浮かぶ。ああ、確かな足場があることほど嬉しいことはないな。もう二度とこんなムチャなフリークライミング(?)はしたくない。血の滲む両手を開いたり閉じたりして調子を確かめてみると、鋭い痛みが走った。握力の使いすぎだ。


「おおおおう……もおおお……」


 怨霊めいたうなり声をあげながら、ダライヤも降下を完了した。彼女も僕と同じように、手のひらを開閉したり足を屈伸したりしている。やはり彼女にとっても石壁下りは楽な仕事ではなかったようだ。

 正直なところ僕もこのまま寝転がってしまいたいくらいにくたびれてしまったが、残念ながら脱出作戦はここからが本番だ。僕はポキポキと腕の音を鳴らせつつ大きく息を吐いた。

 僕たちの降り立ったこの場所は、以前よく茶会をしていたあの中庭だ。まあ、外部へ繋がる窓のついた部屋を捕虜に与えるはずもないので、こればかりは仕方がないが……城から脱出するためには、一度再び城の中に戻らねばならないのである。

 むろん僕とて無策ではなく、いくつか手は打ってある。とはいえやはり無謀な作戦である事には変わりなく、その難儀な前途を思うと思わず笑みが浮かんでしまった。うん、やはり脱出を選択したのは間違いではなかったな。部屋で鬱々としているよりは、こうして難題に挑んでいるときの方がよほど気分がいい……。


「オヌシはまたそんな顔をして……まったく、厄介な男を好いてしまったもんじゃ」


 そんな僕を見て、ロリババアは大きなため息を吐いた。


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