第634話 くっころ男騎士の苦悩
ガレア情勢が風雲急を告げる中、僕とロリババアは相変わらずの虜囚生活を続けていた。……むろん、もちろん無駄に時間を浪費していた訳ではない。なかば協力関係となった近衛騎士団の力も借りて、情報収集や人脈構築などをしていたのである。
とはいえ、やはり僕の本分は軍人だ。戦局になんの寄与もしないまま、後方で安穏とした日々を過ごすことにはひどく罪悪感を感じてしまう。一緒に収監されているロリババアなどは(少なくとも表面上は)優雅な生活をエンジョイしている様子なので、彼女のツラの皮の厚さがうらやましくなることもしばしばだった。
そんなある日、僕はフランセット殿下のお茶会に呼ばれた。これ自体は、決して珍しいことではない。暇なご身分でもなかろうに、この王太子はたびたび僕を呼び出したり自ら部屋にやってきたりするのである。
ところが、王城の中庭で僕を出迎えたこの日の殿下は、普段とはずいぶんと様子がことなっていた。彼女の顔には、誇らしいような、それでいて罪悪感を覚えているような、なんとも複雑な表情が浮かんでいる。
「アルベール軍を称する反乱軍どもが、オレアン領の突破に失敗して後退したそうだ」
型どおりの挨拶を交わした後、殿下はいきなりそんな情報を投げつけてきた。宰相軍(正直なところアルベール軍とは呼びたくない)が王軍との本格的な交戦を開始したとの話しは聞いていたが、どうにも戦況のほうはあまり芳しくないようだな。
「左様ですか」
務めて無表情を貫きつつ、僕は(ここ数ヶ月でたたき込まれてしまった)典雅な所作で香草茶のカップを口につける。
フランセット殿下はこの王都で軍の再編成に東奔西走していたようだから、ソニアたちと対戦したのはガムラン将軍の軍か。たしかオレアン領にはそれなりに大きな川が流れていたな。そうなると、渡河作戦に失敗したというのが一番あり得る線だが……。
ソニアは優秀な士官だが、自らが軍を率いて指揮を執った経験は乏しい。対して、ガムラン将軍は百戦錬磨の知将だ。おそらく、そのあたりの差が作戦の成否に大きな影響を与えてしまったのだろう。
「その表情、どうやら君はまだ勝利を諦めていないようだね」
憂いの籠もったため息を吐き、フランセット殿下は僕に倦んだような目を向ける。
「アルベール、君を縛っていたアデライドの鎖はもはや砕け散っているんだ。なぜ、君はまだあちら側に立ち続けている? かつての部下に、義理や情を感じているのかな」
「僕が将を目指したのは、誰かに強制されたからではありません。僕は、自分自身の足であの場所に立っていたのです。そして、それは今も変わっておりません」
このようなやりとりは、フランセット殿下と面会するたびに繰り返されていた。また同じ事を繰り返すのか。そういう気持ちを込めて殿下を睨むと、彼女は再びため息を吐いて目をそらした。向こうの方も、いい加減同じやりとりの繰り返しには飽きているようだった。
「君ほど強情な男は初めてだよ、アルベール。あまりに強情すぎて、いよいよ自分の判断が誤りだったのではないかという気分になってきた」
そう語るフランセット殿下の目には、一年前には無かった暗い光が宿っている。彼女は疲れ切ったような表情で、小さく肩をすくめた。
「けれども、アルベール。アデライドの元で政治の沼に溺れている君よりも、酒場でバカ騒ぎをしている君の方がよほど楽しそうだったよ。どうして君は、わざわざつらい方の道を選ぶんだい?」
「そういう性癖だからですよ」
「ふっ」
僕の答えはひどく投げやりだったが、どうやら却ってそれが殿下のお気に召したようだった。苦渋に満ちた表情が一瞬ほころび、薄い笑みへと代わる。しかし、それも一時のことだった。
「しかし、なんであれ既に賽は投げられている。余はもう止まれない」
「……さようで」
「アデライド派の諸侯どもや口さがない宮廷雀などが、余のことを”色に狂った暗愚”と読んでいることは知っている。なるほど、言われてみれば一理あるかもしれないね。事実、余はアデライドから君を奪い、自分の鳥かごへとしまい込んでしまったのだから」
殿下の口から飛び出した言葉に、思わずゲンナリとしてしまう。これでも、僕は紛争の抑止者を気取ってたんだ。それが戦争の引き金を引く一因になってしまうだなんて、悪夢以外の何物でも無いだろ。しかも、その理由が死ぬほどくだらないモノなんだからなおさらだ。
「けれども……」
しかし、どうやらそれをくだらないと感じているのは僕ばかりではないようだった。当事者であるフランセット殿下ですら、どうにもやるせないような態度を見せている。
「君だけには知っていてほしい。確かに、余はアデライドが妬ましかったさ。けれどもね。公人として、王太子として、これ以上宰相の力が増すことは容認できない。そういう判断があったのも事実なんだ。決して、私情ばかりが理由で戦争を起こしたわけではない」
「戦争という現実を前に、あなた様の動機ひとつにどれほどの価値がありましょうか。肝心なことは、市民と安全と安心をいかに守るか……ただそれだけです」
冷めた気持ちでそう返す。王太子殿下は、前々から中央集権化を目指していたようだからな。その過程で、アデライドが邪魔になったという部分は確かにあるだろうさ。だが、市民を巻き込む内戦を起こしてしまった時点で、どんな大義があろうとカスの所業には変わりがないと思うんだよな。
こういう言い訳が通じるのは、被害がお互いの関係者に限られる暗闘状態までだ。まあもちろん、それだって大概ひどい状態であることにはかわりないが。とはいえ、無関係な者に被害を出すよりはよほどマシだし、言い訳も利く。大衆に被害を与えた時点でそいつは公共の敵なんだよな。
「……君は、ブレないね」
今にも泣き出しそうな様子で、フランセット殿下は微笑んだ。そして僕から目をそらし、天を仰ぐ。
「もういい、もう言い訳はしない。余はすべての反逆者を倒し、理想の国を作り上げる。そして、君も手に入れるんだ」
彼女はそう言うなり、突然に立ち上がり僕の胸ぐらを掴んだ。そして、有無を言わさず唇を奪う。強引で一方的なキス。しかし、それをやる殿下の目には大粒の涙が浮かんでいた。
「も、もう、戻れないんだ。ここまで来てしまったからには」
唇を離すと、殿下は震える声でそう言った。その顔には、まるで親からはぐれてしまった幼児のような表情が浮かんでいる。
「……ガムラン将軍はひとまずの勝利を収めてくれたが、流石に川向こうまで追撃するだけの余力は無い。それもこれも、軍の再編成に手間取った余の責任だ。これ以上の醜態をさらすわけにはいかない。明日、余は軍を率いて王都より出陣する。反乱軍が体勢を整える前に、これを殲滅するのだ」
「……」
僕は無言で自らの唇をなでた。いくら美人が相手でも、やっぱりムリヤリのキスは気分が悪いな。頭の中では、そんなくだらない考えがとぐろを巻いている。いわゆる現実逃避という奴だった。
「誰になんと言われようと、君自身から嫌われようとも、せめて王座と君だけは手に入れる。待っていろ、アルベール」
「断固拒否します」
「ッ……!!」
フランセット殿下は下唇をかみしめ、踵を返してその場から去っていってしまった。最後に見えた彼女の顔は、完全に号泣しているようだった。残された僕は無言で椅子に座り直し、香草茶のカップを手の中で弄ぶ。
子供のように泣く殿下の表情には、ひどく心が痛んだ。それに、ソニアたちのことも心配だし、何も出来ずにいる自分自身にも腹が立つ。心が千々に張り裂けそうだった。
「フィオ……」
このような状況になった原因が彼女だというのなら、僕はあの翼人の幼馴染みを討たねばならない。まったく、嫌なことばかりだ。なんでこんな目に遭わなきゃなんないんだろうな? 前世でよほどの悪行をやったとしか思えんね。心当たりは……正直、いくつもある。はあ、ヤンナルネ……。




