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第632話 盗撮魔副官の決断

 わたし、ソニア・ブロンダンは高揚していた。ガムラン軍司令本部が後方に撤退したとの報告を受けたからだ。渡河後の作戦は、たいへん好調な経過をたどっている。

 リースベン・ジェルマン両師団から挟撃をうけ、ガムラン軍の防衛線は後退し続けていた。それに加え。こちらの不正規戦(エルフ)部隊が敵の後方に侵入してあらゆる場所に火を放ち始めたのだから、敵にとっては泣きっ面に蜂だ。

 背後から上がる幾重もの煙は、前線のガムラン軍将兵の士気をヤスリにかけたようにそぎ落としていった。これに加え本陣後退の報が前線将兵の間に出回れば、もはやガムラン軍の士気崩壊は時間の問題かと思われた。

 不安要素と言えば、後方に出現した騎兵集団くらいだが……これも、エムズハーフェン旅団が上手く抑えてくれているようだ。まあ、ツェツィーリアは厄介な女だが、その用兵の腕前は間違いなく本物だ。後方戦線は彼女に任せておけば何の問題もなかろう。


「ガムラン将軍と副将のオレアン公の身柄を確保できなかったのは残念だが……ふふん、まあそこまで求めるのはさすがに贅沢だ。本部を後退させただけでも大金星だ」


 ガムラン軍指揮本部の襲撃に成功したエルフ部隊では会ったが、残念ながら殲滅までは持ち込めなかった。これはエルフ部隊の不手際ではない。

 そもそもエルフ部隊は隠密性を重視して数十名程度の少人数で編成されている。このような戦力で、近衛に守られた主将を斬首するのは極めて困難だろう。彼女らの役割は、あくまで攪乱と破壊工作なのだ。


「少数の精鋭部隊を敵後方に浸透させ、攪乱攻撃を仕掛ける……我ながら悪くない作戦だ。まあ、しょせんはアル様の猿真似ではあるが」


 結局のところ、わたしなどアル様の代理に過ぎぬ。そんな自嘲をしつつも、わたしは確かな手応えを感じていた。猿真似でもいい、肝心なのは成果だ。このいくさに勝てば、わたしは大手を振ってアル様を迎えに行くことが出来る。


「指揮本部の撤退により、ガムラン軍の前線には深刻な混乱が広がりつつある。この機に乗じ、全線戦で全面攻勢に出るぞ!」


 最後の一押しをすべく、わたしが号令をかけた瞬間であった。バサバサと大きな翼音が聞こえ、わたしは後ろを振り返った。本陣の後方には、翼竜(ワイバーン)や鳥人などが発着するための場所を確保している。見れば、そこに一頭の翼竜(ワイバーン)が着陸しているところだった。

 はて、どこかの偵察騎だろうか。いや、偵察の結果を報告するだけなら、上空から通信筒を投下するだけでいいはず。では、一体どのような用件なのか……。

 そんなことを考えているうちに、着陸を終えた翼竜(ワイバーン)から騎手が飛び降り、泡を食った様子でこちらに駆け寄ってくるのが見えた。その態度に、わたしは言いようのない不安を覚える。これは、どう見ても朗報を持ってきたような顔ではない。


「陣中に失礼いたします! ソラン砦警備隊・哨戒飛行隊のバイヤール少尉であります! ソラン砦より火急の報告があり、参上いたしました!」


 固い声で挨拶を終えた彼女は、わたしに書状を手渡してくる。差出人は、とうぜんながらソラン砦警備隊の司令官だった。なんらかの報告書のようだ。

 こういう場合、まずは伝令が報告の概要を口頭で説明するのが一般的なのだが……それをやらないあたり、よほどの悪い報告と見える。わたしは口を一文字に結び、書状の封を乱暴に破いた。


「………………」


 そこに書かれていたのは、ソラン砦北部の山道が爆破されたというあまりにもあんまりな報告だった。覚悟はしていたというのに、 危うく膝から崩れ落ちそうになる。総司令官としての意地と見栄がなければ、わたしは間違いなくその場に突っ伏していたことだろう。


「…………この報告は、真なのか」


「はい、残念ながら……」


 伝令としてやってきた翼竜(ワイバーン)騎兵の顔色は、青を通り越して土気色になっている。顔色の悪さは急報を迅速に届けるために無理をしたせいばかりではないだろう。ソラン山地を貫通する聖ドミニク街道は、我が軍の兵站を支える大動脈だ。それが攻撃を受けたわけだから、事態は深刻どころの話ではない。


「完全なる奇襲でありました。敵勢は、わずか数百。せいぜい一個大隊程度の兵力でしかありませんでしたが……防御の間隙を一突きされ、このような事態に。まこと、申し開きのしようもございません……!」


 苦渋に満ちた表情で拳を握りしめる伝令。それに対し、わたしは歯をギリリと鳴らすことしかできなかった。

 なぜ、そんな規模の敵が遙か後方に突然現れるのだ。空でも地上でも、しっかり哨戒は行っていたはずだぞ。警備担当の誰かがサボったり、あるいは買収されでもしたか……?

 報告によれば、奇襲を受けた防衛隊は偶然(・・)居合わせたエルフの自称義勇兵団(もちろんわたしはそんな連中をソラン砦に配置した記憶などない)と協力して奇襲に対処したものの、王軍側の損害を度外視した猛攻(報告書では、まさに死兵であったと評されている)の前に後退。エルフ義勇兵の力も借りてなんとか押し返したものの、その間に街道の爆破を許してしまったらしい。……敵は倒せたとは言え、街道の閉塞を許してしまった以上これは完全な戦略的敗北だ。

 とにかく可及的速やかに補給線の再構築をせねばならないのだが、どうやら街道の復旧には少なくとも半月はかかるようだ。我が軍の補給の八割はあの街道に依存しているというのに、それが半月にもわたってそれが使用不能になるなど悪夢以外の何物でもなかった。


「……なるほど、状況は理解した。後ほど、詳しく事情を聞かせてもらおう。それまで、卿はいったん下がって体を休めておくように」


 正直に言えば、なぜこんな醜態をさらしたんだと伝令を叱責したい気分であった。しかし、いち翼竜(ワイバーン)騎兵でしかない彼女にそんなことを言っても八つ当たりにしかならない。そもそも、部下を責める前に自分の用兵を恥じるのが正しい司令官の姿というものだろう。


「……」


 わたしは無言で参謀一同に報告書を手渡し、回し読みするように促した。それを目にした者は例外なく顔色を悪くし、天を仰いで極星に呪いの言葉を吐く。今回もたらされた報告は、それほどまでに悪いものなのだ。戦勝気分など、すっかり吹き飛んでしまった。


「どう思う、諸君。作戦の全面的な見直しが必要な事態だぞ、これは」


 しばしの間、我が軍への補給が滞ることは確定的なのだ。今さら四の五の言ってもどうしようもないから、今後の方針を話し合うことにする。反省は、現状を解決してから行えば良いのだ。今はそんなことにリソースを割いている余裕などない。


「作戦は継続するべきです! 今後のことはさておき、目の前のガムラン軍は間違いなく壊走寸前なのですよ! 今後の見通しが立たぬからこそ、今ここで連中を叩いておかねば!」


「既に我が軍は弾薬の七割を使い果たしているのだぞ! ここから攻勢を開始すれば、いよいよ弾薬の備蓄が尽きてしまう! 銃剣と槍だけで、無傷の王太子軍と戦うつもりか! ここは撤退一択だ!」


 案の定、会議の席は阿鼻叫喚の様相を呈した。誰もが半ば恐慌に陥りつつあった。確かに、主戦派の言うとおりこのまま作戦を継続すればガムラン軍を倒すところまでは行けるだろう。しかしそれをやれば、間違いなく我が軍は弾薬を使い果たしてしまう。これはたいへん不味い事態だ。

 なにしろ、敵はガムラン軍ばかりではない。その後方には、先の戦いの傷がすっかり癒えた王太子軍二万以上が控えているのだ。弾切れの状態で王太子軍と戦うのは、ムチャを通り越して無謀な所業のように思えた。

 しかし、撤退案は撤退案で問題がある。我が軍は既に渡河を終えており、主力部隊のほとんどは北岸に布陣している。ここから再び渡河をして南岸まで下がるのは、正直に言ってとても危険だ。それに、ここまで来て撤退せねばならないとなると、現場の将兵の士気に与える悪影響も尋常ではないだろう……。


「……」


 頭の中で、長期戦と短期決戦という二つの案がぐるぐると回る。どちらを選んでも、リスクは大きいように思えた。こういうとき、アル様ならばどのような結論を出すだろうか。アル様は、積極的な行動を好むお方だ。まずはガムラン軍を殲滅し、その後で王太子軍をなんとかする案を考え出すのでは無いか……。


「…………致し方あるまい、撤退だ! いったん南岸まで下がり、そこで防御態勢を敷き直すぞ!」


しかし、わたしは攻勢の継続を選ばなかった。アル様は、確かに攻撃的な用兵を得意とするお方だ。しかし、必要とあればえんえんと防戦を続け、好機を得ると即座に攻勢に移るのが本来のアル様の用兵術なのだ。間違っても、攻めるべきではないタイミングで前に出続けるようなお方ではない。

 今回の場合、このまま攻撃を続けてもあっというまに息切れしてしまうことがわかりきっている。いったん守勢に移り、補給ルートの再構築が終わってから攻撃を再開したほうが良いだろう。

 それに、後退すれば本隊に同行しているアリンコ工兵隊を山道の復旧に当てることもできるようになる。土木工事となればあの連中は百人力だ。素人をむやみの投入するよりもよほど迅速に工事を終わらせてくれるだろう。

 むろん、この策に欠点はある。そもそも遠征軍を守勢に用いること事態が悪手でしかないのだ。とはいえ、だからといって焦って無理攻めをするわけにもいかない。なにしろ相手はあの知将ガムランだ。無謀な反撃を開始したところで、軽くいなされてしまうのは目に見えている。


「なに、安心しろ。このような事態に備えた策は既に用意してある」


 ソラン砦が狙われるのは予想外だったが、今回の作戦が頓挫する可能性については考慮していた。良い指揮官というものは、必ず最悪に備えているものだからな。これもまた、アル様の教えだ。アル様の一番の側近を自認するわたしが、それを忘れるはずがないのだ。


「まずはネェルを呼び戻せ! 彼女にもう一働きしてもらう必要がある」


 不本意ながら、わたしは仕切り直しの準備を始めることにした。切りたくない札を切ることになるが、こればかりは致し方ないだろう。大きく深呼吸をしてから、わたしは頭の中から余計な雑念を追い出した。


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[一言] エルフの魔法と蟻の能力考えると 半月も掛からんと思うわなあ
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