第631話 王党派将軍の秘策
「なかなか手強いじゃないか」
私、ザビーナ・ドゥ・ガムランはめまぐるしく変化していく戦場を眺めつつそうつぶやいた。私の率いる騎兵隊はすっかり衝力を失い、機動戦を諦めて下馬への移行を進めている。こちらの主力であるカービン騎兵は馬上での戦闘を苦手としているから、真っ向勝負が始まってしまえば馬から下りざるを得ないのである。
一方、敵軍のほうはそれに付き合う様子はないようだ。彼女らはあくまで騎馬にこだわり、軽・重騎兵を織り交ぜた変幻自在の波状攻撃で我が軍を翻弄している。私もそれなりに長く戦場に出ているが、ここまで巧みに騎兵を扱う将と対戦したのは初めての経験かもしれない。
「敵将は、神聖帝国のツェツィーリア・フォン・エムズハーフェン選帝侯でしたか。名将・名君と名高い人物です。この合戦は、未来の軍学教本に載るやもしれませんな」
副官が不敵な笑みとともにそんなことを言うものだから、私は思わず苦笑してしまった。なるほど……教本に載るような戦いか、これは。勘弁してくれ、というのが正直なところだ。
「それは参ったな。このままでは、私は新鋭部隊を持ちながら旧式軍に振り回された愚将として記録されてしまうかもしれないぞ」
その言葉に、周囲の幕僚たちはそろって笑いをかみ殺した。ここに居るのは身内ばかりだから、あえて強気な発言をしてムリに士気を上げる必要は無い。自然体のまま指揮を取れるというのは素晴らしいことだな。
「勝ちに行くなら、あの丘を奪取しないことには話が始まりませんが。いかがします、将軍」
参謀の一人が、正面に見える丘を指さして言った。平時であれば、馬のひと駆けで乗り越えられるような小さなものである。しかし、今そこにはエムズハーフェン旅団とやらのクロスボウ兵が陣取っており、こちらの前衛に猛烈な射撃を加えていた。
遠距離からの射撃ということもあり、今のところこの攻撃では大きな被害は出ていない。しかしやはり頭上から矢が降り注ぎ続けている状況では動きにくいこと甚だしく、あれをなんとかしないことには反撃に移るのは困難だろう。
「簡易的とはいえ塹壕陣地を突破するのは勘弁願いたいな。迂回できれば楽だったのだが」
むろん、こちらも一方的に撃たれるばかりではない。小銃や騎兵砲を用い、対抗射撃を仕掛けていた。しかし今のところ、丘から飛んでくる矢の数が減る様子はなかった。敵方は個人用の小さな塹壕を掘っており、小銃どころか大砲を撃ち込んでも大した効果がでないのである。
こういった硬い陣地に正面から攻撃をしかけるのは愚の骨頂だ。本来であれば迂回して、側面や後方から攻撃するのが定石だろう。しかし、そうは問屋が卸さない。敵軍はこちらが迂回の姿勢を見せるやいなや、即座に重騎兵による襲撃を仕掛けてそれを阻止しようとしてくるのだ。
反撃の芽を的確に潰していくその手腕は見事というほかなく、我が軍は防戦一方の状況に追い込まれつつある。敵将エムズハーフェン候は素晴らしい戦術眼をお持ちのようだ。
「致し方あるまい、ここは教科書通りの戦い方で行こう。砲兵の火力を盾に、歩兵による肉薄攻撃で仕留めるのだ」
アルベール・ブロンダンの書いた教科書に沿って、アルベールの名を冠する軍隊と戦う。その皮肉に頬を歪めながら、私は大きな声で命令を下した。
確かにこの盤面では他に取れる手はないが、そもそも騎兵隊が機動力を失って火力戦を始めてしまった時点で戦術的にはこちらの敗北に等しい。騎兵というのは、とにかく動き回ってこその兵科なのだ。
だいたい、我が軍は兵力の面で敵に劣っているのである。こういう時には、機動力を生かして各個撃破を狙うのが正道なのだ。にもかかわらず、機動戦をやっているのは向こうの方なのだから笑えてくる。ザビーナに愚将ポイント二千点! という感じだな。このような戦譜が後世に記録された日には、ガムラン家の末裔たちはさぞ肩身の狭い思いをすることだろう。
「前進前進また前進、だ。歩くことこそ歩兵の本分であるぞ」
まあ彼女らは歩兵ではなく騎兵なのだがね、ははは。しかし、とにもかくにも今はやれることをやるだけだ。私は配下の部隊に複列横隊を組ませ、砲兵火力を背にゆっくりと敵陣を圧迫していった。
この横隊は大隊単位で固めており、お互いの側面を援護しあえるように配置している。このような機動性の低い陣形を選択した理由は、もちろん騎兵による側撃を防ぐためだ。旧式呼ばわりされるようになっても、やはり槍騎兵の突撃は脅威だからな。つけいる隙は極力減らさねばならない。
「敵の圧力が減りましたな」
こちらの前衛部隊が丘への接近を試みる中、副官がボソリとつぶやいた。たしかに、緒戦に比べると明らかに敵の攻撃頻度が下がっている。クロスボウ隊は元気に矢を放っているが、主力のはずの槍騎兵はこちらの射程間際でうろうろするばかりで襲撃はしかけてこない。軽騎兵にいたっては、ほとんど姿が見えないような有様だった。
「ふーむ……エムズハーフェン侯め、随分と勘がいいじゃないか」
顎をなでながら、私は小さくつぶやいた。なぜ突然、敵の動きが不活発になったのか。その理由はもちろん察しがついている。エムズハーフェン侯は、我々の部隊が陽動であることに気付いたのだ。
軽騎兵が姿を消したのが、その何よりの証だ。おそらく、エムズハーフェン侯は軽騎兵たちを前線から引き抜き、周囲の捜索に当てている。我々の”本当の本命”を探しているのだ。
……そう、我々の役割は陽動だ。騎兵部隊たるエムズハーフェン旅団を誘引し、拘束できた時点でその目的の九割は達している。だからこそ、私は機動力を投げ捨て下馬戦闘を始めたのである。
「そうそうに騎馬戦を諦めたのは、すこし露骨すぎたかな」
「それにしても察しが良すぎます。敵将の戦略眼は尋常ではありませんな」
「違いない。まったく、敵ばかり優秀で困ってしまうな」
ソニア・スオラハティだけでも厄介だというのに、敵には他にも優れた将を大勢抱えている。対して、私の手元にいる有力な将はやる気の無いオレアン公くらいだ。兵力のみならず人材面でも遅れをとるとは、まったく嫌ないくさだな。正直、わたしもあちらの陣営で戦いたいくらいだよ。
「もっとも、そのエムズハーフェン侯の判断はいささか遅きに失したがね。……我々を本命と誤認した時点で、もう手遅れなのだよ」
ニヤリと笑って、そう呟く。戦いが始まった時点で、私はもう手を打っていた。いかに敵が優秀であっても、もうここから立て直すのは物理的に不可能だろう。何しろ、私の放った矢は既に彼女らの手の届く範囲には無いのだ。
実際のところ、この陽動もあくまで念のために行っていることに過ぎない。いかに騎兵とは言え、瞬間移動はできないからね。怖いのは、事を終えた本命部隊の退路を塞がれることだ。ただでさえ不利ないくさなのだから、精鋭の損耗は極力避けねばならない。
「伝令! 伝令!」
馬に乗ったガレア兵が、本陣へと駆け込んできた。その声には尋常ではない喜色が滲んでいる。ああ、どうやら策は上手くいったようだな。
「遊撃隊より伝書鳩が到着いたしました! 我、ソラン砦・北側山道の爆破に成功せり! 以上です!」
「うむ、ご苦労」
このオレアン領から遙か南方にあるソラン山地は、ガレア王国の中部と南部を隔てる自然の要害だ。南部を根拠地とするアルベール軍の補給ルートは、このソラン山地を貫通する聖ドミニク街道に依存している。……私の放った矢は、そのアルベール軍最大の弱点を射貫いたのだ。
容易な作戦では無かった。こうした任務は本来ならば騎兵が適役だが、騎兵部隊は大量の物資を消費するし馬糞などの痕跡も残してしまう。大量の飛行戦力を保持するアルベール軍であれば、これを捕捉撃滅することは極めて容易だろう。実際、いま私が指揮をしている騎兵部隊も、出陣後即座にエムズハーフェン軍の迎撃をうけている。
だから私は、この任務を精鋭の歩兵部隊に任せた。隠密を前提とする作戦であるから、その戦力は数百名、つまり一個大隊。さらに、機動力と隠密性を優先して補給部隊は同行させていない。携行する食料弾薬は個々の兵士が背嚢に背負えるぶんだけだ。食料に関しては、撤退の際にあちこちに秘匿物資を埋めておいたのでそれでまかなう計算だった。
もちろん、たかが一個大隊でアルベール軍の最重要拠点を制圧するのは不可能だ。しかし、一時的に閉塞することはできる。なにしろソラン山地の山道は断崖絶壁に挟まれており、ここを爆破すれば容易に崖崩れを起こすことができるからだ。……幸いにも、敵が運んでいる軍需物資には大量の弾薬が含まれている。ここから必要分を拝借すれば、わざわざ爆破用の爆薬を持って行く必要もない。
「――チェックメイトだ、アルベール軍の諸君。この合戦、我々の勝利だ」
まあ、勝ちとはいっても撃滅は無理だから、決戦は次回に持ち越しだがね。とはいえ、今は多少でも時間を稼げれば十分だ……。




