第627話 カワウソ選帝侯対王党派将軍(2)
ロアール川南岸に現れた敵騎兵集団に対し、我々エムズハーフェン旅団はひとまず様子見に回ることにした。発見済みの敵部隊の対処はジークルーン伯爵に任せ、本隊は待機状態を維持する。
とはいえ、もちろんジークルーン伯爵を見殺しにするような真似はしない。彼女には一個連隊一千名(通常の連隊の定数よりやや少ないが、これは前回の戦争で受けた損耗のせいだ)を送り、この戦力を持って相手の出方を観察するように命じておいた。
この増援により、ジークルーン伯爵の手元には千七百もの兵力が集まったことになる。しかも、これは雑兵によって水増しされたものではない。なにしろ、我がエムズハーフェン旅団に参加している将兵のほとんどは騎士階級なのである。
幼い頃から武技や馬術の鍛錬に励んできた彼女らの練度は極めて高く、おまけに装備の質も大変に良い。平民出身の雑兵どもが相手であれば二倍の敵部隊をも容易に打ち破ることができるだろう。
しかし、それはあくまで剣や弓を用いた戦争の話である。敵がリースベン式の軍隊ならば、倍数どころか半数でも厳しい。それが私の正直な思いだった。そういう面では、ジークルーン伯爵の手元にある千七百という戦力は、いささか不足というほかないだろう。
「ジークルーン伯爵閣下のもとよりご報告にあがりました! 現在、伯爵は敵部隊の進行方向に布陣、その進撃を阻止すべく防御作戦を展開しております」
ハラハラしながら戦況を見守っていた私の元に、ジークルーン伯爵からの伝令がやってくる。
「敵方の戦力は、騎兵が約一千。数こそ少ないものの、カービン騎兵や騎兵砲兵などを同伴させた極めて有力な部隊のようです。現有の戦力では、現状維持が限界であると閣下はおっしゃられています」
「現状維持、か」
その報告に、私は小さくため息を吐いた。騎兵砲兵、聞きたくない言葉だ。これは騎兵隊に同伴できるよう特別に編成された砲兵であり、軍馬の全力疾走にも耐えられる軽量で強固な砲車を備えた野戦砲を装備している。その展開速度は、一般的な野戦砲兵などとは比べものにならない。
それに加えてカービン騎兵、すなわちライフル騎兵まで配備しているとなれば、ジークルーン伯爵が戦っている部隊はリースベン式の軍隊をそのまま全て騎兵化した機動部隊という認識で間違っていないだろう。つまり、超精鋭というわけだ。
「懸念が的中したな。どうやら、くだんの騎兵集団は陽動部隊のようだ」
そんな難敵を相手に、ジークルーン伯爵は騎士階級とはいえ旧式兵科しかいない部隊で拮抗状態に持ち込めている。もちろん千七百対一千という兵力の差は勘案しなければならないけれど、新兵科の戦闘力を考えれば七百程度の劣勢なら簡単に覆せてしまうだろう。これはいささか不可解な状況だ。
この疑問を論理的に説明しようと思えば、敵の目的がそもそも突破や我々の撃滅ではないと判断するほかない。我々の注目を自分たちに集め、その間に本命の攻撃を繰り出す。わかりやすくはあるけれど、なかなか厄介な作戦ね。
「伯爵に防御を徹底するように伝えろ。じき、敵の本隊が動き出す。そうなれば、別働隊のほうも本格的な攻勢を開始することだろう。なかなか難しいいくさになるぞ」
言外に増援を出せないことを伝え、伝令を指揮本部から追い出す。ここからはずいぶんと忙しくなるだろう。私は指揮卓の上で放置されていた冷え切った豆茶を飲み干し、席から立ち上がった。
「諸君、馬の用意をしておけ。騎馬戦が始まるぞ」
おそらく、ガムラン軍は騎兵戦力のほとんどをロアーヌ川南岸に伏せているはずだ。その中で発見済みの部隊は、わずか一千のみ。少なくともあと一千、多ければその二倍から三倍の騎兵が、まだどこかに隠れているものと思われる。この連中が次にどこへ攻撃を仕掛けるのかは、まだ判然としない。
しかし、我々エムズハーフェン旅団は人員のほぼ全てが騎士階級で構成された特殊な部隊。火力はさておき、機動力の面では敵に負けていない。ガムラン将軍の矛先がどこへ向けられようとも、即座に駆けつける自信はあった。
「鉄砲や大砲の扱いで劣るのは仕方が無いが、馬の扱いで遅れをとるのはオルト騎士の名折れであるぞ。奮起せよ、諸君!」
幸いにも、このあたりの地域は何処までも田畑の広がる平原地帯だ。騎兵にとっては、もっとも真価を発揮できる土地と言ってもいい。火器の有無の差は大きいが、騎馬戦勝負であれば火力だけで決着がつくわけではない。せいぜい、頑張ってみることにしましょうか。ソニアの添え物みたいな立場のまま戦争を終えるのも業腹だしね。
「鷲獅子隊より報告! 東の森より騎兵集団が出現、南進中とのこと! 規模はジークルーン伯爵様が交戦している部隊の倍近い数のようです!」
そんな報告が入ったのは、私が兜をかぶり愛馬の蔵へ跨がった直後だった。周囲の騎士たちもすっかり出陣の用意を調え、合図があればいつでも進軍へと移ることができる体勢になっている。
「来たな」
ジークルーン伯が相手にしている敵……仮称・A集団の規模は騎兵が一千。その二倍となると、新手の仮称・B集団は二千というところか。騎兵のみで編成された部隊としては、かなり大きい。
二つの集団をあわせれば合計兵力は三千騎。事前の諜報と偵察により、ガムラン軍の保有する騎兵は四千にたりない程度だということが判明している。
もちろん北岸の戦いでもある程度の騎兵は必要だろうから、この三千という数字は南岸に動員できる上限の兵力だろう。歩兵ならばもう少し投入できるだろうが、鈍足の兵科では背後の奇襲任務には甚だ不適格だ。もし苦し紛れに歩兵部隊を繰り出してきても、陽動程度の役割を演じるのがせいぜいだろう。つまり……この騎兵二千がガムラン軍の本命とみて間違いあるまい。
「西の森から南進中ということは……狙いはこちらの補給拠点でしょうな」
馬に跨がったまま葉巻をくゆらせていたイルメンガルドの婆さんが、煙を吐き出しながら言った。外征のさなかにある我らの後方には、長大な補給線が引かれている。とうぜん、その道中にはいくつもの物資集積拠点が築かれていた。
婆さんの言うとおり、敵の目的はこの補給拠点を一時的に占拠し物資輸送を一時的に遮断することにあるはずだ。なにしろ前線では大量の弾薬が消費されている。これの補充が届かなければ、我々……とくにリースベン師団の戦闘力は大きく減退してしまうだろう。
「なるほど、ガムラン将軍はチェックメイトをフランセット殿下に任せるおつもりか。なんともよく出来た臣ではないか」
もちろん、補給を遮断されたからといって即座に我々が戦闘不能になるわけではない。しかし、ガムラン将軍は速攻など最初から考慮にいれていないのでしょうね。
とにかく足止めと妨害に徹し、こちらが消耗したタイミングで後詰めの王太子軍にバトンを渡す。面白みのかけらもないくらいに堅実で、だからこそ効果的な作戦ね。知将と呼ばれるだけのことはある。
「ブロンダン卿に、ガムラン将軍。まったくガレアの将は優秀な者たちばかりだな。どう思う、諸君? 我らオルトの獣人騎士は、西のトカゲどもより劣っているというのだろうか」
「否! 断じて否!」
狐獣人の騎士が、剣を掲げてそう叫んだ。他の騎士や諸侯も、手にした武器を振り回しながら「否である!」と大合唱した。ニヤリと笑い、私も剣を抜いてそれに答える。
ここにいつ諸侯らは、リースベン軍に敗れてその軍門に降ったものたちだ。とうぜん、皆それなりのフラストレーションを抱えている。だからこそ、捲土重来の機会を与えてやれば燃え上がらずにはいられない。
「敵は、わずか三千騎の戦力で我らを突破できると慢心している! この増上慢、許しがたい! 傲慢なるガレア軍に懲罰を下してやろう。ゆくぞ!」
剣を指揮杖のように振り回して叫ぶと、獣人貴族どもはそろって「応!」と合唱した。士気は十分! さあ、私の戦争を始めるとしましょうか……!




