第624話 盗撮魔副官の切り札
渡河ポイントに対する諸侯軍の攻撃は、阿鼻叫喚としか言いようのない状態になった。塹壕の前には屍山血河が築かれ、半ばこの状況を予想したわたしすらも顔色を失うほどであった。
いや、確かにジルベルト大隊からもたらされた「敵部隊のライフル兵比率は低い」という情報は確かだったのだ。塹壕に籠もる王国兵のほとんどは槍兵などの旧式兵科で、ライフルを携えているものなど全体の三割程度に過ぎない。
しかしそれでも、塹壕の防御力は十二分に効果を発揮した。槍を携えて肉薄する諸侯軍の将兵にたいし、王国軍は頑強に抵抗した。ほぼ唯一の火力源である長八四センチ野砲を撃ちまくり、数少ないライフルで応戦し、最終的には穴倉から槍を突き出して戦い続ける。
拙かったのは、諸侯軍が従来の密集陣形での攻撃を続けたことだった。兵士の密度が上がれば、それだけ受ける被害も大きくなる。身を寄せ合っているほうが安全だった白兵戦の時代はもう既に過去のものだ。野砲の榴弾が炸裂するたび、さっきまで人間だったモノが大量に周囲に飛び散った。
「あの阿呆どもに兵を分散させるように厳命しろ!!」
わたしは怒り狂いながらそう命令したが、状況は一向に改善しなかった。何をやってるんだ、あのボケナスどもは。そう思って、わたしは前線に足を運んだ。
「兵どもはできるだけ狭い範囲に固めておかないと、命令が届かんのです」
「それに、散兵陣を使えば指揮官が部隊の端から端まで見張ることができなくなります。これでは兵の逃散を防げませんから、マトモに戦うことなどとてもとても」
しかし、どうやら前線指揮官たちも単なる無能でこのような戦いぶりをしているわけではないようだった。そもそもからして、彼女らのほとんどは軍制改革などに手を回す余裕のない小領主たちだ。伝統的な軍制を採用した彼女らの部隊では、散兵戦などとても行えない。兵士を分散させるためには、兵ひとりひとりの高い士気と練度が必須なのである。
「……致し方あるまい、諸君らはいったん下がっておれ。突破はリースベン軍に任せる」
このまま無謀な肉薄攻撃を続けても、無為に被害が増えるばかりだ。自らの考えの甘さを恥じながら、わたしは諸侯軍の貴族たちにそう提案した。ところが、彼女らは首を縦に振ろうとはしなかった。
「我々は、ジルベルト殿を押しのけて槍手を任せてもらったのですぞ! おめおめ退いてはメンツが立ちませぬ!」
そう言って、諸侯軍は無謀な攻撃を再開した。確かに、ここで撤退命令を出せば彼女らのメンツを潰すことになる。いくらわたしが司令官でも、その点をないがしろにすることはできなかった。貴族のメンツを潰すということは、つまり宣戦布告と同じだからだ。
とはいえ、付き合わされる兵隊たちは恐ろしく哀れであった。砲声が鳴るたびに、人間の命が塵芥のように消えていく。わたしに出来ることは、火力支援を絶やさず敵の砲兵陣地を叩き続けることだけだった。
「前線のデュマ子爵より報告! 渡河ポイントAを完全掌握したとのことです!」
結局、敵陣地の中枢にこちらの旗が翻るようになったのは、それから一時間ほど後の話だった。予想よりもずいぶんと短い時間で制圧できたが、だからといってほっとすることは出来なかった。なにしろ、その短時間の間にどれほどの被害が出たのかまったく予想できないような有様だったからだ。集計はこれからだが、正直かなり気が重い。
「よろしい、渡河を開始せよ!」
けれども、恐ろしいことにこんな戦いなどはまだ前哨戦に過ぎないのである。敵の本隊は対面の北岸におり、これを叩かないことには作戦目標は達成できない。胃の痛みを覚えながら、わたしは作戦を次の段階に進めるよう命じた。
実際のところ、たしかに渡河ポイントの制圧などは作戦全体で見れば前菜以外の何物でも無い。部隊がもっとも危険にさらされるのはその後、川を渡る時なのである。
「前衛部隊、渡河に入ります」
即席のイカダに乗って、兵士たちが川を渡り始める。当然損耗した部隊は後送したから、今前に出ている者たちは無傷の部隊である。とはいえ、彼女らも前任者たちがどのような目に遭ったのかは見ている。その顔には明らかな恐怖の色があった。
「対岸の敵砲兵陣地が阻止射撃を始めた模様!」
いったん止んでいた砲声が、再び戦場に満ち始める。穏やかな川面に連続して水柱が立ち、粗末なイカダを乱暴にシェイクした。振り落とされた兵士が水に落ち、悲鳴を上げながら流されていく。
騎士階級ならともかく、普通の雑兵が水泳術を修めていることはまずない。おそらく、彼女の運命は溺れ死ぬこと以外になかろう。わたしは思わず目を閉じ、極星に祈りを捧げた。
「撃ち返せ!」
そう命じるも、対抗射撃の効果は薄い。敵側の砲兵陣地が、こちらの八四ミリ山砲の射程を巧みに避けて配置されているせいだった。同じ八四ミリ砲でも、射程に関しては砲身の長い向こう側の方が有利だ。川を挟んだ射撃戦では、この差はたいへんに大きい。
それにしても、まったくガムラン軍の用兵の巧みなこと! 砲兵陣地の配置についてもそうだし、渡河ポイントに背水の陣の死兵を置いて捨て駒にする手腕も凄まじい。冷徹で大胆、まったく大した名将だ。このような怪物を相手にアル様を欠いた状態で戦わねばならぬというのは、本当に不幸なことであると思う。
「ウワーッ!」
そんなことを考えている間にも、前線では悲惨としか表現できない状況が続いている。砲弾の直撃を受けたイカダが爆発四散し、乗っていた将兵は跡形もなく消滅した。いつの間にか、ロアール川の水面は赤黒く染まっている。
よくよく見れば、撃ってきているのは野戦砲ばかりではないようだ。草の生い茂った川の土手からは、ところどころで白い煙が上がっている。草むらの中に、ライフル兵が潜んでいるのだ。彼女らは巧みにこちらの視線を避けつつ、渡河部隊に猛烈な射撃を加えている。
こちらの将兵は、その鉛玉の雨に無防備なまま立ち向かわねばならない。なにしろ、イカダの上では逃げることも隠れることもできないのだ。これが、渡河作戦のおそろしいところだった。
「そろそろ、相手方の砲兵陣地の位置も割り出せただろう。ネェルを呼べ!」
このような状況を座して見ていることなどとても出来ない。そこでわたしは、ここで切り札を切ることにした。伝令が天幕の外に走り去り、すぐに巨体のカマキリ娘を連れて戻ってくる。
「お呼び、ですか?」
なんともつまらなそうにネェルはいった。我々の眼下では、未だに残虐な光景が続いている。普段の彼女なら、それを見てひどいジョークの一つでも飛ばしていることだろう。それがないあたり、やはりネェルもずいぶんと堪えている。
やはり、こんな戦いなどはさっさと終わらせ、アル様を取り戻さねばならぬ。血なまぐさい戦場も、笑顔を欠いた友も好きではない。拳を握り、わたしはネェルの目をまっすぐに見た。
「ネェル。貴様には、翼竜騎兵・鳥人兵の連合部隊とともに対岸に飛び、敵砲兵陣地を潰す仕事を任せたい。出来るか?」
飛行可能な連中であれば、渡河の手間などまったくかからない。あの程度の川などひとっ飛びで越え、敵の弱点を叩くことが可能だ。もちろんこれは敵中への突出を意味するから、危険度は極めて高いだろう。しかし、無茶な力攻めを続けるよりはよほど冴えたやり方であるはずだ。
「もちろん」
ネェルは、一切の躊躇も見せずに頷いた。
「あの川の向こうに、アルベールくんが、居るん、ですね? 結構、結構。川でも、山でも、街でも、飛び越えて、見せましょう」
「河だけでいい!」
すっかり据わった目でそんなことを言うモノだから、わたしは慌てた。砲兵陣地を無視して、王都まで飛んでいきそうな勢いだ。気分はわかるが、王都直撃を狙うのは気が早すぎる。今は目の前の敵を片付けるのが先決だ。
「冗談ですよ。マンティスジョーク、マンティスジョーク」
すぐに自らの発言を打ち消すネェルだったが、その顔には一ミリの笑みも浮かんでいない。タチの悪い冗談は彼女のオハコだが、今回のこれはそれ以前の問題だ。彼女の気持ちが痛いほど伝わってきて、胸にキリキリとした痛みが走る。将としての仕事に追われ、余計なことを考えずに済んでいるわたしは幸せ者かもしれないな……。
「頼んだぞ、本当に」
念押ししつつ、わたしは心の中でため息を吐いた。いい加減、アル様をお救いせねばネェルも……そしてわたし自身も駄目になってしまいそうだ。この作戦が終わったら、例の計画に着手することにしよう……。




