第623話 盗撮魔副官と渡河作戦(2)
いよいよ、王軍との戦端が開かれた。オレアン領を南北に二分する大河、ロアール川を挟んで彼女らと対峙した我々アルベール軍は、敵の本隊を直接叩くためまずは渡河作戦に着手する。
「火力戦において、我が方は敵軍を圧倒しています」
参謀の一人が、戦場に目を向けながら言う。渡河ポイントを守るガムラン軍の一隊は、塹壕と鉄条網を組み合わせた強固な防御陣地に籠もって防戦の構えを見せている。
渡河阻止という作戦の都合上、防衛部隊は文字通りの背水の陣の状態になっていた。退く場所がないせいか、彼女らの反撃はなかなかに熾烈なものとなっていた。
とはいえ、参謀の言葉通り戦場全体をみれば我が方の優勢は明らかであった。こちらはリースベン軍最強の戦闘集団であるジルベルト大隊を前に押し出し、野戦砲による猛烈な砲撃を敢行している。それに加え司令部直轄の重砲までも投入しているわけだから、敵陣では途切れることなく爆発が連続し、まるで火山の噴火を思わせるような様相になっていた。
むろん、敵もやられるばかりではない。塹壕の中から、そして川向こうの北岸に布陣する砲兵隊からも、反撃の砲弾が飛んでくる。
しかし塹壕陣地に籠もっている敵兵力はせいぜい一個連隊にみたない程度の小勢であるし、川向こうの砲兵は距離が離れているために満足な射撃精度を出せていない。砲撃戦においては、火力を一点に集中できるわが軍のほうが遙かに有利であった。
「ソニア様、ジルベルト大隊長様より入電です」
思考を巡らせていると、通信兵から報告が入った。彼女らの扱う野戦電信機は今年実戦配備されたばかりの新兵器だが、いまや各部隊の連絡用として無くてはならない存在になりつつある。
「どうやら、渡河ポイントを守備している敵部隊には、あまりライフル兵が配属されていないようです。大隊のほうで威力偵察をかけたところ、陣地にかなり接近しても大した反撃は飛んでこなかったと、ジルベルト大隊長様はおっしゃっております」
「ほう」
それは朗報だ。わたしはいささかほっとして、少しばかり目を伏せた。塹壕に籠もっている歩兵が、槍兵などの旧式兵科が中心だというのならば話はずいぶんと簡単になってくる。
塹壕戦の主体となるのは大砲であるが、敵兵の肉薄攻撃を防ぐにはそれだけでは不足なのだ。取り回しの良いライフル兵を槍衾のように配置することで、初めて塹壕陣地は鉄壁の防御力を発揮することができるのだった。
「ジルベルト大隊に、突撃命令を出されますか? ライフル兵が不足しているとの情報が誠であれば、移動弾幕射撃を仕掛ければ突破は容易なものと思われますが」
参謀の一人が具申をしてくる。わたしの脳裏に、先日のソラン砦突破戦の記憶が浮かび上がってきた。ソラン砦の守備隊は、今回の敵よりも遙かに強力な火力を持っていた。それに対してさえも、移動弾幕射撃は強烈な効果を発揮したのである。同様の手段を用いれば、渡河ポイントの奪取は容易であろう。
「……いや、ジルベルトには後退を命じよう。戦いはまだまだ序盤だ、前哨戦で精鋭を損耗させては、今後の作戦に障りが出る」
先鋒にジルベルトを任じたのは、敵側の防御が厚かった場合にそれを突破できそうな部隊がジルベルト大隊しかなかったからだ。
しかし、敵からの反撃は予想以上に弱体だ。おそらく渡河ポイントを守っている部隊は二線級のものであり、主力の精鋭は川向こうに控えているものと思われる。水際での防御にはこだわらず、いったんこちらを北岸内部に引き込んでから反撃を開始する。それがガムラン将軍の作戦なのだ。
「敵陣地の制圧は諸侯軍にやってもらおう。リースベン軍ばかりが手柄を独占していては、彼女らに申し訳が立たない」
通信兵に命じて、各所と連絡を取らせる。リースベン師団の主力は名前の通り我らリースベン軍ではあるが、兵力的にはむしろ後から参陣した宰相派諸侯の方が数が多いのである。
実のところ、作戦が始まって以降こうした連中からひっきりなしに伝令がやってきて「二番槍はこの○○女爵に」「いいやここはわたくし××子爵にお任せを」などとしつこく具申を繰り返す事態になっている。あげくに伝令同士がつかみ合いの喧嘩まで始める始末だったから、目障りどころの話ではない。普通に邪魔だ。
「大丈夫でしょうか? 相手は腐っても王軍ですが」
しかし、参謀はわたしの意見には反対のようだった。実際、こうした血の気の多い小領主どもの部隊は旧式兵科が中心で、戦力敵にはまったく頼りにならない。リースベン式の教育をうけた参謀団が彼女らに不信の目を向けるのは当然のことだった。
「むろん、十分な支援は行うさ。それに、いざという時には火消しにエルフどもを投入する。心配する必要は無かろう」
そういう訳で、攻撃の主体はリースベン軍から諸侯軍に移ることとなった。先鋒から外されることになったジルベルトはだいぶ渋ったが、わたし自身が大隊司令部を訪れることでなんとか説得した。
せっかく気合いを入れていたのに、というジルベルトの気分はもちろん理解できるが、彼女に働いてもらう機会は今後いくらでもあるだろう。他の連中に任せられる程度の仕事があるのなら、そちらに投げてしまった方がいい。よほど容易な戦いであっても、戦死傷者を皆無にすることは困難だからだ。
「南岸の防衛戦力がこの程度ならば、ジェルマン師団のほうも心配はなかろう。問題は、川を渡った後だな……」
ジェルマン師団には、別のポイントからの渡河を命じてある。複数の地点から川を越え、扇状に展開しながら対岸のガムラン軍本隊を包囲するのがわたしたちの作戦なのだ。
とはいえ、十分な火器を装備した我々と違い、ジェルマン伯爵麾下の部隊には大砲もライフルも足りていない。王軍を相手に正面から戦うのはやや厳しいか、とも思っていたのだが、渡河ポイントの守備隊がこの程度の戦力しか有していないのであればなんとかなるだろう。
しかし、問題はその後だ。ガムラン軍の戦略としては南岸の放棄は規定事項であり、本格的な抵抗は北岸にて行われるものと思われる。さらに言えば、こちらの主力が北岸に渡った後、伏兵が我が方の後方を脅かす可能性も十分に考えられた。
「相手は名将、ガムラン将軍です。どれだけ警戒してもしすぎということはないでしょう。兵力的に優勢とはいえ、油断はできません」
参謀の警告に、わたしは頷き返す。現在、戦場に展開している兵力はわが軍が三万、敵軍が二万程度だ。この程度の戦力差であれば、軍略でひっくりかえすのはそれほど難しいものではない。我々自身ですら、これよりも遙かに厳しい戦力差の中で勝利したこともあるのだ。ガムラン将軍にそれは出来ぬと断じることは、慢心以外の何物でもなかろう。
「エムズハーフェン侯爵に、進撃にも後退にも即座に対応できるようにしておくよう連絡しろ。ガムラン将軍の策がどのようなものかはまだわからないが、何にせよ対応の要は彼女らになる」
もと神聖帝国諸侯で構成されたエムズハーフェン旅団は、新式火器など一切装備していない古色蒼然とした集団だった。だが、頼りにならないかと言えばそうでもない。
何故かと言えば簡単で、それはエムズハーフェン旅団の構成人員のほとんどが騎士階級であるからだった。なにしろ彼女らの多くは先の戦いで大きな被害を受けており、雑兵を動員する余力などまったくない。動かせるのは損得抜きで参戦してくれる騎士階級のものたちうだけだった。
とはいえ、怪我の功名であっても騎士……つまり、騎乗身分のみで構成された部隊というのは大変に強力だ。なにより、歩兵主体のリースベン師団やジェルマン師団よりも遙かに機動性に優れている点がすばらしい。ソラン砦の戦いにおいても、その優位は陽動作戦という形で見事に機能してくれていた。
「ジルベルト大隊、後退が完了しました。代わって、ゴドフロワ・マルロー両大隊が展開しています」
そうこうしているうちに、前線の様相が変わっていた。緑色の野戦服で全身を固めたリースベン兵が去り、かわりに色とりどりの軍装をまとった集団が現れる。小領主や放浪騎士などを寄せ集めた数合わせ部隊だ。
リースベン軍が掲げる旗は、丸に十字のリースベン軍旗と各部隊旗のみ。しかし彼女らは、各家の家紋が描かれた様々な旗を掲げている。リースベン式の軍隊になれた我らにはいささか無秩序な景色に見えるが、本来はこれこそが伝統的な封建軍のカタチであった。
「よろしい」
精鋭だけでは戦争はできない。幼年騎士団の頃、アル様がおっしゃっていた言葉が思い起こされた。アル様の隣に立つものとして、わたしも彼女らのような連中をうまく扱ってみせねばならない。わたしは自らの頬を力一杯たたき、気合いを入れ直した。
「攻撃再開を命じる! 敵陣を蹂躙せよ!」
それから五分後。ガムラン軍の籠もる防御陣地に、人津波が襲いかかった。




