第621話 盗撮魔副官と急進撃
中央平原は、ガレア王国と神聖オルト帝国という二つの大国に跨がった広大な平原だ。大陸西部文化圏の中心地でもあり、人口も多く物流も整備されている。
南部と中部を分断する要害、ソラン山地を越えた我々はいよいよこの中央平原へと突入した。これは、戦争がいよいよ佳境に入りつつあることを意味する。実質的にこちらの勢力圏であった南部と違い、中部はヴァロワ王家の庭に等しい地方だ。当然、こちらの緊張感も以前とはまるで違ってくる。
とはいえ、やることは南にいた頃と変わらない。部隊を分散させ、急進撃。レにつきる。敵の本拠地も近いことだし、本当ならばあまり戦力の分散はしたくないのだが……いくら発展した中部とは言え、三万もの軍勢が通過できるルートは限られている。それに進軍速度や兵站への負担を加味して考えれば、分進合撃以外の選択肢などなかった。
そういうわけで、一度は合流していた我々だったが、再び部隊は三つに分かれた。リースベン師団、ジェルマン師団、エムズハーフェン師団は、それぞれ別のルートで王都を目指すわけである。とはいえもちろん各個撃破への対策は打っている。三軍は連絡を密に行い、敵軍の接近が確認されれば即座に合流できる体制を整えておいた。
「南の田舎者どもが我が所領を我が物顔で闊歩するなど許しがたい! 者ども、槍を取れ! 連中を南に蹴り戻してやるのだ!」
そんな我々の前に立ち塞がるものがいた。進軍ルート上の小領主や王家直轄領の代官たちである。こういった連中の持つ兵力は多くても百名前後、一個中隊程度に戦力だ。三軍でもっとも弱体なエムズハーフェン旅団ですら何千もの兵力があるのだから、ぶつかり合ったところでまともな勝負にはならない。
だが、そんな儚い抵抗でも、毎日のように頻発すればやっかいなことになる。いちいち部隊に戦闘態勢を取らせていては進軍の足は鈍るし、物資も浪費する。勝てぬ勝負なのだからおとなしく白旗を上げていれば良かろうに(実際南部の小領主や代官などはそうしていた)、よくもまあ頑張るものである。さすがは誇り高き中部貴族、敵ながらあっぱれというしかなかった。
「小勢の連中は気合いが入っとるようじゃが、肝心の王軍はどうしたんじゃろうかね。妙におとなしゅうて、どうにも不気味なんじゃが」
軍議の席で、ゼラが四本の腕を器用に組みながら小首をかしげる。彼女の言っている通り、こちらの前に現れるのは独立した小勢力のみだった。本来この地方を守護せねばならぬはずの王軍(つまり、展開中のガムラン軍)は、むしろ我々の進軍に併せて後退しているように見える。
それだけならまだ良いのだが、王軍は後ろへ下がるついでにあたりの村落の穀物庫や飼い葉庫に火を放っていくのだからたまらない。おかげで糧秣の現地調達はまったく捗らず、アルベール軍の補給事情は悪化の一途をたどっていた。
「明らかに持久戦の構えじゃ。正面決戦に応ずっつもりはなからしい」
軽蔑したような表情でフェザリアが吐き捨てる。王軍の雄々しい戦術に呆れているのだろう。確かに積極性には欠けるが、効果的なやり口ではあった。今の我々は、戦わずして真綿で首を絞められているようなものである。せめて、小領主どもがおとなしく領地の通過を認めてくれていれば、強行軍でガムラン軍を猛追できるものを……。
「敵の作戦は明白だ。連中は、とにかく王軍主力……フランセット軍の再編成の時間を稼ぎたいのだろう。ついでに我々を補給面で締め上げ、弱体化を誘っているのだから狡猾だ」
いま、戦域に展開中のガムラン軍は(真正面から戦うような状況であれば)それほど恐ろしい相手ではない。さすがに各師団(旅団)単独で戦うのは厳しいだろうが、二部隊が合同して作戦にあたれば容易に撃退できる程度の戦力しか保持していない。
むこうもそれがわかっているから、王軍の主力が援軍に来るのを待っているのだ。フランセットが司令官であるためにフランセット軍と呼ばれているこの部隊は、現在王都で戦力回復に当たっているという話だった。
「ガムラン軍とフランセット軍の合流を許しゃあ、いささかやっかいなことになるよ。少しばかり無茶じゃが、強行軍でガムラン軍を捕まえ各個撃破を狙うのがええんじゃないの」
「その通りだ」
ゼラの指摘に、わたしは大きく頷いて見せた。そもそも、我らにとって時間が敵であることは最初からわかっていたのである。確かにこのような敵地で強行軍を行うのは無茶ではあるが、我々はそれに備えた準備も行っているのだ。ゼラの言うとおり、ここは多少の無茶をしてでも攻勢に出るべきでは無かろうか。
「しかし、相手はあのガムラン将軍ですよ。こちらがそのような判断をすることは、完全に読み切っているはず。本腰を入れた途端、カウンターの一手を打ってくるのでは無いでしょうか」
思案顔でそんな指摘をしてくるのはジルベルトであった。彼女は、元はと言えば王都パレア市で編成された精鋭部隊パレア第三連隊に所属していた。そしてそのパレアの各連隊を統括していたのが、今の敵将ガムランなのだ。つまり、ジルベルトにとってはガムラン将軍はもと上官ということになる。
「なるほど、一理あるな」
もちろん、ジルベルトはもと上官が相手だからといって手を抜くような女ではない。そんな彼女が警告を発しているのだから、嫌でも警戒度はあがる。わたしは香草茶を一口飲み、卓上に広げられた地図に目をやった。
我々の補給拠点と化したソラン砦は、すでにずいぶんと後方になってしまっている。当然ながら補給線はずいぶんと伸びきり、誰が見てもハッキリとわかるほどの弱点と化していた。
もちろん我々もこの状況を座して見ていたわけではない。わたしはツェツィーリアに命令を下し、近隣の川辺の小都市をいくつか占拠させていた。このあたりの河川交通網は、例外なくエムズハーフェン商業圏に接続されている。これによって、我々はエムズハーフェンルートでも補給を受けられるようになっていた。
とはいえ、王都近郊からエムズハーフェンまではずいぶんと離れている。はっきり言って、このルートを用いた補給はかなり効率が悪かった。そのため、やはりソラン砦のルートが我らの命綱であることには変わりが無い。
「ガムラン将軍は、間違いなく我々の後背を狙ってくるものと思われる。敵軍がこちらを迂回するような機動をし始めれば、すぐに即応して反撃できる体制を整えておきたいが……ウル、どう思う?」
敵軍の動向を察知するには航空偵察が一番だ。そしてわが軍には航空偵察にかけては天下一品の女がいる。長年エルフとともに戦ってきた鳥人たちの長、ウルだ。このカラス娘は黒い瞳をキラリと輝かせ、わたしにしっかりと頷き返した。
「相手方ん妨害も激しゅうなっちょりますどん、さすがに大軍の通行を見逃すほどん醜態はさらしもはん。ご安心を」
そう言ってから、ウルはコホンと咳払いして少しだけ目をそらした。
「とはいえ、小勢が相手では目が届かんこっもありもんそ。後方ん防御を薄うすったぁお勧めしかねっど」
「むろんだ」
航空偵察は強力だが、万能では無い。ウルはそう言いたいのだろう。当然ながらそんなことは承知しているので、わたしは苦笑しながら彼女の言葉を肯定した。
「ジェルマン師団の戦力を抽出し、二個連隊二千四百名の兵力を補給路の警備に当てている。これを破るためには、最低でも同格である二個連隊以上の戦力が必要になるはずだ。いくらなんでも、これだけの大軍の迂回を見逃すはずがあるまい」
私とて、補給線の防御に手を抜くほどの素人ではないのだ。ぐっと拳を握りしめ、居並ぶ諸将を見回す。
「確かにガムラン将軍は油断のならぬ相手だろう。だからこそ、妙な手を使わせる隙を与えてはならぬ。進軍の速度を上げ、可及的速やかに彼女を討つ。これが我らの勝ち筋だ」
……実のところ、今こうしている間にも裏ではアル様救出の準備が整いつつあるのだ。出来ることならば、帰還したアル様を勝ち鬨の声とともに出迎えたい。そう思うと、自然と拳に力がこもった。ガムラン将軍、相手にとって不足なし! やってやろうじゃないか!




