第620話 盗撮魔副官と三軍合流
わたし、ソニア・スオラハティは安堵していた。作戦は、万事うまくいきつつある。ジェルマン伯爵より、港湾都市ケルク陥落すの報が入ったのが十日ほど前の話だ。
そして今日、伯爵率いるジェルマン師団は弾薬をたっぷり積載した荷馬車とともにソラン砦へとやってきた。久しぶりに、アルベール軍の三軍が合流した形になる。もちろん山間の聖ドミニク街道は合計三万もの兵力が布陣するにはあまりにも狭いから、ジェルマン師団主力は山岳部の手前で待機させてあるが。
「いよいよ戦いも佳境ですな」
副官を伴い砦の指揮本部へを訪れたジェルマン伯爵は、かなりくたびれている様子だった。ケルク市を落とし、そのまま急いで物資の荷揚げ作業を行い、そのまま疲れを癒やす暇も無くアルベール軍本隊と合流する……。そこらの凡将ではとてもこなぬであろう疾風迅雷の用兵だ。伯爵が疲弊するのも当然のことだった。
「ああ。これもジェルマン伯爵らの粉骨砕身の努力あってのこと。どれだけ感謝してもし足りないな。ありがとう、伯爵」
「なんの、なんの。私なぞ、勢子を率いて街を包囲する程度しかやっておりませんから。ケルク市が早期に陥落したのは、海上からの砲撃があってのことです」
謙遜するジェルマン伯爵。この口ぶりだと、わたしの用意した策はうまく嵌まってくれたようだな。正直、かなり安心した。
去年から、わたしは母上と協力して万一王家と戦争が発生したときのための手を打っていた。ノール辺境領商船隊もその一環ではあるが、もちろんこれだけでは不足であることは最初から理解していた。
王家はそれなりの規模の(とはいっても、島国のアヴァロニアなどと比べれば遙かに弱体だが)水軍を保有している。軽武装の商船だけでは、彼女らに一方的に撃滅されてしまうことが目に見えていた。
そこで取った方策が、既存の軍船の重武装化だ。スオラハティ家ではもともと少なくない数の船を保有していたから、これに一二○ミリ重砲を乗せてやればそれだけで水軍の戦力は大幅に向上する。今回は、護衛のために同行させていたその砲船を対地砲撃に転用した形となるわけだ。
「どんないくさも、砲撃だけでは決定打にならん。やはり、最期にものを言うのは白兵なのだ。その点、ジェルマン伯爵の軍の戦いぶりは素晴らしいものであったと聞いている。さすがと言うほか無いな」
伯爵を褒めつつも、わたしは頭の中でソロバンを弾き続けていた。ノール船団からの報告によれば、航海の間に王立水軍と遭遇することは無かったそうだ。おそらく、根拠地であるシェブール市に籠もっているのだろう。ノール船団に少なくない護衛がついているのを見て、王立水軍は決戦を避けたに違いない。
これは、決して朗報ではなかった。確かに無事に物資が到着したのは良いのだが、王立水軍は無傷のまま出番を今か今かと待ちわびているのだ。こちらが隙を見せれば、彼女らは即座に船を出しこちらの船団に攻撃を仕掛けてくるにちがいあるまい。
ノール船団が壊滅したり、ケルク市が奪還されるようなことがあればアルベール軍はあっという間に干上がってしまうだろう。それを防ぐためには、王立水軍が機を掴む前に戦争を終わらせてしまうのが一番だ。
「貴殿のおかげで、作戦計画の前段階はすべて完了した。あとはこのソラン山地を越え、王都に向けてなだれ込むだけだ」
懸念されていたガムラン将軍の援軍だが、ソラン砦が早期に陥落したおかげで進軍を停止せざるを得なくなっている。ガムラン軍の兵力は、野戦でこちらの全軍を撃滅できるほどの規模では無いからだ。
山岳のような特殊地形を生かさぬ限り、ガムラン軍単体はそれほど怖い相手ではないだろう。将軍側もそれを理解しているから、比較的守りやすい場所で滞陣し、王軍の主力が合流してくるのを待っているのだ。
「兵站担当としては、可及的速やかに進撃を再開すべきと具申せざるを得ない。このような閉所で三万もの兵力が展開し続ければ、あっというまに荷馬車隊が渋滞を起こしてしまうぞ」
そう主張するのはツェツィーリアだ。彼女はもともと交易を生業としている家の出身だから、物流についての理解度も我々の中では一番高かった。しぜんと、兵站……とくに補給関係の仕事は彼女に丸投げすることが多くなっている。
「そんなに難儀な状態なのか、輜重のほうは」
「ああ。なにしろ、弾薬の補給を最優先に計画を立てているのでな。食料や日用品などの生活必需品が不足しはじめている。早く中央平原に駒を進め、弾薬と糧秣の輸送ルートを分けてしまうべきだ」
厳かな口調でツェツィーリアが主張する。私的な空間ではずいぶんと親しみやすい口調のくせに、仕事中は威厳あるしゃべり方を徹底するのが彼女のやり方だ。そのギャップに妙な感慨を覚え、わたしは小さく首を左右に振った。今は、そんなどうでも良いことに気を取られている場合では無い。
「貴様も、アデライドもずいぶんと頑張ってくれているが、それでも不足は避けられんか」
アルベール軍の兵站を支えているのは、ツェツィーリアだけではない。アデライドもまた、この戦争に勝利するために働きづめだった。
戦争という大事業を成し遂げるためには、カネも物資もどれだけあっても足りないのだ。手弁当で足りない分は、外部から補うほかない。そこで役に立つのがアデライドの人脈と信用だ。
彼女は王国南部を飛び回り、アルベール軍には参加していない諸侯らを訪ねて便宜を引き出す仕事をしてくれている。遠征の苦手な我々がこれほどまでに戦えているのも、彼女が日和見貴族どもを説得して物資や資金を供出させてくれているからなのだ。
それに加え、アデライドは留守にしているリースベンの管理もしてくれている。おそらく、前線にいる私よりもよほど忙しい日々を過ごしていることだろう。彼女の負担を減らすためにも、こんな下らぬ戦争はさっさと終わらさねばならない。
「物資の消耗速度が計画よりもずいぶんと速くてな。とくに、弾薬の減り方が尋常では無い。まだ前哨戦の段階だというのに、ここまで射耗してしまうと言うのは予想外だ」
恨みがましい目つきでわたしをにらみつけるツェツィーリア。アルベール軍で使用する弾薬にもちいる火薬は、そのほとんどがエムズハーフェン家が自費で調達したものだった。その火薬と、リースベンやノールから持ってきた弾頭・薬莢などを組み合わせ、我々は現地で弾薬を製造している。
これは限られた設備でできるだけ多くの弾薬を製造するための方策だが、一番割を食っているのが火薬調達要員のエムズハーフェンだ。なにしろ、王軍も我々も火薬兵器を多用しているのだから、大陸西部全体で硫黄や硝石などの価格が暴騰している。それをすべて自費でまかなわねば鳴らないのだから、エムズハーフェン家も大変だった。
「火力戦というのは、発砲を控えると戦闘が長期化しかえって弾薬の消費量が大きくなってしまうのだ。散漫な攻撃を続けるくらいならば、一気に撃ち尽くしてしまったほうが良い」
「むぅ……」
わたしの言い訳に、カワウソ女は口をへの字に曲げた。別に、わたしだって彼女をいじめたくてこんなことを言っている訳ではないのだ。納得してもらわねば困る。
「つまり、あらゆる面で長期戦は避けるべきと言うことか。ならば、せいぜい手早く始末をつけてもらいたいところだ」
「むろんだ。兵力も補給もめどがついた以上、もはやこのような山中で引きこもっている意味は無い。明日にでも、中央平原に打って出ることにしよう」
厳かな声でわたしはそう宣言した。兵力の終結は思った以上に迅速に完了したのだ。この機を逃さず中央平原に進出し、可能であればガムラン軍と王軍主力を各個撃破する。そして王都に我らの旗を立て、アル様を救い出すのだ……!
「やるぞ、諸君。決戦の時だ!」




