第619話 隣国領主の港町攻略
時代が変わりつつある。私、ロマーヌ・ジェルマンは心中でそうつぶやいた。いま、私はジェルマン師団と呼称される一軍を率い、西部の海岸に位置する港町ケルク市を攻めている。ケルクは、このあたりの地方では一二を争う規模の港湾都市だ。地形と防壁を生かした立派な防御設備をもっており、攻略は容易ではない。
「やはり、火力が足りんな……」
ケルク市郊外の丘の上に設けられた指揮本部の天幕の中で、私は小さくうなった。あたりには、ひっきりなしに落雷したときのような轟音が響いている。味方の砲兵が、ケルク市の防壁に砲撃を浴びせている音だった。
私が兵術を習った頃は、城攻め・街攻めの際には大勢の兵士で敵城を取り囲み、時間をかけながらゆっくりと攻略していくのが普通だった。使用される兵器も、破城槌や攻城塔(移動式のやぐらのような機材)といった、何百年も前から存在する伝統的なものばかりである。
だが、今となってはそのようなやり方は時代遅れだ。大砲は、従来の石を高く積んだだけの防壁などは容易に吹き飛ばしてしまう。これは、攻城戦のセオリーが完全に変わってしまうほどの大革命であった。
「リースベン軍ならば、この程度の街などは一日二日あれば落としているでしょうね。むろん、わが軍の練度が劣っているとは申しませんが……やはり、装備の差はいかんともしがたく」
苦々しい声でそう言うのは、我が次女ドナシアンだった。彼女は以前、半年ほどブロンダン殿の元で学び、新式の軍備・戦術などを習得している。当然、、我がジェルマン家の中でもっとも新式軍制に詳しいのもこのドナシアンだ。
彼女の言うとおり、ケルク市攻略の進捗は芳しいものではない。視線を市街の方へ移せば、そこにはところどころが崩れつつも未だに健在な防壁の姿がある。現状の火力では、壁を完全に崩落させるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「数の上では師団を名乗れても、配備されている大砲が八六ミリ山砲がわずか九門では……実際の火力では、おそらくリースベン軍の大隊にも劣るものと思われます」
その指摘に、私は無言で頷くほか無かった。軍の更新を進めているのは、なにも王軍やリースベン軍ばかりではない。我々もまた、新しい時代の戦いについて行くべくリースベンに教えを請い大砲や小銃の配備を進めていた。
しかし、それがうまくいっているかといえば少々怪しい。すべての部隊を一挙に更新するのは資金的にも時間的にも困難で、実戦投入に間に合ったのはごくわずかな部隊だけだ。
特に砲兵の不足は著しく、我がレマ軍単体ではわずか三門の山砲を保有しているに過ぎない。ジェルマン師団全体で見ても、各諸侯の有する大砲をかき集め、なんとか九門装備の砲兵中隊をひとつ編成するのがせいぜいだった。
さらに言えば、我々宰相派諸侯が導入している大砲は軽便で製造コストも安い八六ミリ山砲だ。この大砲は野戦では扱いやすくて良いのだが、さすがに城攻めの際には攻撃力不足を露呈する。リースベン軍のような速攻を実現するためには、もっと重くて威力の高い攻城砲(リースベン軍ではこの手の大砲は重砲と呼ぶようだが)が必要だ。
「やはり、現行の装備では大砲だけで街を早期に陥落させるのは困難でしょうな。犠牲や手間を承知で、従来のやり方も織り交ぜていくほか無いでしょう」
難しい顔で、指揮本部に詰める諸侯の一人がそう言った。従来のやり方というのはつまり、攻城塔などを使った伝統的な戦術のことである。
正直に言えば、私などはもう古い人間なので、そういった馴染みのある戦法を使ったほうが安心して指揮を執ることができる。ブロンダン式のやり方は強力無比だが、あまりに新奇すぎて私などにはついて行ける気がしないのだ。
「しかし、あまりモタモタしている暇はありませんよ。彼女らの物資の消耗速度は、我々の比ではありません。早急に海路と接続し、補給ルートを確立しなければ前線が立ち枯れてしまいます」
ドナシアンの指摘に、私と先ほどの諸侯はうめき声を漏らすことしか出来なかった。そう、我々の本来の任務はリースベン師団の援護だ。ケルク市を攻め落とすことが出来ても、それに時間をかけすぎれば作戦は失敗になってしまう。
しかし、従来の攻城戦術を用いるのならば速攻は不可能だろう。人力だけで城砦を落とすのはたいへんな手間と時間がかかってしまうのだ。こればかりは、用兵側の工夫ではどうにもならない。
「ソニア様は、我々がリースベン軍同様の働きができるつもりで作戦を立てたのではないか?」
「もしそうなら、致命的な勘違いだぞ。士気や練度はさておき、装備の差はいかんともしがたい。リースベン軍と同じ戦力を期待するのならば、リースベン軍と同じ兵器を配備してもらわねば」
口々に文句をいう諸侯たち。たしかに、彼女らの言うことにも一理があった。たしかにリースベン軍は猛烈な速度で軍備を整えていったが、それはあくまでガレアいちの大金持ちであるアデライド殿が全面的に支援したからだ。手弁当で装備を調えなくてはならない一般諸侯では、あのような真似は絶対にできない。
ただ……だからといって、装備の支給を求めるのも危険な気がする。そこまで面倒を見られ始めると、ますます立場の上下が広がってしまうからだ。軍備の世話までされた日には、諸侯の独立性などあっという間に消し飛んでしまうのでは無いか……。
「ひとまず、今は手元にある駒でやれるだけやるほか無いだろう。たしかに、現状の火力では敵防壁の突破は困難だ。砲兵は前線の支援に徹し、主攻は歩兵に……」
「報告! 北の沖合いより大船団出現!」
嫌な未来予想を頭の中から追い出し、当面の指示を出そうとした瞬間だった。指揮本部に併設してある物見やぐらの上から、見張りの緊迫した報告が聞こえてきた。
その声に、私の背中に冷たいものが走る。当然ながら、ガレア王家は水軍も有している。これが敵の増援ならばかなりやっかいな事態になるだろう。
「……」
私は口を一文字に結び、無言で席を立って物見櫓に駆け寄った。”大船団”とやらの正体は、自らの目で確かめておきたい。それが水軍なら、ケルク市の攻略は諦めるほか無いだろう。
なにしろ、ノール辺境領からやってくる手はずになっている輸送船団は、ふつうの廻船問屋が保有している商船なのだ。本格的な軍船と戦えば、一方的にやられてしまうに違いない。そうなれば、我々の作戦は完全に失敗だ。ケルク市に拘泥する意味も無くなってしまう。
「借りるぞ!」
はしごを登り切り、面食らった様子で私を出迎えた見張り兵から強引に望遠鏡をもぎ取って目に当てる。海原の北方に望遠鏡の先端を向けると、そこには確かに無数の船が浮かんでいた。まだかなりの遠方だから、望遠鏡を通してなおごま粒程度にしか見えないが……
「ノールの船だ……!」
しかし、私は視力には自信があるのである。目をこらしてみれば、その船のほとんどが北方特有の様式で建造されたものであることが見て取れた。ヴァロワ王家の勢力圏である大陸中西部の船とは、形状が全く違う。
「敵ではありませなんだか。良かったですな」
私に続いてやぐらに上ってきた顔見知りの諸侯が、ほっとした様子でため息をつく。ひとまず、最悪の事態でなかったのは幸いだ。
「とはいえ、いささか到着が早すぎますね。ケルク沖に停泊させ続ければ、王立水軍のよい獲物になってしまう。ひとまず洋上に退避しておくよう、翼竜伝令を……」
そんなことを言っている最中のことだった。突然、船団の先鋒を務めていた船からいくつもの白煙が上がった。しばしの時間をおき、遠雷のような音も聞こえてくる。
「……んん?」
やはり、私は時代遅れの人間なのだろう。一瞬、何が起こったのか理解できなかった。小首をかしげたところで、すぐ近くで一斉に爆発が起きる。あわてて音がした方向を見ると……そこは、ケルク市だった。
「…………砲撃! あんな遠方から、街を砲撃しているのか!?」
街からは、モクモクと煙が上がり始めていた。遠雷のような音は相変わらず続いている。間違いない、ノール船団がケルク市に砲撃を仕掛けているのだ。爆発が連続し、堅牢だったはずの防壁はみるみるうちにがれきの山へと変貌しつつある。
大砲で武装している船はそれなりにあるが、古いタイプの砲ではこうも遠距離から砲弾を目標に届けることはできないだろう。間違いなく、いま砲撃している船には新式のライフル砲が装備されているはずだ。
「なるほど、ソニア殿……やっと作戦が読めましたぞ」
どうやら、私はソニア殿を見くびっていったようだ。彼女は、我々が火力不足に陥ることも、そして商船のみで敵地に突入する危険性も承知していたのだ。その上で、今までに無い新型砲搭載の軍船を船団に同行させることで、この問題を一挙に解決する。そういう腹づもりなのだ。
考えてみれば、新式砲の誕生で恩恵を受けるのは陸ばかりではないだろう。そもそも、大砲の導入は陸よりも船のほうが進んでいたのだ。以前から存在する砲船の備砲を新型に交換すれば、それだけで戦力は著しく増強される。
「このいくさ、勝ったな。各部隊に伝達! 海上からの砲撃が終わり次第、ケルク市への突入を開始せよ!」
やぐらから身を乗り出し歓喜の声で部下らにそう命令する私だったが、声音とは裏腹にその心中は複雑だった。
時代の流れは私の見ていないところでも加速している。たとえ勝ち馬に乗ろうとも、旧態依然とした体制のまま時代に取り残されればジェルマン家は没落するばかりだろう。新時代の勝者になるためには、このままではいけない。今後の身の振り方は、しっかり考えておく必要がありそうだ……。




