第618話 盗撮魔副官の軍略
わたし、ソニア・ブロンダンは安堵していた。ソラン砦攻略が、まったくの計画通りに完了したからだった。作戦開始から一週間たった今、三つあった防御線はすべて突破され、その最奥にそびえ立っていたソラン砦の頂上には轡十字の軍旗が翻っている。我々の完全勝利であった。
「いやはや、リースベン軍はさすがね。同格……とまでは言えないにしろ、新式軍制を備えた敵を相手にしても、これほど迅速に防御陣地を突破するとは」
ソラン砦の司令官執務室にて、陽動作戦を終えて帰投宇したばかりのツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンが気安い口調で言った。室内にいるのはわたしと彼女、そしてお互いの腹心だけだから、そのしゃべり方は身内にむけるラフなもののままだった。
「ああ……新型砲と、移動弾幕射撃の組み合わせのおかげだ」
当然と言わんばかりの態度で、わたしはそう答える。しかしそれはあくまで演技であり、実際は作戦成功の報を聞いたときにはへたり込みそうになるほど安心したものだった。
何しろ、ライフル兵と砲兵によって防護された塹壕線陣地を突破するのは、リースベン軍としても初めての試みだったのだ。アル様を欠いている現状でそのような新たな形態の戦場に挑まねばならないことは、わたしに著しい緊張と不安を強いた。
もっとも、作戦がうまくいったのはわたしの用兵術ばかりが要因ではないだろう。防御にあたっていたガレア兵が、移動弾幕射撃というまったく初見の戦術と新式速射砲の連射力に恐れをなし、士気を喪失した結果がこれだった。
「とはいえ、敵の弱気にも助けられた。第一防御線を突破した時点で、第二・第三の防御線にいた守備兵どもっはずいぶんと浮き足立っていたからな……。トドメを刺すのは、それほど難しいことではなかったよ」
わたしがとった突破戦術は、こうだ。まずは移動弾幕射撃で歩兵隊を敵第一防御線に突入させ、突破を図る。それと同時に山間に布陣させていた山砲隊に第二・第三防御線を砲撃させ、さらに少数精鋭のエルフ部隊をつかって攪乱攻撃を仕掛けるというわけだ。
事前の調査通り、この聖ドミニク街道の左右を固める山岳地帯は大部隊の通行などとても不可能な地形だった。しかし、少数部隊の運用であれば、なんとか可能だ。そこでわたしは、側面からの助攻という作戦に出た。
敵側は、正面の王軍陣地がめちゃくちゃにされているのを見ながら、側面からの嫌がらせ攻撃にも対処せねばならなくなったわけだ。相変わらずエルフ兵どもの暴れぶりは上記を逸していたから、第二・第三防衛線のガレア兵らの覚えた恐怖は尋常ではなかっただろう。
なんとかエルフ兵を撃退しても、不完全な体勢で正面のアルベール軍主力を迎え撃たねばならないのだ。心が折れるのもある意味当然のことであった。
「ふぅん……わたしがリースベン軍と戦ったときは、ずいぶんと塹壕に苦労させられたものだけど。あなたたちからすれば、それほど恐るべき相手でもないって訳かしら。恐ろしい話ね?」
「……」
なんとも言えない顔で肩をすくめるツェツィーリアに、わたしは居心地の悪さを覚えた。実際のところ、塹壕の突破は彼女の言うほどに容易なものではなかったからだ。
「……いや、正直に言えば、次回以降の作戦がこれほどうまくいくとは思わない方が良い。今回がこれほどうまくいったのは、敵軍が新型砲の速射性能に面食らったという要素が大きい。向こうが砲撃のテンポに慣れてしまえば、このような作戦は通用しなくなる」
この作戦を実行するにあたって、わたしは砲兵部隊にある命令を下していた。移動弾幕射撃のキモとなる、砲撃と歩兵部隊の突撃の同期。これについて指示である。
具体的に言えば、それは砲撃の着弾地点と突撃部隊の先頭の距離を、教範に定められているものよりも倍以上長く取れ、というものだった。教範のままの距離で射撃させると、いまの砲兵隊の練度では必ず誤射が発生する。それを嫌ったのだ。
おかげで今回の戦いでは誤射は発生しなかったが、安全マージンを大きめに取るデメリットももちろんある。つまり、砲撃の着弾から歩兵の突入までのタイムラグが大きくなってしまうということだ。これでは、砲撃のショックで敵陣地を麻痺させるという移動弾幕射撃の持ち味が大幅に弱体化してしまう。
それでも今回うまくいったのは、ツェツィーリアに言ったとおりこの戦術がまったくの新規のものであったからだ。このような手はいわば初見殺しであって、何度も頼っていてはその効果は大きく減じていくことになるだろう。
「意外と弱気ね? 私の前でそんなこと言っちゃっていいのかしら」
眉を跳ね上げ、皮肉げに口元をゆがませるツェツィーリア。この女は、友軍であると同時に競争相手でもある。そんな相手の前で弱気を見せるのは、たしかに組織内政治的には悪手だろう。
「過剰な期待を背負わされても困るということだ。同じ真似をもう一度やれと言われても厳しいから、次の作戦では貴様らにももっと働いてもらうぞ」
「敗軍の寄せ集めに厳しいことを言ってくれるわね」
ツェツィーリアは苦笑しつつ肩をすくめた。彼女の率いるもと帝国諸侯たちで編成された部隊、エムズハーフェン旅団は、頭数こそそれなりにあるが参加している将兵は前回の戦争でボコボコにされたものたちだ。士気はさておき装備や状態はひどいものである。
「まあ、矢面に立つくらいはしてやるさ。新戦術を抜きにしても、わがリースベン軍はブロンダン軍のなかでも最強の集団。それを実際のいくさ働きとして見せつけねば、他の諸侯がついてこなくなる」
そんなことを言いつつ、私は義理の妹の顔を脳裏に思い浮かべた。そう、カリーナだ。聞いた話によれば、奴は突撃の一番槍を務め、さらにはなんと自らが塹壕突入の先鞭をつけたらしい。一年前は敵前逃亡するような臆病者だったはずなのに、いつの間にそのような勇気を身につけたのだろうか?
なんにせよ、敵味方の砲弾飛び交うこの戦場で先頭に立つことができるのは、本物の勇士であるという何よりの証だろう。そのカリーナやあの優秀なジルベルトがいるのだから、前線のいくさについては安心して任せていられる。わたしの役割は、彼女らが十全に戦えるよう環境を整えてやることだ。
「確かにその通り。……戦争の本番はこれからだものね、前哨戦に勝利した程度で浮ついてちゃダメということか」
その言葉に、わたしは深々と頷き返した。ソラン砦が落ちたことにより、我々は王都へと突破口を開くことにした。この山岳地帯の向こうには広々とした平原が広がっており、その向こうには我らの王都が控えている。おそらく、この平原を巡る戦いこそが今次戦争の趨勢を決める決戦となるだろう。
「できることならば、この勝利の勢いのまま王都へとなだれ込みたいところなのだがな。しかし、補給体制が整わぬまま進撃するわけにもいかん。ジェルマン伯爵からの吉報が届くまでは、将兵を休ませることに徹することにしよう」
砦が落ちたあとも我々がここに滞留しているのは、補給体制の整備のためだった。実際、今回の戦いで消耗した物資は尋常な数ではない。特に弾薬の欠乏は深刻で、現状のまま決戦に移れば間違いなく途中で弾切れをお越しだろう。しかし、膨大な数の弾薬類をリースベンやエムズハーフェンなどから陸路でえっちらおっちら運んでくるのは現実的ではない。
それを解決するための鍵が、ジェルマン師団に任せている港町の攻略作戦だった。我がノール辺境領から船便で送られてくる物資を、ここで陸揚げできれば我々の補給状態は遙かに改善する。もう一、二戦するくらいならば余裕だろう。
「そうか、ジェルマン伯爵はまだ港を……。ダメね、あなたたちのせいでずいぶんと頭の中の感覚が狂っちゃった。ふつう、都市の攻略なんて一日二日で出来るものじゃないものね」
苦笑して首を左右に振るツェツィーリア。別働隊を率いるジェルマン伯爵からはまだ作戦成功の報告は来ていないが、これはある程度仕方の無いことだ。なにしろ彼女の配下の部隊には、ライフル兵や砲兵などといった新兵科はそれほど配備されていない。この状態で街一つを迅速に陥落させるのは非常に困難だろう。
「まあ、そちらはそれほど心配する必要は無い。既に必要な手は打っているからな……」
ニヤリと笑い、そう言い切る。わたしとて、力押しばかりの女ではないのだ。もちろん、ジェルマン伯爵を助ける策は用意してあった。




