第616話 義妹嫁騎士と塹壕戦(2)
強固に防護された塹壕陣地を突破するには、いくつかのやり方がある。例えば迂回するとか、装甲と機動力に優れたユニットで強行突破するとか(重装騎兵程度では不足という話なので、そんな真似ができるのはカマキリ虫人くらいだろうけど)、あるいは歩兵で肉薄攻撃をしかけるとかだ。
私に下命された移動弾幕射撃というのは、その中でも一番最後の戦法に属するやり方だ。盾の代わりに砲撃のカーテンを展開して敵の攻撃を防ぎ、その隙に塹壕に取り付く。いくら防御力の高い塹壕とは言え、砲撃を受けた直後に即反撃というのはさすがに難しいからね。そのまま援護なしで突撃するよりは、よほど安全性の高いやり方といえた。
「い、移動弾幕射撃って、この間演習でやったアレだろ? あんなのを実戦でやるってマジなのか? 正気じゃねえよ……」
伝令が帰った後、一番に口を開いたのはアンネリーエだった。さっきまでぐずぐずに泣いてたのに、よく質問するような元気を出せたわね。まあ、その顔色はむしろさっきより悪化してるくらいだけど……。
「演習の時は、味方の砲弾が二度もこっちの頭上に降ってきたじゃねえか! 模擬弾だったからいいものの、アレが本物の砲撃だったら……」
ぶるりと震えつつ、アンネは自らの体を抱く。実際、演習の際にやった移動弾幕射撃の訓練の首尾は、お世辞にも成功とは言いがたいものがあった。前進している最中の私たちの部隊に、味方からの誤射が浴びせかけられたのだ。
いどう弾幕射撃の難しさは、ここにある。なにしろ、味方の砲撃範囲が私たち前衛部隊のすぐ目前なのだ。おまけに、砲兵たちは前衛の前進に合わせて照準を変えていかねばならない。砲兵が大砲の操作を誤ったり、あるいは前進と砲撃の同期が崩れれば、前衛部隊そのものが味方の砲撃を浴びることになる。
「やかましい! もう命令は下ったんだから、四の五の言ってないで突撃の準備をなさい!」
口ではそう言い返しつつも、私の心中はアンネリーエとまったく同感だった。演習ですらうまくいかなかったことを、実戦でやる? 無茶振りが過ぎるわ。
けれど、たぶんこの作戦を立てたのはソニアお義姉様だ。義姉様は無意味に兵の命を危険にさらすような人ではないから、それなりの成算はあるはず。部下兼義妹は、腹をくくって指示に従うほかない。
私は背中に回していた小銃を取り出し、いつでも発砲できるように準備した。銃身の尾部にある蓋を開いて弾を押し込み、そのまま蓋を閉じる。これだけで、装填作業は完了。少し前まで使っていた先込め式のライフルに比べれば、装填にかかる時間はずいぶんと短縮されていた。
「……」
私の動きを見て、部下たちも同様の手順をとる。余裕綽々の表情をしているものなど一人もおらず、新兵はもちろん古兵までもが冷や汗で顔をぬらしていた。誰も彼もがギリギリだった。しかし、文句を言っているのはアンネリーエ一人きりだ。他の兵たちは、みな覚悟の決まった目をしている。
「……突撃準備、完了いたしました!」
最先任下士官が、威勢の良い声で報告する。極力余裕のある風を装いながら、私は頷いた。なんとか頑張って平静なふりをしているけれど、私も一皮むけばアンネと変わらないほどに恐怖に駆られている。それでもなんとか指揮官のまねごとをできているのは、単に実戦経験の有無でしかなかった。
「よろしい。……アンネ、あんたは一番後ろをついてきなさい。ミュリンから預かったアンタを傷つけわけにはいかないからね」
あえて憎々しく聞こえるような声で、おびえるオオカミ女にそう言ってやった。
案の定、アンネの青い顔にさっと朱が指した。こいつは、ビビりであると同時に負けん気の強さも持て余しているのだ。ディーゼル家の末娘(最近二人ほど妹ができたけど)にこんな口の利き方をされれば、そりゃあミュリンの長女としては黙っていられないでしょう。戦争のせいで双方ブロンダン家の傘下に入ったとは言え、ディーゼルとミュリンは長年の宿敵同士であるわけだし。
「だ、誰がそんな情けない真似をするか! あたしは、あのイルメンガルド・フォン・ミュリンの孫なんだぞ!!」
アンネが威勢の良い啖呵を切るのとほぼ同時に、周囲にラッパの音色が響き渡った。突撃用意の信号ラッパだ。それから少し遅れて、上空からひゅるひゅると風切り音が聞こえてくる。そして、前線で爆発が連鎖した。
「……ッ! 準備砲撃!」
その爆発は、一発の威力こそ側面から射撃している八四ミリ山砲と大差ない……それどころか、やや控えめに見える程度の代物だった。しかしその代わりに、一発が着弾してもすぐに二発目が飛んでくる。迫撃砲ほどではないにしろ、尋常ではない速射性能だった。
間違いない、やっと新型砲が働き始めたわね。配備されたばかりのこの大砲は、いま我々が使っている小銃と同じく砲身の後ろから砲弾を込める後装式。おまけに砲撃の反動を緩和する駐退復座器? とかいうのもついているらしい。よくわからないけど、要するに今までの大砲よりもずいぶんと高性能になっているみたい。
とはいえ、どんな高性能な兵器も実戦で使えなければただのガラクタと同じ。せっかく前線に展開しているのに今まで一発の砲弾も放たなかったこの新型砲に、私は正直不安を抱いていた。けれど、どうやらそれは杞憂だったみたいね。砲兵陣地からの射撃は快調そのもので、これまでの不安なんて一挙に払拭できるほどにド派手だった。
「こ、これが新型速射砲……すげぇ、砲弾が雨みたいに」
びりびりと塹壕を揺らす砲撃の振動に身を任せながら、アンネリーエがつぶやいた。よく見れば、その顔色は先ほどよりもずいぶんと良くなっている。……わかるわかる。敵の砲撃は恐ろしいけれど、味方の砲撃は頼もしいもんね。これほど景気の良い射撃を見れば、元気も出ると言うもの。
……でも、これから私たちはこれだけの砲撃のカーテンをかぶりながら前進しなきゃいけないのよねぇ。うう、やっぱりキツいわ。誤射が怖すぎる。敵よりコワイかも。
「突撃よーい!」
どれほど嫌でも怖くても、兵隊に拒否権なんかない。私は腹を決め、小銃をぎゅっと握りしめながらそう下令した。塹壕の中段に足をかけ、即座に穴蔵から飛び出せる体勢を作る。私は小隊長だ。こういうときは、先陣を切って前に出なくてはならない。そうしないと兵隊はついてきてくれない。
一瞬だけ目を閉じると、まぶたの裏にお兄様の背中が浮かんできた。お兄様は、いつだって私たちの前を歩いてくれた。だから、小心者の私でも戦えた。今度は、私が皆の手本になる番だ。
「……ッ!」
ラッパの旋律が変わった。突撃開始だ。私は大きく息を吸い込み、叫んだ。
「総員、突撃! 我に続け!!」
それと同時に、大地を蹴って塹壕から飛び出す。敵塹壕までの距離は、五百メートル弱。平時であればなんてことのない距離だけど、今は遙か彼方のように思える。おまけに、味方砲兵の射撃はとまらず、むしろ密度を増しつつあった。私たちと敵陣地の間にはひっきりなしに砲弾が落ち、爆煙と土と石を巻き上げている。そのベールは分厚く、すぐ先にあるはずの敵陣地を目視することも困難なほどだった。
「ぴゃああああっ!!」
気合いを入れるために、私はただただバカみたいに叫んだ。さあ、戦いの本番だ。せめて、お兄様の義妹として、妻として、後ろ指を指されない程度には頑張らないと。




